第33話 在るべき場所へ
「さっさと歩け!」
随伴する兵士にそう怒鳴られて、深くうな垂れていたガットが足を踏み出し護送馬車に乗る。
ガットが再度捕縛された二日後、ヴォルグの了承を得たデーデキントの指示によって、ガットを乗せた馬車が夜が明ける前にバルバライゾから密かに出立していた。
見届け人としてアルパが、ガットの護送責任者としてコシュカが同行していた。
「ここからマウソリウムまでは約五百八十キロガル(約五百八十キロメートル)の道のりです。道の状況や増水等による渡河の可否にも
アルパがそう報告する。
ガットが捕縛されてから、アルパはガットと目を合わせようとしない。
「承知した。道中の魔物や魔王軍の動向には十分注意せよ」
ガットとアルパ、その二人をじっと見つめながらコシュカが言う。
そんなアルパやコシュカの緊張を知ってか知らずか、手綱を引く
「マウソリウムまでの道中で気がかりなのが、マハコの谷ですかな」
「たしかに、あそこは魔物すら近づかないというからな」
護衛の兵士も頷く。
「あの谷はいつ行っても辛気臭いし、薄気味悪い肉の塊がゴロゴロしていて気味が悪いったらねぇですよ」
「そんなところがあるのかい?」
アルパが尋ねる。
「いやいや、旦那! 知らねーんですかい!?」
「私はマウソリウムへ行くのは初めてだからね」
「旦那、マハコったらその昔とても荘厳で偉大な街があったと伝承では言われてるんでさ。でもある日、天変地異だかなんだかで一瞬にして滅んじまった」
「それで後に残ったのが、そのうち通るガレ場と得体の知れねぇ肉塊の散らばる谷底ってわけで」
「あの谷は何度通ってもいい気がしないな」
隣でうたた寝していた兵士も呟く。
「その伝承は、我が街の考古学者たちの長年に渡る研究でも史実であったかどうか分からないんだ」
コシュカが言う。
「そもそも、そこに街があったという記録も遺跡も確認されていないんだよ」
「な、なんだ。
アルパがほっとしたような声を出す。
だが、そこでふっとあることに気づく。
「で、でもそこに得体の知れない肉塊があるって言ってましたけど……」
「あぁ、見た目が豚や牛の肉に見えるからそう呼ばれてるんですが、実際にはポークストーンって鉱石の一種じゃないかって言われてるんでさ」
えいえいと掛け声を上げて手綱を引きながら
「見た目は肉そのものだが、あそこのはやたら固ったいしな」
「な、なるほど。石……ですか」
そう言って、アルパはずっと馬車の床を見つめている、手も足も拘束具でがんじがらめにされたガットを改めて見るのだった。
馬車はその後も荒野に伸びた一本道をひた進み、数日かけてバルバライゾから三百キロガル(約三百キロメートル)ほどの、マハコの谷まであと十数キロガルというところまで進んだ。
「コシュカ様、このままですと日が暮れます。この辺りは
アルパの提案にコシュカも頷く。
「そうだな。あの谷は魔物どもが近づかない。軒下を借りるには適任だろう」
「で、ですが、魔物や獣が居なくてもゴーストが……」
コシュカの提案を聞いて
「ゴースト? 悪魔と
「い、いえいえ。めっそうもねぇ。で、ですがあそこはダメだ。マハコの谷で夜を明かしたなんて話は聞いたことがねぇ」
「それじゃ、我々がその最初の人となろう。まぁ、何かあっても吟遊詩人の歌くらいにはなるさ」
真顔でそう言うコシュカを、皆が呆然と見るのだった。
やがて、馬車はマハコの谷と呼ばれる暗い渓谷に入った。
異様なほど暗く静かなその空間の両側には、切り立った真っ黒い断崖が遥か上空まで
「い、いやぁ、おっかねぇ」
「いや、テントは設営しない。何かあったらすぐに移動できるように今夜は馬車で寝よう」
馬車からパオテントの資材を下ろそうとする兵士らに、コシュカが声を掛ける。
「な、何かって、なんですか?」
怖気づいた兵士たちが恐々とコシュカに尋ねる。
コシュカは、谷の上空を見上げながら答えた。
「こうした谷だと落石や鉄砲水なんかがあったりするからね。まぁ、ここの土の様子だと数ヶ月はまとまった雨も降ってはいないだろうから心配は無用だろうけれど」
「万が一のためだよ」
「そ、そうですね。仰る通りです」
そう言って、御者や兵士たちは自ら納得させるようにうんうんと頷きながらパオテントの資材を馬車に戻し、夕食のための火おこしに取りかかった。
やがて日もどっぷりと暮れたころ、肉や野菜の焼けた匂いが谷底を満たし始めた。
バルバライゾを出てから、ずっと下を向いて押し黙っていたガットが初めて顔を上げる。
ホーホが大好きだったチーズの焼けた香ばしい匂いが鼻孔を抜けた。
刹那、ガットの脳裏に食事を囲んで笑うホーホたちの顔が浮かんだ。
――こんなことしてる場合じゃない
助けてやらなくちゃ、早く――
声にならない感情の高まりに、ガットは無意識のうちに絶叫していた。
「ホー、ホーホ! ホーホぉおおおおー!!」
突然のガットの絶叫に、コシュカをはじめその場に居たもの皆が驚いてガットを見た。
「な、なんだ!?」
ガットの顔が苦痛に歪む。
――このままじゃ、このままじゃ同じだ! 何も救えない!
言葉にならない。
言語化出来ないが、感情があふれ出る。
――俺の今生を! 人生を返せ!
――返せ! 俺の大切な人たちを!
「ガアァアー!! ヴァア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ!!!」
ガットが声にならない声を上げ、ふたたび絶叫する。
「ガアァアーゥグングニールァー!!!」
唖然としてその姿を見ていたコシュカが、突如頭上に巨大な何かが
「何かが
「避けろー!!」
今度はコシュカの絶叫に、皆が上を見上げる。
頭上の断崖の先に、細長く見えていたはずの星空が……真っ黒になっている。
「!?」
身動きが取れない。
皆、置かれている状況が、来るべき目前の地獄が見えていない。
皆の頭上に墜ちてきたもの、それは真っ黒な漆黒の巨大なスライムのような塊だった。
百八十年生きてきたコシュカもですら、見聞きしたことのない禍々しいもの。
アウトライン、すなわち輪郭という概念すら崩壊した、月の無い夜空よりも遥かに漆黒の、一切の色彩を欠いた術式が練り上げられた汚泥のような何かが、高速で
それはのちに解ることであるが、生きとし生けるものの生命としてのあるべき形状と、生命と空間とを隔てる境界を破壊しそのすべてを喰らい尽くす、魔法陣と呼ぶことすらおこがましいまがい物。
全ての法則を術者の都合で改変する、術者の頭の中でのみ組み上げる
もちろん、そんなものコシュカたちは知らない。しかし、それが接触の目前まで接近してようやくコシュカは目の前の塊がなんであるか理解した。
いや、正確には理解ではなく、それが不可逆的な絶望であることを知る。
「さ、避けられない!」
極限のはざまで、それでも自らの身を挺してでもアルパや
目前の光景に目を見張る。
何がなんだか分からないが皆が必死で地べたに這いつくばっている中で、ガットだけが
まるで、来るべき何かを待っているように。
彼は、それが必ず届くと確信している。
ガットの足元でアルパが必死の形相で手を伸ばし、ガットの姿勢を少しでも低くさせようとしている。
その真っ黒い巨大な塊がガットの頭に接触しようとした刹那、餅が焼けたときのように側面の断崖がモリッと盛り上がる。
次の瞬間、コシュカの耳に音が届くより遥かに早く、その膨らみが炸裂して中から鉄の棒がぶっ飛んできた。
「あ! あの棒は!?」
コシュカが叫ぶ。
――あれは、言われた通りに城の地下深く、魔法廃棄場(マジックダンプ)に打ち捨てたはずだ!?
ガットが再び咆哮する。
「ァグングニールァー!!!」
と、その鉄の棒はその勢いのまま真っ黒い塊に突入して、その塊を四散させた。
そこまで目撃して、ようやくズドーン!! という凄まじい爆音と衝撃がコシュカたちを襲う。
ガットはいとも簡単に手足の拘束具を引きちぎると、その鉄の棒をむんずと掴み、導かれるように今度は上方に向けて絶叫する。
「ィア゛ア゛ィアーアマリリーーースッ!!!」
その声がガットの唇から離れ切る前に、コシュカが見たことも聞いたこともないような想像を絶する巨大な魔力がその鉄の棒から発散、爆縮するのを感じる。
そしてやはり見たことも聞いたことも無いような、凄まじい密度に記述された膨大な数の魔法陣が一瞬でその棒から形成され錬成されてひとつの巨大な魔方陣を形成してゆく。それも凄まじい速度で。
巨大な魔法陣が空間を圧迫する力で、ガットやコシュカを包む空間がギリギリと不快な音を立てる。
「な、なんだ……!!?」
コシュカが絶句する。
次の瞬間、棒の周囲とその先端に生成された巨大な魔方陣が刹那の間に凄まじい輝度の光線の収束となり、鉄の棒から爆出して四散した真っ黒い塊とともに断崖の上部をごっそりと吹き飛ばした。
皆、何が起きたのか分からずに吹き飛ばされたままの姿でもんどりうって呆然としている。
ガットだけがじっと、じっと吹き飛んだ断崖を見つめていたが、次の瞬間にはぱたりと崩れ落ちるように地面に伏せた。
鉄の棒、グングニルをぐっと握りしめながら。
気付けば先ほどと同じ、真っ暗い断崖と星空を静寂が覆っていた。
「み、みんな、怪我はないか?」
コシュカの呼びかけに、
「は、はい、コシュカ様! みな無事です。馬車にも大きな損壊はありません!」
「そうか、よかった。」
そう言いながら、コシュカは改めて地面に倒れているガットを見た。
バルバライゾの石牢で受けた拷問の跡も生々しく残るその体で、身を
いや、彼の挙動の本来の目的は別のところにあったのかも知れないが……
「話には聞いていたんだ。この過程が必要だとは」
そう呟きながら、断崖の壁面を触り天を見上げ、倒れているガットをふたたび見つめる。
――だが、今のはなんだ? 聞いた話以外に、僕が知らない秘密があるのか?
「コ、コシュカ様! この者が棒を離しません!」
そう叫ぶ兵士に、コシュカが答える。
「構わない。そのままにしておけばいいよ」
「ですが……」
「大丈夫だ。今のこの者の立ち回りを見ただろう。少なくとも我々を傷つける気はないようだからね」
「は、はい」
ガットはグングニルを握ったまま、再び拘束具を取り付けられて護送馬車へ放り込まれた。
アルパもようやく事態の推移に頭が追いつき、コシュカに尋ねる。
「い、今のはいったい……」
コシュカが表情を変えずに、抑揚のない声で答える。
「もう大丈夫だ。今夜はもう何も起きないと思う」
そう言って、先ほどガットが握る鉄の棒が吹き飛ばした断崖の側面を見つめる。
「今頃、城は大騒ぎだろうけど」
「は、はぁ」
要領を得ないアルパの顔を見ながらコシュカが言う。
「あの者とあの者にまつわる物にどんな由来や力があるのかは僕も知らないし、たった今ここで起きたことも説明できない。だが、これだけは言える」
小さく嘆息したのちに、コシュカが続ける。
「我々の頭上に墜ちてきたもの。あれは我が国にとって、いや、この世界にとって
「で、ではどうしますか?」
アルパの問いに周りに集まっていた兵士や
「物事には必ず
「とにかく、今はあの者をマウソリウムへ護送する。我々の任務を全うするのだ」
そう言ってから、普段はめったに人前で見せない笑顔を作ってみせる。
「おぉ、コシュカ様が笑っておられる!」
「だ、大丈夫だ。やり遂げよう!」
そう言って護送団の雰囲気がいくらか和む。
それを見て、ふぅと息をついたコシュカが再び断崖を見上げる。
「いったい、あれはなんだったのだ……」
同じころ、コシュカの言う通りバルバライゾの城も街も大騒ぎになっていた。
なにしろ、城の地中深くにある魔法廃棄場、マジックダンプの壁面をぶち抜いて岩盤を吹き飛ばしながらマハコの谷に向かってグングニルが
凄まじい轟音と振動に見舞われた街の人々は口々に噂しあった。
あるものは我々の傲慢が神の怒りに触れたのだといい、あるものは異界に伝わるソドムの、ゴモラの光が地を走ったのだと吹聴した。
事情を知らぬ彼らがそう
バルバライゾからマハコの谷、つまりマウソリウムに向かって一直線に伸びる、一夜にして形成された巨大な地形を見つめながらデーデキントは嘆息した。
「いったい、何なのだ」
――契約の魔女をはじめ、あの一行が来てから不測の事態ばかりだ。
――どうなっている?
そこにデルニラがやってきた。
「デーデキント様、ご報告がございます」
「なんだ」
「はい。コシュカからの伝言ですが、今しがたの出来事はすべてあの男が成したことのようです」
「……なんだと?」
「コシュカにも詳しい事情は図りかねるとのことでしたが、ともかく我が城の廃棄場に打ち捨てたはずのあの男が持ち込んだ鉄棒は、今あの男の手元にあるそうです」
「あの鉄棒が、地を貫いて奴の下に戻ったというのか!?」
「はい。にわかには信じられませんが、ですがそういうことになります」
たしかに信じがたい話だ。
しかし、目の前の現実を
「街の者にはどのように説明する?」
デーデキントが尋ねる。
「はい。街の地天法力監視所から、今回の件は自然現象、すなわち地殻変動の一種である可能性が高いと発表させる予定で準備を進めております」
「そうか」
そう言って、
「それで、あの男はどうなされますか?」
「どうするとは、なんだ?」
「はい。このまま予定通りマウソリウムへ送りますか?」
「……どういう意味だ?」
デーデキントが
「はい。あれほどの力を持つものを他国へやるのは危険ではないかと」
デーデキントの目を見て、意を決したようにデルニラが言う。
「いっそ、我が国に身柄を戻し、我が方へ懐柔するか、さもなくば徹底的に研究なさってみてはいかがでしょう?」
頭を下げるデルニラを見ながらデーデキントが答える。
「正直、私も考えた。だが、危険が大き過ぎる」
顔を上げるデルニラに言う。
「あれの力の発動条件は、恐らく感情に依るところが大きいのだろう。しかし、奴の素性もなにも分からない。鉄の棒にしても、街の史実、武具、魔法研究者いずれに尋ねても、分からないと言う」
「そのようなものは、いつ炸裂するか分からない爆薬のようなものだ」
そう言って眼下の遥か地平線の向こうまで伸びる、グングニルが走った跡に出来た渓谷を見つめながら嘆息した。
「それに消えた魔女たちはどうだ。まるで消息が分からない。いったい何が起きたのだ。……そうしたことを考えても、あれらは我々には扱え切れぬ代物なのだろう」
「では、このままマウソリウムへ?」
そう尋ねるデルニラにデーデキントは小さく頷くのみだった。
「予定通り、このままマウソリウムへ向かえと。承知しました」
ポータルレターによるデルニラからの指示を受けたコシュカが頷く。
「それで、指示は?」
アルパの声に、コシュカが答える。
「デーデキント様は、予定通り奴をマウソリウムへ護送しろと仰せになっている。夜が明けたら出立する」
「で、ですがまた……」
「大丈夫だ。朝まで私が
そう言って、コシュカが護送馬車に視線を向けながら言う。
「それに、我々には奴もいる」
「そしてなによりも! ここマハコの谷で夜を明かしたという名誉が得られるぞ」
そう言って、おぉ! と騒めく
そうして、無事に夜を明かした一行はその後も前進を続け、出発から十日後の夕刻、墓標都市マウソリウムの城門に到着した。
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