第19話 私はリーチ!

 リーチが魔物の村に来てから三年ほど経ったころ、いつものように小川で顔を洗って学校へ向かう準備をしていると、ベアタルスのブラッシュが蒼白な顔で走ってきた。


「リ、リーチ様、た、大変です! ま、魔王様の軍団がこの街に向かっているとの噂を耳にしたのです!」


「人間が見つかれば八つ裂きにされます。は、早くお逃げ下さい!!」


 もの凄い剣幕だ。いつものおちゃらけた雰囲気など微塵もない。


「わ、分かった。他の旅人たちにも声掛けを!」


 そう言ってリーチは旅人や商人が宿泊している街の宿を回り、大急ぎで街の西側にそびえる岩山に向かって魔物の子供の先導を受けて皆で走り出した。


 そうして街から相当離れたところまで走り、岩山の陰で休むことにした。


「なんでも悪魔大元帥率いる魔王軍第六軍っつう、数ある魔王軍のなかでも精鋭中の精鋭揃いの軍団らしい」


「そんな軍団の連中がなんでこんな辺鄙へんぴなところに?」


「いや、物資の調達じゃないか」


「それなら人間の村や街を襲う方が手っ取り早いだろう?」


「うーん。魔物の考えることは分からん」


 そんな会話が聞こえてくる。


 ふと気になって、リーチは会話をしている商人に聞いた。


「あの、悪魔大元帥って?」


 驚いた顔をして商人が言う。


「なんだい、あんた。悪魔大元帥を知らんのか?」


「悪魔大元帥といやぁ、レスルゴだ。悪魔大元帥レスルゴ!」


 その名を聞いてリーチは戦慄する。


「レスルゴ? あのウラリスの街を襲ってきた奴らが?」


「なんだい、ウラリスが襲われたのか?」


 聞いたことないぞ、という顔をして商人が尋ねる。


「い、いえ、なんでもないの」


 リーチはそう言うと、魔法の杖をぎゅっと握りしめて魔物の村の方角をじっと見つめた。


 そのころ、街では到着した魔王軍が捜索を行っていた。


「おい、この街の長を呼んで来い」


 おずおずと、街の長となっていた村長がレスルゴの前にひざまずく。


「わ、わたしがこの街の長にございます。悪魔大元帥レスルゴ様」


 レスルゴは尋ねる。


「この街の噂を聞いた。質の良い食事の提供や紙などを生産し、人間どもと交易をしている者もいるそうだな」


「は、はい。大魔王様のご加護でこの村は豊かな……」


「誰だ?」


 村長の話を遮って、レスルゴが尋ねる。


「誰が、お前たちを導いている?」


「い、いえ。で、ですから大魔王様の……」


 突然、後ろから強い力で頭を殴られる。

 村長のうしろに棍棒を握った大きな魔物が立っていた。


「このような技術を、下級魔物どもが束になっても習得できるわけがない。ましてや自ら考案するなどありえぬ」


「誰だ。貴様らを導いている者をここへ呼べ」


「で、ですから私たちは……」


 また殴られる。


 そのような押し問答が続いたのち、痺れを切らしたレスルゴが言った。


「子供どもを連れてこい」


 そして街中から集められた魔物の子供たちが一列に並べられる。


「質問に答えねば、子供を一人ずつ殺す。答えるまで殺す」


 そう言って、子供たちのうしろにいる魔物たちが巨大な鎌を振り上げる。


「今一度尋ねる。誰だ?」


 村長が子供たちを見つめる。


 子供たちは強い眼差しで村長を見つめ返す。


「言わぬか。ならば殺せ」


 レスルゴが手を挙げる。


 村長と子供たちが目を閉じる。



 岩山を超えた先に広がる荒原を進んでいたリーチたちは、街のことを心配しながら先を急いでいた。


「ここは遮蔽物しゃへいぶつが無いため、先ほどの岩山から遥か先まで視界が利きます。もし、街の誰かがリーチ様を始め人間たちのことを魔王軍に伝えてしまったら、すぐに追手を放つでしょう」


「そうすれば、すぐに見つかってしまいます」


 先導する魔物の子供の忠告を聞いて、みな懸命に歩を進めた。


 荒原を歩き始めてだいぶ経ったころ、後ろから声がすることに気づいた。


「ま、まって……た、たすけ、て……」


 リーチたちが振り返ると、血だらけの魔物の子供がひとり、びっこをひきながら必死にリーチたちを追いかけていた。


「だ、大丈夫!?」


 リーチが駆け寄り抱き上げると、その子供はぜーぜーと荒い息を吐きながら懸命にリーチの腕を掴んだ。そしてうわ言のようにごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。


「何があったの!? どうして謝るの!?」


 リーチが声をあげて呼びかけるが反応がない。

 魔物の子供はすでにこと切れていた。


「ま、ま、まさか!」


 おもむろに商人が立ち上がり、遠くを凝視すると魔王軍の斥候せっこうが巨大な魔獣にまたがり、土煙をあげてこちらに疾駆しっくしてくるのが見えた。


「こ、この子供をおとりにして我らをあぶり出そうとしたんだ!」


 商人が悲鳴をあげる。


「み、皆殺しにされる!」


 やがて追いついた魔王軍の斥候せっこうは、巨大な刃物を振りかざして眼下の人間と彼らを先導していた魔物の子供に侮蔑ぶべつの眼差しを向けた。


「我らをわずらわせおって。小汚い糞どもが」


 ゴックンという重い音がして、手にした巨大な刃物を振り上げる。


 皆、目前に迫る絶対の死という恐怖におののき、直立不動で動けない。


 ただ一人、リーチだけはこと切れた魔物の子供を抱きしめ、リーチを掴んでいた彼の小さな小さな手をじっと見つめていた。


「貴様らが今生きているというだけで虫唾むしずがはしる」


「死ね」


 そういって斥候せっこうは武骨で巨大な剣を振り下ろす。


 皆が死を覚悟したその時、小さな翼竜が飛び出して斥候せっこうの剣に体当たりをした。


 皆が「あっ!」と思うや否や、翼竜は真っ二つに割れる。


 切られた断面から黒い鮮血が噴き出す。


「あっ……」


 それを見ていたリーチが声をあげる。


「や……やめて。もう、やめて!」


 それでも翼竜は瀕死の状態で、小さな小さな尻尾を斥候せっこうにペチンペチンと叩きつける。

 

 そう、リーチたちを守るために。


「弱い。醜い」


 そう言うと、斥候せっこうは死にかけの翼竜を踏みつぶそうと丸太のように太い足を持ち上げて、勢いよく踏み下ろした。


「やめて―ッ!!」


 思わずリーチが絶叫する。


 次の瞬間、パーンという乾いた音を残して斥候せっこうが吹っ飛んだ。


 いや。吹っ飛んだ、というより肉体が霧になって飛散した。


「え?」


 その場にいた全員が凍り付く。

 斥候せっこうの体液でべちゃべちゃになった、斥候せっこうまたがっていた魔獣も、何が起きたのか理解できずに固まっている。


 斥候せっこうの体液まみれになったリーチにクゥクゥと声をあげる翼竜。

 真っ二つになって踏み潰されたはずの翼竜が『元に戻っている』。


 というか、掌大てのひらだいだったはずの翼竜が人の背丈ほどに大きくなっている。

 その翼竜の肥大した勢いによる衝撃波で、斥候せっこう雲散霧消うんさんむしょうしたのだ。


 突然の出来事に固まる人々の前で、翼竜は斥候せっこうの体液が付いた尾をすました顔でべろんべろん舐めている。


「な、なんなんだ、あんたらは!?」


 商人が声をあげる。


「一体、いま何をした?」


 リーチはうっすらと目を開けて、翼竜と握りしめた魔法の杖を見つめた。


 何かわからないが、叫んだ瞬間、想像を絶する魔力が自分の中に満ちるのを感じた。そして、その一部が翼竜に流れ込んだのだ。


 その魔力の流れを、ちからを感じることが出来た。


――今なら、できる気がする。使える気がする。


あの魔法が――


「わたしは村に戻ります」


 リーチはそう言うと、魔物の街の方角を見つめながら立ち上がった。


「む、むちゃだ。街には悪魔大元帥と魔王軍の精鋭が居るんだぞ!」


「むざむざ殺されに行くようなもんだ!?」


「それでも、戻ります」


 冷たくなった魔物の子の、小さな手を優しく握りしめながらリーチは言った。


「あの斥候せっこうをここに誘導するために、この子は深手を負わされた状態でわざと生かされ、私たちのところへ逃げるよう仕向けられたのでしょう」


「だとすれば、街のはすでに皆殺しにされている可能性が高い」


――私は彼らの残忍さをよく知っているから。


「何が理由で、こんな幼い子にこんな惨い仕打ちをしたの。この子が、いったいどんな気持ちでわたしたちのところにやってきたか」


 そう呟きながら、リーチは魔物の子の亡骸を抱き締めながら街の方角に向かって歩き始めた。


 真っ黒い翼竜も、ぶわっぶわっと羽根をはばたかせながらリーチについていく。


「あ、お、おい!!」


「おい、どうする?」


 商人たちはどよめき出す。


「……街に戻るか?」


「馬鹿言うな。行って何が出来る? 皆殺しにされるだけだ」


「お前はどうするんだ?」


 商人たちが、それまで彼らを先導していた魔物の子に尋ねる。


「お、おいらは……よ、弱いよ」


 彼は震えていた。


 しかし、懸命に言葉を紡ぐ。


「で、でも、リーチ様はさ、最初からむ、村のと、い、いてくれた」


「ま、魔物といつもば、馬鹿にされてた俺たちをひ、ひ、人扱いしてくれた」


「お、おれもリーチ様と街にもどる」


 そう言って、震える足を引きずりながらリーチの後を追い始めた。


「あのバカ!」


「どうすんだ、奴がいなけりゃこの先の道が分からんぞ!」


 頭を抱えた商人たちが意を決して言う。


「俺たちも街に戻ろう。あの小娘を残してこのまま逃げたらただの恥さらしだ」


「死んだらその時だ。せめて最期は男らしく死のう」


「まぁ、ここで魔王軍相手に死んだとなりゃあ、売れない吟遊詩人ぎんゆうしじんの歌くらいにゃなるだろさ」


 諦めと覚悟と決意が複雑に絡み合う顔が頷きあう。


 乗りかかった船だ、仕方ない。


 そう呟いて商人たちは首を横に振りながら、リーチたちを追って街に戻り始めた。


 その頃、街は直視に堪えぬ凄惨な光景が広がっていた。


 子供たちはもちろん、街の魔物や人外がことごとく惨殺されていた。


「まだ口を割らんのか?」


 ずたずたに切り刻まれ、息も絶え絶えの村長にレスルゴが言う。


「レ、レ、レスル、ゴ様。わ、わたくしたちは初めてみ、認められたのです」


「何を言っている?」


 レスルゴが尋ねる。


「わ、わ、わたしたちはあ、あの方にあ、与えてい、いただいた。は、は、初めてひ、と、あ、あのか、方はわたしたちを、そうよ、呼んでくださった」


 村長の目に涙が浮かぶ。


「わ、わ、わたしたちは、ま、ま、魔物ですが、そ、そ、尊厳をも、もってさ、最期まで……」


「くだらん」


 レスルゴが唾を吐く。


「もうよい。殺せ」


 村長のうしろにいた巨大な魔獣が大鎌を振り上げる。

 その時、ふっと魔獣の動きが止まる。


 村長が目を見開いている。


 視線を追ってレスルゴが振り向くと、そこには……リーチが居た。


「……おまえら、ここでなにをしている?」


 凄まじい怒気を込めて、リーチが尋ねる。


「なんだ、おまえは?」


 レスルゴも聞く。


「な……なぜ、な、なぜ戻って、き、きたのですか……」


 村長が歯を食いしばって顔をしかめる。


 その声を聞いて、レスルゴは悟る。


「そうか、こいつか」


 リーチを前に大笑いする。


「はははっ。お前のようなゴミをかばうために街の連中は皆殺しだ。馬鹿どもが!」


 リーチが見渡すと、その眼前にはブラッシュの、家族らの、そして子供たちの無残な亡骸が山のように積まれた光景が広がっていた。


――同じだ。


 リーチは思い出した。


――ウラリスの時と同じだ。


――また、こいつらが……


 リーチの頭の中を、自分の非力に対する無念と怒りの感情が満たしていく。

 目の前の敵に凄まじい殺意が芽生えて髪の毛が逆立つ。


 しかし、それでもまるで内なる魔力を感じない。

 この絶望的な状況を回天させるために必要な力も、奇跡の予感すら感じない。


ただ一瞬、だけど『あの力』を感じたのに――


「もうこいつに用はない。殺せ」


 ふたたび、レスルゴが村長を殺せと大鎌を構えた魔獣に命ずる。


 命を受けたその魔獣が、再び大鎌を振り降ろす。


「リ、リーヂさま、に、にげ、にげてぇ!!」


 最期の力を振り絞り、村長が絶叫する。


 命を懸けて発せられたその村長の声を聞いて、負の感情に囚われていたリーチがはっとした。


「ちがう! 助けるんだ、みんなを!!」


「このまぬけがッ!」


 レスルゴの声を突き抜けて、あの声がした。


「そうだ。願え、想いの成就を」


 目を見開いたリーチが小さく頷き、魔法の杖をレスルゴに向ける。


「なんの真似だ」


 レスルゴが、周囲の魔王軍の魔物どもがその姿を見てせせら笑う。


 街を一望できる小高い丘に到着した商人たちが、その光景を見ていた。

 街の惨状に絶句し、悪魔大元帥レスルゴと対峙するリーチを見て絶望する。


「あいつ、ぶっ殺されるぞ……」


 誰もがそう思った。


 リーチは臆することなく魔法の杖を高く掲げた。


「あの声だ。あの声がまた聞こえた!」


 万感の想いをのせて、リーチは詠唱する。


 この期に及んで内なる力を感じない。

 だが、根拠なき確信が心を満たす。


 大魔法『アマリリス』がここに在ることを――


「私はリーチ! どうか私の想いを届けて欲しい!」


 詠唱をする最中にも、惨状となった街の光景が目に入る。悔恨かいこんの涙が頬を伝う。ともすれば言い淀みそうになる漆黒の感情を押し殺しながら、全てを救って欲しいと心から願う。


「我が願いを成就せよ! 顕現せよ、大魔法アマリリスッ!!」


「May my wish reach for you!」


 リーチがそう詠唱すると、ふたたび声がした。


「承認した」


「これより汝の願いを成就する」


 途端、リーチが無数の魔方陣に包まれる。

 彼女の身体が、足元から溢れ出す無数の魔方陣で浮き上がる。


 そして、彼女が持っている魔法の杖に凄まじい、という人間の言語では表現では到底足りない凄まじい魔力が爆縮して轟光を放ちはじめる。あまりに圧縮された魔力のせいで時空が歪み、バチンバチンという衝撃波を伴う爆音を立て始める。


 次の瞬間には空間魔力密度が臨界に達し、同時に天空を突き抜ける光となって天空に漂う雲を遥か彼方まで吹き飛ばし、大音響を立てて高空に巨大な光輪を形成された。


 我が目を疑う光景と、上空の巨大な光輪を見つめながらレスルゴは硬直していた。


――あの時と同じだ。


ウラリス侵攻の時と同じだ――


 そして、目の前で数多の魔方陣を生み出しながら凄まじい光と色とりどりの魔法旋風に包まれている小柄な魔女を凝視する。


 こちらを睨む鋭い目つきの彼女を見て、レスルゴは理解した。


「……こ、こ、こいつだ!!」


 そう気づいて攻撃を仕掛けようとした瞬間、天空いっぱいに形成された巨大な光輪がふわりと落ちてきた。

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