第25話 邂逅 ―河のむこうで―

 やがて小舟は小さな波止場がある対岸に着いた。

 そこで魑魅魍魎ちみもうりょうたちがみな揚々と船から降りてゆく。


 最後にホーホが小船から降りるとき、渡し守の爺さんに持っていた宝石を渡した。


「なんの足しにもならないかもしれないが、ここまで私を運んでくれてありがとう」


 そう言って頭を下げるホーホを、渡し守はじっと見つめていた。


 ホーホは魑魅魍魎ちみもうりょうたちが進む方角へと誘われるようについてゆく。と大きな建造物が見えてきた。皆その中に躊躇なく入ってゆく。


 建物の中は巨大な回廊になっていた。

 そして空気の香りが変わる。


「なんだ、この香りは?」


 ホーホがいぶかしげたその時、凄まじい速度の黒い塊が突如頭上に現れた。


「ッ!!?」


 ホーホが寸でのところで身をかわすと、その塊はブォンという風切音を立てて通り過ぎてゆく。


 彼女の髪の毛を数本浚さらいながら。


「な、なんだ!?」


 ホーホが姿勢を立て直すと、目の前にミョルニルを想起させる真っ黒いハンマを持った巨大な魔獣が立っていた。


「神域に無断かつ土足で踏み入る悪鬼ども」


「貴様らを滅す」


 無機質で抑揚のない言葉を放ち、その魔獣は再びハンマを振り下ろす。


 石頭せっとうハンマのようなその大きなハンマが耳障りの悪い風切り音を立てながら振り下ろされる度に、小さな魑魅魍魎ちみもうりょうたちが悲鳴を上げて逃げ惑う。


「やめろッ!!」


 ホーホがそう叫ぶが魔獣は微塵も気に留める素振りがない。


「クソッ、このままでは彼らが死んでしまう!」


 ホーホはありったけの魔力をこめかみと魔法の杖に集中する。


――最大速度でヤツを翻弄するんだ!


 しかし、魔獣は手足を強靭な鞭のようにしならせながら凄まじい速度でハンマによる連打を繰り出す。


 そしてその速度は徐々に増速している。

 かわすのに精一杯であったホーホの身のこなしに追従し、超えてゆく。


 身をかわす勢いと応力だけなのに、ホーホの体中の節々が悲鳴を上げる。

 魔獣の疾駆しっくと、それにより生み出されるハンマの乱舞に対応できなくなってくる。


 己の肉体の加減速に足と地面の摩擦が追いつかず、着地のたびに、脚で踏ん張るたびに壁魔法アルペタルニコチを何枚も重畳ちょうじょう全力展開して力点がドリフトしないように、その身に加わる応力や反力を抑え込まねばならなくなる。


「なんなんだ? いったい奴は!?」


 力の配分を偏らせたために防御力を欠いた状態で、それでもリーチは精一杯の攻撃魔法を繰り出し続けた。魔獣が振り回す巨大なハンマ、突出した強度を誇る暴力的な打撃に特化したと思しきそのハンマを避けながら、なるべく魑魅魍魎ちみもうりょうたちから離れた地点にその打撃が加わるように気を配りつつ。


 幾つもの防御魔法によるプロテクションを繰り出しても、魔獣はそれらを簡単に粉砕する。通常の相手なら、その攻撃が自身の魔法に接触した瞬間に相手の性質や魔法の種類、それに強度や対抗策がほぼ一瞬に解る。


 しかし、目の前の魔獣の攻撃は幾度もホーホの魔法に接触しているにも関わらず、その性質がさっぱりわからない。


 こんなこと、今まで相手にしてきた敵には無かったことだ。


 防戦一方で、まるでダメージを与えられない。


 魔獣の巨躯から繰り出される、腕力にモノを言わせた凄まじい速度と破壊力を与えられたハンマが、風を切り裂く轟音を残しながら幾度となくホーホの頭上に振り下ろされる。


 そして、通り過ぎたと思った刹那、すでにハンマは目の前に在る。

 恐ろしい勢いでその軌道が変化する。


 魔獣の動きの速度がホーホの動きを圧倒する。

 振り回されるハンマをかわすことが困難になってくる。


――このままでは防戦一方、じり貧だ。奴を倒すしかない


 恐怖におのの魑魅魍魎ちみもうりょうたちを背にホーホが決意する。

 何十ものプロテクションウォールを構築するも、ふすま紙を破るが如く簡単に破られる。


「仕方ない、この建物ごと奴を吹き飛ばす!」


 そうしてホーホ最大の攻撃魔法を繰り出すための詠唱を始める。

 魔法の杖を握り締めた拳にふたたび、魔法力が激烈に爆縮してゆく。


「我が名はホーホ・アリスタルコル! 我を承認し我が想いを万物へ一帰せよ!」


 ホーホの足元と指先に魔法陣が幾重にも展開して発光が強くなる。

 魔力の高まりが最高潮に達したところで、魔法の杖を突き出して叫ぶ。


「とどけ! ラレース・プレアー!!」


 その詠唱が終わるや否や、ホーホから光の束が放たれて魔獣にぶち当たる。


「グッギャー!!」


 魔獣の凄まじい叫び声が聞こえて辺りが光に包まれる。


「や、やったか?」


 ホーホが目を凝らすと……魔獣は無傷で聳立しょうりつしていた。

 しかもその口元は微かに笑みを浮かべている。


「う、嘘だろ……」


 ホーホが呆然としていると、魔獣は凄まじい咆哮を上げながらホーホに向かって突進し今までにない凄まじい速度でハンマを振り下ろした。


 かわす間もなくその直撃を受けたホーホは……気を失った。



「はっはっは!」


「うぅう……」


 ホーホが騒がしい声に気付いて体を起こすと、そこには焚火を囲んで談笑する渡し守の爺さんとあの魔獣が目に入った。


「お、ようやく目覚めたな」


 そういって渡し守の爺さんが水の入った器をホーホに手渡す。


 ホーホは頭を押さえながらその水を一気に飲み干した。

 どうやら頭蓋はかち割られていないようだ。


「こ、ここは一体……?」


「お察しの通り、ここは地獄の門さ」


 渡し守の爺さんがそう言って笑う。


「それじゃ、俺はさしずめ地獄の門番ゴズメズってとこだな」


 そう言いながら、魔獣が酒をあおりながら笑っている。


「しかし、お前さん凄いな。生身の人間がここまでヤツと互角に渡り合えるのなんざ、もう何百年も見たことがないぞ」


 爺さんがそう言ってホーホに盃を渡そうとする。

 ホーホがいぶかしがりながらその盃を受け取ると、ツーンと強い酒の香がした。


「お前、相当の手練れだな。それに聞きなれないもする。名を何という?」


 魔獣がホーホに尋ねる。


「わ、わたしか? わたしは、ホーホ。ホーホ・アリスタルコルだ」


 ホーホがそう答えると、魔獣が大きな目を更に大きくした。


「ホーホだって!?」


「なんだ、この嬢ちゃんのこと知ってるのか?」


 爺さんがそう尋ねると、魔獣が驚愕の顔を見せた。


「お前こそ知らんのか!? あのランゲルデ王国の筆頭魔法使い様だぞ!」


「けへぇ、たまげた。この小っちゃい嬢ちゃんがあの魔法王国の!」


 爺さんが驚いている。


「わたしはそんな大した者じゃない……本当に。」


 そう言ってホーホが盃の酒を一気に飲み干した。


「へぇ、大魔法使い様もイケるじゃねーか」


 魔獣が嬉しそうにそう言って盃に酒を注ぐ。


「ところで、なんだってそんな高名な魔法使い様がこんなところに居るんだい?」


 爺さんがほろ酔いでホーホに尋ねた。


「いや、さっきの川に結わかれていた結界魔法に興味があったんだ」


「それに……」


 と、ここまで言いかけてホーホが思い出す。


「そ、そうだ! さっきの魑魅魍魎ちみもうりょうたちはどうした!? 彼らは無事なのか!?」


「無事に渡ったよ。成仏、召天。どんな表現をするかは知らないが、彼らは行くべき場所へ上がっていった。」


 魔獣が酒を飲みながら言う。


「お前がロクセンモンをやつらに施してやったおかげでな」


「……ロクセンモンとはなんなのだ?」


 ホーホが尋ねると爺さんが言った。


「ロクセンモンとは、その者に向けられた深い慈しみの情のことなんだ」


「その想いがあればカタチは問わない。あの結界魔法とこの門はそうした情を感知して自在に開いたり閉じたりするんだ」


「すなわち、送り届けてやりたいという他者の慈しみの想いがこの結界と魔法に作用する」


「ここは、そういうふうに組み上げられた空間なんだ」


 誰がいつ作ったのかは分からんがな。

 そう言いながら魔獣は酒をあおる。


「そういや、お前さんは世の理を捻じ曲げる、偏倚へんい魔法ってのを聞いたことがあるか?」


 唐突に爺さんが尋ねた。


「へん……い魔法?」


 ホーホが首を傾げながら聞き返す。


「そうじゃ、偏倚へんい魔法。この門はな、その魔法の対抗策のひとつとして作られたと聞く」


「わしらも詳しいことは知らんが、とにかくその魔法のためにおびただしい数の命が奪われ、またその魂魄が行き場を失ってきたらしい」


「そのあまりの惨状を見かねたある魔法使いが、せめて魂の救済をとの思いで造ったのがこの門とあの川に結わかれた結界魔法なんだそうだ」


「ひどい話だ」


 魔獣が言葉を紡ぐ。


「俺はある契約でこの門を守っている。そう、クズどもからな。そのために、この門の作り手からある呪いを掛けられた。決戦において絶対に負けないという呪いをな」


 そう言ってホーホを見ながら牙を剥き出しにしてニカッっと笑う。


「特に、この門と結界の構造の維持に重きを置いた呪いだ。お前、さっきこの門もろとも俺を吹き飛ばそうとしただろう?」


 ホーホが黙って頷くと、魔獣は満面の笑みを浮かべた。


「だから、お前の渾身の一撃が俺には届かなかった」


でな」


 それを聞きながら、この地に来てから、そしてこの門を前にしてずっと疑問に感じていたことをホーホは尋ねた。


「ま、待ってくれ。今、現世ではラッテンペルゲが世界中で人外の殺戮を繰り返している。そのための対抗策ではないのか?」


「これだけの魔法建造物と結界が?」


 ホーホが聞き返す。


「その偏倚へんい魔法とはなんなのだ? 聞いたことがない」


 魔獣と爺さんが顔を合わせる。


 そして、魔獣が言った。


「お前は転生を信じるか?」


「転生? 輪廻のことか?」


 ホーホがいきなり何のことだと首を傾げる。


「そうだ」


 と魔獣は言った。


「肉体は器に過ぎず、その器が壊れるとが移動することがあるんだ」


 爺さんがぽつりと言う。


「本来、その中身は。しかし、極まれに者がいる」


 しかも、と酒の入った盃を一気に飲み干して魔獣が言う。


「その器で過ごした時間を覚えている者がいるんだ」


「その理由は様々だろうが、ひとつだけ確かなことがある」


 魔獣はホーホの目を見つめて言う。


「それは、明らかに天のことわりを逸脱した現象なんだ」


 ホーホは首を傾げて聞いていた。

 確かに聞いたことはある。しかし、なぜ今ここでそんな話をするんだ?


「ふぅ」


 一息ついた魔獣がふっと表情を緩めた。


「それが、例えば俺なんだ」


 それからホーホは様々な話を聞いた。

 この世界のこと、彼らの経験してきた冒険。それに死について。


 魔獣は覚えているだけで一万を超える転生を繰り返し、その記憶を保持しているらしい。


 様々な人間としての人生だけでなく、在るときは獣の器で、またある時は遠くの星の住人であったり、なんと郊外の巨樹であったこともあるらしい。


 ホーホの想像を遥かに超えるスケールの時間を過ごした記憶を彼は保ち続けたまま生きながらえているという。


 もちろん、その経験を立証するものは何もない。

 想像力豊かな作り話と一蹴することも出来た。


 だが、ホーホにはその話のひとつひとつが嘘であるようには思えなかった。


「なんの因果、いや呪いでこのようになったのかは覚えていない」


 魔獣は空になった盃に再び酒を注ぎ、飲み干す。

 そして言葉をつづけた。


「しかし、何が一番堪えるかといえば、やはり親しい者たちとの死別だ。それを覚えていることだ」


「そして、死に際と死を繰り返し経験することも、だな」


 となりで爺さんが頷いている。


「わしゃ、死なんざ一回経験すりゃ十分じゃよ」


「し、しかし、『呪い』ならば、なんとかなるんじゃないのか?」


 ホーホは尋ねた。

 ホーホの言葉に、魔獣が少し顔を上げて答える。


「散々試したさ。だがダメなんだ。どんな方法を以てしても前世の、これまでの様々な人生の記憶が残ってるんだ」


「もう二度と前世で共に歩んだ家族や仲間とは出会えないってのに。目を覚まして、目の前の扉を開けたらいつもの連中が俺を待ってるんだ。また一緒にいつもの一日が始まる。あるいは冒険や旅の続きに行ける気がするんだよ」


 そう呟いて魔獣が顔を小さく左右に振る。


「そう思って目を開けたら別の世界だ。旅の続きを歩むことなんて絶対にありえない世界だ。前世とは場所も時代も肉体だって全く違う世界に生まれ変わった、まったく別の人間だってのに」


「そんなのを幾千回だ。それこそが地獄だ」


 魔獣はそう言って、じっと盃を見つめた。


「その呪いはなぜ、そしていつから掛けられたものかは『今は』分からない。だが、ひとつだけはっきり覚えていることがあるんだ」


「俺の呪いは、この世のことわりを固定することによって解消するらしい」


「?」


 ホーホが更に首を傾げる。


――輪廻転生の呪縛が目標の達成で解消する? そんな術も話も聞いたことがない。まして、その話と偏倚へんい魔法とやらになんの繋がりがあるんだ?


偏倚へんい魔法ってのは、この世のことわりを術者の都合に合わせてことごとく捻じ曲げるんだ」


 爺さんがホーホに言う。


「つまり、奴の呪いを解くための手段のひとつが偏倚へんい魔法をこの世から滅することなんじゃよ」


「だ、だが、そんな魔法聞いたことがない」


 ホーホが言うと魔獣が答える。


偏倚へんい魔法についての記録は皆無に等しいと聞く。偏倚へんい魔法を知る者は皆ことごとくその存在を滅せられるからだそうだ」


 魔獣の言葉を、渡し守の爺さんが補足する。


「いわゆる『ダムナティオ・メモリアエ』じゃな」


「ダムナティオ・メモリアエ?」


 聞きなれない言葉に思わずホーホが聞き返す。

 魔獣が答える。


「存在の記憶破壊処置のことだ。対象者の存在に関する一切の記憶や記録を消滅させて、最初からその者がこの世に居なかったかのようにしてしまう呪いだ」


「そ、そんな呪いが偏倚へんい魔法に?」


「わからない。しかし、この魔法について分かっていることが断片的でかつ抽象的なものばかりであるにも関わらず、その存在を強く確信している者が居る」


「そりゃ、こいつに触れたとたん世界から消されちまうんじゃ謎解きもなにもあったもんじゃないわいな」


 爺さんが言う。


「その使い手も、どんな魔法なのかも分からない。だが、ろくでもない術だってのは分かるんだ」


 眉間にしわを寄せるホーホに魔獣は言った。


「その魔法は人々の、生きとし生けるものの苦痛を養分とする魔法だからなんだ」


 そして、おもむろに首にかけていたブレスレットを外してホーホに渡す。


「な、なんだこれは?」


 ブレスレットを受け取ったホーホが魔獣に尋ねる。


「おまえはもうすぐ死ぬ。」


 唐突に魔獣が言った。


「そして、この世界がふたたび混沌と絶望の闇に覆われる。まず人外が、そして次に人間が」


 口を開こうとしたホーホに、魔獣が言葉を紡ぐ。


「だが、おまえの旅は続く。その旅の道中でいつかの俺のむすめと出逢うはずだ。大切にしてやって欲しい」


「むすめ? あんたの?」


 ホーホが尋ねる。


「そうだ。そしてその旅は険しく厳しいものになる。我が子も沢山の苦しみを経験するだろう」


 その声を聞きながら、ホーホは強烈な睡魔に襲われだした。

 意識が遠のいていく。


 しかし、その声は続く。


「だが、助けてやって欲しい。数多あまた無辜むこの魂を。届けてやって欲しい。わたしが叶えてやることが出来なかった沢山の想いを」


「そして最期に伝えて欲しい。我が子に愛していると」


「あ……あんたは誰なんだ……?」


 そう問いかけながら、ホーホは深い微睡まどろみの深淵に堕ちていく。

 しかし、魔獣の声は続く。


「もっと沢山話したかったが、どうやらここまでらしい。出会えたことに感謝して、お前に特別な転移魔法を刷り込んでおいてやろう。いずれ役に立つこともあるだろう」


「大変なことは続くだろうが……頑張れよ、ホーホ!」


 その声を聞きながら、ホーホは深い眠りについて……。


「ホーホ様、ホーホ様!」


 遠くで、誰かが自分を起こす声がする。


「んー、うん?」


 ホーホが目を開けると、ケーリョが叫んでいた。


「ホーホ様! やっとお目覚めになられた!」


「大丈夫ですか? お体の具合はどうですか!?」


 よかったよかったと涙を流すケーリョとポラックをホーホは不思議そうに見つめた。


 見渡すと、駐屯していた陣営からほど近い川岸に身体を横たえていた。


――私は川向こうの門に居たのではないのか?


「これはいったい……?」


「夜半からホーホ様がご不明となって皆で捜索していたのです。そうしたらここに倒れていらしたのです!」


「我々がいくらお声がけしてもまったく起きる気配がないものですから、本当に気が気でなかったのですよ!」


 皆が口々に同じ内容の言葉を掛けてくる。


――そうか、私は夢を見ていたのか。しかし、やけにリアルな夢だったな。酒を飲んだ感覚も残っているぞ。


 そう思い、上半身を起こそうとして……


 カチャリと音がする。


「ん?」


 ポケットを探ると、あの魔獣から受け取ったブレスレットが入っていた。


「なんですか、それは?」


 ポラックが尋ねる。


「あ、あぁ、昔古い知り合いにもらったものなんだ。お守りだ」


 そう言って、ふと気になりケーリョに尋ねた。


「そう言えば、日が暮れてから何刻たった?」


「え? はい、もう半刻(三十分)過ぎほどになりますが……」


「は、半刻!?」


 それを聞いたホーホが絶句する。


――半刻だって? 渡河から始まり、門で過ごしたあの時間が半刻云々であるはずがない。


「そ、そうか」


 平静を装いながらホーホは考えた。


「夢だったのか? いや、それならばこのブレスレットがここにあるはずはない」


――消えたのだ、あの時間が。


 不思議そうな顔をしているケーリョやポラックを横目に、ホーホは改めて川の対岸を見つめた。


 そして呟く。


「あんたたちが何を伝えたかったのか分からない。だが、想いは継ぐよ」


「ホーホ様、なんですか?」


「いや、なんでもない」


 そう言って、ホーホは魔獣が渡したブレスレットを握りしめるのだった。



「と、いうことがあってな」


 そう言って、ホーホは懐かしそうに青銅器を見つめた。


「あれから三百年か」


 すっかり冷めた茶を手にして聞き入っていたガットやテルアがはっと気づいた。


「ま、まってくれ。その魔獣ってまさか……」


「たしかに、境遇は似てはいるな」


「い、いや。なんにも覚えてないぞ!」


 驚愕の表情を見せるガットを尻目に、ホーホが立ち上がって火にかけたヤカンに手を伸ばす。


「そ、それじゃ、おれが兄貴の子供!?」


 テルアも驚愕の声を出す。


「いや、それは違う」


 いつの間にか後ろに立っていたフォルティスが言う。


「ホーホ様のお話から察するに、三百年前の魔獣にとっての我が子、ということになる。しかし腑に落ちないのは……」


 そう言って、ホーホの手にした青銅器を見つめる。


「なぜそいつとお前が同じものを持っていたのか、ということだ」


「お、おれは母ちゃんにもらったんだぜ? それ以外……」


 そう言って、テルアがはっとする。


「そういや、おれのご先祖様が大魔法使いだったって聞いたことがある。おれを慰めるための、母ちゃんの空想話だとばっかり思ってたけど……」


「おまえは、本当に何者なんだ?」


 フォルティスが毒づくが、テルアは首を振るばかりだ。


「そ、そういえば、それからホーホ様たちはどうなったのですか?」


 フォルティスのうしろに佇んでいた幼子を抱いたフロースも尋ねた。


「もちろん、その後も旅を続けながら結界を張り続けた。ひとり、またひとりと仲間を失いながらも最後の大結界を張り、おぬしらの里で力尽きたわけじゃな」


 コポコポと沸いた湯で茶を入れ直しながら、ホーホがぽつりぽつりと呟く。


「王の刺客との闘いで、ケーリョもポラックもアーマーリスペクトも命を落とした。最後はもう誰が敵なのか、誰と戦っているのか分からん混沌じゃった」


 そう呟くホーホの背中が、ガットにはとても小さく見えた。


「ホーホ、おまえ……」


 ガットがそう言いかけると、くるんと振り向いたホーホがニカッっと笑顔を見せた。


「われの話は三百年前の話じゃ。色々と分からぬこともある。だがしかし!」


「われらが歩むべき道を歩むとき、答えは自ずと見えてくる!」


そう言って胸を張って反り返るホーホを見ながら、ガットたちは静かに頷くのだった。


「いや、うまくまとめようとすんなよホーホ様! 結局おれのお守りはなんなんだよ!?」


 そう言ってテルアが食い下がるが、ホーホが手にしていた青銅器をテルアに渡して笑顔を見せる。


「な、なんだよ、ホーホ様?」


「これはおぬしに返す。おぬしのものじゃ」


 テルアの表情が一気に険しくなる。


「まってくれ、気持ち悪りぃ! ほんとにコレなんなんだよ!」


「おまえの父の形見だろう?」


 フォルティスが呟く。


「いやだから! おまえがその話おかしいって指摘したんじゃねーか!」


 テルアが頭を抱える。


「ホントになんなんだよ!?」


――よくわからない。事情はわからないけれど本当に面白いな。


――この連中が好きだ。こいつらと一緒にずっと旅がしていたいよ。


 ギャーギャー騒ぐテルアやホーホを見つめながらガットは思った。


「いつかの俺と思しき俺よ。引き継ぐよ、その想いを。まるで覚えてないけれど」


 そう呟いて、ホーホの話の中で活躍していた魔獣のミョルニルよろしくグングニルを振り回してみるのだった。

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