第36話 呪いの祝祭者

 墓標都市マウソリウムにおいて最強の魔法使いとうたわれる『呪いの祝祭者』、カール・セレブレイターの肩書を持つ魔女パニバルは、日々呪いと祝いの狭間を数量化する研究に励んでいた。


 彼女の住む家は街外れの崖に生えていた古木の上にあり、彼女はチャンバーポット(便)の呪いに縛られていた。


 それは、街の中心部の地下深くに造られた大聖堂とその大聖堂が建立された目的、悪魔の蓋岩『ピックレッド』が蓋をしている呪いの穴『チャンバーポット(便所壺)』が、その能力を発揮できる状態を保持する為に、命ある限り魔力を供出し続けるというものだった。


「その呪いの為に、もう何百年もこの地から離れることが出来ないんだ」


「な、なぜですか?」


 弟子のアマニが尋ねる。


「ピックレッドはその昔、大魔王が掛けた呪いによって不動の岩となっているが、その下には大魔王に仇なした者たちが人外となって封印されているチャンバーポットと呼ばれる呪いの大穴、所謂いわゆる便があるんだ」


「え、ええ。それは幼い頃から耳にしてきました。ですがそれとパニバル様に何の関係が……」


「それが大ありなんだ」


 そう言って、パニバルは手にしたグラスのワインを一気に飲み干す。


「あれが出来た時に、最初に封印された者たちがいる。その者たちと関係のあったあたしも呪いを受けたのさ」


「便所壺の呪いにはある共通点がある。それは呪いが解けるまで死ねない、ということだ。そして、蓋岩がある限り岩から離れることも出来ない。あの岩の下の連中もあたしも、結局は一緒ってことさね」


「そしてあの岩は、なぜか封印の魔法を使う際に『祝辞のことば』を使う。だから、あたしは呪いと祝いの狭間を数量化する研究をしてるんだ。そこから何か解決に至るきっかけが見つかるかもしれないと思ってね。数百年研究を続けて、その糸口すら見いだせてはいないけれど」


 そう言って、夜風に黒髪を揺らしながら窓際で寂しそうに笑うパニバルの横顔をアマニは思い出しながら、必死でパニバルを掴む兵士の腕を剥がそうとしていた。


 が、急にパニバルがガットに興味を示したことでその引っ張り合いのベクトルがうやむやになって力のバランスが崩れ、アマニは後ろにひっくり返った。


「何してるんだ?」


 キョトンとした顔でアマニを見ているパニバルに、何でもありませんと言いながらパタパタと服の汚れをはたくのであった。


「さてさて、それじゃあ久しぶりにチャンバーポットに行きますか」


 そう言って、小さく鼻歌を歌いながらいつもより少し軽快な足取りでパニバルは玄関の外に出る。


 その姿をきょとん見つめるアマニに、随伴した兵のひとりが声を掛ける。


「どうした見習い? 何を呆けてるんだ?」


「え? あ、はい。いや、あんなご機嫌なパニバル様を見るのは本当に久しぶりで……」


「?」


 アマニのその言葉にその兵は小さく首を傾げた。


 その頃、ガットはまだ地下大聖堂で戦っていた。


「な、なんとしぶとい男よ」


 兵長が汗だくになった兜を脱ぎ捨てる。


「しかし何という剛腕! あのような鉄の棒だけで我が兵を相手にここまであらがうとは」


「よほどの、もののふに違いない!」


 ガットの獣のような眼光と体躯、そしてなにより己の命を懸けたその覚悟の行動に、軍人としての矜持きょうじを刺激された兵士たちは強い敬意を覚えながらやぁやぁと剣を振り回す。


「これは、なかなか決着が尽きませんぞ」


 そう言って振り向いた臣下の視界に、ヴォルグのうしろを歩く魔女が姿が見えた。


「おぉ、ヴォルグ様。パニバルが来ましたぞ」


 ヴォルグも振り向く。


「久しぶりにそなたの顔を見た」


 そう声を掛けられて、パニバルがうやうやしく頭を下げる。


「お久しゅうございます、ヴォルグ様」


「来てもらって早々なのだが、あの男を封じて欲しいのだ」


 パニバルが顔を上げて眼前の手すりの下を見ると、野獣のような男が咆哮しながらグングニルを振り回していた。


「あの者がホーホたちを?」


「そうだ」


 ガットを見ながらヴォルグが答えた。


「デーデキントはそう言っている。しかし、私には奴が仲間殺しをするような悪党に見えないのだ」


 パニバルも黙ってガットを見ていた。


 と、ガットが抱きかかえている赤黒い塊に目が留まる。


「ヴォルグ様、彼が持っているあの塊は一体……?」


「……あれが、仲間たちの残渣ざんさらしい」


 パニバルは左目の魔眼でガットを改めて視る。


 ホーホが現世に生きているはずはない。だが、あのデーデキントが見間違えるはずもない。とすれば、何か理由があって復活したのだ。


 同時に不可思議だ、と思う。


――ホーホほどの魔法使いなら、たとえ骨一本になろうともその魔素は尋常じゃない。そもそも、あいつが得体の知れない人間風情にやられるはずがない。ましてや、たとえ肉塊になっても私の魔眼『遠慮のない千里眼』なら見抜けないはずはない。


――だが、奴からは奴以外のマナを一切感じない。いや、厳密に言えばあの男が振り回している鉄の棒からは禍々しい力を感じるが……


「あれはなんだ?」


 パニバルが裸眼でグングニルを見ようと眼球を回転させて魔眼を通常の瞳に戻した刹那、


「あぶないッ!!」


 そう叫んでアマニがパニバルに飛びついた。


 パニバルが姿勢を崩した瞬間ズドンという鈍い音がして、ガットが掴んでいたはずの鉄の棒が目の前の床に突き刺さっているのが目に入る。


「だ、大丈夫か!?」


 周囲に居たものたちが慌ててパニバルへ駆け寄る。

が、パニバルは吸い込まれるようにその鉄の棒へ歩み寄って、その棒を掴んだ。


 刹那、パニバルは見知らぬ草原に立っていた。

 空は綺麗な紫色の夕焼けに染まり、頬をでる空気は春風のように暖かく優しい。


「……なんだ、ここは?」


 ふっと気配を感じて後ろを振り向くと、小さな女児がパニバルに背を向けて立っている。


「き、君は……この棒に由来する者か?」


 パニバルが尋ねると、その女児はゆっくりと振り返って視線をパニバルへ向けた。


「あれを救え」


「あ、あれ? あれとはなんだ? 彼のことか? 彼を救うのか?」


 パニバルがそう尋ねると、その女児は黙って頷いた。


「な、何者なんだ、君たちは?」


 再びパニバルが尋ねると、その女児は一本指を立てて空へ向けた。


ことわりそらかえす」


「……ことわりを、そらに?」


 パニバルが女児の言葉を復唱して首を傾げると、その女児が答える。


「いずれ、分かる」


 その瞬間、パニバルは見た。

 その棒が、グングニルが見てきた遠大な世界を。


 切り開こうと願う未来を。


「こ、これは……!?」


「あれを救え」


 その声にパニバルは我に返る。


「パ、パニバル様! 大丈夫ですか!?」


「あ、あぁ。大丈夫だ」


 そう言って槍から手を離した瞬間、ガットが飛びついてきた。


「があぁあああー!!」


「パニバル様!!」


 パニバルが空中に防御魔法陣を幾重にも展開する。

 ガットがその魔法陣網に捕らえられた。


 ガットがグングニルと肉塊を掴んだまま、大声を出してもがいている。


「天にまします我らが父よ! 今こそ地獄の門を開ける力を我に与えよ!」


 詠唱するパニバルが顔前にかざした両の手から、幾重にも束ねられた魔方陣で構築されたバネ状の巨大な光輪が空中に展開する。


「チャンバーポットが口を開けるぞ!」


 下がれという兵長の怒号が響く。


「これでいいんだな。確かに『今は』彼を救うぞ」


 パニバルがそう呟いて、封印を解放する最後の詠唱を行う。


「かの者に覚めることのない永遠のを!! レバー・オブ・ティテュオス!!」


 その詠唱が発せられるや否や、パニバルの掌で形成されたばねのような光輪がビョーンと勢いよくガットに向かって伸びた。


 その光輪は暴れるガットを押し飛ばして……彼の身体がピックレッドの大岩にぶち当たる。


 と、ガットの身体がぐにゃりと大岩にめり込み始めた。


「ぐわぁああ!! がああぁああ!!」


 ガットが暴れるほど、岩が身体に絡みつき飲み込んでゆく。

 やがてガットの姿は見えなくなり、辺りは静寂に包まれた。


「封印したか」


 その声にパニバルが振り向くと、傍らにヴォルグが立っていた。


「は、ヴォルグ様。確かに彼をチャンバーポットに封印しました」


「……そうか。ご苦労であった」


 ヴォルグはそう言って大岩を見つめた。


「あ、あのヴォルグ様……」


 そう言いかけてパニバルが言葉を止める。


「ん……なんだ?」


 ヴォルグが尋ねるが、パニバルは首を横に振った。


「いいえ、申し訳ありません」


 ふぅと小さく嘆息したヴォルグが号令を出した。


「今皆が見た通りだ。やつは便所壺に封印された。これでもうこの世が終わるまで生きて出てくることはない。永遠の業火に焼かれ続けるのだ。デーデキントにも事の顛末を嘘偽りなく伝えるよう」


 そして、パニバルの方に顔を向けながらヴォルグは続ける。


「この件は私が預かる。手が空いている者は負傷者の救護を。それ以外の者は持ち場へ戻れ」


「はっ!」


 ヴォルグの号令で兵士や臣下が散開していく。


「ところで、チャンバーポットを、便所壺を方法はまだ見つからないのか?」


 先ほどの喧騒が嘘のように静まり返った地下大聖堂で、ヴォルグがパニバルに尋ねる。


「はい。封印するばかりで、それを解く方法は未だ……」


「そうか」


 そう言って、首からぶら下げたロケットペンダントを握りしめてうつむくパニバルの肩に手をそっと置いて、ヴォルグは天を仰いだ。


「……ままならんな」


 パニバルも静かに、小さく頷いた。

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