第30話 地下大迷宮パンドーラ

「それでは、これより出立の儀式を執り行う」


 デルニラの声に、集まった民衆が「おぉ!」と感嘆の声をあげる。


 数日の準備のための期間を経て、ようやくホーホたちが大迷宮パンドーラにダイブする日がやってきた。


「ようやくこの日が来た。建国より三百年の時を経て、ついに我々は本当の自由を手に入れる!」


 デルニラのその言葉に、民衆のシュピレコールと拍手が鳴りやまない。


 その横で気まずそうに手を振るホーホを見ながら、ガットは苦笑していた。


「まぁ、自業自得だな」


 そう呟いたガットの横で、フロースとテルアが顔を赤くして興奮している。


「すげぇ、すげぇ。ホーホ様が輝いて見えるぜ!」


「そうですね! ホーホ様が人間たちに礼賛されていますね! それに私、大迷宮なんて初めてで興奮します。何があるんでしょう!」


 フォルティスが、苦虫を噛み潰したような顔をして二人をたしなめる。


「遊びじゃないんだ。このバルバライゾの命運が懸かっているんだぞ」


 怒られてしゅんとするテルアに、デーデキントが声を掛ける。


「つかぬことを尋ねるが、そなたどこの出身だ? 名をなんという?」


「ん?」


 振り向いたテルアがデーデキントを見つめる。


「おれか? おれはホルホイ村って田舎の出だよ。名前? 名前は確か……そう、ヒュパティア。テルア・ヒュパティアだ」


 その名を聞いてデーデキントが驚く。


「そ、そなた、先祖に高名な魔法使いはいなかったか?」


「んー、分かんね。母ちゃんがそんなこと言ってた気もするけど、分かんね」


「そ、そうか」


 そう言ってテルアに背を向けて数歩進んだのち、立ち止まって再びテルアに声を掛ける。


「と、とにかく、まずは無事に戻ってこい」


「……あ、あぁ」


 テルアの的を得ぬ回答を耳にして、再び歩き始めたデーデキントの顔が少しだけ赤らんでいた。このやりとりを、コシュカはじっと見つめていた。


 ひとしきりの儀式が済んだのち、ガットたちは守護塔ローカパーラへと案内された。


「それでは、私が大迷宮パンドーラの入口までご案内いたします」


 コシュカがそう言ってローカパーラの壁に描かれた魔法陣に触れると、ぽうっと人が通れるくらいの穴が開いた。


「さぁ、どうぞ」


 数日分の水や食料を携えたガットたち一行が、その穴に入っていく。

 ローカパーラの中は、生暖かい空気と雰囲気が充満していた。


 コシュカ曰く、この雰囲気こそローカパーラで常に生成され続けているという充填魔法グラウトなのだという。


蜜蝋みつろうのなかを歩いてるみたいだ」


 歩いていると、顔や腕などの露出部になにか得体の知れない粘性の強い雰囲気がまとわりついてくる気がして、テルアが全身をさすりながらブツブツ言っている。


 ガットがそんなテルアを面白そうに見ていると、やがて奇妙な階段が見えてきた。


「さぁ、これから降りますよ!」


 そう言って腕を大きく振りながら階段を下りて行くコシュカに皆がついてゆく。


 長いのか、短いのか。を下ると、大きな臓物のような肉の塊に見えるものが中央に置かれた部屋に出た。


「ここは一体……?」


 ガットが呟くと、コシュカが言った。


「ここは大迷宮パンドーラの、言うなればです」


「えっ!?」


 思わず一同が大きな声をあげる。


「し、!?」


 テルアが聞き返す。


「大迷宮に尻の穴があんのかよ!?」


 ガットがホーホに尋ねる。


「いったい、おまえはここでどんな魔法を使ったんだ?」


「……ありていに言えば、坑道そのものに生命を吹き込んだんじゃ」


「えっ? 坑道に生命を吹き込んだ?」


 ホーホが言い難そうに答える。


「つまり、穴の種ともいうべきものを埋めた。それが成長する過程において獲得した様々な知能の結晶化を促進してより強固なフローレン効果を……」


「ちょ、ちょっと待て。オートマタが掘ってるんじゃないのか?」


 ホーホの話に驚いたガットが再度尋ねる。


「今の話だと、この穴は生きていて、それが成長してるみたいに聞こえるぞ?」


 一同が驚愕の表情を浮かべながら、ガットの問いに頷いている。


「坑道の先端、つまりわれらから見れば最深部にオートマタと言っても過言ではないものが存在しているのは確かじゃ。今となってはそれらもどのように成長しておるかはわれにも分からんが……」


 ホーホが地面に長い蛇のような、ウナギのような生き物を描いて説明する。


「鉱物や有益な資源を。まさに生命の営みじゃろ? そして体内に侵入しようとする異物、つまり我々のようなものはあらゆる手段で排除しようとする。言ってみれば免疫システムのようなもんじゃ」


 えっへんと、説明しながら徐々に有頂天になっていくホーホを見つめながら、フォルティスが呟く。


「つ、つまり、我々は得体の知れん巨大な生き物の体内に侵入する。そういう心づもりであれということか」


 テルアも絶句する。


「け、ケツの穴から入っていくのかよ? えぇ」


 ここで、深く考えこんでいたフロースがホーホに尋ねる。


「でも、ホーホ様。この大迷宮が魔法によって生み出された仮初の生き物なのだとしたら、どうして崩落するのですか? そして、守護塔ローカパーラから常時圧入されているという魔法とはどのようなものなのでしょう?」


 壁をぺたぺたと触りながらホーホが答える。


「崩落は単純に掘削、つまり成長によって地中に開いた空間が重さや圧力に耐えかねて崩れているのじゃろ。通常の生物のように体を支える骨や肉があるわけではないからの」


「圧入されている魔法、たしか充填魔法クラウドとか言ったかの。その魔法の詳細はわれにも分からん。ただ、ここにきて来て確信を得たが、これを施術した者はわれの古い知り合いじゃ」


 そう言いながら、テルアを見る。


「?」


 ホーホに見つめられたテルアが首を傾げた。


 いずれにしても、と言いながらホーホがコシュカに言う。


「この秘技、自動掘削魔法セルフグロウス・エクスカベーションを三百年も放置した例は聞いたことが無いからの。入ってみないことには中で何が起きているのかわれにも想像すらできん」


 そう言って、ホーホがニヤッと不穏な笑顔を見せる。


「これは魔法学会を揺るがす報告をもたらすことになるやもしれんな!」


「……人の命や生活がかかっているんだ。遊びじゃないんだぞ」


 ガットが呆れたようにホーホをいましめる。


「そろそろ時間です」


 砂の重さで回転する時間計測器を見つめていたコシュカが声をあげる。


「あと少しで、この穴が開いて掘り出したものの排出が始まります。排出が始まったらホーホ様たちは中にお入り下さい」


「今ではダメなのか?」


 フォルティスが尋ねるとコシュカが答える。


「はい。排出するために自らこの穴が開いた時でないと、スムーズに入れません。ここが閉じている状態で無理やり侵入しようとすると、拒絶反応による強力な多重結界魔法が起動して数日から長い時でひと月程度は穴から出ることも入ることも出来なくなりますので」


「な、なるほど」


 やがて、ゴロゴロという重い音と振動が部屋に響き渡り始めた。


「そろそろ、の時間です。侵入の準備を始めて下さい」


?」


 ガットがコシュカに尋ねると、コシュカが苦笑いする。


「すみません。かわやへ行く、という意味の隠語なんです。我々の」


 そうしていると、穴がひとりでに開き始めて……様々な鉱物や見た事も無いような生き物と思われるうごめく有象無象が排出され始める。気が付けば、それらを街へ搬送するための工夫たちがガットたちの後ろに集合していた。


「さぁ、どうぞ!」


 コシュカの掛け声で、ガットやホーホたちが排出され続ける鉱物を飛び越えながら一斉に穴に突入する。


「どうか、お気をつけて!」


 その声が聞こえるや否や、穴はふさがってしまった。


「……が閉じたぜ、兄貴」


 テルアがぼそっと呟く。


「明かりを!」


 ガットがそう言うと、ホーホが懐から光る塊を取り出した。


「ライトフルーツ。フロースたちの里で見つけたものじゃ」


「まぁ、懐かしい!」


 そういってフロースが手を伸ばす。


「これはとても弱い光ではあるが、とても長く発光する。みなこれを持っておくといい」


 そう言って、ホーホが全員に手渡す。


「なんだか、いい匂いだ」


 ガットがそう言うと、フロースが答える。


「この実はとってもおいしいんです。それに香りもよいから香水などの原料にもなるんですよ」


「へぇ、便利な木の実もあったもんだなぁ」


 ライトフルーツを手にしたテルアが、匂いを嗅ぎながらしきりに感心している。


「さぁさぁ、入口で遊んでいてもらちがあかない。さっさと進もう」


 フォルティスの喝でへいへいと皆が奥へと歩みを進め始める。


 しばらく進んだところで、ホーホが声をあげる。


「そうじゃ、コーティングを忘れておった!」


「コーティング?」


 ガットが尋ねる。


「そうじゃ、コーティング。この坑道は侵入したものを異物と認識した場合に認識阻害を主とした結界魔法を発動して人々を惑わすようにしておる。ゆえ、この坑道に掛けた魔法と波長を同じくしたコーティングを施すことで結界魔法の発動を抑えるんじゃ」


「なるほど」


 そうしてホーホは一人一人に魔法コーティングを施す。


「なんか、ゼリーみたいで気持ち悪いなぁ」


 テルアが自分の手足を見ながらそう呟く。


「見てくれだけで、別に触感はないのじゃからええじゃろ」


「まぁ、そうなんだけど……」


 体中にスライムがへばりついてるみたいだ、気持ちわりぃなあなどとブツブツ言いながら、再びテルアが坑道を歩き始めて突然叫ぶ。


「あ、兄貴! ホーホ様! し、死体がっ!」


 ガットたちが走り寄ってみると、それは息絶えてから相当の年月が経ったであろう冒険者の遺骸であった。


「恐らく、かなり昔にこの坑道、パンドーラに侵入した者なのだろう」


 そう言って、ガットが静かに手を合わせてその遺骸から個人を特定できるものが無いか、手を伸ばそうとしたとき、その遺骸が微かに動いていることに気が付いた。


「し、死体が動いてる!」


 ガットが叫ぶと、ホーホが言った。


「いや。これは坑道のぜんどう運動じゃろう」


「ぜんどう?」


 ガットが尋ねるとホーホが答える。


「つまり排泄物を排出するための腸の動きみたいなもんじゃ。おそらくこの冒険者はもっと先で命を落とし、長い時間をかけてここまで運ばれてきたのじゃろう」


「それでは、この者はこのままにしておいても、いずれ先ほどの穴から外に運ばれるということですね」


 フォルティスの質問にホーホが頷く。


「ならば、ここで立ち止まる必要はない。我々は先に進もう」


 フォルティスの声に皆頷いて坑道、大迷宮パンドーラの奥底へと進んでゆく。


「しかし、無機質な坑道だ。穴以外に人の手を感じるものが何もない」


 フォルティスが呟くとホーホが答える。


「この辺りは初期の坑道じゃろから、猶更なおさらそう感じるんじゃろ」


「しかし、長いな」


 坑道は、大迷宮の名に恥じない威容を誇っていた。


 認識阻害を受けぬようコーティングを施されていて、道に惑わされること無く比較的スムーズに歩みを進めてもその規模がいやがおうでも把握できた。


「歩いても歩いても、似たような道が続くな。そして十キロガル(約十キロメートル)くらい毎に大きな空洞作られている」


 フォルティスがそう言って空洞を見渡す。

 歩き始めて半日が過ぎようとしている頃、ガットたちは幾つめかの大きな空洞で休息をとっていた。


「一体この大きな空洞は何を目的に掘られたものなんだ?」


 坑道に入ってから、フォルティスがよく喋る。

 きっと探掘が好きなのだろう。


 ぺたぺたと壁を触りながらひとりぶつぶつと呟くフォルティスを見ていたガットの後ろで、ホーホが大きな声を出す。


「フロースよ、われは腹が減ったぞ!」


「そうですね、ホーホ様。そろそろ外はお昼の時間ですから。ごはんにしましょう」


「テルア、火を起こしてくれる?」


「ほいきた!」


 そう言ってテルアがテテテッと走り出して……あちらの壁際に積まれた廃材のような木材の切れ端を幾つか持ってくる。


「これ、燃えるかな?」


 山羊の毛を優しく丸めて作った着火剤を木材の下に押し込んで火打石をカチカチやると、すぐに火がついた。


「それじゃ、それでお湯を沸かしてくれる? この子の重湯おもゆも作りたいし」


 腕に抱いた幼子をあやしながらフロースが言う。

 それを聞いて頷きながら、テルアがリュックから黒パンやベーコンを取り出す。


 火にかざして軽くあぶろうとしている食材をつまみ食いしようとするホーホをかわしながら、テルアが言う。


「今回は下見だから食材も豪華だけど、本番はもっと節約した献立を考えなきゃだなぁ」


「ふむ。そうだな」


 ガットも腕を組んで考える。


――大迷宮と呼ばれるくらいであることに加えて、ここにダイブして帰還した冒険者らの話だと出だしから様々な生き物や見た事もない鉱物に溢れていた! くらいのことを口々にしていたが、それらはきっと認識阻害の為の魔法結界が見せた幻覚なのだろうか。


――実際に歩いてみると、上も下も岩石だけのまったく何もない坑道が延々と続いているだけだ。これでは探検する先々で補給する作戦は再考しなきゃなるまいな。


「しかし、確かに規模は大きいが街が陥没するほどとは思えないけどな……」


 ガットがそう呟いたとき、フォルティスがガットを呼ぶ声がした。


「ちょっと、ここに来てみろ」


 ガットが近づくと、フォルティスが目の前に開いた壁際の立て坑を指差す。


「ん? その穴がどうかしたのか?」


 ガットが尋ねると、フォルティスが足元の拳大の石を掴み上げた。


「見ていろ。」


 そういって手にした石をその立て坑に放り投げる。

 ガットが聞き耳を立てるが、いつまでたっても石が底に当たる音がしない。


「これはとんでもない深さだぞ」


 フォルティスが唸る。


「それじゃ、この穴を降りてくのはどうだ? あっと言う間に深度が稼げるぞ」


 いつの間にかガットとフォルティスの後ろに立っていたテルアが言う。

 メシのあとで、ホーホ様にマーキングしてもらった石を落としてみよう。


 そう提案するテルアの考えに感心していると、向こうからフロースの声がした。


「ごはんできましたよ! 食べましょう!」


「まぁ、まずは腹ごしらえだな」


 そう言ってガットが振り返ろうとして……視覚の片隅で何かがきらりと光った。


「?」


 ガットが近づくと、立て坑の脇に何かが落ちているのが目に入る。

 しゃがんでつまんで明かりのそばでよく見てみると、なんだか鈴のように見えた。


 シャリシャリと鳴らしながらフロースたちのところまでゆくと、テルアがガットにベーコンサンドを手渡しながらガットが手にした鈴を見て言う。


「お、兄貴! なんだそりゃ?」


「そりゃ古いガムランボールじゃな」


 ベーコンを挟んだ黒パンを口いっぱいに頬張りながら、ホーホがそれを見て言う。


「見るにかなりの年代物じゃ。昔、ここに来た誰かが落としたんじゃろ」


「ガムラン……へぇ」


 ガットはテルアから受け取った黒パンのベーコンサンドを口にしながら、遥か昔にここを訪れた誰かのことに想いを馳せながら、しげしげとその鈴の玉を見つめるのだった。


「ホーホ様、あと少しだけ休んだら、もう少し進んでみましょう」


 フォルティスの提案にホーホも頷く。


「そうじゃな。コーティングもうまく機能しているようじゃし。この奥がどうなっているのかは行ってみなけりゃ分からんが、まぁなんとかなるじゃろ」


 フロースもテルアも頷く。


「半日と少しで三十キロガル(約三十キロメートル)近く歩きました。でも、ホーホ様の仰るようにあとは食料や光の種をもう少し用意して幕営の出来る装備を準備をすれば、ずっとずっと先まで進めますね!」


「おうさ! やっぱ探検は楽しいなぁ!」


 そんな風に楽しそうにしている彼らを見つめながら、ガットはうとうとしていた。


「お! そうじゃ。おぬし、これも一応持っておけ」


 そう言って寝ぼけまなこのガットに、ホーホが大きな芋くらいの魔法弾を手渡す。


「一応の一応。万一のときの護身用じゃ」


「んん、ありがとう……」


 魔法弾を受け取って、ごそごそと懐の巾着袋にそれを仕舞いながら、やっぱり気の知れた仲間との冒険は、本当に楽しいなと心から思った。


 グングニルを傍らに置いて、少し寝るよと呟いてからガットは深い眠りにおちてゆく。

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