第41話 ライズ・リーチで
「こんなボロボロの人間は見たことが無いぞ」
街で医療に携わっていたハルピュイアが感嘆の声を上げる。
ハルピュイアは、フクロウの顔をして白い体毛で覆われた博識の獣人で、ライズ・リーチの街では主に医療活動に携わっていた。
「これで生きているなんて、なんて生命力だ!」
ハルピュイアが思わずそう口走ると、ガットの懐からガムラン坊やの声が呼応する。
「そうだ! こいつは凄いんだぞ!」
「早く助けろ!」
ハルピュイアが、黙ってギャーギャーと騒ぐガムラン坊を掴み上げ、木箱に詰める。
「ハル、なんとかしてあげて」
リーチがハルピュイアに懇願する。
「こんなになるまで、一生懸命にここまで生きてきたのだから、助けてあげたい」
リーチの言葉に、ハルピュイアがもちろんですと大きく頷く。
「リーチ様のお願いです。もちろん、全力で治療に当たらせて頂きます」
それから、リーチは街の者たちに声を掛けて様々な薬草や湯焚きの手伝いを出来る者を
ガットがライズ・リーチに到達してから七日が経ったころ、ようやくガットが目を覚ました。
「おおぉぉ……」
「おぉ! 目を覚ましたぞ!」
ハルピュイアが急いでリーチへ使いを出す。
「大丈夫、もう大丈夫よ」
病室に到着したリーチが、ガットに声を掛ける。
ガットが赤黒い肉塊を抱えたまま、唸り声を上げている。
何かを伝えようとしている。
リーチがハルピュイアを見るが、彼女も首を横に振る。
「分からないのです。多少、読心術の心得があるのですが、彼が何を伝えようとしているのか全く図りかねるのです」
それに……と、ハルピュイアが赤黒い肉塊を見つめながら言う。
「彼が持っているあの肉の塊ですが、あれも気になって彼が昏睡している間にひとつまみ分ほど切り取り、街の専門家や魔術師などにも見せたのですが、皆口を揃えて言うのです。なんの肉か分からないと」
「うーん」
リーチも腕を組んだ。
しかし、考えても分からないものは分からない。
「仕方ない。なにはともあれ、まずは元気になってもらいましょう!」
リーチはそう言って食事の用意をさせるのだった。
ガットがライズ・リーチに到達してからひと月ほどが経ったある日、街の長老が折り入って話があるとリーチを自分の家に呼んだ。
「お邪魔します」
学校での授業を終えたリーチが手土産を持って長老の家に向かう。
ノックののち扉を開けると、そこには長老を始めハルピュイアやリーチと最初に出会った魔物、ベアタルスのブラッシュが待っていた。
「あの男と、あの男が持っている肉の塊のことです」
長老が唐突に言った。
「私も詳しくは知りません。ですが、あの肉の塊はここにあっては良くないものです」
「なぜ?」
リーチが尋ねる。
「あれは恐らく魔法によって姿身を変えられた、呪詛の込められた塊です。その昔、悪いことをすると肉に変えて食べてしまうよとおばばたちに言われたことがあったのです。なにぶん幼い頃でしたから、聞き分けのない子供への
ハルピュイアがそう言うと、長老も続ける。
「彼女は遥か南方の辺境の出であることはご存じのことかと思いますが、ここ、ライズ・リーチとなる以前の村にも似たような話があったのです」
長老がそう言うと、ブラッシュが部屋の奥から年季の入った木箱を持ってくる。
「ブラッシュ、それは……?」
リーチが尋ねると、ブラッシュがその木箱の蓋を開ける。
そこには、ガットが抱いていた赤黒い肉塊によく似た肉塊が収められていた。
「!?」
リーチが驚くと、長老がその肉塊を両手で抱えながら言う。
「これは遥か昔、この村の建立に関わったといわれる魔物だったもの、と言い伝えられており代々受け継がれてきたものです」
目を見張るリーチを見ながら、長老が続ける。
「私も最初はただの伝承に過ぎないと思っておりました。ですが、あの者の持っていた肉塊を見たときに確信したのです」
「各地に伝わる伝承は真実なのではないかと」
ハルピュイアが言う。
「長老の確信は正しい。あのうっとおしいガムランボールに事の委細を聞いたのですが、彼らは遥か東方の墓標都市マウソリウムから五年もの歳月をかけて、徒歩でここまで来たというのです。それ自体にわかには信じられませんが、更にガムランの奴が言うには、あの肉の塊は元々人間だったと言っているのです」
「だ、だってマウソリウムって、ここから四千キロガル(約四千キロメートル)はあるよ……」
リーチが絶句していると、長老が言った。
「あのガムランボールの話では、彼らはその肉の塊を人間に戻すためにラウリスへ向かう最中なのだと言っています。ラウリスで何をするのか、それは分かりませんが、とにかく彼らを一刻も早くラウリスへ送るべきです」
「ど、どうしてそんな性急に……?」
初めて聞く話ばかりで、リーチが困惑しているとハルピュイアが言った。
「この肉の塊も、彼が持ってきた肉の塊もおそらく魔法、それも呪詛の類を基にした術かと思われます。彼の素性も、マウソリウムから来た本当の目的も分かりません。もしかしたら魔王軍の
とにかく、得体が知れないと訴えるハルピュイアの言葉に長老も頷く。
「彼の回復を待って、一刻も早くラウリスへ送り出すべきです」
それを聞いて、リーチは少し
――得体が知れない、か。……私も似たようなものだ。
長老とハルピュイアの言葉に頷きながら小さくそう呟くと、リーチは分かったとだけ答えて長老の家を後にした。
「ど、どこにいくんだ?」
ブラッシュがリーチの後についてきた。
「ちょっと、彼のところへ様子を見にね」
「そ、それじゃあオレも行くよ」
そう言って、ブラッシュもリーチと一緒にガットが療養している街の診療所へと向かった。
ガットが収容されている部屋の前に来ると、中から騒がしい声が聞こえた。
「入るよ」
リーチがそう言って扉を開けると、肉塊を抱いて呆けているガットにガムラン坊やが必死で説得しているところだった。
「マウソリウムの王さまに言われただろ! ラウリスのライラに会いに行けって!」
ガムラン坊やが叫んでいる。
「そこでそいつに会えば! ホーホ様たち元に戻るかもしれないんだ!」
「なぁ! 行こう!」
しかし、ガットは動かない。
じっと虚空を見つめている。
リーチはそっとガットの傍らに座った。
日焼けと栄養失調で全身ボロボロの皮膚に髪も伸び放題でボサボサ。診療所で少しだけ身体を拭いているので抑えられてはいるが、それでも凄まじい悪臭がする。
ズタズタの服、と呼ぶのもはばかれる布切れを纏って、およそ財産と呼べるようなものも見当たらない。
だが赤黒い肉塊だけは、しっかりとその腕に抱えていた。
大切なもの。絶対に手放してはいけないもの。
その姿から、ガットの強い意志が見て取れる。
その肉塊に、リーチが優しく手を触れる。
ガットがゆっくりリーチを見る。
マウソリウムからの長い長い道中も、あらゆる場所で忌み嫌われてきたその肉塊を、彼女は優しく撫でてくれた。
リーチが、赤黒い肉塊を撫でながら言う。
「さっき、あなたたちの話を聞いたの」
ガムラン坊やもガットもブラッシュも、黙ってリーチを見つめている。
リーチは続けた。
「これはあなたの大切な人たちなのね。私はこれを元に戻す方法を知らない。中途半端な救いを、ごめんなさい」
私に魔法が使えれば――。
リーチが歯を食いしばる。そんなリーチの肩で翼竜が
「でも、ラウリスには大魔法使いと呼ばれる人たちがいる。魔法だけじゃなく薬学や歴史に詳しい人たちも沢山いるから、もしかしたらこれを元に戻す方法を知ってる人がいるかもしれない」
リーチはそうガットに言った。
――本当は、彼が目的としている大魔法使いライラ様にお会い出来たらよかったのだけれど、たしかライラ様は三百年ほど前に亡くなってラウリス郊外の英雄墓地に埋葬されているはず。そう歴史書で読んだことがあるし、私も幼いころ孤児院の先生とライラ様の墓所を見学しに行ったことがある気がする。
――でも今は伝えないでおこう。それに、ラウリスには本当に沢山の魔法使いがいる。私と違って本物の魔法使いが。もしかしたら、何かいい方法が見つかるかもしれない。
そう考えながら、ガットに向かってリーチが続ける。
「この街には……ライズ・リーチには、彼らを元に戻せる魔法使いが居ないの」
「だから、もう少し頑張ってラウリスへ行きましょう」
リーチがガットの手を握る。
ガットがリーチを見つめる。
そして、少しだけ下を見てからゆっくりと立ち上がった。
「やっと! 行く気になったかい!」
ガムラン坊も叫ぶ。
「ブラッシュ、長老とハルピュイアに連絡を」
リーチがブラッシュへ声を掛ける。
ブラッシュは、このやり取りを固唾を飲んで見守っていたが、突然リーチに声を掛けられて思わず返答がうわずる。
「わ、わかった!」
「ここからなら、あと三百五十キロガル(約三百五十キロメートル)と少しよ。これまで、あなた方が歩いてきた道のりに比べたらもうすぐそこだから」
リーチが優しくガットに声を掛ける。
「あと少し。頑張りましょう」
「おおぉぉああぁぁぁ……」
ガットは言葉にならない声を出した。
それから、ガットのズタズタの足に薬草を染み込ませたターバンが巻かれ、服も一新した。髪も短く切って、キスリングザックのような革で出来たザックには沢山の食料や皆から少しづつ集めた硬貨も少し入れてある。
話を耳にした街中の人々が、総出でガットの出立を準備してくれた。
「……追い出しているように感じるかも知れないけれど、本当にそうじゃないの」
リーチがガットに語りかける。
門出の日、まだ日も上る前の時間。
それでも、街中の魔物や商人たちがガットの見送りに来ていた。
「うぅぅ……」
ガットが唸る。
腕にはしっかりと赤黒い肉塊が抱えられている。
リーチはその様子を見つめながら言葉を続けた。
「ここでは何もしてあげることは出来ないけれど、ラウリスならきっと方法が見つかると思う」
そうしてガットの手を握り、赤黒い肉塊を優しく撫でて言った。
「あなたの想いの成就と、幸多き前途を心から祈ってる」
リーチの肩では翼竜がクゥクゥと鳴いており、そのうしろでは街の人々が静かに頷いている。
「本当に世話になった!」
ガットの代わりに、ガムラン坊が叫ぶ。
「こいつが! みんなが! 元に戻ったら! 必ず! 戻ってくる!!」
そう叫んで手を振るガムラン坊やを肩に乗せ、ガットがゆっくりとラウリスへ向かう街道を歩み始めた。
その寂しそうなガットの背中を見つめながら、どうか無事であって欲しいと心から願っているところでリーチは目を覚ました。
「っはぁ!?」
そこは、先ほどまで階下の喧噪を耳にしながらフェルメーナの話を聞いていた、『空飛ぶきつね亭』のカウンターだった。
「おかえりなさい」
そういって微笑むフェルメーナを見つめながら、寝ぼけまなこでリーチが周囲を見まわすと、そこにはライズ・リーチから行動を共にしてきた商人たちを始め、夢で見た人たち、そしてランゲルドが座ってリーチを見つめていた。
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