第42話 夢のあいだに

 ガットがマウソリウムを脱出したのち、悪魔大元帥デゥ率いる魔王軍第二軍の攻撃は更に激しさを増していた。


 膨大な兵力を存分に使ってマウソリウムを包囲し、人々の往来や物流を遮断した。

 そして数ヶ月が経過してその効果が徐々に、しかし的確に効果を現し出した頃合いを見計らって、今度はガットが脱出したのと同じく大結界の効力が及ばないマウソリウムの地下に張り巡らされた灌漑かんがい用の導水路や排水溝を伝って街への侵入を試みていた。


 もちろん、街の人々もそうした地下経路が弱点であることは承知していて、外からの侵入者に対する防御は万全を期していた。


 それゆえに、各所の開口部では侵入を試みる魔王軍とそれを阻止しようとするマウソリウム軍の間で激戦が繰り広げられていた。


「ヴォルグ様! 八番排水路突破されました! また、西方のパンタ導水路に毒が流し込まれた模様です。パンタ導水路を利用している地区で多数の犠牲者が発生しています!」


 魔王軍の侵攻が始まってから、ヴォルグの元には日々絶望的な報告が続いていた。

 助けを呼ぼうにも地も空も魔王軍によって制圧され、他国へ窮状と援軍の要請を連絡することが出来ない。


「まだ大結界は持っているか?」


 ヴォルグはバドラに尋ねた。


「は、はい、ヴォルグ様。街の魔女や魔術師に随時確認させておりますが、今のところその強度の劣化は見受けられないとの報告を受けております」


「うむ、パニバルは健在か。それで軍は?」


「はい。主力部隊の重装師団及び魔術士達を流動的に運用し、魔王軍が侵入を試みている地下経路があれば速やかに強襲させてなんとかしのいでおります」


「それで、間に合っているのか?」


「特に予知能力に長けた者たちを連携させ、少しでも早くその地点を特定するように努めています。ただ、敵もそれに感づき始めており、プリディクション・ジャミング(予知妨害)を仕掛けています」


「ジャミング? 魔王軍が?」


 ヴォルグが唸る。

 魔王軍にそのような高度な魔法が使えるなど、聞いたことがなかった。


 しかし、バドラは続ける。


「はい。私たちもそのような高等魔法を魔王軍が使えるなどとは予想していませんでした。予知能力の高い者たちとの連携でこれまで急場をしのいできたことが敵に感づかれ、その対抗策としてジャミングを仕掛けてきていることに間違いはありません」


 そう言って、少しためらって言葉を続ける。


「恐らく、魔王軍の中にが相当数存在していると考えて差支えないでしょう」


「噂には聞いていたが、『さか戻り』か。それでは、人間の軍隊と戦っているのと何ら相違ないではないか」


 ヴォルグがため息をついて目をつむり、目頭を押さえながら顔を上げる。


「……純粋な魔物の方がまだマシだ」


 そう呟いてから、再び指示を出す。


「引き続き防御線を死守せよ。マウソリウムの守護天使たるパニバルが保持している、『ライラの大結界』を破られたら我々は終わりだ」


「はっ、ヴォルグ様!」


 そう言って足早に城を後にする臣下たちを見つめながら、ヴォルグは結界の向こう側に陣取る膨大な数の魔王軍を睨むのであった。




「これで五十四ヶ月目、あと半年もすれば五年ですな」


 悪魔大元帥デゥの下に報告が入る。


「なんともしぶとい。まるでウジの様な連中だ。それで、街の様子はどうだ?」


「はい、それはもう死屍累々と言ったところです。飛行魔物に聴知ちょうちさせておりますが、街の中や郊外で動くものはまず見当たりません。おそらく大半の者たちが息絶えたか、地下に潜伏しているものと思われます」


 そう言って、魔王軍第二軍の参謀長ゲルゲはにやりと笑った。


「まったく、死に逝く人間どもを眺めているのはなんとも心地よいものですなぁ」


 魔王軍による執拗極まりないマウソリウムの兵糧戦は、この時すでに五年近い歳月を費やしていた。


 しかし、マウソリウムの人々の想像を絶する粘り強さと忍耐によって未だマウソリウムは陥落を免れていた。


 だが、それももう限界が近かった。


 なにしろその間、外からの支援、援軍が一切無い孤立無援のなか必死の孤軍奮闘を続けてきたのだから。


「いくらしぶといゴキブリの様な連中でも、そろそろ限界だろう。奴らが十六番と呼ぶ、北側の排水溝からの攻勢を止めて一年近く経つはずだ」


「はい、デゥ様。十六番は、一昨年の小麦の穂が実る時分には兵を引き上げさせております」


「よし、いいぞ。奴らも油断しているはずだ。その排水溝に、突撃兵とありたけの武器を集結させろ」


「おぉ! では遂に!」


 ゲルゲが歓喜の表情を見せる。


「そうだ。十六番を使って全戦力を投入し、マウソリウムを陥落させる」


 この命令が伝えられると、第二軍の兵士たちから大歓声が上がった。


「遂にこの日が来た! 人間どもを血祭にあげろ!!」


 そうして、マウソリウムの外縁を取り囲んでいた魔王軍は密かに十六番と呼ばれる排水溝の周辺に集結していった。


 そして、デゥは攻撃隊長ブルデンに指示を出す。


「奴らの防衛網を突破し街へ突入したら、そのままパニバルという魔女の捕獲に全力を向けろ」


「このクソ忌々いまいましい大結界を護っている魔女ですな」


「そうだ。そしてこれは大魔王様から聞いた話だが、この街の地下深くに便所壺、チャンバーポットと呼ばれる古代魔法の呪詛がありったけ込められた空間があって、それを維持する目的の為だけに奴は不老不死の呪いを掛けられているそうだ」


 そう言ってデゥがまとわりつくような笑みを浮かべる。


「そして、その便所壺の中には奴が想いを寄せる男が、数百年来封印され続けているという」


「それはまた、僥倖ぎょうこうなことですなぁ」


「大魔王様は、その呪いの力と込められた古代の秘技をご所望なのだ」


「なるほど。承知いたしました。必ずやパニバルとやらを生け捕り、大魔王様のご期待にお応え致しましょう」


「その意気だ、ブルデン」


 デゥは満足そうに頷いて、言った。


「破壊し尽くせ、奪い尽くせ。そして殺し尽くせ」


「はっ!!」


 ブルデンは悦びに肩を震わせながら大きく呼応した。


「ヴォルグ様! ヴォルグ様!」


 哨戒しょうかい中にうたた寝をしていたヴォルグの肩を、当直の兵がゆする。


「お、おお。どうした?」


 長く続く極度の緊張と睡眠不足、それに栄養失調で疲労困憊していたヴォルグは、それでも鉛のように重い体をゆっくりと持ち上げて応対する。


 火照る体に夜風が涼しい。


――しかし、腹が減った。


 垢にまみれ、頬のこけた若い兵士の顔を見ながら思う。


――私が不甲斐ないばかりに、本当にすまないな。


 そんなヴォルグを見つめながら兵は報告を続けた。


「はい。斥候せっこうからの緊急伝令です。街はずれの十六番排水溝吐出水門付近に、大量の魔王軍が集結しているそうです」


「……なんだと!?」


「重装し魔獣にまたがった機甲兵を先頭に、多量の武器を手にした随伴歩兵も相当数配置しているそうです」


 ヴォルグの顔が曇る。


「連中は、十六番を使って街へ侵入するつもりだ」


「……はい」


「すぐに兵を集めて防衛陣地を固めろ。今、魔王軍の主力部隊に侵入されたら街は、マウソリウムは終わりだ」


「承知しました。我が軍の主力も十六番排水溝周辺に集中します」


「排水溝を爆破してもかまわん」


 ヴォルグがそう言うと、兵の表情が曇る。


「いえ、それは不可能かと思われます」


「なぜだ?」


「ヴォルグ様もご承知の通り、もう矢や弾薬といった武器の類が数年前から枯渇しているのです。さらに、街の排水溝はとても大きく頑丈に出来ています。あれらを破壊できるほどの炸薬が、我が軍にはもはやございません」


「……そうか」


 ヴォルグが唇をかみしめる。


「とにかく、至急全軍に伝えろ。そして全兵力を以て十六番を死守するのだ」


「分かりました」


 そして、マウソリウム軍の主力部隊が十六番排水溝と呼ばれる地下の下水道へ移動を始めるのとほぼ同時に、大量の魔物たちが奇声を上げながら十六番排水溝から街内に向かってあふれ出始めた。


 ただでさえ数を減らし、長期に渡る兵糧攻めで満足な食事も取れていなかったマウソリウムの兵士たちは、数ですら圧倒する魔王軍にまるで太刀打ちすることが出来ず、あっという間に市街は占領されてしまう。


 そして、ブルデン率いる強襲部隊は魔王軍とマウソリウム軍の市街戦が展開されている最中、郊外のパニバルの家を襲った。


 パニバルも、自宅周辺の結界でしばらくはブルデンたちの侵入に抗ってはいたが、やがて結界の外から地を掘って結界の内側に侵入した魔物によって捕縛されてしまっう。


「離せ! その汚い手を離しやがれ!」


 喚き暴れるパニバルを軽々と担ぎ上げたベアタルスが、怯えて固まっている弟子のアマニの首根っこを掴んで持ち上げると、そのままデゥのところへ連れて行く。


「燃やせ!」


 ベアタルスの肩で暴れるパニバルを横目に、ブルデンの号令でパニバルの家に油がぶちまけられ、火が放たれる。


 やがて、悲鳴のような音が大気を充満したかと思うと、ふっとマウソリウムを覆っていた大結界が消えた。


「これでいい」


 結界の消えた夜空を見上げながら、ブルデンは満足そうに頷いた。


 やがて、陸路で魔王軍第二軍の全軍と兵站へいたんや移動兵器などがマウソリウムへと次々に運ばれ、街は魔王軍であふれかえった。




「人々は、地下に張り巡らされた膨大な数と長さの水路や排気口に潜伏して反抗の機会をうかがっているそうです」


 マウソリウムに送った斥候せっこうの報告が、数ヶ月かけてラウリス領主のランゲルドに届く。


「……風前の灯だな。」


 絶望的な状況を前に、ランゲルドが腕を組む。


――軍を送るべきか。


――マウソリウムを侵攻している魔王軍第二軍と言えば、強力な軍としてその名を馳せている。しかも、率いるは名将と名高い悪魔大元帥デゥだ。支援するにしても、こちらも相当の兵力を割かねばなるまい。しかし、それで現状を打破できるかどうかは不透明だ。


――何より、マウソリウムへ兵力を割けば、その分ラウリスの守りも脆弱となる。ここ最近、妙に活動的で神出鬼没の魔王軍だ。安易に、迂闊に派兵の判断は出来ん。


 しかし、このままではマウソリウムは、マウソリウムの人々が――。


 城下を見つめながら唸るランゲルドの背後で、コトリと小さな音がした。


「……フェルメーナか」


「はい」


 ランゲルドが振り向くと、月光に照らされた部屋のなかでフェルメーナが佇んでいた。

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