第17話 偏倚魔法

 悪魔大元帥レスルゴ率いる魔王軍第六軍から千二百キロガル(約千二百キロメートル)ほど北西の荒野を、ガットやホーホたちの一団が進んでいた。


「そら、もうすぐ最初の亜人族の村に着くぞ」


 フォルティスが指を指した先に、小さな集落が見えてきた。


「あの村の出身はだれ?」


 優しい声でフロースが声を掛けると、幌馬車の隅っこに座っていた小さな亜人の子が手を挙げる。コロコロと笑う笑顔が可愛い、よわい四、五歳に見える女の子だ。肩まで伸びた茶色い髪に水色の大きな瞳で、じっとこちらを見つめている。


 彼らは基本的には見た目は人間と変わらない。

 しかし、人間に比べ非常に長寿であったり手足を切断されても再生できるなど、普通の人間とは異なる面も多々持ち合わせていた。


 また、非常に聡明な頭脳を持ち穏やかな性質である者が多かったため、いつの時代も人々の羨望せんぼうねたみの対象として迫害を受け、また迷信による供物としての犠牲も多かった。


「あそこが、あなたの村なのね?」


 フロースが尋ねると、彼女はコクンと首を縦に振る。


 ゴトゴトと乾いた音を立てながら、やがて幌馬車は村の入口に到着した。


 だが、村に生き物の気配がない。


「おぉい!! 誰がいないのか!?」


 ガットとフォルティスが声を掛けながら、小さな村に入っていく。


「おかしいぞ。誰もいない。というよりも、生き物の気配がしない」


「それに妙な気配がする」


 フォルティスが身構える。


「よくわからないが、気を付けろ」


 ガットもグングニルを構える。


「そういえば、さっきから変な臭いがするんだが、これはなんだ?」


 ガットがそう言って振り向くと、幌馬車に大きな何かが近づいているのが見えた。


 赤黒い、大きな粘土のような塊がズルズルと動いている。


「しまった!」


 そう叫んで、グングニルの投擲とうてき態勢をとる。


 ……が、まるで投げ方がわからない。


「???……あ、あれ? 体の動かし方がわ、わからん」


 ガットが戸惑っていると、フォルティスが電光石火の如くその『何か』に飛び掛かった。


「や、やめて! フォルティス兄ちゃん!!」


 突然、幌馬車の小さな亜人が叫んだ。


 その声を聴いて、フォルティスが攻撃の手を止める。


 幌馬車に近づいてきた『何か』は、ずるずると幌に身を寄せると愛おしそうに亜人の子に触れ始めた。


「この『ひと』、お母ちゃんの匂いがするの」


「ただいま。ね? お母ちゃん」


 そう言って赤黒い肉塊をさすりながら涙する亜人の子を、フォルティスやフロースはただ呆然として見つめていた。


「こ、この塊が、お、お母さんなの!?」


 はっと我に返ったフロースが尋ねる。


「うん、きっとそう」


 そういって、亜人の子は宝物に優しく触れるようにその肉塊に触れた。


「なんなんだ、いったい……」


 そう呟くフォルティスに、後ろからホーホが声を掛けた。


「これは……いにしえに封印された偏倚へんい魔法の類じゃな。」


偏倚へんい魔法? なんだそれは?」


 追いついたガットが尋ねる。


「魔法は本来それを使う者自身の魔力やマナを消費する代償として発露するもんじゃ。だが、この魔法は対象の持つ物事のことわりを術者の都合でことごとかたよらせる」


「そのためにことわりを破壊して、そのことわりを保持する為に必要な魔力やマナを吸収するんじゃ」


 嘆息しながらホーホが続ける。


「少し難しい話になるが、人間や亜人や他の生き物、魔物でも、人や魔物の姿たらしむる為にはそれだけで膨大なエネルギーが必要なんじゃ」


「そのエネルギーを偏倚へんいさせて人体が内包するエネルギー、力場やマナを術者が吸収してしまう魔法、というよりもはや呪詛そのものじゃな」


「こいつは、その対象となった者やその者に関係する者たちが偏倚へんいさせられることで味わう苦痛や悲しみ、怒りといった負の感情がすべて自身の魔法錬成に必要な捧血儀礼ほうけつぎれいを満たしてゆくということなんじゃ」


「つまり、どういうことなんだ?」


 ガットが尋ねると、ホーホが答えた。


「つまり、偏倚へんい魔法は術をかける対象者を死なせず苦しませることで最大効果を発揮する」


「この魔法が最も残酷な術式といわれる由縁がそこにある」


「それゆえ、遥かいにしえの昔に封印されたのじゃ」


「よく分からないが、つまり、あの肉塊があの子の母親で間違いないんだな?」


 ガットがふたたびホーホに尋ねる。


「血縁などは分からんが、あの塊は間違いなく人じゃ。それも複数体の人が一つに束ねられておる」


「だれがそんなひどいことを……」


 フロースが呟く。


「これは魔物ではなく、人間の仕業じゃ」


 赤黒い肉塊を見つめながらホーホが言う。


偏倚へんい魔法など持ち出すとは……わしがむくろになっていた間にいったい何があったんじゃ……」


「なんとかしてやれないのか? 元に戻す方法は?」


 ガットがホーホに尋ねると、ホーホが首を横に振る。


「ない。あの者たちが死ぬまで、あるいは魔法をかけた者が死ぬまであの魔法は解けない」


「あの者たちを救う方法は、それ以外には、ひと思いに楽にしてやるくらいじゃ」


「燃やし尽くす。それしか彼らに安寧あんねいを与える方法はない」


 そうホーホが呟いた。


「そんな……」


 それを聞いたフロースは絶句した。


「魔物や魔王ばかりに気が向いていたが、人間にもまだ鬼畜生がいるということか」


 フォルティスがそう呟くと、亜人の子に寄り添う赤黒い肉塊を見つめていたガットが言った。


「畜生なんてかわいい話じゃねぇ」


「どこのどいつか知らねぇが、悪魔よりひでぇことしやがる」


 そして、グングニルを掴んで言った。


「必ずそいつもぶっ倒してやる」


 その姿を、ホーホがじっと見つめて言った。


「グングニルは持つ者に必勝をもたらす。それゆえに最強とうたわれる。しかし槍に選ばれたおぬしでも、この偏倚へんい魔法を解くことは不可能じゃ」


「これはそういうたぐいのものではない」


 これまで見たこともないような険しい顔をしてホーホが言う。


「それにここまで練り上げられた偏倚へんい魔法の使い手がいる、ということはすでに犠牲となった者たちが相当数存在している可能性が高いということじゃ」


 赤黒い肉塊とその塊に寄り添って泣き疲れて寝込む亜人の子を優しく撫でながら、フロースは呟いた。


「こんなむごいことをいったい誰が、何のために……?」

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