第24話 ホーホ・アリスタルコル

 三百余年前、魔法国家ランゲルデ王国の第十三代国王ラッテンペルゲの厳命により国家認定の大魔法使いホーホ・アリスタルコス(Hooch Aristarchus)は魔法使いの一団を率いて各地の獣人やエルフなどの亜人族の里や村を強襲している、ふうを装って強力な認識阻害を誘発する強大な結界で亜人族や獣人族といった人外の村や里を覆い、自らの庇護ひご下に置き続ける活動をしていた。


「ホーホ様、これで二十八ヶ所目の結界になります。」


 結界から少し離れた場所に設営したキャンプで従者の青年ポラックが言う。

 漆黒の軍服を纏ったホーホが、みっちりと数値が書き込まれた地図を見つめながら頷く。


「これまでに、大結界で我々の庇護ひごのもとに置かれた人外の数はざっと十万を超えます」


「各地の結界の規模は、彼らが継続した生命活動を維持できる規模を確保できているか?」


 ホーホの質問に、輜重しちょう兵として遠征に参加していたケーリョが答える。


「結界の規模は、内包する範囲に存在する人口やその他の家畜、田畑があればその引水量も含めた生存必要物資の生産量が維持できるの環境を包括する規模を目標に展開するように指示しております」


「最低レベルか……」


「はい。ですが、この戦時下においてこの規模の認識阻害を伴う大結界をこれだけの数を構築出来ていることは奇跡ですよ」


「しかし、王に探知される前にと早足で構築しているために結界強度の調整代を殺して最大効果域いっぱいに振っていることで、大抵の者は結界内外の往来が出来ないことが難点です」


 手元の資料を確認しながらポラックが言う。


「ですから、なおのことケーリョ様が仰るような結界構築範囲の特定はかなり重要になります」


「そうか。たしかに、この状況では仕方ないか」


 ホーホが小さく嘆息して、質問を変える。


「王の刺客はどうだ?」


「はい、ホーホ様。この野営所のまわりだけでもざっと二十は下りません」


 ポラックが答える。


「魔法装甲兵団長アーマー・リスペクトの防御結界でなんとか凌いでいる状況ですが、正直旅団程度の兵力でも送り込まれたら終わりです」


「そうか。難儀だな」


 ホーホが空を仰ぐ。


「しかし、なぜ王は我々を生かしているのでしょうか?」


「こうして人外の者たちを殺めるどころか彼らを結界で覆い隠しているというのに」


 ありがたいことですが、と不思議そうにポラックが言う。


「それは、王が各地の人外の住む里や村の詳細を我々に調査、特定させるためだろう。その気になれば結界も簡単に破ることが出来ると思っているんだよ」


「では刺客を放つのは?」


 ケーリョが尋ねる。


「諸侯や臣下に対するパフォーマンスだろう。まぁ、刺客を兼ねて我々を監視している者もいるだろうが、いずれにしてもしばらくは本腰を入れて我々を殺しにかかることはないだろう」


 そう言って、ホーホは先ほど構築した結界を見つめながら決意に満ちた声で言う。


「この命尽きるまで、我々は結界を張り続ける。救世主が出現するその日まで、彼らを守護する鉄壁の結界を」


「はい」


 ホーホの言葉にポラックとケーリョが頷く。


 そうして彼らは大陸の各地に強固な結界を構築し続けた。


 そんなある日のこと、辺境の大きな川沿いを歩いていると、急にケーリョが立ち止まった。


「ホーホ様、あれはなんでしょう?」


 ケーリョが、対岸の小さな岩壁に張り付くように建てられた建造物を見つけてホーホに尋ねる。


 ケーリョが指さす方向を見つめると、確かに何かが建っている。


「ここからではよく見えんな」


 ポラックも対岸の建造物を確認して地図を広げる。


「ホーホ様、ランゲルデ王国が発行する最新の地図にも、この辺りには村や里はおろか遺跡の記述もございません」


 ホーホの魔法探知にも感応しない。


「まずは行ってみよう」


 そうして、その建造物に近づいたところで改めて見てみると、それは異様な禍々しさを放つ外観をしていた。


「な、なんでしょうね? 門? でしょうか?」


 そのおどろおどろしい雰囲気に圧倒されたケーリョが恐る恐る言う。


「この威圧感、何かのポータルでしょうか?」


 ポラックも訝怪けげんそうにしている。


 確かに川の対岸からでも伝わってくる凄まじい威容に起因するであろう威圧感があった。


 だがそれはその存在を認識出来た場合に感じる感覚であって、幾重にも認識阻害でもかけられているかのようなその存在を隠遁いんとんしようとする力も感じる不思議な建造物が目の前に建っていた。


「この川が、ゲートキーパーになっているようだ」


 目を閉じて川と門と思しき建造物に向かって手を伸ばしていたホーホが目を開いて言う。


「この川は、


「え?」


 ホーホの思いがけない言葉に、ケーリョが素っ頓狂な声をあげる。


「この川を境にこちらと向こう岸とで時空階層が変化している」


「ど、どういうことですか!?」


 ポラックも声をあげる。


「恐らく何かの結界があるのだろう。川の向こう側に見えるあの門。あれはほんの三十ガル(約三十メートル)程度の距離に見えるかもしれんが、実際には恐らく三千キロガル(約三千キロメートル)以上の彼方にあるものだ」


「えぇ!三千キロガル!?」


 ケーリョが再び声をあげる。


「だ、だって、すぐそこにあるじゃないですか!?」


 ケーリョがあっけにとられた顔をして目の前の門を見つめる。


「ですが、ホーホ様。この川は何の変哲もないただの川にしか見えないのですが……」


 後方でやり取りを聞いていた、魔法装甲兵団長のアーマー・リスペクトも思わず声を出した。


「さ、魚も泳いでますよ!」


 ケーリョが指を指した先には、確かに魚と思しきシルエットが水中で動いていた。


「いや、これは確かに川なんだ。だがこちらと向こう側にあるはずの空間が何らかの方法でされている」


 そう言って、ホーホが足元の石を拾い上げて何かを詠唱する。

 そして、川の向こう側に向かってその石を投げると、石は円弧を描いて川の中ほどまで飛んだように見えた瞬間、ポンと消えてしまった。


 皆、唖然としてそれを見ている。


「あ、あのホーホ様、石はどこに……」


「わからん」


 ホーホが即答した。


「チューニングすれば五千キロガル(約五千キロメートル)先の針の先ほどの魔法結晶でも探知できる、私の自慢の魔力探知スカイ・ターゲットマーカーを最大出力の状態でマーキングした石を投げた」


「だが、探知できん」


「え、ということは……」


「少なくとも、今投げた石は一瞬で少なくとも五千キロガル(約五千キロメートル)以上の彼方へ飛ばされたということだ」


 そう言いながらホーホは考えていた。


――恐らくこれは遥か東方の地に伝わるという境界魔法「サンズノカワ」の類なのかも知れないが、これほどのものは聞いたことがない。この原理を理解、習得出来れば、それを利用してより強固な大結界が構築できるかもしれない。


「ケーリョよ、先ほど構築した結界からどのくらいの距離だ?」


「あ、はい。二十八ヶ所目の結界からおよそ二百五十キロガル(約二百五十キロメートル)ほどになります。」


「よし、少しの間ここで幕営をしよう。あいにく、この川の水も使えるしな」


「は、はい。わかりました、ホーホ様」


 そして、ホーホたちは川の傍で幕営を始めた。


 それから何日もホーホたちは境界の調査と渡河を試みたが、その境界の原理はおろか発生源の特定にも困難を極め、渡河を試みればあっという間に対岸に行き着いてしまう。


 しかし、その行き着いた先には門がない。そして振り返ればホーホー達が見える。


「石や木枝などは境界の効果を受けているのに、なぜ我々はまったく境界に触れることすら出来ないのでしょうか?」


 ケーリョが不思議そうに境界に手を伸ばす。

 その伸ばした手がそのまま境界の向こう側に突き抜け、体もそのまま境界に入ってしまう。


「不思議だ。本当にどうなっているんだ?」


 首まで境界に突っ込んでいたケーリョが首をこちらに戻して頭をかしげる。


「今、ケーリョが見た対岸もこちらと地続きの土地ではないのだろう」


 ホーホが古い本を開いて言う。


「では、このまま境界を越えて向こう側に行ってみますか?」


 ポラックが尋ねる。


「あの門、境界が見せているまやかしではない。おそらく、何かの方法であの門に辿り着くことが出来るはずだ」


 本から目を離さずにホーホが答える。


「今一度、境界の向こう側にマーキングした石を投げてみたがやはり探知できん。つまり、いまケーリョの首と体は五千キロガル(約五千キロメートル)以上、あるいはこことは時空間を隔てる他の世界に分かれていたということだ。」


「えぇ……」


 それを聞いて青い顔をしたケーリョが自分の首を撫でた。


「それでは、ここは諦めて進みますか?」


 アーマー・リスペクトが尋ねる。


「いや」


 顔を上げたホーホが、アーマー・リスペクトを見上げて言う。


「この境界は摩訶不思議でかつ強靭だ。私は、この境界の原理を知りたいのだ」



 それから調査を進めるも何の成果も無いままに数日が過ぎたある日の夜、テントの中で古代書に目を通していたホーホが気晴らしに外に出た。


 頭上には満天の星空が広がり、小川のせせらぎに周辺のくさむらから無数の鈴の音も聞こえている。


「ふう」


 そう小さく嘆息してくさむらに寝転がって空を仰いだ。


 心地よい風が頬を撫で、小さな雲が月の光を帯びて星の海を流れていく。


――こんなに美しい世界に生かされているというのにどうして人々は争いや殺戮を続けるのだ。融和と相互理解、それによって生まれる安寧あんねいを得ようとしないのだ。


「本当に、本当にままならぬことよ」


 そう呟いてもう一度小さく嘆息したのち、ふっと視界の片隅で何かが動いた気がした。


「ん? なんだ?」


 ホーホが目を凝らしてよく見ると、人間のてのひらくらいの小人が川に向かって何人も並んで歩いているのが見えた。だが、彼らからは生きているものの気配が感じられない。


「気配が感じられない。それに、魔力もマナも。なんだ?」


 ホーホがじっと彼らを見ていると、彼らはどうやら川に入れないようで川辺でもさもさと話をするような仕草をしたのちに再び森へと帰っていくのが見えた。


 その哀愁漂う彼らの後ろ姿をホーホはじっと見つめていた。


 翌日の夜も彼らは現れた。

 今度は小人だけでなく様々な姿をした魑魅魍魎ちみもうりょうも一緒だ。


 ホーホは何も説明せず、彼らがたむろしている川辺を指さしてケーリョやポラックに何か見えるか聞いてみたが何も見えないという。アーマー・リスペクトも索敵能力はホーホに肉薄する精度を誇る大能力者だが何も感じないという。


「私だけが見えているのか」


 それからホーホは日中は書籍を漁り、夜になると注意深く彼らを観察し続けた。

彼らは日に日にその数も種族も増えていく。どうやら川を渡りたいらしい。しかし、何か条件が満たされずに渡ることが出来ないようだ。


「川の向こうに何があるのだ? そして、なぜ川を渡りたがっている?」


 幾夜を経ても理由が分からない。


「ホーホ様、そろそろ次の場所へ向かいませんと……」


 さすがにケーリョやポラックも声を掛けてきた。


「ふむ。確かにそうだな。それでは、あと二日だけ時間をくれ」


「は。分かりました。それでは二日後に移動を再開できるよう準備を致します」


「すまない。よろしく頼む」


 確かに、ここで何日も過ごして貴重な時間を浪費するわけにはいかない。


――しかし、あれらは何なのだ。私の知識、ここにある文献ではまったく説明が出来ない。そして、なぜこの川を渡ろうとする?


――やはり、直接聞いてみよう。


 遂に意を決して、ホーホは彼らに接触することにした。


 そしてその日の夜。

 ホーホは彼らが現れるのを見計らい、遂に彼らに接触を試みることにした。


「エクィドズル! (こんばんは!)」


 試しに古代の魔法語で話しかけてみる。


 見たことがない生き物? たちだ。きっと古い種族に違いない。


 皆、一斉にホーホを見て仰天する。


――そうか、私のことは見えるのだな。


 などと感心していると、彼らが後ずさりしているのが見えた。


「ドブライ、ローズィ。(聞きたいことがあるんだ)」


「ワー、ホーホ。アータム、ロ、マドゥク(私はホーホ。魔法使いだ)」


 しかし、言葉が通じていないのか彼らの表情はおびえ切っていた。


「まいったな。どうしよう。怖がらせる気はないんだ」


 ホーホがあたふたしながら呟くと、小さく丸まった彼らのなかにいた小さな黒いまん丸がひょこひょことかたまりから抜け出てきてホーホに歩み出てきた。


「あ、あんた、俺たちが見えるのか?」


「え? ああ、そうだよ。君たちを何日も前からずっと見てる」


――そうか、言葉が通じるのか!


 などと感心していると、その黒いまん丸が矢継ぎ早に質問してきた。


「あんたは何者だ? 見たところ魔法使いのようだが、俺たちを『消散しょうさん』させにきたのか?」


「ショウサン?」


 聞きなれない言葉にホーホが思わず聞き返す。


 そのとき、魑魅魍魎ちみもうりょうの団子の中からひときわ大きな声がした。


「あの旗印を見ろ!」


「あ! あれはランゲルデ王国の国章じゃないか!」


 その言葉を聞いた魑魅魍魎ちみもうりょうたちがにわかに騒ぎ出し、瞬く間にパニックとなった。


「ま、また殺される! 消されてしまう!」


 彼らは蜘蛛の子を散らすように森の中へと消えてしまった。


「ち、ちがうんだ! 私は君たちがなぜあの川を渡りたいか知りたいだけなんだ!」


 ホーホが声を枯らして叫ぶが、すでにそこはもぬけの殻となっていた。


「いったい、なんなんだ……?」


 ホーホは立ちすくんで彼らが消えていった森を見つめて立ち尽くしていた。


 そして当地逗留とうりゅうの最終日、ホーホは黙って川を見つめていた。

 そこにケーリョがやってくる。


「ホーホ様、紅茶でもいかがですか?」


「うむ、頂くよ。ありがとう」


 ホーホが紅茶の入ったカップを手にして小さくため息をつく。


「ホーホ様でも分からないのですか」


 そういってケーリョも川の向こうを見つめる。


 ホーホは昨晩の出来事をケーリョに話した。


「彼らはなぜこの川に集まるのだろう。そして、なぜランゲルデ王国の国章にあれほど怯えているのだろう。そもそも、彼らが何者なのかも分からない」


――結局、何も分からずにこの地を離れることになりそうだ。彼らの力になることも叶わずに。


「何も分からない。世界を変えることもできない。本当に何のための大魔法使いなのか」


 そう呟いてホーホが深い溜息をつく。


 黙ってそれを聞いていたケーリョが、口を開いた。


「私は下民あがりの人間です。本来、下民は生まれた土地から出ることも出来ずに一生を親と同じか、あるいはそれ以下の仕事に費やして生涯を終える者が大半です」


「ん?」


 ホーホが顔を上げてケーリョを見る。ケーリョは少し頷いて話を続けた。


「私の親も農奴として馬小屋の管理を行っていました。私もあの馬小屋で生涯を終えるはずだった」


「ですが、ある日ホーホ様が私を見出し、召し抱えて下さった。そして、こうして世界を知ることが出来たのです。その世界を見て私は圧倒された。大きさに、その美しさに」


「そうした体験や感動をホーホ様が私に与えて下さったのです」


 ホーホが首をかしげる。


「なにを急に……」


 ケーリョが姿勢を正してホーホの前に跪く。


「大魔法使いホーホ様。ホーホ様ほどのお方を前にこのような話をお許し下さい」


 急に態度を改めたケーリョの態度にホーホがいぶかしがる。


「下民の間では霊魂、いわゆる『ゴースト』なる伝承への強い関心があります」


「う、うむ。それは私も知っているよ」


「そんな不思議な経験を夜な夜な皆で語り合い、楽しむ風潮がありました」


「その中に、遥か遠くの異国では、死者が川を渡りあの世と呼ばれる世界に向かうという伝承の話があって、その川を渡るためにはロクモンセンと呼ばれる冥銭めいせんが必要なのだそうです。それで、棺桶に紙で作った銭を添えてやる風習があるのだと聞きました」


「ロクモンセン? そんな話は聞いたことがない」


 ホーホが驚いているとケーリョが微笑んだ。


「なにせ下民の噂話の伝聞です。でも、私は子供心にこうした話を聞くのが大好きでした」


「つまり、彼らはすでに死んでしまったものたちの魂魄で、でそのロクモンセンに相当する何かがないから川を渡れない?」


そうホーホが尋ねると、ケーリョが答えた。


「おそらく。推測の域を出ませんが、ホーホ様が邂逅かいこうされた者たちは恐らく国王ラッテンペルゲ様によって蹂躙された者たちの魂魄なのではないでしょうか」


「……ふむ」


 それを聞いたホーホは何度か頷いた。


「たしかに、あの異様な雰囲気やマナを感じることが出来ない生気の無さ、ランゲルデ王国の国章に対する異様な畏怖いふに私も似たようなことを考えていた。あれらはラッテンペルゲによって蹂躙された者たちなのではないかと」


「しかし、なぜこの川を渡る? なぜ魂魄がこの川を渡るのにロクモンセン? が要る?」


「そして、そのロクモンセンとはなんなのだ?」


 うーんと腕を組んでケーリョと二人考え込むが……答えは見つからない。


「あと数刻で日が暮れる。そうしたら最後の夜だ」


 ふっとホーホが顔を上げて呟いた。


「……そうですね。」


 その夜。

 ホーホはふっと思い出した。


「そういえば、以前積石塚つみいしづかを作って死者を弔う文化を持つ村があったな。それをやってみるか」


 さっそくホーホは落ちていた石を使って川辺に小さな積石塚つみいしづかを築いた。

 そして、ランゲルデ王国の通貨であるペーロを添え、その紙幣に火をつける。


 紙幣から立ち上る小さな炎と煙は微かな芳香を漂わせながら、ゆっくりと川面を流れてゆく。


「渡し守よ、これで彼らを渡河させてはくれないだろうか!」


 ホーホがそう言って立ち上がろうとしたとき、その後方に気配を感じて振り向くと茂みの隙間から昨晩の魑魅魍魎ちみもうりょうがこちらの様子を伺っているのが見えた。


 と、突如対岸から白い霧が立ち込めて辺りが真っ白になる。


 そして遠くの方からドーンという大きな扉の開くような音がした少しのち、ギーィ、ギーィと何かが軋む音が遠くから聞こえだす。


 ホーホが音のする方をじっと凝視していると、そこに鬼の形相をした老人が小舟に乗ってこちらに向かってくる姿が見えた。


「……カロンか!?」


 その老人の圧倒的な威圧感に、ホーホは思わず『地獄の渡し守』の名を口にした。


 老人は無言で無表情のまま、こちら側に小舟を着岸させる。

 と、魑魅魍魎ちみもうりょうたちが小走りでその小舟に乗り込み始めた。


 皆、ホーホに向かって思い思いの方法で謝意を示しながら。


 その光景をじっと見つめながら、はっとしてホーホが叫ぶ。


「わ、私もその船に乗せて頂けないか!?」


 それを聞いた老人は、ホーホをじっと見つめたあと小舟をゆっくりと離岸させ始める。ホーホは思わずその小舟に飛び乗った。


 老人はそんなホーホを気にも留めずにふたたび小舟を漕ぎ始める。

 小舟に乗った魑魅魍魎ちみもうりょうたちは高揚した様子でワイワイと騒いでいる。そして、口々にホーホへの感謝を述べた。


「わ、我々は国王ラッテンペルゲに全てを奪われ蹂躙じゅうりんされたために、この『渡し船』に乗るための準備が出来ませんでした。ですがあなた様のおかげでこうして船に乗ることが出来ました。本当にありがとうございます」


 自分がいた紙幣の微かな香りを感じながら、困惑したホーホが尋ねる。


「一体この船はなんなのだ? どこに向かっているのだ?」


「そ、それは、わ、我々の根源でございます」


 あの黒いまんまるが嬉しそうに答える。


「わ、我々はやっとかえることができます」


かえる?」


「は、はい! 我々は我々の生まれ出でたところに戻ることが出来るのです」


 そう言って皆が指さす先に、あの川向こうにあった岸壁の建造物が眼前に迫っていた。

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