第39話 大トロール

 今から遡ること三百年と少し前、大トロールは頭上の街、マウソリウムの再興に尽力した初代王と評するに相応しい王だった。当時、マウソリウムは荒廃が進み荒れ果てた荒野が広がるだけの遺跡と化していた。


「なぁ、面白いだろ? 今はこんな汚ねぇトロールだけどさ。本物だったんだ!」


 タンバリンがちゃちゃを入れる。


 トロールは気にせずに話を続ける。


 彼が、この地に今に至るマウソリウムのいしずえを築いた理由はもちろんこのチャンバーポット、便所壺があったからに他ならないが、もうひとつそれに付随した理由があったという。


「それがよ、女だ、おんな!」


 ちゃちゃを入れ続けるタンバリンに、小さな魑魅魍魎ちみもうりょうたちが群がって口を塞ごうとする。ガットがその光景にボケーっと見入っていると、トロールが再び話を始める。


 トロールがまだ王となる前、駆け出しの勇者として魔王討伐の旅の最中でこの地に逗留とうりゅうしたときに、この便所壺を護るためにこの地に呪縛された魔女と出逢い恋に落ちた話。


「さ、酒をくれ! 他人の惚気のろけ話なんざぁ酒を飲まなきゃ聞いてらんねぇー!」


 楽しそうに体をゆすって叫ぶタンバリンを横目に、トロールは話を続ける。


「それは美しいひとだった」


 便所壺に堕とされる前、トロールは悪魔殺しで名を馳せたうら若い冒険者、その名をゴッザムと言った。


 悪魔殺しとは、その剛腕で各地の大型魔物やドラゴンを一刀両断してきた勇猛さを称えられての呼び名であった。


 ある時、悪魔殺しのゴッザムは仲間を募り魔王討伐の旅に出ることにした。


 まだ若く、腕に自信のあったゴッザムはさしたる策や武具があるでもなく、勢いだけで街を飛び出し意気揚々と魔王城へ向かって突き進んでいた。


「いわゆる、遍歴騎士の典型だな」


 だが、そんなゴッザム一行が考えるほど甘くはなく、魔王軍の斥候せっこうに寝込みを奇襲されて仲間は皆殺しにされ、ゴッザムも背中を深く切られながらうのていで逃げ込んだところが、のちにマウソリウムとなる地だった。


 あとで気づくことだが、深手を負っていたゴッザムは結界を超えてこの地に侵入したのち気を失っていたところを魔女に助けられた。


「切られた背中の痛みで目が覚めた。そこは薬草のいい香りがしていてな」


 トロールが夢見心地で言う。


「起き上がると彼女が見えた。あんな……あんな美しい人を見たのは初めてで一目で恋に落ちたんだ」


「くぅ、ちくしょう! いいな!」


 タンバリンたちが叫んでいる。


「彼女の名はパニバルと言った。聞くとこの地にある呪いの穴を数百年前から護らされていると言う。その呪いでこの地を離れることはおろか死ぬことも出来ないのだという」


「彼女は何十年ぶりに人と話したと言った。それは嬉しそうに」


「それから傷が治るまでの間、ずっと彼女は看病をしてくれた。そしてその間、沢山の話をした。俺の話を聞きたがってくれた」


 トロールは便所壺の上にのしかかる巨大な岩、ピックレッドを見上げながら続ける。


「俺も若かったし、そんな彼女への気持ちがどんどん大きくなってある日抑えきれなくなった。そしてある日、決心したんだ」


「彼女がひとりで寂しくならないように、この地に街を作って共に生きようと」


「なぁ? 男と女なんて複雑そうで結局そんなもんだぜ?」


 よく分からない相槌あいづちを求めるタンバリンを放っておいて、トロールは続ける。


「そうして俺はそのことを彼女に告げると、彼女は本当に怒ったんだ。私なんかのために己の信念を簡単に曲げるなとな。だが俺の意思は固かった」


 それからゴッザムは一人で開墾を始めた。

 毎日、毎日必死で開墾を続けて見渡す限りの平地を作り上げた。


 そしてそこから、用水路を引いて見せかけの田畑を作り、川をせき止めて池を作り、石を敷き詰めた道を作り、一帯は建屋は無くとも村の様相を呈してきた。


 毎日毎日、朝から晩まで開墾を続けるゴッザムの姿を見ていて最初は否定的だったパニバルも、いつしか一緒になって作業をするようになっていた。


 荒野に佇むあばら家の様だったパニバルの家も、見違えるように美しいツリーハウスに生まれ変わった。


 パニバルの部屋から見える景色もそれまでとはまるで違う、人の手が作り出した美しく崇高な努力の結晶とも言うべき整然とした村の姿が目に入る。


「ここでいいの? 私でいいの?」


 そう尋ねるパニバルの手を強く握りしめて、ゴッザムは言った。


「ここに居て、俺の目の前に居てくれる君を愛している」


 そうして共にマウソリウムで過ごすうち、少しづつ定着する旅人も増え、ゴッザムが開墾を始めて二十年も経つ頃には立派な街となっていた。


「ということがあったんだ。ところで、なぜパニバルがマウソリウム、いや便所壺を護ることになったのかについてはまたの機会にな」


 そう言ってトロールが立ち上がった。


「その話も長いからな!」


 タンバリンが笑う。


「そして、俺がトロールになった話だ」


 トロールはガットを見つめて、言った。


「お前の持っているその肉塊を俺は知っている」


 ガットがその言葉に目を見開く。

 本当は、すでに言葉の意味など理解できないほどに精神の崩壊は進んでいたはずなのに。しかし、反射的にガットはトロールを見る。


「当時から生き物を肉の塊にする魔法の噂はあったが、詳しいことは知らない。だが、その魔法を使う連中がこの便所壺を作ったんだ」


 そう言ってトロールは再び胡坐あぐらをかいた。


「マウソリウムが街となって栄えていたある日、それは突然訪れた。パニバルが、彼女が突然俺をここにとしたんだ」


 それまで軽口を叩いていたタンバリンも下を向く。


とされた理由は分からない。だが、俺に呪いの加護を掛ける前に見たあの彼女の瞳は忘れない。あんな悲しそうな瞳を、俺は未だかつて見たことがない」


「それから三百年。……三百年だ」


 そう言ってから、トロールは壁を殴った。


「俺は便所壺について調べていた。これは以前は『阿鼻叫喚の壺』と呼ばれていて、数百年前に錬金術師が作り上げた遺物であるとパニバルに聞いた。だが、連中は錬金術師なんかじゃない」


 ガットが身を乗り出す。


「この阿鼻叫喚の壺は、これを作り出した者が人々や生きとし生けるものの苦痛や悲しみを物理量に置換し、取り出すための魔道具なのだという」


 そう言って、トロールが傍らにいた魑魅魍魎ちみもうりょうを優しくてのひらに乗せる。


「実際、俺がとされた時にはすでにこいつらが居た。ここは苦痛や悲しみを維持し増幅することで生体にあらゆる変化を生じさせる」


「だから、俺も三百年間も死なずに、そしてこんな醜い姿になったんだ」


 そう言って、垢と土にまみれた首からぶら下がる茶色い革ひもに結わかれた、金色のチェーンで編み込まれたブレスレットをガットに見せる。


「これは、本当は俺の腕に着けていた王家のタリスマンブレスなんだが、もう腕にははめられない故、こうしているんだ」


 そう言いながら、太い丸太のような腕から伸びるてのひらに乗せた魑魅魍魎ちみもうりょうをそっと地面に戻した。


「彼らも元はちゃんとした見姿をした生き物だったのだろう。彼らがどれほど長くここに居たのか知る由も無いが」


 そして、ガットが抱いている赤黒い肉塊を見つめてトロールが言う。


「そしてそれが、に似ているんだ」


 そう言うと、トロールはガットを洞穴の最深部へと誘った。


「お、俺は遠慮しとくよ」


 そう言うタンバリンの横を抜けてガットがトロールの後をしばらくついてゆくと、やがて小さなほらに辿り着く。


「見てみろ」


 トロールが指し示す先をガットがじっと見つめると……。


 そこには、ガットが抱いている赤黒い肉塊によく似た肉塊がいくつもうごめいていた。


「これらも、俺がここに放り込まれた三百年にはんだ」


 そう言って、トロールが優しくその肉塊をてのひらに乗せる。


「ここで俺が過ごした三百年の間で、その時点ですでに魑魅魍魎ちみもうりょうとなっていた者たちも少なからずいたが、その連中の中にはこのような肉塊に変化してしまったものたちもいる」


「つまり、俺がここに放り込まれた三百年より遥か前からこの便所壺はあって、そんな時代からずっとずっとここで過ごしてきた連中が居るってことだ」


 そして、てのひらに乗せた肉塊をそっと元の場所に戻す。

 肉塊は微かに震えている。


「タンバリンのやつは、二百年前にここにとされたと言っているが、俺がここにとされた時にはすでに居たんだ。つまり少なくとも三百年以上前からここに居る。だからやつの顔を見てみろ。呪いの影響でもう人間のそれじゃない」


 そう言ってトロールは歯を食いしばり、怒りをこらえながら言った。


「誰が、何のためにこしらえたものかは知らない。だが、こんなことは摂理に反する所業だ」


「地獄の苦しみの果てに、すらをも与えないなんて」


 トロールの話を耳にしながら、ガットもその肉塊たちをじっと見つめた。


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