第48話 覚醒

 そのころ……ガットはゆっくりと目を開けた。


「……寝ちまったのか」


 彼はベンチに座っていた。

 空は異様に真っ暗で、鈴虫の音が聞こえている。


 そこは少し高台で、遠くには夕暮れに浮かぶ街のあかりがかすかに見える。

 知らない場所のはずなのに、なんだかとても懐かしい。


「そうか、ここはいつもの散歩で使う駅だったな」


 思い出や経験に由来する感覚ではないけれど、なんだかそう呟いてガットはそっと立ち上がる。


 周囲には誰もいない。

 ホームに立っている街灯がチキチキと音を立てながら、ガットの周囲を優しく照らしている。


 一番欲しいと願うものは何も手に入れることができなかった。

 やっとの思いで手に入れた、大切なものもすべて失った。


 死んでも、誰からも、一瞥いちべつかえりみられることすらない人生だ。


 ……それを、あと何度繰り返せばいい?


 ただ深い焦燥感と絶望感が全身を覆う。


――何度も何度も、疲れたよ。

――本当に疲れたんだよ。


 そう言えば、と小さく呟きながら、頭上に広がる真っ暗な空を見上げて嘆息する。

 ここに来るのもだな。


 いつも頭では散策している雰囲気を強く想起しているのに、どうにも赴く気力が無い。初夏の頃に汗だくで歩いた記憶が強く去来する。


 何者でもなく、何もない今を歩みながら、絶対に手の届かない無限に広がる過去と未来を行き来しながら、それでもあの感覚はまごうことなく自分を救ってくれていた。


――また行けばいいのに

――すぐに行けるのに


 いつも、必ずその場所で目にすることになる『遥かな夢と仰いでいた理想郷』を体現している人々の姿に、自分の矮小さと歩んできた人生の虚無を強烈に感じて気分が悪くなる。


 それを何年、何十年と繰り返すうち、いつしかそうした場所は、その場所が理想的であればあるほど自分にダメージを与える場所に変貌していったんだ。


 それが、この肉体における人生で、今日に至るこの瞬間へと誘う原動力であったのだ。


「ふぅ」


 小さくため息をついて、眼前の左側に続く線路を見ると遠くから列車の音が聞こえてきた。


 漆黒の絶望が彼を包み込む。


――俺は結局、何も出来ない。何度生まれ変わっても、結局誰のためにもなれない。


 ゆっくりと身を起こしてホームから転落する。

 

 大きな車輪も、もう目の前だ。


――あぁ、これでやっと楽になれる。


 そう思った刹那、ふと違和感を感じて左腕を見る。

 と、そこには赤黒い生肉のような塊があった。


「……なんだ、これは?」


 ガットがそう呟いたそのとき、遠くで誰かが叫んでいる声がした。


――だれだ。だれかが俺を呼んでいる。


 車輪は、すでにガットの皮膚に接触し始めている。

 死はもうすぐそこだ。


 しかし、ガットは考える。


――なぜ、俺は諦めているんだ。


――いや。……そもそも俺は、何を諦めているんだ?


 そんなことをぼんやり考えていると、とつぜん魔女の姿が見えた。

 金色の細いエポレットが付いた真っ黒なマントを羽織った、見慣れぬ黒髪のツインテールが小さな魔法棒を握りしめて何か叫んでいる。


「……?」


 ガットが耳を澄まして彼女の叫びを聞き取ろうとする。

 全身傷だらけで顔を歪ませて、怒髪天の形相で何かを叫んでいる。


「何を言っているんだ……」


 車輪はすでに深くガットの肉体に食い込み肉が裂け始める。


 ガットの表情がゆがむ。

 それは痛みからではない。


――聞こえないんだ。聞いてやりたいのに。


彼女の声が聞こえない――


「思い出せ」


 突如、ガットの頭の中に声が響く。


「……な、なにを……」


 車輪はガットの肉体を裂いてゆく。

 しかし、声は続く。


「為すべきことを成せ。その為に、今『ここに在る』ことを知れ」


――な、なにを――


「たすけ、助けて!! 私はいやだ!! 誰か助けて!!! いやだー!!!!!」


「!!?」


 突然絶叫が響き渡り、ガットは目を見張る。


 それは『彼女たち』の声だった。


 今まさにラウリスを消滅させようとする『アカバドーラ』の、破壊の熱と光に変性され練り上げられて砲弾に詰め込まれた、魔法使いたちの最期の怨嗟おんさの感情とそれを貫く愛憐あいれんの想い。


 それが、遂にガットに届いたのだ。


「奪いたくない! 命を! 夢を! 世界を! 花咲き光に満ち溢れる、彼らの歩むべき未来を――――!!!」


――そうだ、そうだった。


――俺は奴らと冒険していたんだ。するんだった。


 彼女たちの内なる叫びを耳にして、ガットはすべてを思い出す。


――こんな世界を救うために俺は、私は生きていこうと決めたんだ


 そう呟いて、左腕に抱えた肉塊を見つめた。

 そして、その反対の腕にあるべきあの棒を思い出す。


「そうだ、グングニルはどこだ?」


「――助けて!!!!!」


 『グングニル』という単語を思い出したことで、より鮮明にアカバドーラの『声』が聞こえる。今、自身の置かれた状況が一瞬で理解できる。


「なにかが来るのか」


 そう言って、ガットが天を仰ぐ。


 ガットの肉体を切り裂いていたはずの車輪が、逆にガットを始点に裂けてゆく。

 列車の車体がこんにゃくのようにひん曲がってゆく。


「あの槍は強いぞ。偏倚へんい魔法にはクソの役にも立たないが、あの魔法爆弾ならぶち抜けるはずだ」


 ガットがひとり呟く。

 と、あの声がした。

 

「そうだ。我の名を呼べ」


 その声は続く。


「『私たち』はお前を選んだのだ」


「お前も私たちを選べ」


――そうだ、大好きだった奴らはもういない。


――それでも救うんだ。奴らが生きたこの世界をホーホたちの分まで俺が……


 そう悲壮な覚悟を決め、立ち上がったガットが凍り付く。


 その視界に、竜のクソにまみれて絶叫するテルアたちが飛び込んできたからだ――

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