第28話 ハインリヒ・デーデキント

 デーデキントは若い王だった。

 父でもある先代王、ハインリヒ・バルバスが流行り病で急逝したために若くして王座に就いたのだ。


 兄や弟たちもいたが、皆口を揃えてデーデキントの王位継承を訴えた。


 デーデキントは聡明で賢明な若者であった。

 しかし、本当は王位など継ぎたくはなかったのだ。


「先代王の父君や母君の御意向、それに兄弟の期待もある。しかし、私は国を治めるような度量の持ち主ではない」


「そのようなことを仰られてはなりませぬ。この偉大なるバルバライゾを統治なさるお方なのですから」


 側近のデルニラがたしなめる。


「バルバライゾの語源は天国の谷。このような地獄の時代にあって人々に安らぎと未来への希望を与える、偉大なる初代王がおこされた街なのです」


「もちろん、それは理解している」


 デーデキントは窓の外に広がる美しい街並みと大海原を見つめながら呟く。


「しかし、私は契約でこの街を覆う大結界の外に行けぬ。生まれてこの方、この街しか知らぬ」


 そう言って嘆息するデーデキントの眼前に、スカイゲートが開く。


「ご機嫌麗しゅう、デーデキント様」


 鈴のような声とともに、そこからふわりと黒い猫が飛び出てきた。

 そして、その足が地面に着くかつかないかというところで水色のローブを纏った黒髪の少女に変わる。


「……コシュカか。何用だ?」


 デーデキントが抑揚のない声で尋ねる。


「はい、デーデキント様。この街に『契約の魔女』が侵入致しました」


「なに!? 『契約の魔女』だと! 『契約の魔女』がこの街に来たのか?」


 デーデキントが身を乗り出す。


「コシュカよ、それはまことか?」


 デルニラが尋ねる。


「間違いありません。を確認しました」


 そう言って、コシュカと呼ばれる猫型の獣人が見事な犬歯を見せる。


「そうか、コシュカの血液同定ブラッド・アイデンティフィケーションがそうだと言うならば間違いあるまい。それで、その魔女は今どこに居るのだ?」


 デーデキントが矢継ぎ早に質問する。


「はい。今、西の第一ギルドにてアルパが接触を試みております。うまく誘導することが出来れば、明日の早い時間にはこちらへお連れすることが可能かと」


「でかしたぞ、コシュカ!」


デーデキントは声を張り上げた。


「この数百年、幾多の冒険家や斥候せっこうを繰り出してもなお見つけることが出来なかった『契約の魔女』を遂に捕らえることが出来る。ようやく先代王たちへの手向けとすることが出来る!」


 渋い表情を浮かべるデルニラが、コシュカに尋ねる。


「しかし、なぜ今になってこの地に現れた? 何が目的なんだ?」


「目的は不明です。ですが、『契約の魔女』たちはパンドーラへダイブすると申しておるらしいのです」


「なに? パンドーラに? それと、『契約の魔女』?」


「他に随伴している者が居るのか?」


「はい。『契約の魔女』の他に人間が二人、ハーフエルフが二人で徒党を組んでおります」


「ハーフエルフだと? 人外の侵入を許したのか?」


 デルニラが眉間にしわを寄せて尋ねる。


「見た目や揮発するマナは人間そのものですから、門番たちを責めることはありません。おそらく『契約の魔女』による精巧な擬装かと思われます」


「ふーむ。ますます分からん」


そういって腕を組むデルニラに、デーデキントが軽快に語り掛けた。


「明日、『契約の魔女』らに会って直接話を聞けばよい。こちらの真意を悟られぬよう、まずは盛大にもてなせ」


「話はそれからだ」


「は、デーデキント様」


 かしこまったデルニラとコシュカが静かに頭を下げた。



「……という、やり取りがあったのです」


 馬車のなかで、アルパに事の委細を聞いたホーホたちは困惑していた。


「われが『契約の魔女』だと?」


 首を傾げるホーホに頷くアルパを見ながら、テルアも閉口していた。


「いやしかしよ。そんな大事なこと、ペラペラ喋って大丈夫なんかよ……」


「大丈夫ですよ」


 あっけらかんと、そう言い切るアルパにフォルティスも不信感をあらわにする。


「お前の話が本当かどうか分からん。本当だったとして、なぜホーホ様が『契約の魔女』などと呼ばれているのかも分からん。一体お前は何者なんだ。そして何が目的なんだ?」


「それが、分からないんですよ!」


 アルパが楽しそうに笑う。

 皆があっけにとられているとアルパが言う。


「『契約の魔女』、すなわちホーホ様をバルバライゾの歴代の王たちが探し続けていたことは事実です。しかし、なぜホーホ様を探しているのか、実は私も詳しいことは聞いていないのですよ」


「そんなことあるかいな!」


 あまりに荒唐無稽な話にホーホが叫ぶ。


「そもそも、なぜわれがその魔女だと分かるんじゃ。われは『契約の魔女』などと呼ばれたことはないぞ」


「それはコシュカ、昨晩ホーホ様を噛んだ猫がそう言っているのですよ」


「まぁ! 昨日のケット・シーのことですね。へぇ、お話出来るんですね!」


 おりこうさん! と、フロースが感嘆の声を上げる。


「あの忌々しい猫か。しかし、われがそうだとして、それならばなぜわれのことを知ってるんじゃ?」


「それが彼女の能力なんです」


 そう言って、アルパはまた笑うのだった。


 そうこうしているうちも馬車は海沿いの街道から枝道に入り、そこから険しい山道をひた進み、半刻ほどでガットたちはデーデキントの古城に到着した。


「ここがデーデキント様のお城です」


 アルパがそう言って、守衛に手を挙げて声を掛ける。

 と、城門の大鉄扉が開いてゆく。


「へぇ、でっかいなぁ!」


 一行が城門の上に聳える大鐘楼だいしょうろうを見上げてその威容に圧倒される。


「ようこそ、おいで下さいました。『契約の魔女』様」


 その声の主を目で追うと、姿が立っていた。


「まぁ、昨晩のケット・シーさんですか!?」


 フロースが嬉しそうに声を掛ける。


 フロースの方を見て笑顔を作り犬歯を見せながら、ケット・シーと呼ばれたその猫人がホーホに声を掛ける。


「初めまして。名乗り遅れましたが、ぼくはコシュカと申します」


「ここは人外禁制の地ではないのか?」


 ホーホが尋ねる。


「はい、確かに。ですが訳あって、今はデーデキント様にお仕えしております」


「……それはともかく、われは『契約の魔女』などと呼ばれる覚えはないぞ」


 ホーホがいぶかし気にそう言うと、コシュカはゆっくり頷いた。


「そうですね、その呼び名は我々が勝手につけた呼称です。ですが」


 コシュカが背筋を伸ばしてあらたかしこまる。


「その呼び名には重要な意味があるのです、ホーホ様。お忘れですか?」


「?」


 ホーホが首を傾げる。


「まぁ、とにかく歓迎の宴の用意をしております。少し早い時間ではありますが、まずはゆっくりしてくださいませ」


 そう言ってエスコートするアルパとコシュカに導かれて、城の奥に進むホーホたちであった。

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