第49話 星に願いを!


 ガットが覚醒に至るアプローチの佳境を迎えていた頃、崩れ落ちるリーチの斜め上方では魔王軍の刺客の剣先がランゲルドの喉元を捉えていた。


 刺客の剣が状況を圧倒する。

 ガンガルドが体躯を整え攻撃に転じる速度を遥かに凌駕する速度で刺客の剣が走る。


 ランゲルドが必死に剣を構えるが、その凄まじい突きに剣ごと跳ね飛ばされ、刺客の剣先とランゲルドの間にはなんの遮蔽物も無くなった。


「ラ、ランゲルドさまーーー!!!」


 ガンガルドの悲痛な絶叫が虚空に響く。

 刺客の剣先が、一切の躊躇ちゅうちょなくランゲルドの喉笛へ走る。


「ぐぅっ、無念!」


 ランゲルドが避けられない死を覚悟する。


 空間を滑るように奔る刺客の剣がランゲルドの喉笛を今まさに切り裂かんとする刹那、真横から凄まじい勢いと力で蹴り飛ばされて刺客はもんどりうって床に転がる。


 刺客が驚いて振り向くと、そこには階下で飲んだくれていたはずのタナトスがいた。タナトスの後ろには冒険者たちが各々の武器を構えて勢ぞろいしている。


 タナトスが真っ赤な顔をして、歓喜の表情で酒臭い声を放つ。


「おいおいおいおい! こんな楽しい余興はないぜ! 俺たちも混ぜてくれよ!」


 他の冒険者や魔法使いたちも口々に声を上げる。


「ランゲルド様、助太刀致します!」


 驚くランゲルドたちに、タナトスたちが言った。


「フェルメーナの夢魔法、実は俺たちも一緒にかかっていたんでさ」


「みんな『見せて』もらいました。こりゃあ面白い!」


 そう言って、タナトスたちが刺客に飛び掛かっていく。


「魔王軍と戦うなんざ、久方ぶりで興奮するぜ!」


「しかも俺たちは今、酒と夢に酔ってるぞ!!」


 そう叫びながら、冒険者や魔法使いたちが雪崩れ込んでくる。


「さぁ、動ける魔法使いたちはフェルメーナ様の援護を!」


「この街をみんなで守るんだ!!」


 誰かがそう叫び、魔法使いたちも皆フェルメーナのもとへ急ぐ。


 タナトスが叫ぶ。


「リーチ!! お前の想いを詠唱するんだ!」


 リーチが驚いてタナトスを見上げる。

 刺客と剣を交わしながら、再びタナトスが叫んだ。


「俺たちも! お前なら出来るッ!!」


 思わぬ言葉に驚きながら、リーチが再び翼竜に目をやると翼竜は首を傾げた。


「そ、そうだよね。し、しっかりしなくちゃね」


「リ、リーチさん、ダメですよ! まだ動いちゃ!」


 リーチに治癒魔法をかけていた、魔法学校の生徒たちが声を上げる。

 刺し傷の痛みを思い出し、自分が治療されていたことに気付いたリーチがその声に頷く。


「あ、ありがとう。わ、私なんかに貴重な治癒魔法を使ってくれて」


「そ、そんな! 僕たちも夢に見たんです。たった一人であなたがこの街を救ってくれたことを!」


 それを聞いたリーチは首を横に振った。


「そ、それは違うわ。わ、私はこの街が好きだった。この街のみんなも大好きだった」


 ゆっくりと身を起こしながら、リーチはきょとんとしている小さな魔法使いたちに言った。


「わ、私が守りたいと思えたこの街で生きているみんなのお陰で、私はア、アマリリスを使えたの」


 そこまで言ってリーチは気付いた。


――そうか、私の願いは。そうか。


 リーチはガットが抱えている赤黒い肉塊に触れた。

 声は聞こえない。


 でも、夢に見たホーホ様は仰られていた。

 無敵の槍グングニルを抑制するために、大魔法アマリリスは創られたと。


 彼がグングニルを手放したから、グングニルにアマリリスがへばりついているのだ。それゆえにアマリリスが使えない。 


 それでも、私は願っている。


「私の命と引き換えにしてもいい。魔法によって姿を変えられた者たちを再び元の姿に戻してやって欲しい」と。


 確証はない。

 でも、それがこの状況を逆転させるトリガーになる。


「お願い、私の願いを聞いて! 大魔法アマリリスッ!!」


――そしてなにより、彼のためにも世界のためにも、偏倚へんい魔法なんて絶対にこの世から無くさなきゃならない。


彼女たちを救わなきゃならない!――


 渾身の願いを込めて詠唱をしても、でもやっぱり何も聞こえない。何も起きない。


「やっぱり、だめなの……」


 周囲の喧騒が遠ざかり、深い悲しみと絶望がリーチを包み込む。

 その頬を涙が伝う。


 その涙が翼竜の頭に当たる。

 ポツンと落ちた涙をペロペロ舐めながら、翼竜がリーチをじっと見つめた。


 その頃、『空飛ぶきつね亭』の屋根の上や丘の上、あらゆる高台でフェルメーナはじめラウリス中の魔法使いたちが結界魔法を展開していた。


「さすが、フェルメーナ様。こうなることを見越してのフローラル・ライラですか!?」


 傍らに陣取ったマジックマスターが、空に両手を突き出して目いっぱいのプロテクションを展開しながら叫ぶ。


「ふふ、どうかしら?」


 フェルメーナが額に汗しながら、はぐらかして笑う。


「私の強制予知夢が見せた結果では、どう頑張ってもウラリスは消滅だったけれど」


「んなこと言ってっけどお前、万一にも奇跡が起きるかもだなんて淡い幻想抱いてっから、こんなとこに今も居るんじゃないのかよ?」


 フェルメーナの後ろから近付いてきた、小柄な魔女が口を挟む。


 フェルメーナが振り向くと、彼女はガットが持っていた巾着袋、あの便所壺の砂を詰めた袋を指にからめてクルクル回していた。


「こいつの匂いを嗅いだ時にピンと来たんだ。絶対に在るはずの無いものがここに来た。だから、またお前が一枚噛んでんじゃないかってな」


「あら、じゃない。何年振りかしら?」


「何年じゃねー、何百年ぶりだ。ったく、おれの名を使った魔法をおれ自身にもかけやがって」


「ふふっ。タダ酒に釣られる、アナタの貧乏性を恨むのね」


 相変わらずふざけたやろーだぜ、と悪態をつきながらライラと呼ばれた魔法使いも手を天に伸ばす。


 遥か高空に白く輝く軌跡を残しながら超速で接近するアカバドーラは、すでにウラリスの上空に到達しつつあった。


「あれ、防げると思うか?」


「さぁ。先日見た夢ではダメだったわね。」


「だろうな。ありゃ、とんでもねぇ量の魔力と仕掛けを込めた弾だ。街もあたし達もやべぇな」


 街中の魔法使いたちによって凄まじい厚みと幅を与えられた、高空に展開する多層防御魔法結界シールド・プロテクションが青色の光を放ち、ラウリスの街を煌々と照らしだす。


 街の人々もみな、夜空に広がる巨大な魔法陣の光を見上げていた。


 その頃、西方の丘に陣取っていた魔王軍はラウリスの街を観察していた。


「ふははっ! アカバドーラでラウリスの人間どもを皆殺しだ!」


 悪魔大元帥レスルゴが声高に笑う。


「これで、あの忌々しい魔女も皆殺しに出来る! これで魔王様の覇権も盤石だ!」


「さすがにございます、レスルゴ様」


 傍らにいた魔王付きの魔術師ルドラが言う。


「時を遡る魔法を逆手にとって、ヤツが街に滞在する機会を待って街ごと消滅させる」


「素晴らしい作戦にございます」


 そう言って頭を下げながらルドラが続ける。


「国堕としのアカバドーラは無敵です。更に今回は『三段構え』にございます。ラウリスの連中にあれを防ぐ手立てはございません。更には、あらゆる魔法攻性防壁に対して強力に作用する耐魔力コーティングが幾重にも施されておりますゆえ」


 レスルゴが満足そうに頷く。


「これで、あの街もあの忌々しい魔女も消える。捕虜が生け捕れぬのはいささか残念ではあるが、まあよい。アカバドーラが炸裂したら我が軍も一気に突撃する!」


 レスルゴの号令に魔王軍もおぉー!! と雄叫びを上げるのだった。


 そして、大きく放物線を描いて飛来したアカバドーラがついにシールドプロテクションの結界領域に到達した。


 アカバドーラがその境界に触れた瞬間、バリバリと凄まじい音と振動が街全体を覆う。


 しかし、その落下速度をまるで落とさずにアカバドーラはシールド・プロテクションをいとも簡単に突き破る。そして次の瞬間、数百を超える小さな光の粒に分裂した。


 光の粒は、そのひとつひとつが猛烈な光を発しながら雨粒のように落下してくる。


「おいおいおい、マジかよ」


 ライラが苦虫を噛みつぶしたような呻き声を出す。


「あの光の球ひとつで、あたしらの魔力を凌駕りょうがしてるぞ」


「レジェンドクラスの魔法使いさんでもダメなのなら、いよいよ私の予知夢の精度は神託の域に達してるということになるわね」


 ノベリストとしては及第点ね、とフェルメーナが皮肉まじりに呟く。


 ここに居ても感じる圧倒的な破壊力。


――あぁ、本当にこれですべてが終わる。


 煌々こうこうとした光が窓から差し込み、その光に照らしだされたリーチがそう思ったとき……


 また、あの声がした。


「おねいちゃん、大丈夫だよ」


 その声に我に返ったリーチが声の主を見ると、翼竜アズダルコが赤黒い肉塊を一口に飲み込もうとしているところだった。


 昏睡しているハズのガットが、そんな翼竜の尾を掴んで無意識に口をぱくぱくしている。


「えっ!?」


 と思うや否や、アズダルコは赤黒い肉塊を一気に飲み込んだ。


「…………おえっ……」


 という嗚咽が聞こえたとたん、アズダルコの体がぶわっと天井いっぱいに大きくなる。同時にどす黒い霧と稲妻が彼を包み込む。


 しかし、それはすぐに雲散霧消した。

 そして、ブリリッという排泄音とともに翼竜の肛門から何かが排出された刹那。


「ギャー! なんじゃこりゃー!!」


 という絶叫が部屋に響く。

 同時に、アズダルコがズシーンと音を立てて崩れ落ちる。


 リーチはもちろん、部屋に居た者たちは何が起こっているのか分からない。


 しかし、ガットが見たこともない表情でアズダルコの排泄物を見ている。


 その視線の先には、緑の排泄物にまみれた人間たちがいた。


 彼らを見て、ガットが目を見開いて凍り付いている。

 意識は戻っていないはずなのに。


「ぺっぺっぺっ! なんでいきなりクソまみれに……? あれ、もしかパンドーラ?」


 そういって、テルアが倒れてもなおべろんべろんと弱々しくも必死に舐め回してくる翼竜の舌を払っていた手を止める。天を見上げて、次に床に横たわる翼竜を見る。


「あれ、なんだこの魔力は? ん? なんだここは?」


 そんなテルアの横には、骨と皮だけの魔法使いが横たわっている。


「ホ、ホーホさまッ!! どうして!?」


 フォルティスがその遺骸を抱き上げる。

 その傍らで、フロースも幼子を抱きしめたまま身動きひとつできない。


 と、また聞き慣れない声がした。


「おねいちゃん、いままでありがとうね」


 リーチがその声のほうへ顔を向けると、そこには倒れていたはずのアズダルコの横顔があった。


「……この声……ダルなの?」


 頭上では、数百の小弾頭に分裂したアカバドーラのひとつひとつが猛烈な光を放ちながらラウリスの街めがけて落下ている。


「ダ、ダル? な、なにをする気なの!?」


 リーチがそう叫ぶ前に、翼竜は窓の外に飛び出した。


 アズダルコが赤黒い肉塊を飲み込んだ瞬間、全身に凄まじい痛みが走り力が抜けて立っているのも困難な状態であったが、懸命にテルアたちを舐めながらかすむ意識のなかで大好きなリーチにうわごとのように感謝の気持ちを伝えようとしていた。


 と、暗澹あんたんの中から声がした。


「立て、忠義の黒竜よ」


「うぅ……」


 黒竜が声がする方を見上げると、真っ黒いローブを着た見知らぬ男が立っていた。


 顔も頭も、背中も腕も脚も折れ曲がり腫れあがり、見るに堪えぬ醜い姿。

 しかし、その肉の隙間から除く瞳には強い意志と決意がこもっている。


「今わの際だ、与えてやる」


 そう言って、男はアズダルコに手を伸ばした。


 上空は光の粒でいっぱいとなり、それが魔法弾でなければ幻想的な光景だった。


 一発で街を消し飛ばせる破壊力の光のつぶてが雨のように降り注ぐ。


 アズダルコは、自身の最大速度で上昇を続けた。


「一つでもいいから、少しでもおねえちゃんに当たらないようにするんだ」


 たとえこの命が尽きようとも――


 そう思いながら、アズダルコは飛び続ける。


「あー、こりゃだめだなマジで」


 煌々と輝くアカバドーラに照らし出された『空飛ぶきつね亭』の屋根の上で、ライラが呟く。


 光のつぶての落下に合わせてライラやフェルメーナ、それに魔法使いたちが魔法結界の最大効果域を、恐らくそれまでの歴代大魔法使いが成し得た速度を遥かに凌駕する速度で、下方と移動するが間に合わない。


「魔法弾炸裂まであと五鋲びょう!」


 屋根の上で、魔法弾の魔力転移計測に全力を注いでいた魔法使いが叫ぶ。


 もうダメだ。


 その場に居たものが最期を覚悟したそのとき。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ああああぁああああああ゙あ゙あ゙ーーーーーーーー!!!!!!!」


 突然、ガットが凄まじい咆哮を上げた。

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