第40話 マウソリウム侵攻
ガットが便所壺に
だが、いつもと違う騒がしい声に気づいて腰を上げた。
漬物石、ピックレッドの下でタンバリンや
皆に
と、頭の中に直接ある光景が見えた。
地平線を真っ黒に埋め尽くすほどの大軍がマウソリウムに向かっている。
あれは……あれは魔王軍だ!
「おおぉおぉぉ」
ガットの口から嗚咽が漏れる。
「や、やつら攻めてきやがった!」
タンバリンが絶叫する。
「ま、街の連中は知ってんのか!?」
「大丈夫だ。この街にはライラの多重結界が施されている。そして、それをパニバルが補強し続けている。魔物は簡単には侵入出来ない」
絞り出すような声でトロールが言う。
「んだけどよう、大丈夫か!?」
タンバリンが地団駄を踏む。
「くっそう、ここからじゃ何もしてやれねぇ」
マウソリウム攻略を命じられたのは、魔王軍の中でも精鋭ぞろいで名を馳せる第二軍だった。
「マウソリウムには良質の魔法使いが多い。更にはあの街の下には便所壺と呼ばれる古代の魔法を使った結界があるそうだ。その術を解析し会得出来れば、魔王様の世界征服に更なる拍車がかかるというものだ」
魔王軍総帥のベチアが言う。
「はっ。必ずや速やかにマウソリウムを陥落させ、大量の捕虜を手に入れてご覧に入れます」
第二軍率いる悪魔大元帥デゥが、ベチアの言葉に呼応する。
「オーホロウやその他の魔法弾、そして何より『
大魔王ラッテンペルゲが言う。
「悪魔大元帥デゥよ、期待しているぞ」
「はっ、大魔王様! 必ずやご期待に応えてみせます!」
悪魔大元帥デゥは、攻城戦を得意とする魔王軍随一の策略家でもあった。
人間が墓標都市と呼ぶマウソリウムを陥落させる為に対する最も効果的な方法、それは……
「兵糧攻めが良いだろう」
デゥは言った。
「あの土地は痩せていて穀物の取れ高が低く、備蓄も矮小のはずだ。また大きな河川も無いために灌漑をしているが、その引き水の元を堰き止めてしまえば水も無くなる」
「いくら奴らに蓄えや備えがあれど、私の計画する兵糧攻めを以てすれば数ヶ月で容易に陥落するだろう」
「で、ですが少し時間が掛かるのでは……?」
第二軍 攻撃隊長のブルデンが言う。
「一気に攻め込んでは如何でしょう?」
そう提案するブルデンに、デゥが言う。
「あの街を覆う大結界、あれが厄介だ。お前は知っているだろう。人外どもを護るホーホの大結界、そして人間どもを護るライラの大結界だ」
デゥが
「あれを破るために多くのオーホロウを消費することになるだろう。また、連中に十分な余力がある状態で街に攻め入れば我らもかなりの犠牲を伴うはずだ」
「な、なるほど」
「そして何より、勇猛果敢に戦って国に殉じたという高揚を一切与えることなく、自滅の道を模索させることで心身を徹底的に痛めつけることが出来る方法、それが兵糧攻めなのだ」
「地味な戦法だが、物理的、心理的な効果が非常に高いのだ」
そう言って、デゥが全軍に命令を下す。
「これより我が軍はマウソリウムへ侵攻を開始する。全軍を結界に沿って配置して街を取り囲み、街道、河川を徹底的に封鎖せよ。蟻一匹通すな!」
「はっ!」
そうして、デゥ率いる魔王軍第二軍の精鋭たちはマウソリウムに対する兵糧攻めを開始した。もちろん、宣戦布告などの通常の手順などは皆無である。
ギリギリという音に、ガットが横を見るとトロールが凄まじい歯ぎしりをしていた。タンバリンも地面を蹴っている。蹴っている足から血が出ている。
「……全部だ」
苦虫を噛み潰したような声でトロールが呟く。
ガットがトロールの顔を見る。
「手に取るように分かるんだ。加勢してやりたいのに、命を捨ててでも守ってやりたいのに」
「そういう呪いだ。そして、ここから出ることも出来ない」
タンバリンも目に涙を溜めながら言う。
「俺だってもう二百年以上そうなんだ。上の連中に何もしてやれねぇ。てめぇの家族にすらもだ。なんなんだよ、畜生!」
突然、はっとした顔をしてトロールがガットを見る。
「魔王軍が包囲網を完成させる前に、今のうちに逃げるんだ!」
「?」
ガットはトロールの言葉の意味が分からない。
しかし、トロールの言葉にタンバリンや他の
「ま、まさか、王さまよ。あ、あれを使うのか!?」
――あれ。
それは、この便所壺と呼ばれる呪いの場所に堕とされた者たちに与えられたもう一つの呪い、『蜘蛛の糸』のことだった。
「ね、願いを叶えることが出来るんだ。どんな願いも!」
タンバリンが言う。
「だけど、その願いの成就はただ一人にしか与えられねぇ。そ、そんなのここじゃ
タンバリンが苦虫を噛み潰したような表情をする。
「ほ、本当に残酷な希望だよ」
「使ってしまおう」
トロールが言った。
「どうせ、誰も使えやしない。決して掴めない願いを与えることでより深い絶望を与える希望など。そんなもの、使ってしまおう」
トロールの言葉に、タンバリンや他の人外、タンバリンの足元に集まった
「お前にはここを脱出してもらう。そう願うことにする」
トロールが言った。
長年の掘削で土くれとほこりにまみれたガットの表情が険しくなる。
「ううぉおおおぉぉおおおお!!」
言葉にならない言葉が漏れる。
「だが、その願いを叶えるためにひとつだけ条件がある」
「?」
「お前にとって一番大切なものをここに置いて行ってもらう」
「え!?」
タンバリンたちから驚きの声が漏れる。
『蜘蛛の糸』の成就に、そんな条件は無い。
しかし、トロールは続ける。
「お前にとってかけがえのないもの。命より大切に思うものを置いていけ」
そう言われて、ガットは少しの
もちろん、反対の腕にはあの赤黒い肉塊を抱えて。
「……そうか。それがお前の答えか」
トロールはそう言って少しだけ笑った、ように皆には見えた。
「すまん。お前を試したんだ。お前をここから脱出させるのに必要なものはない」
「全てを持って、そして俺たちのことは忘れて今すぐここから……」
そう言いかけて、トロールが目を見張る。
ガットが、タンバリンにグングニルを押し付けていた。
「おぉおおぉぉゔゔぁぁ」
「な、なんだよ? どうしたんだよ?」
タンバリンが戸惑っている。
「俺は腕がねぇから、んなもんもらっても役に立たねぇよ」
しかし、ガットは譲らない。
「そ、それに俺ぁ、あんたが何を伝えてぇのかさっぱり分からねえ」
そう言うタンバリンの身体にグングニルを立て掛けて、自分の腰にぶら下がる巾着袋からホーホの魔法弾を取り出すと、それもタンバリンの腰巾着へと押し込んだ。
そして、ガットはそのままトロールの前に立った。
「……そうか」
トロールは一言そう呟くと、言った。
「ここを出たら遥か西方にある城壁都市ラウリスを目指せ。そこに、性格は悪いが腕の立つライラという名の魔法使いがいる。奴なら、お前の仲間を元に戻せるかもしれない」
その言葉を理解しているのかいないのか。
しかし、虚ろだったガットが目を見開いてトロールを見上げる。
「だが、本当にいいのか? ラウリスまでここから四千キロガル(約四千キロメートル)以上ある。途中には様々な障害や困難が待ち構えていよう」
「その棒を、持っていかなくていいのか?」
その問いに、ガットはぎゅっと赤黒い肉塊を抱き締める。
それを見たトロールは小さく頷くと、野太い両腕を上にして咆哮した。
「蜘蛛の糸よ! 我が願いを聞き給う!」
そしてガットを見て言った。
「この者を地上へ、便所壺の呪いから解放して欲しい!」
トロールの叫びが終わる前に、気付けばあまりにもあっけなくガットはピックレッドの上に立っていた。
「!?」
あまりに一瞬の出来事にガットは思考が回らない。
だが、またあの声がした。
「やっと! 外だな!」
それは、トロールがガットの腰巾着にそっと忍ばせたガムラン坊だった。
あの、ゴボウのような
赤黒い肉塊を抱いたまま硬直するガットに、ガムラン坊は言葉を続けた。
「聞いた! ラウリスの大魔法使い様に会いにいくんだろう!」
ガットがガムラン坊を見る。
「こっから四千キロガル(約四千キロメートル)だ! 毎日六-七キロガル(約六-七キロメートル)歩き続けりゃ二-三年で到着する!」
そうしてガットの肩によじ登る。
「さぁ行こう! まずはここ、マウソリウムから脱出だ!」
そして、ガットはマウソリウムの地下に迷路のように配置された、トロールたちが造った灌漑設備の導水路を伝って魔王軍の包囲網を掻い潜り、
そこからいくつもの大平野を越え大山脈を越え、或いは魔王軍の支配する地域を通過して、実に五年もの歳月を掛けて四千キロガル(約四千キロメートル)の道のりを踏破した。そしてようやくラウリスまで三百五十キロガル(約三百五十キロメートル)の地点にあるライズ・リーチへと辿り着くが、その物語はまた別の機会に語ることにしよう。
無論、ガットのこの旅はフローラル・ライラによって夢を共有した者は皆見ることになる。
それ自体が目的であったならば、本来は胸躍る大冒険の旅路を。
そして、忘れてはならない。
かの槍、グングニルは「常にあるべき場所に在る」ことを。
とにかく、メモリーピアを施されてメモリ機能を付与されたガムラン坊に書き込まれていた膨大な量の知見や導きもあって、ガットは様々な困難を乗り越えて四千キロガル(約四千キロメートル)を超える道程を踏破した。しかし、ボロボロに疲弊したガットは遂にライズ・リーチの入口で行き倒れてしまう。
髪も髭も伸び放題で着ている服もズタズタで、顔も身体も垢と日焼けで赤黒くなったガットが、しかしその腕にはしっかりと赤黒い肉塊が抱きかかえられていた。
「く、臭っさい!」
「こ、こんなボロボロのニンゲン、初めて見た!」
ガットを見つけて引きずってきた魔物の子供たちが大騒ぎしている。
「おい! 礼儀をわきまえろ! こいつは凄いんだぞ!」
ガムラン坊が叫ぶ。
「わぁ! 鈴が喋った!」
「ねーねー、リーチ先生! なんか変なの拾ったー!」
子供たちに呼ばれて、せかされてやってきたリーチが目を見張る。
ぼろ雑巾のようになって倒れたガットを、子供たちが木の枝でつっついていた。
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