第35話 断末抵抗
そうだ、絶望しろ――
死刑執行人として首討役を担った大男が握る巨大な斬首刀がガットの首筋に触れた瞬間、どこかから誰かの声が耳に届く。聞いたこともないような、地の底からの呻きにも聞こえる心底ぞっとするような不気味な声色で。
何も叶えることも、誰にも救いを
ガットが腕に抱いた赤黒い肉塊から、どす黒い血の様な液体が垂れる。
「…………」
ガットは、その声が誘起するどす黒い負の感情を抑えることが出来なくなる。
アタマの中が絶望や悲しみ、痛み、憎しみの感情で塗り潰されゆく。
死刑執行人の傍らに立つ見届け人が手を上げる。
一度ガットの首筋にあてがわれた斬首刀が振り上げられ……ガットの首に向かって一直線に振り降ろされる。
その切っ先の動きを生気の無い瞳でただ見つめていたガットの脳裏に、突然凄まじい声が響く。
「
何も考えず、ガットはその言葉に従って皮一枚のところで斬首刀を
狙いの外れた斬首刀は床に当たってカーンと高い音を立てる。
「!!?」
首討役の大男が驚愕の表情を見せる。
「な、なんだ、今の動きは!?」
大男が今一度、斬首刀を振り上げてガットの首に狙いを定める。
「こいつは手足を拘束されているんだ。次は外さん!」
間髪入れずに再び振り下ろされる斬首刀。
だが、次の打ち込みはガットには非常にゆっくりとしたものに見えた。
死ね。絶望したままで――
その声を突き抜けて、もう一つの声がガットの脳裏に鋭く突き刺さる。
「使えぇぇぇー!!!」
目の前にフォルティス、フロースや幼子、テルアそしてホーホのうしろ姿が見える。
――そうだ。俺はまだ生きている。追いかけなくちゃ。
ガットが、グングニルを握り締める。
――ここで死んだら終わりだ。終わってはいけない。
振り下ろされた斬首刀の切っ先は、すでにガットの首の皮にめり込み始めている。
斬首に至る行程が刹那の間に進んでゆく。
そんな切迫した状況のなかで、ガットの眼前にはみんなの顔が浮かび続けていた。
――みんなが待っているんだ……
「ウガァあああああああー!!」
突然ガットが咆哮した。
斬首刀が振り下ろされる速度より遥かに早く頭部を降下させ、同時に超速で身体を回転させることで手足の拘束具を吹き飛ばし、下からの猛烈なグングニルの振り上げで斬首刀をも吹き飛ばした。
大男と傍らに立っていた見届け人も一緒になって吹き飛ばされる。
ガットは態勢を立て直し、飛び掛かってくるプレートアーマーに全身を包んだ重装の兵士たちをも吹き飛ばす。
そして、肉塊を片腕に、もうひとつの腕にグングニルを握り、カエルのように地面に
「ヴォルグ様、あの者は一体……」
バドラの呟きに、ヴォルグは答えずただ黙ってその光景に見入っていた。
「この野郎! 大人しくしやがれ!」
兵士の怒号に、やせ細り無駄な肉が一切そぎ落とされたガットの全身が引き締まるのが見える。こちらまでギリギリと肉の、腱の張り上がる音が聞こえてきそうだ。
幾人かの腕自慢がガットに飛び掛かるが、グングニルの一振りにまたしても皆吹き飛ばされてしまう。
ついに兵長が声をあげる。
「
その号令に、兵士の身長を遥かに超える大型の弓と矢を持った屈強な兵士たちが数十人、ガットの前に並んだ。
「弓引けー!!」
ギリギリと弦の張る音がして、射出の準備が整う。
ガットは、地を
兵長が叫ぶ。
「ヴォルグ様! 今ここで! この者の処刑執行の許可を!」
ヴォルグが静かに頷いて手を上げる。
そうしながら、思う。
――恐らく倒せまいな。
兵長の怒号が飛ぶ。
「弓放てー!!」
ヴォンヴォンと風を切る不快な音が響き渡り、無数の矢がガットに向かって一直線に飛翔する。
すると、ガットはにわかに立ち上がり、おもむろにグングニルを振り回しだした。
グングニルの回転速度はあっと言う間に音の速度を超えてガットの周囲に幾重にも衝撃波を生み出す。ガットを包む空気がバリバリと凄まじい音を立てて火花を散らし出す。
矢はその衝撃波の壁を超えられず、またそこを突き抜けてもグングニルに叩き落とされて初射の矢がすべてガットの周辺に散らばる。
その光景に皆があっけにとられるなか、兵長が叫ぶ。
「第二射用意! かま……」
刹那、ガットが凄まじい咆哮をあげながらグングニルを振り回し弩弓兵たちに突進した。
両足の指が地面を蹴り上げる。
ガットが踏み込むたびに、黒光りする
鬼ような形相で、裸同然の男が棒一本で全身を重厚なプレートアーマーで覆った兵士たちに突進する。
その凄まじい筋肉の酷使によって、焦げたような臭いが空間を充満していく。
兵士が子供のように次々と空中に吹き飛ばされていく。
やせ細り全身ボロボロに傷ついたガットとガットが振り回す鉄の棒。
みすぼらしい男が金切声を上げて振り回す、親指より少し太い位の武具としては細すぎる鉄の棒を兵士たちは見下していた。
しかし、その打撃が重い。あんなに細い棒なのに、ぶっとい丸太か何か重量のある硬く巨大な棒でぶん殴られているかのような錯覚を覚える打撃力が襲う。
重装の兵士たちを護るはずの金属で出来たプレートアーマーが、グングニルに引っ叩かれるたびにペニャペニャと簡単にひしゃげてゆく。
そんな、砂埃にまみれ砂塵を上げながら多数の兵士たちと相対するガットの姿が、ヴォルグには神々しくすら見えた。
「あの立ち回りを見よ! なんと勇猛な男か。そしてあの身の
ヴォルグは思わずそう呟いた。
「ヴ、ヴォルグ様?」
それを聞いたバドラが思わず声を掛ける。
「殺すにはまったく惜しい男だ」
「で、ですが、それではバルバライゾの王、ハインリヒ・デーデキント様との約束を
「……うむ。確かにそうだ。だが」
ヴォルグは眼下の喧騒をじっと見つめて、言った。
「見よ。我が兵は倒されてはいるが、誰一人命を奪われていない」
「た、確かに」
ガットに吹き飛ばされた兵士たちはあちらこちらでのたうち回ってウンウンと唸ってはいるものの、致命的な傷を負ったようには見えなかった。
「あのような戦い方をする者が、デーデキントに聞くようなことをするとは思えん」
「で、ですが……」
「仕方がない。カース・セレブレイターをここへ呼べ」
「カース・セレブレイター!? 『呪いの祝祭者』をここへ? ヴォルグ様、まさかあの男をチャンバーポット(便所壺)に封印するおつもりなのですか!?」
「仕方あるまい。我が軍の兵どもではあれを止められないだろう」
そう言って、グングニルを振り回すガットとそれに圧倒されているマウソリウムの兵士たちを見つめながら、ヴォルグは少し高揚したように言うのだった。
「チャンバーポットに
「は、はあ。しかし……」
「なんだ、私の提案は不服か?」
「い、いえ。ただ、まずはあの者がヴォルグ様の呼びかけに応じるかどうか……」
「嫌がる素振りを見せても構わん。首に縄を
「は、はっ!」
「は、はやくパルバニをここへ連れてこい!」
バタバタと慌ただしく表へ出ていくバドラたちを目で追いながら、改めて眼下の光景を見つめる。
裸同然で痩せこけ薄汚れた男が、ぜーぜーと荒い息を立てながら疲労困憊している。
しかし、しっかりと赤黒い肉塊と鉄の棒を握り締めており、凄まじい眼光を放って周囲を威圧する。そのガットの周りをきらびやかなプレートアーマーに身を固めた立派な姿恰好の重装甲兵たちが手も出せずに取り囲んでいる。
なぜかその光景を目にして、高揚を抑えることが出来ないヴォルグであった。
「あたしゃいやだよ。あの呪いの加護はめちゃくちゃ疲れるんだ」
「いいから来い! ヴォルグ様のご命令なんだぞ、このただ飯喰らいが!」
「た、ただ飯喰らいとはなんだ!」
そう言って暴れる魔女を、兵士たちが部屋から引き
「なんだよ! なんなんだよ急に! そもそもチャンバーポットへの封印儀式は前もってあたしに知らせておくのが習わしだし、何より礼儀ってもんだろ?」
「急を要する事案が生じたのだ。バルバライゾから送られてきた罪人が暴れていて手に負えんのだ」
「なに!? 軍で始末に負えないからって、あたしにそいつの相手しろってのか!?」
「ハインリヒ・デーデキント様の話によれば、その者は同行していた大魔法使いホーホ・アリスタルコル様ご一行をもろとも皆殺しにしたらしい」
「なに? ホーホだって!?」
その名を聞いた魔女の動きが、ぴくりと止まる。
「なんで、ホーホが? あれは三百年前に死んでるはずだ」
「いや、それが何かの術で生き返ったらしいのだ。デーデキント様が確信を持って述べられていたというのだから、我々は信じる他はない」
「で、今暴れてるやつがホーホのヤツをぶち殺したって?」
バドラが頷くと、魔女がニヤリと笑みを浮かべた。
「それは久方ぶりに面白いな。うん、面白い。そいつを拝みに行くか!」
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