第23話 それぞれの決意

 リーチがリーチの名を冠した魔物の街、ライズ・リーチより出立の頃より、時はさかのぼって五年ほど前の話。


 ガットたち一行は、偏倚へんい魔法に侵された亜人の里を立とうとしていた。


「このまま、偏倚へんい魔法に侵されたこの村にこの子らを置いていくわけにもいかないじゃろ」


 ホーホはそういって亜人の子の頭を撫でた。


「いや、わたしはお母さんたちと別れたくない」


 亜人の子は泣いてそう答える。


「気持ちは分かる。だけど、ここに居ても君だけじゃ生きていけないし、いつまた襲撃者に襲われるかも知れない」


「それより私たちと一緒に行動して、あなたのお母さんたちを元に戻す方法を探しましょう」


 フォルティスやフロースはそう言って亜人の子をさとすが、彼女はかたくなにここに残るという。


「仕方ない」


 そう言って小さくため息をつくと、ホーホは幌馬車の床下にこしらえた部屋に戻っていく。


 しばらくして、手に赤い石を持って戻ってきた。

 大きなルビーにも見える、人の目玉大の深紅の輝きを放つ美しい宝石だった。


「これを身に着けておれ」


 ホーホはその宝石を亜人の子に渡した。

 亜人の子は目を丸くしてその宝石を見つめている。


「……きれい。ホーホ様、とってもきれい!」


「それは、以前ゴグマゴグにも渡した魔法石『アデラントーレ』に魔力ブスーターをカスタムしたじゃ。何かあったときはそれで分かる」


「肌身離さずに持って……」


「あ、あの!」


 そう言いかけたところで、亜人の子が口をはさむ。


「あの、ホーホ様! この宝石を私の目の玉と入れ替えて頂けませんか?」


「なんじゃと?」


「もし、私が村に残っているときにまたお母さんたちに魔法をかけた魔法使いが現れて、私がその魔法使いを見ることが出来たなら、きっとんじゃないかなって」


「そ、それじゃ、あなたがおとりになるのと一緒じゃない!」


 彼女の思わぬ提案に、フロースが声を上げる。


「ダメだ、危険すぎる!」


 フォルティスも思いとどまるようにと声を掛ける。


 しかし、その子の意志は固かった。


「正直、怖いです。でも、この村を襲ったということはその魔法使いはこの村に現れたってことです。それならここで待っている方が、また会える可能性が高いじゃないですか」


 それに、と赤黒い肉塊を見つめて言う。


「また私がここを離れたら、お母さんたちがかわいそうです。ここでなんとか生活しながらホーホ様たちからの連絡を待ちます」


「で、でも……」


 フロースは涙を浮かべる。


「あ、兄貴も何か言ってやれよ」


 テルアもガットに声をかける。


 ガットはずっと黙ってそのやり取りを見つめていた。


――確かに、この村のこれからを監視するという意味ではあの子の提案は効率がいい。だがそれはフロースの言う通り、敵の正体をあぶり出すためのおとりそのものだ。


――しかし、もし強引にこの村から連れ出したのちにあの母親や村人だという塊に何かあればあの子は村を離れたことを永劫後悔するだろう。しかも彼女の残留の意志は固い。


 ガットは、亜人の子の近くに歩み寄ると優しく頭を撫でた。


「きみは本当に優しくて勇気があるな。この村のことはよろしく頼んだよ」


「ま、まさか、見捨てるのですか!?」


 フロースが声を上げる。


 ガットは優しく微笑んで言った。


「ちがうよ。彼女にこの村を託したのさ」


 そして力強く亜人の子に言った。


「この村や君たちに何かあれば、ホーホの魔法ですぐに分かる。その時は必ず君たちを助けに俺たちはここに戻る」


「どこにいても必ずだ」


 亜人の子は深く頷いた。


「それじゃ、ホーホ様おねがい」


 そのやり取りを見ていたホーホは頭を横に振る。


「まったく、どいつもこいつもいい根性をしておるわい」


 ホーホは首を横に振る。そして、「少し痛いぞ」そう言ってホーホは何かを呟きながら亜人の子の顔に魔法石をあてがう。


 やがてホーホのてのひらからぽうっと光の球が現れ、その球が宝石と共に亜人の子の左目に吸い込まれた。


「魔法石アデラントーレによる千隣眼せんりんがんじゃ。これで、おぬしの目を通してわれにも同じものが見えるようになったわい」


「ありがとう、ホーホ様」


 左目を抑えながら亜人の子が礼を述べる。


「ただし、常に魔力同期させているわけにもいかんから、必要な時だけ繋がるように調整してある。。そうすれば接続してやる」


「わかりました」


 亜人の子は頭を下げた。


「しかし、そうと決まれば少し準備が必要じゃな。もう一泊していくか」


 ホーホがそう言うとフロースも頷いた。


「そうですね、ホーホ様。この子としばらくお別れにもなります。今夜はご馳走を作りましょう」


 ホーホが亜人の子らを見つめながら呟いた。


「それから、今一度彼らの名も聞いておかんといかんしな」


 その日一日かけてガットとフォルティスは村や村の周辺の調査を行い、フロースやテルアは馬車に積んでいた材料でなるべく上等なものを選んで料理することにした。


 ガットとフォルティスは村を一周して侵入者の痕跡を確認したが、それらしきものを見つけることは出来なかった。


「これだけの魔法を村全体にかけているんだ。侵入者は一人二人ではないはずなのに、侵入した痕跡が全くない」


 フォルティスがいぶかしがる。


「足跡だけでなく、魔法を使った痕跡とかも見つからないのか?」


 ガットがフォルティスに尋ねる。


「全くない。なんなのだ、これは……」


「そういえば、さっきから気になっていたんだが……」


「なんだ?」


 ガットの声に、フォルティスが振り返る。


「この森、生き物の気配が全くしない」


「なんだ、ようやく気が付いたのか。そうだ、鳥や獣はおろか魔物が全くいないどころか木々や草木からもマナを感じないんだ」


「恐らく、あの偏倚へんい魔法とやらが影響しているのだろう。獣や魔物たちも偏倚へんい魔法を忌避きひしてこの地を離れているのか、それともあの赤黒い塊に村人たちと一緒に練り込まれているのか分からないが、本当に不気味だ」


「あ、ああ。そうだな」


 グングニルを握りしめて、ガットは生唾なまつばを飲んだ。


 ひととおり村と村の周囲の森を見て回ったガットとフォルティスは、ふたたび幌馬車のところに戻ってきた。


 幌馬車の周りでは様々な料理が並び始めている。


「さぁ、今日は沢山食べて飲みましょう。あの子の門出の日なのですから」


 フロースがそう言って木のお椀に果実酒を注ぐ。


 すでにホーホは出来上がっていて、変な踊りを踊っている。

 その脇では亜人の子供たちがそんなホーホを見て大笑いしていた。


「ま、魔法体でも酔えるんだな」


 ガットがそう呟くとホーホが言った。


「生前から酒は大好きじゃ。皮と骨だけになった今も大好きじゃ!」


「さぁさぁ、ガット様も」


 そう言ってフロースが果実酒の入ったお椀をガットに渡す。


「あ、あぁ。ありがとう」


 そういえば久しぶりだな、酒なんて。


 そう思いながら果実酒を口にする。


「うっ! うまい!」


「ふふっ、そうでしょう? ホルホイ村の方々に頂いた虎の子の果実酒なんですよ」


 そう言ってフロースが笑う。


 目の前に並べられた色とりどりの料理を見つめながら、ガットは少し楽しかった。


 聞いたこともないような魔法で亜人の村が壊滅させられている。こんな状況下であるにも関わらず、不謹慎にも今この時を楽しいと感じている。


「相変わらずダメだな、俺は」


 そう呟いて、ふと視線を感じて顔を上げると、目の前にあの村に残る決心をした亜人の子がいた。


「あ、あの、槍の勇者様。今日は私の気持ちを汲んで下さってありがとう」


「あぁ、君は……たしかラマーか」


「わ、私、本当は怖くて仕方ないんです。お母さんも村の人たちもあんな姿になっちゃって、そういうことをした誰かが居て。そんなところにひとりで残るのが本当はすごく怖い」


 震えながら、彼女は話を続ける。


「も、もしかしたらもう二度とお母さんたちは元に戻らないかもしれない。私も殺されるかも知れない。村に戻ってからずっとそんなことばかり考えているんです」


「で、でもホーホ様やフロース様、テルア様たちから旅の道中ずっと聞いてきたんです。あなたが伝説の槍に選ばれた方なんだって」


「だから、私はあなたを、あなたたちがきっとお母さんや村のみんなを助けてくれるって信じています」


「そんな大層なもんじゃない、おれは……」


 そう言おうと思ったが、ガットは口を閉じた。


――今、この子に掛けるべき言葉はそんなことじゃない。


――俺がそう感じていなくても、彼女は俺を、俺たちを信じてくれている。


なにより、彼女はたったひとりで、己の命を賭けて母親や村人を救おうと決意したんだ――


 ガットは笑って彼女の頭を撫でる。


「大丈夫。悪い魔法使いなんざ俺たちがぶっ飛ばして、みんなにかけられた魔法を解いてやるさ」


 ガットのとなりで、フォルティスもテルアも頷いている。


「だから安心していい。俺たちは必ずやり遂げる」


 傍らで聞いていたホーホやフロースも黙って頷いている。


「さぁさぁ、今日はたらふく飲んで沢山食べよう!」


 テルアがそう言って果実酒を注いで回る。


「おぬしの家族や村人たちは、われらが必ず救って見せるよ」


 ホーホもそう言って亜人の子を抱きしめる。


「ふふっ、ホーホ様の魔法体ってなんだかふにゃふにゃしているんですね」


 ホーホに抱きしめられた彼女はそう言って笑った。


「ホ、ホーホ様!」


 宴もたけなわという時、亜人の子供たちが数名、ホーホのもとにやってきた。


「あの子と一緒に、僕たちもこの村に残らせて下さい」


 思わぬ申し出に、フロースやテルアが驚いている。


「え!? ここに残るって……みんなで!?」


「はい」


 亜人の子供たちの表情は皆、決意に満ちていた。


「……なんとなく、そう言うと思っておったよ」


 ホーホは、やれやれといった顔をしてそう言った。


 年長の亜人の子、グリエが一歩前に出て言う。


「僕たちは亜人の里からホルホイ村に連れていかれました。ですが、本当はさらわれたのではなく……売られたのです。それは本当に悔しいと思っています」


「でも、僕らが亜人の村から連れていかれるとき、母さんや父さんは泣いていた。ここは本当に貧しい里でしたから、兄弟たちのことも含めて生きていくためには仕方のないことだったんだと今は思っています」


「正直、沢山のことを諦めていました。いや、期待すらなかったのだから諦めることすら必要としない人生でした」


「でも」


 そう言って、下を向きながら話していたグリエがキッと視線を上げる。


「誰も敵うはずのない、無敵だって思っていたキシ様を槍の勇者様たちがあっという間に倒した姿を見たときに本当に驚いたし、経験したことのない、言いようのない感情が湧いてきたんです」


「こんな凄い人たちと一緒にいられたら、いつかきっと誰かの役に立てるかも知れない、こんな僕たちでもそんな希望を持てるんだって、本当に心からそう思えたんです」


「だから、どうかあの子と一緒にこの村に残らせて下さい!」


「で、でも、そんな……」


 フロースが目に涙をためて口を押える。


 だが、一番背の低い亜人の子、ペーターが頭を下げる。


「必ず、かならずホーホ様たちのお役に立ってみせます!」


 その一言に亜人の子らがみな一斉に頭を下げた。


「うーん、まいったな」


 さすがのホーホも即断しかねた。


――たしかに、これだけの亜人の子が居れば、あの偏倚へんい魔法をかけた術者も村の変化に気づくかも知れない。そうすれば会敵の機会も増そう。しかし、それでは亜人の子らは都合のよいおとりそのものではないか。


――そもそも、偏倚へんい魔法などを操る得体のしれない術者と会敵して勝てるのか?


 ホーホが腕を組んで悩んでいると、ホルホイ村から同行していたスペクとテイターが一緒にホーホの前に立って言う。


「お、おいらたちも一緒に残るよ、ホーホ様」


 その声に、目をつぶって考え込んでいたホーホが片眼を開けて彼らを見る。


「立派だ。みんな立派だ。お、おいらたちも責任をもってこの子らを守るよ」


「な、なあ兄貴?」


 弟テイターの声に、兄スペクも深く頷く。


「んだ。ガ、ガット様みたいにこの子ら守ってやる」


 そう言いながら棍棒を振り回している。


 そんなやり取りを傍らでじっと見ていたテルアが、自分の首から青銅のタリスマンを外して年長の亜人の子の首にかけた。


「おねいちゃん、これはなに?」


 首にかけられた踊る土偶のような変な造詣ぞうけいの青銅器を手に取り、不思議そうに尋ねる。


「むかし、おれが母ちゃんにもらったオヤジの形見みたいなもんで、まぁ、お守りだ。たしか、ルリスタン? って言ったかな。」


「え? そんな大切なもの、いいの?」


 首から外してテルアに返そうとするが、それをテルアが手で止める。


「いいんだ、いいんだ。今のおれには兄貴たちがいるからな」


「もう、お守りなんていらねぇんだ」


 そう言って、亜人の子の頭をなでる。


「お前たちは本当に勇気があるよ。おれは感動した。立派だな」


 そして、ガットやフォルティスの方を向いて言う。


「こいつらの思うようにしてやろうよ。んで、ヤバくなったら絶対に助けに来るんだ」


「当たり前だ」


 そう言って、ガットとフォルティスは頷いた。


 そして、テルアがホーホを見て声を掛けようとして……言葉に詰まる。


 これまで見たこともないような表情で、ホーホが亜人の子を凝視していた。

 正確には、亜人の子の首にぶら下がっている青銅器に目が釘付けになっている。


「お、おぬし、それをどこで……」


「え? だから父ちゃんにもらったんだよ。まぁ、もらったってより形見みたいなもんだけど」


「父親から?」


 おずおずと、ホーホが亜人の子の首にぶら下がる青銅器を手にする。


「これは……生前のわれがある者から預かったものと瓜二つじゃ」


 そう言ってホーホが肩掛けのずた袋をごそごそと探ると、確かに瓜二つの青銅器が出てきた。


「ただのそっくりさんなんじゃねーのか?」


 テルアが軽口をたたくとホーホが言った。


「いや、見てみい。全く同じものじゃ」


 そういうホーホの手にある2つの青銅器を皆で見つめてみると、確かに全く同じ形、同じ色に模様が付いている。


「へぇ、ホーホ様も持ってるなんて。有名どころの土産だったのかなぁ」


 テルアが感心したようにホーホの手にする青銅器を眺める。


「おぬし、これを父からもらったと言ったな。おぬしの父の名はなんという?」


「いや、だからわかんねーんだ。父ちゃんからもらったって言ったけど、本当は母ちゃんからそう聞いただけでおれは父ちゃんの顔も知らねーんだよ。覚えてないんだ」


 ホーホは2つの青銅器をじっと見ている。


 ガットもその青銅器を見つめていたが、とても懐かしい感覚を覚えていた。

 もちろん、初めて見るものだ。


 ふいにホーホがガットを見上げる。

 そして、その顔をガットの顔に近づけて小さく呟いた。


「……まさか、いや……」


「な、なんだよ?」


 ガットは動揺してホーホを押し戻す。


「まぁ、ここで立ち話は無用じゃ。ほれほれ、皆も息災でな。何かあったらすぐにわれを呼ぶんじゃぞ!」


 ホーホが立ち上がる。


「うん、わかった! ホーホ様ほんとうにありがとう! テルア様もお守りありがとう!」


 亜人の子らが声を上げる。


「スペクとテイター、おぬしらの申し出をありがたく頂戴するよ。この子らをしっかりと見守ってやってくれ」


 ホーホに声を掛けられて、スペクとテイター兄弟も頷いている。


「おまえらに何かあったらすぐにすっ飛んでくるからな!」


 ガットもフロースもテルアも目いっぱいに手を振った。


 村の入口で手を振る亜人の子らが見えなくなるまで手を振って、それから幌の中に戻った。


 亜人の子に渡したものと瓜二つのトリスタン青銅器を見つめながら、ホーホが小さく嘆息する。


「この日のために、か。」


――だが、まだ過程じゃないか。いや、始まりにも至らない物語の先端だ。


 スぺク・テイター兄弟に代わりフォルティスに操られた幌馬車は、ゴトゴトと道の凹凸を拾いながら、亜人の村から離れてゆく。


 その馬車の中でホーホはずっと神妙な表情をしていた。


「どうしたんだ、さっきから?」


 馬車床下の部屋に籠るホーホにガットが声を掛けると、彼女は少しだけ顔を上げた。


「ふむ」


 小さくそう呟いてひとり頷くと、棚から小瓶を取り出した。そこには乾燥した小さな葉と木の実が入っていた。


「少し待っておれ」


 そう言って、その小瓶から少々の葉と実を取り出してすりこぎで細かく砕き始めた。その傍らの小鍋からコトコトと心地よい音がして、湯が沸いていることを知らせている。


 気が付くと、ガットの後ろにはフォルティスやフロース、テルアも佇んでいた。

 馬車は停まっており、馬が草をんでいる。


 ホーホは黙って彼らを見つめたあと、その数と同じ湯呑に砕いた葉と実を一つまみずつ入れて湯を注ぎ皆の前に置く。


「少し長い話じゃ」


 そう言ってホーホが湯呑に口をつける。


「三百年前、われはランゲルデ王国の筆頭魔法使いとして国中の魔法使いの頂点に立つ身であると同時に国の方針を決定する立法審議会のメンバーでもあったのじゃ」


「き、聞いたことがあります。ホーホ様が国の最高代執行の権限を有したお方であったということは」


 フロースの言葉にホーホが小さく頷く。


「国の方針の決定権を有する立場にあった、という表現は概ね正しい。国王の決定を法令化し施行することはもちろん、自ら発案しそれを施行する権限も持っていた」


「無論、そうした法令の内容は当時の国王ラッテンペルゲの意向に則したものである必要はあったが、基本的には自由じゃった。まぁ、ラッテンペルゲによって集められた人材じゃからな。奴の意向に反した提案などしないどころか、むしろより強固で過激な内容を提案する者ばかりじゃった」


「ある日、国王からある提案がなされ、それについて法令化し速やかに施行せよと命が下りた。それは、ランゲルデ王国領内の人間以外の人々や亜人やエルフ、魔族、異形の魑魅魍魎ちみもうりょうに至るまでそのすべてをこの星から駆逐しようというとんでもない計画じゃった」


 それを聞いて皆が一斉にホーホを見る。


 ホーホは静かに茶を口にしたあと、話をつづけた。


「それが、世に伝わる最悪の法令Star of Single Species、いわゆる絶滅計画じゃな」


「もちろん、われは異を唱えた。国中のあらゆる学者や知識階級の者たちも反対した。そんなことをすれば世界のバランスが崩れて世界そのものが崩壊してしまうと。しかし、国王はそうした自らの意向に反する者たちを次々に殺害し始めたのじゃ」


「そして、古の技術を駆使して様々な兵器を開発した。魔王軍が使ってるオーホロウもそのうちのひとつじゃ。今は結界破りに使われているが、元々魔道具や魔法を使わない攻城戦における砲撃用の兵器に過ぎなかった投石器を、捕虜の魔力やマナを目一杯込めた魔法弾が連続射出できるように改良したものがあれじゃな」


「そうして王の独裁体制が整えば、あとはなし崩し的に命令を遂行する段階となり見渡す限り死体が広がる阿鼻叫喚の地獄が大陸を超え世界を覆っていったのじゃ」


 そこまで一気に語って、ホーホが茶に口をつける。


「伝承には見聞きしていたが、実際にその時代を生きたホーホ様から聞くと一段と凄まじいな」


 そこまで無言で聞いていたフォルティスが呟く。


「ラッテンペルゲってのは本当に人間なのか?」


 ガットは思わず口を挟む。


「なんだか、あまりに周到が過ぎるというか、徹底が過ぎるというか……」


「そこなんじゃ」


 ガットの質問を聞いて、ホーホが小さく首を縦に振る。


「われはラッテンペルゲが幼い頃からよく知っておった。正統な王位継承者の第一位として大切に育てられ、皆から愛されていた笑顔の絶えないそれはそれは聡明で闊達かったつな子じゃった。われは彼の背後に、彼が内に秘める大きな夢や希望を見た。それこそ、ランゲルデ王国のみならず混沌としたいさかいの絶えぬ世界を変える王になる。そう確信しておった」


「そ、そんな奴がどうして世界中で殺戮を繰り返すような大悪党になったんだ? しかも挙句の果てに大魔王になるだなんて?」


 テルアも身を乗り出す。


「奴が十五歳の成人を迎えたある日、敵対する国家の刺客が奴を暗殺しようとした。それを后妃こうひ、つまりラッテンペルゲの母親が己の命を顧みずに身をていしてかばったのじゃ」


「この襲撃によって后妃こうひは死んでしまい、奴も両目の視界を奪われる傷を負うことになった。奴が心から尊敬し慕っていた母を暗殺で亡くし、自らも視力を奪われた。このことが奴の心に深い傷を負わせたことは間違いない」


「そ、そんなことが……」


 フロースが呻くようにつぶやく。


 それまで下を向いて語っていたホーホが顔を上げた。


「奴の経験はたしかに凄絶じゃった。だが、乱世ではよくある話じゃ。それで国を、世界を滅ぼそうなどとは思うまい。じゃが、奴はそれを実行した。四十年以上をかけて周到に準備をして、それを実行したんじゃ」


「それで……その暗殺を命じた敵国はどうなったんだ?」


 再びガットが尋ねた。


 ホーホが横目でガットを見て言った。


「無論、絶滅計画の最初の犠牲者じゃな。国王以下王族とその親族は末裔に至るまで想像を絶する残酷な方法を経て虐殺されたと聞く。国民も老若男女、女子供の見境なく皆殺しの憂き目に合ったそうじゃが、不思議なことにその遺体がほとんど人目に付くことはなかったそうじゃ」


「それって……」


 ガットが言葉を発しようとして、テルアが口を挟む。


「ま、まさか偏倚へんい魔法か!?」


「そうじゃ」


 ホーホが器から茶を口に注ぎ入れながら答える。


「そうじゃ、とは言ったが確信に至る証拠は今もない。じゃが、間違いない。当時から、偏倚へんい魔法もしくはそれに類する魔法を操っていたものがいる」


 皆がごくりと唾を飲む。


「ラ、ラッテンペルゲじゃないのか?」


 再びガットが尋ねる。


「わからん。じゃが、奴があれを使えるという話は聞いたことがない。また、奴はわれを含む大勢の魔法使いや魔術師を従えていたが、偏倚へんい魔法の類を使える者などわれは思い当たる節がない」


「ま、まさか、その偏倚へんい魔法の使い手がラッテンペルゲの起こした世界の混沌を欲していたなどという話ではありませんか?」


 フォルティスも尋ねる。


偏倚へんい魔法は人々の苦痛や悲しみを糧とする魔法とホーホ様に教わりました。そうなのであれば、世界に闇の混沌をもたらせばその力は膨大なものとなるのではないですか?」


「フォルティスの言う通りじゃ」


 ホーホが空になった湯呑をことりと置いた。


「目的は分からない。術者も分からぬ。じゃが、三百年も前からそれを使って世界に混沌をもたらしてきた者がいる」


「当時は混沌の闇に囚われてまなこが濁り見る目が失われておったが、三百年の時を経た今なら分かる。奴が行ったことは到底許されるものではない。しかし、今のわれの目にはもはや『大魔王ラッテンペルゲ』すら犠牲者に見えておる」


「あのような聡明で可愛らしかったわらべが……」


 そういうホーホの瞳にかすかな涙が浮かんでいた。


「そ、そうだ! そういえば、テルアの持ってたお守りと同じもんを、なんでホーホが持ってるんだ!?」


 ホーホの涙を見て動揺したガットが思いついたように大声で尋ねる。


「そ、そうですよ、ホーホ様! お話聞かせて下さいな」


 フロースも便乗する。その横ではテルアとフォルティスが頷いている。


 そんな彼らをじっと見つめながら、ホーホは小さく嘆息したのちに再び話し始めた。


「これは三百年前のある日、われがラッテンペルゲを出し抜いて大結界を張ろうと決意したある出来事に由来するものなんじゃ」


「当時、薬の製造が特に優れている獣人の里があった。その獣人たちの作る薬は本当に優秀で非常に廉価で取引されていたために、特に貧しい人々にとっては無くてはならないものじゃった。われも非常に重宝していてよく世話になったもんじゃ」


「ある日、あの忌まわしいラッテンペルゲの軍団がその獣人の村に大挙してやってきた。そして、その様々な薬の調合、錬成方法を全て王に差し出せと言い出したのじゃ。その代わり、お前らの安全は保障するなどと吹聴してな」


「無論、そんなもの誰も信用などしていない。当時から、王が各地で人外やエルフを虐殺していると風の噂があったからの」


「それでも、彼らは王に伝えた。その里に伝わる知識、技術のすべてを伝えたんじゃ」


「え!?」


 ホーホの話を聞いていたその場いたもの皆が声をあげた。


「なんでそんなこと……」


 テルアが思わず声をあげる。


 ホーホが頷きながら話を続ける。


「世界の覇者たる現世王に里の秘儀を伝えれば、少しでも多くの民が救われるのではないか。王も少しは自分たちのような獣人やその他の人外たちに対する見方を変えてくれるのではないか。彼らはそうした一分の望みに賭けたんじゃな」


「じゃが、その結果は里の者皆殺しじゃった。伝授された秘儀を他に漏らさぬようにな。そして、その薬を作る技術や知識は徹底的に隠蔽されて、製造はおろか王の認める者以外一切その使用を認めぬようになった」


「結果、薬は一切民の手には渡らなくなった。その影響を最も大きく受けたのは妊婦と幼子じゃ。そして数万とも数十万とも言われる助かるはずの命が無下に失われることになったのじゃ」


「ひどい……」


 あまりに凄惨な内容にフロースも声をあげる。


「われはあの焼き払われた彼らの村を見て決めたんじゃ。このままでは王は世界を焼き尽くしかねんと。それで各地の人外の住む里や村に結界を張り始めたのじゃ」


「それからわれは王の命令に従うふうを装って世界中を巡り、様々な場所で結界を構築した。もちろん王がそんなわれの行動を見逃すはずがない。日が経つにつれて段々とわれの周辺はきな臭くなってきた。まぁ、刺客が常に周囲にいるような、毎時命を狙われるような、そんな感じじゃな」


「当時、われは王付きの大魔法使いじゃったからな。自分で言うのもなんじゃが魔法国家ランゲルデ王国でも有名じゃったんじゃよ。じゃから、王は人目につかぬ辺境でわれを始末したかったのじゃろ」


 ホーホは手にした青銅器を撫でながら懐かしそうに話を続ける。


「そんな中で、あやつに出会ったんじゃ」

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