第38話 絶望の底で
「足場穴百万と十二万二百一番、所定の深度に到達したぞ!」
グングニルと肉塊を抱いて、いつの間にか眠っていたガットの頭の上から声がする。
「よし。杭を打て」
「杭を! お、おい! 杭を持ってこい!」
「く、杭? な、なんだそりゃあ? ど、どこにあるんだ?」
そんな掛け声があちこちから、間髪を入れずにずっとずっと聞こえる。
改めてガットが見上げると、暗がりに慣れた目から視界が広がる。
便所壺の黒い岩肌にブツブツと小さな穴が無数に開き、ところどころに杭が打ち込まれていた。
ガットがじっと見上げていると、トロールが声を掛ける。
「あれは我々の希望なんだ」
そう言って、便所壺を塞ぐようにして置かれた遥か頭上の巨大な岩を指さす。
「あの大岩、漬物石と呼ばれるピックレッドと、その大岩を縛る『女神の髪』で結わかれたという四つの巨大な縄を破壊する為に数百年前から続けてきたんだ」
そして足元の柔らかい砂を掴む。
「このチャンバーポット、人々から便所壺と呼ばれてるこの洞穴は周囲を結界で幾重にも覆われて外側に進むことが出来ないんだ。何度も試したがダメなんだ。だから、ああして穴をあけて上を目指してる」
「あんな小さな穴ひとつを開けるのにざっくり十日かかる。ひとつ開けたら、また一つ。そうやって少しずつ上に向かっているんだ」
トロールがそう言って、目の前に開けられた
「だが、呪いの加護が凄くてな。分かっているだけで、三百年間昼夜を問わずに穴を掘り続けて開けた穴は約百万。それなのに進んだ高さは岩までの距離の七割だ」
それを聞いたガットも、無言で足元の砂に触れる。
そして、その砂をひとつかみしてそっと腰の巾着に入れる。
特に他意はなかった。
ただなんとなく、そうするべきだと感じた。
その様子をトロールがじっと見つめていた。
「お前も掘ってみるか?」
トロールが尋ねると、ガットは黙って小さく頷いた。
そうして、ガットも便所壺の奥深くでトロールやタンバリンたちと掘削を始めた。
ここ、便所壺の底では圧倒的で慢性的な資材不足に悩まされていた。
穴をあける工具も無ければ、開けた穴に差し込む足場木も無い。
従って、ガットも唯一の鉄器であるグングニルを使って、来る日も来る日も懸命に穴を掘り続けた。
どんなに疲弊しても乾いても飢えても死ねない地獄のなかで、ただひたすら赤黒い肉塊を元に戻すために、外に出るために必死で穴を掘り続けた。
薄暗くガチャガチャという足場穴を掘削する音だけが響く空洞で、それから何年もガットたちは上方に向けて果ての無い掘削を続けた。
昼だか夜だか、何日いや何年経ったかも分からない。
それでもガットは寝食を忘れて掘削を続けた。
それはもう誰の目にも狂気の沙汰に見えた。
グングニルを、便所壺の岩盤にひたすら叩きつけ続ける。
――早く上に。少しでも上に。早くしないと、早くしないと大事な……
――……あれ、なんだっけ?
「ところで、昔どっかで聞いたんだが、シーシュポスの岩って話があってよ」
腕の無いタンバリンが陽気にガットに話しかける。
話しかけられたガットが、手を止めてふっと顔を上げる。
「そいつぁ、神様を
そう言って、タンバリンが地面に溜まった掘削の砂ぼこりを足で掻いて洞穴の隅へ追いやる。
「いくら
そう言って歯の無い口を開けて笑うタンバリンの、切り落とされて間もないように見える腕の切断面にガットが手を伸ばそうとする。
「おぉっと! 触んなよ! 腕無しがうつるぜ!」
そう言って、タンバリンがぴょこんと横に飛ぶ。
しかし、ガットがなおも近づこうとする様を見てタンバリンが言う。
「なんだよ。コレが気になるんか?」
タンバリンをじっと見つめるガットに、タンバリンがふぅと嘆息しながら言った。
「これはよ、二百何年か前に魔王軍の奴に切り落とされたのさ」
「しかも、ご丁寧に奴らはこいつが絶命する前にこの便所壺に放り込んだんだ」
いつの間にか、トロールも近くに来ていた。
「前にこいつが言っていただろう。この場所はそういう場所だと」
タンバリンがうんうんとトロールの横で頷く。
「ひでえもんさ。両の腕が切り落とされた痛みはそのままで死ぬことも叶わねぇ。最初のころは叫び続けてたけど、もう慣れちまった」
そう言ってから、タンバリンがトロールに言う。
「俺も悲惨だけど、王さまだって相当だぜ。聞かせてやれよ、その身の上を!」
気付けばガットやタンバリン、トロールの周りに沢山の
漆黒と静寂が便所壺を包み込んでいる。
「ふむ」
トロールが嘆息して言う。
「まぁ、たまにはいいだろう」
そう言って、静かに身の上話を始めた。
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