第15話 翼竜と魔物の村

 ほとんど身一つ同然で街を飛び出したリーチは、何日もひたすら歩き続けて森が山岳地帯に差し掛かるところまで来ていた。


 行く当てはない。しかし、歩みは止まらない。

 家族の居ないリーチには、これ以上ラウリスに留まる理由もなかった。


 歩きながら、リーチの頭の中はあの大魔法の経験のことでいっぱいだった。


「あの魔力はなんだったの? アマリリスってなに?」


 あれからどんなことをしても、今まで通り魔法が使えない。

 道端に転がる小石ひとつ動かすこともできやしない。


「それじゃ、あの魔法はやっぱり魔法に焦がれる私が見た、ただの幻想だったの?」


 でも、とリーチは思う。


――あの感覚。あの想いの深さ。生まれて初めて、ほんの一瞬だけ感じることが出来た『魔力を操っている感覚』。あれらが夢だったはずがない。


 森林限界を超える海抜の尾根を、縫うように紡がれた稜線を辿る道をひとり歩きながらリーチは考え続けた。


――今までもそうだったけれど、更なる修行に明け暮れたら、もしかしたらまたいつかあの魔法が使えるかもしれない。


 そう思うとリーチの足取りも軽くなる。

 しかし、そこは雲を超える高さの峰々の稜線。


「……寒いな」


 ふっと立ち止まって眼下に広がる広大な高原を見つめながらリーチが呟いた。


――今日はここらで野営しよう。


 丸めて腰に結わいていた牛の革を広げて岩陰に張り、風が避けられる小さな空間を作る。


 そして道中集めていた小枝を積んで、ダブルコートの山羊の毛を丸めた種火玉に火打石で火をつけた。


 少しして、ぱちぱちと音がして小さな火が起きる。


 そこに干し肉をスライスしたものを何枚か火の周囲に並べてあぶりながら、火にかけた小さな鍋で少しの水と脂身を溶かした湯に岩塩を少々とハーブを細かくしたものを入れた。


 それらに火が通るまでの間、街に滞在していた時に作ったどんぐり酒をチビチビと口にしながら体を温める。


「ふぅ、不味い。でも一応酔うことは出来るからね」


 ひとりグチりながら、焼けた干し肉を摘まんでいるとぐつぐつと鍋が音を立てだした。


「そういえば、何日か前にすれ違ったあの子はラウリスに行けたかなぁ」


 鍋の蓋を開けて中の具をかき回しながら、リーチは数日前にラウリスを飛び出した直後に出会った、みすぼらしい身なりの魔女に声を掛けられたことを思い出していた。


「おい、おい! そこのお前!」


 そう声を掛けられて振り向くと、小さな魔女が立っていた。

 使い古され黄ばんだ白いフードを被った厚手のロングドレスを着た魔女が、爬虫類のような金色の瞳でこちらを見つめている。


「ラウリスで何があった? それから、今は何年だ?」


「?」


 リーチは何を聞かれているのか一瞬分からなかったが、すぐにグルゴ歴のことかなと合点する。


 それから……いや、魔王軍のことは言うのをやめておこう――


「今はグルゴ歴千百十八年よ。それからラウリスはすぐそこ。来週には収穫祭があるわ」


「千百十八年だって!? チッ、三百年以上経ってんじゃねーか」


 その魔女は、なにやらぶつぶつと呟いている。

 それから、ふっと顔を上げ、眉間にいっぱいのしわを寄せてリーチの顔をじっと見つめて小さく呟く。


「ほう、目覚めて最初に目にする人間がとは。これは奇遇だ」


 少し怪しげな笑顔を作りながら、その魔女がリーチに尋ねる。


「お前、名前は?」


「え? わ、わたし? 私はリーチよ」


 いきなり名前を聞かれて動転したが、すぐにリーチも聞き返す。


「あなたは誰? どこから来たの?」


「ん? あたしか? あたしはってんだ。こう見えて結構有名な魔法使い……いや、昔のことか。それよりお前、とりあえず感謝しとく。やり残したことが色々あったんだ。助かった!」


 そう言って、ライラと名乗ったその魔女はニカっと笑う。


「リーチ! 遅かれ早かれまた会うだろう。その名前、覚えておくよ!」


 そう叫びながら、足早にラウリスの方角に向かって彼女は行ってしまった。


「彼女、結局誰だったんだろ?」


 そう呟きながら、リーチがその鍋を火から遠ざけて陶器のカップに注ごうとしたときに、外でパサっと音がした。


「ん? 雪が降ってきたのかな?」


 リーチが牛の革をめくって外を見ると、少し離れたところに黒い小さな翼竜が転がっていた。


「こりゃ、山脈越えに失敗したのかな。今夜は特に冷え込みが厳しいし」


 風除けの外に出て手に取ってみると、片手のてのひらに乗ってしまうほど小さなその翼竜はクゥクゥと小さな声で鳴いた。夜空を見上げても群れの仲間と思しき他の翼竜は見当たらない。


「あんたもひとりぼっちか」


 リーチはそう呟くと、翼竜を火のそばに置いてやる。

 はじめは警戒していた翼竜も、体を温められて次第に心地よくなったのかウトウトし始めた。


 そんな翼竜を見ながら、リーチはふと思う。


――小さいし、これなら丸ごと……


 翼竜の肉は滋養があると言われ、街の修道院薬局では重宝されていたのだ。


――いやいやいや。よくよく考えればトカゲとか蝙蝠こうもり食べるようなもんだし。ゲテモノだし。


 一瞬頭に浮かんだことを払拭ふっしょくするかのように、リーチは翼竜に声を掛ける。


「今は助けてあげる。元気になったら飛んでくんだよ」


 ほろ酔いの瞳で眠る翼竜を見ながら自分はスープを啜り、ウトウトしだしたリーチもやがて深い眠りにおちていった。


朝、コツコツと固いもので顔を突かれてリーチは目を覚ました。

 

「いてて、なんだよ?」


 寝ぼけ眼で体を起こすと、あの翼竜がミュウミュウと鳴きながらまとわりついていた。


「ん? あれ? お前、まだいたの?」


 リーチは翼竜の頭を少しだけ撫でてから、よいしょと起き上がって火を起こす準備をしようとして……悲鳴を上げた。


「うわぁ! ぜ、全部食べちゃったの!?」


 リーチの眼前には、空っぽになった鍋と干していたはずの干し肉が綺麗に抜き取られた木の棒だけが転がっていた。


「お前ねぇ、いくらお腹が空いてたからって全部食べることはないじゃない」


 リーチは泣きそうになりながら、食べ散らかされた床を片付け始める。


 それを見つめていた翼竜も、クゥクゥと申し訳なさそうに小さく鳴いた。


「これは一度下に降りて食べ物を探さないと……」


 ザックの中身を見ながらリーチは呟いた。


「魔物が少ない稜線を辿って古都アーデアへ向かいたかったのだけれど、このままじゃ食べるものがなくなっちゃう」


 それに、とリーチは再び翼竜を見る。


 どうやら翼竜は命の恩人のリーチがとても気に入ったようで離れようとしない。

 それに、まだお腹が空いていそうだし。


「久しぶりに森で狩りをしよう!」


 そう言って、荷物を畳んだリーチはまとわりついて離れない翼竜と稜線から眼下に広がる森に向かって歩を進めだした。



「さぁ、できた」


 ガットはそう言って、鍋からスープをお椀に分けていく。


「われにも早く寄こすのじゃ!」


 ホーホは急かすが、ガットは気にせず亜人の子らに渡してやる。


「あー!」


 と叫ぶホーホの声を背中に聞きながら、スープや肉を切り分けていく。


「さあ食べよう」


 なにやらぶつぶつ言っているホーホを尻目に、フォルティスが声を掛ける。


「いただきます!」


「いっただきまーす!」


 亜人の子らも美味しそうに頬張っている。

 そして、その光景をフロースとテルアが嬉しそうに眺めていた。


「しかし、なんだってラッテンペルゲは亜人族やエルフを目の敵にしてたんだろうな?」


 水気の飛んでカチカチの黒パンをポリポリかじりながら、ガットはホーホに尋ねた。


「さぁ、分からんのぅ。奴が王位を継ぐまでは種族の分け隔ての無い世界じゃった。しかし、奴だけが、なぜか人間以外の種族を迫害するようになったんじゃ」


 はふはふとスープをすすりながら、ホーホが答える。


「とにかく、それは凄まじいもんじゃった。毎日毎日、何千何万という種族が大陸中で殺されているような、阿鼻叫喚の地獄絵図がそこら中に広がっとったからな」


「そうか、そんな時代があったんだな」


 それを聞いて、ガットは夜空を見上げた。


「良くは分からん。分からんが、とにかくラッテンペルゲは倒そう」


 ガットは誰に聞かれるでもなく、そう呟いた。


「……そうじゃな」


 ホーホも小さくそう呟いた。




「うわぁー!!」


 リーチは叫んでいた。


 森まで降りて早速獲物を見つけたはいいが、槍を投擲とうてきしたら逆に襲い掛かってこられた。


 なにせ、相手は巨大なイノシシの様な体躯たいくの獣だ。ちょっと欲張りすぎたらしい。


「いやぁー! こっちこないでー!!」


 リーチとリーチにしがみついた翼竜とが、一緒になって一心不乱に走る。

 と、目の前に岩肌が見えてきた。


「ヤバいヤバいヤバい!!」


 そう言って、岩肌にぶつかる寸でのところで身をひるがえす。


 その瞬間、かわしきれなかった大イノシシのような獣がズッシーンと頭から岩肌に激突してひっくり返る。


「や、やった!」


 すかさず、リーチは倒れてヒクヒクしているその獣に短剣で止めを刺した。


「こんな大きな獣を倒したのは初めて!」


 久しぶりの獲物とその大きさに、リーチは嬉しくて小躍りしながら獣の解体を始めた。


 あまりに大きいので移動させることが出来ず、その場で血抜きを始める。一部はソーセージにするために木の容器に移し、それが済んだら内臓を取り出した。


 腸は大好きなソーセージには欠かせないから、傷をつけないよう慎重に取り出して木の枝に引っ掛ける。


「新鮮なうちは心臓や肝臓もしっかり美味しいんだから!」


 などと呟きながら、どんどんさばいていく。

 隣では、リーチが取り出したイノシシの内臓を翼竜がクチクチとつまみ食いしている。


 内臓を取り出しきったら、次は皮を剥ぐ。

 皮を剥いでは近くの木の枝にぶら下げる。


 そうしてひとしきり皮が取り除かれたら、今度は肉をきはじめた。


 このころになると、小さな下級魔物の群れや肉食の小動物などがわんさか集まってきていた。あちこちで巨大なイノシシの肉を引っ張ったり叩いたりしている。


「こらこら、慌てないで。いま切り取ってあげるから」


 そう言うと、リーチは少しずつ肉を切り取っては下級魔物たちや小動物たちに分け与えた。


「こんなの私ひとりじゃ食べきれないし、腐らせたらもったいないしね」


 そう言いながら、翼竜にもロースやモモといった美味しい部位を切り与えたが、彼はそうした外肉よりも内臓系が好みのようで、クッチクッチと小気味よい咀嚼音を立てながら臓物を噛んでいる。


 燻製肉を作るためにリーチが焚火を始めると、下級魔物たちは小さな肉を木の枝に突き刺してあぶった肉を頬張ってはキャアキャアと騒いでいる。


「そのままより、これふり掛けな」


 そう言って、リーチは岩塩を削った塩を木の葉に乗せて彼らに渡す。


 木の葉に盛られた塩を最初は不思議そうに見ていたが、やがて焼いた肉にそれをつけて食べた下級魔物が咆哮ほうこうすると、次々に焼いた肉に塩をつけて食べ始めた。


 肉をきながらそれを見ていたリーチは、ふと思いつく。


「もしかして、あんたたちコレもいける?」


 そう言うと、どんぐり酒を木の葉に少し垂らして彼らに渡してみた。


 最初はいぶかしげに眺めていた彼らも、すぐにそれがなにかを理解して皆でペロペロと舐めだした。


 すると、案の定陽気になった彼らが変な鼻歌を歌いながら火の周りを皆で踊り出す。


「あっはっは。あんたたち、人間みたいだねぇ」


 それを見てリーチが笑う。


 そして、それらを見ながら周りで肉を食べていた他の有象無象たちも腹が満たされたのか、その場でウトウトし始めていた。


「さて、私は暗くなる前に肉の処理を終えないと」


 そう言って、リーチはせっせと燻製肉を作る傍らで湯を沸かしてソーセージを煮込んだりしながら、満足そうな顔をしてグーグーと眠る下級魔物たちや翼竜、それに沢山の動物たちを眺めながら、やれやれとまんざらでもない気持ちをいだき、ひとり呟くのだった。


 やがて日も暮れるころには相当な量の燻製肉やソーセージが出来上がっていたが、獣の肉はまだまだ山のように残っていた。


「ふう、今日は本当に疲れた。でもこれだけの肉があればしばらくは持つね」


 リーチは満足だった。

 

「だけど、どうして大型の魔物やら肉食動物が襲ってこなかったんだろ?」


 リーチはそれが不思議でもあったが、まあいいやと焚火の傍に横になった。


「もう寝よう」


 しばらくしてリーチが微睡まどろんでいると、近くで強い獣の臭いがしてきた。


「だれっ!」


 リーチがガバっと飛び起きて暗闇に目を凝らすと、そこには熊のように大きな魔物がイノシシの傍に立っていた。


「んんっ!?」


 魔法の杖を握りしめてリーチが身構えると、その魔物は声をあげた。


「こ、このに、にくをく、く、わ、わけくれ」


「その肉を食べたいの?」


 リーチが声を返すと、その魔物は大きく何度も頷いた。


「なんだ、あんたも肉が欲しいの?」


 ちょうどどうしようか困ってたところよ! と言いながら、リーチは魔法の杖を傍らに置いてその魔物に近づいていく。


「食べるんなら全部持って行っても構わないわよ。あ、ただし、ちょっとコイツの脛骨けいこつが割れなくて。この脛骨けいこつずいが欲しいから、これを割ってくれたらあと全部あげる」


 リーチはそう言うと、その魔物に獣の巨大な脛骨けいこつを手渡した。


 その魔物は不思議そうにリーチを見つめていたが、やがて意を決したようにその脛骨けいこつを近くの岩に叩きつけ始めた。


 数度の振り下ろしで、さすがの脛骨けいこつにも大きなひびが入る。


「ありがとう、それで十分よ。これが割れなくて難儀したんだ」


 リーチはそういうと、割れ目に木を差し込んで割れ目を押し広げていく。

 すると、真っ白いずいが見えてきた。


「これを取っとくの。あとでいい調理油になるから」


 そう言って嬉しそうにそのずいを保存用の小瓶に詰めていく。

 リーチのその姿を、魔物はずっと不思議そうに見つめていた。


「お、お、おまえはお、おれがこ、こわ、こわくないのか?」


「ん? なんで?」


 魔物の問いにリーチが即答する。


「魔物にもいい奴と悪い奴がいる。人間だってそうだけど」


「私は悪い奴はすぐに分かるのよ」


 そう言いながら、リーチはずいを容器に詰め続ける。


「あんたが悪い奴なら、私とこんな風に会話してない。でしょ?」


 そういってリーチは魔物に笑顔を見せた。


 魔物はじっとリーチを見つめていた。


「ほら、この骨の中に詰まってる油はすごくおいしいのよ。手に塗ればひび割れもしなくなるしね。ちょっと臭いけど」


 そう言って、リーチは魔物に燻製肉を軽くあぶったものにずいを塗って岩塩を振ったものを渡してやる。


 魔物は少し臭いを嗅いでから、その干し肉を口にして……目を見開いた。


「うっ! う、う、うぅまい!」


「そうでしょ? ちょっと料理すれば、獣肉も美味いのよ」


 食べたことのない味に驚いている魔物を見て、笑いながらリーチが得意そうに言った。


 驚嘆しきった顔で、いや、むしろ神々しいものを拝顔するような目でリーチを見ている。


 魔物は、渡された肉をあっという間に平らげて、言った。


「り、り、料理? お、おまえ、す、す、すごいに、人間。う、うちに、こ、こ、き、きてくれ」


 魔物がおどろどろどしく言う。


 普通なら、魔物の住処すみかいや集落なんて人間が、しかも単独でなんて絶対に行かない。いや、行ってはいけない。


 しかし、リーチはいいよ、と即答した。


 リーチには、彼が悪さをするような魔物には見えなかったからだ。


 それに、と思う。


――魔物でもなんでも、頼られるのは悪い気がしない。


 魔物は嬉しそうだった。


「に、人間に、り、り、料理お、おしえてもらえる!」


 そういって喜んでいる彼を見ていて、リーチも嬉しくなった。


「あんたも来る?」


 リーチの肩から離れない翼竜に聞いてみると、翼竜もクゥクゥと鳴いた。


「そう。じゃみんなで行きましょ」


 そうして魔物たちが住む村へ、大イノシシを引きずりながら向かったのだった。


 やはり、そこは魔物たちがひっそりと住まう村だった。


 最初、人間が来たとその小さな村は騒動になったが、村長の魔物の説得で村の一角にある家、つまり最初にリーチと出会った魔物の家に招待された。


 そこで、リーチは魔物とその家族にも手伝ってもらって、大イノシシの肉を使った大鍋のシチューや肉料理をたくさん作って村の魔物たちにご馳走することにした。


 最初は警戒心をあらわにしていた彼らも、リーチの調理したものを一口食べた途端に皆虜となって夢中で肉を、シチューを頬張るのだった。


 その光景を見ながらリーチと、リーチと一緒に料理を作った魔物たちは満足していた。


 その後、村の魔物たちのリーチを見る目は一変した。


 それはもう、神様を祭るが如く敬った。


「ほんとに恥ずかしいからやめてよ!」


 リーチはそう何度も言ったのだけれど、あんなにおいしい『料理』を食べたことのなかった彼らにとって、それは心から驚嘆する体験であり、それを与えてくれたリーチを神聖化してしまうのは至極当然なことだった。


「こんなことになったのも、あんたのせいなんだから。責任取ってよね」


「す、す、すまな、ない。で、でも、ま、また、り、料理を、つ、作ってほ、ほしい」


 そう言う魔物に、リーチは言った。


「ホントはパンやお酒も食べてみて欲しいんだ。だけど、この村にはその材料もないじゃない。だから、わたしの持ってる知識とか、全部あんたたちに教えるからそれで勘弁して」


 ふっと、リーチが目の前の熊のような魔物に尋ねる。


「ところで、あんた名前はなんていうの?」


「お、おれ? に、人間からベ、ベアタルスって呼ばれてたことがある」


「ベアタルス? あぁ、それ魔物の種類のことね。他に呼び名はないの?」


「な、ないな」


「そっか。それじゃ……」


 そう呟いて目の前のベアタルスを見る。


――なんだかタワシに手足が生えているみたいな感じだね。


「うーん、それじゃ今日からあんたをブラッシュって呼ぶね。よろしくね、ブラッシュ!」


 そう言って握手を求めるリーチを、ベアタルス改めブラッシュは不思議そうに見つめるのだった。


 それから、リーチは村の魔物たちに料理の方法を教えた。


 また、村の周りにある森で採れる木の実を使った酒の作り方も教えた。


 そして、村にあった「畑」と彼らが呼んでいた、リーチから見れば雑草だらけの休耕田のような畑も『土を育てる』という概念を伝え、食べるために街から持ってきた小麦を植えて育てることにした。


 また、この村の周りの森には山芋や自然薯といった根系の植物が沢山自生していたので、それらも調理次第ではおいしく食べられることを伝えた。


 そして、そうしたことを伝えるにあたり、リーチは紙に絵を描いて伝えようとしたが、そもそも『紙』を知らないその魔物たちのために、村の近くを流れる川べりの葦から作る紙の作り方も教えた。


 最初、理由も分からずに、しかし懸命にリーチの教えの通りに働いていた魔物たちだったが、出来上がった紙をリーチが机に広げ、木炭で簡単なスケッチを描いて見せると皆一様に度肝を抜いた。


 知らないこと。でも本当に凄いと感じること。


 それまで人間の教授など受けたことのなかった魔物たちは見たこともない知識や技術に驚嘆し、感動した。


 そして、それを無償で丁寧に教えてくれるリーチを心から尊敬し、必死で様々なことを教わり、学び、吸収していった。


 彼らは他の生き物から見聞きしたことや遠目に見ていた人間の行動などからそれらを伝聞していただけだったから、体系的にそして具体的にそれを伝えられるという過程を知らなかった。


 だから、リーチは学校を作って子供たちはもちろん大人の魔物にも学びたいものにはその門をくぐらせた。


「あ、あ、あんたは、す、すごい。だ、だ、大ま、魔法つか、かいだ!」


 たどたどしい言葉を紡ぎ、彼らは最大の賛辞をリーチへと伝えようとした。


 しかし、リーチは胸が痛かった。


「そんなもんじゃないよ。こんな身なりだけど……わたしは魔法がまったく使えないんだから」


 しかし、魔物たちは皆一様に首を横に振った。


「こ、こ、こんなす、すごいこと、し、し知ってる。や、やっぱり、あ、あな、なたはだ、大魔法つ、つかいだ!」


 クラークの三法則に『十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない』という指摘があるが、まさに彼らはそれを目の当たりにしたのだったのだ。


「たくさん学びなさい。たくさん与えなさい」


「それが生きるということ、そのものなんだよ」


 リーチの言葉に耳を傾けて懸命に学ぶ魔物の彼らを見ながら、リーチの脳裏には幼いころに聞いた父の言葉が去来していた。


 それからリーチは沢山の時間を彼らと共有した。

 そしてリーチの貢献と彼らの勤勉も相まって、村は急速に発展していつしか街になっていた。


 元々の種族が魔物ではあるとは言え、能力に長けた個体群である。

 これまで、迫害や嘲笑の対象に晒されその能力をストレスの分解と処理、すなわち生き抜くためだけに費やしていた彼らは、自分の能力を認め伸ばしてくれる存在に初めて出会えたことでその能力を遺憾なく発揮した。


 夢や自身が見えている目標の実現に全力を費やした。

 そう、リーチの言葉を信じて。


 リーチが魔物の村に滞在して僅か三年後には、その街の噂は遠方にまで伝搬していた。


「おい、西方にある魔物の村だがとても品質の良い紙を量産しているらしい」


「素晴らしく旨い酒と料理を出す店があるんだ」


「あそこの鉄器は恐ろしく品質が高い」


 などと噂が広がり、魔物たちの村は人々や他の種族の往来が盛んになり、その規模はすでに街と呼ぶにふさわしい大きさに成長していたのだ。


「あなた様をぜひ、この街『ライズ・リーチ』の長にしたい」


 いつからか、リーチは何度もそう村人たちや長老に懇願され始めたが、頑なに固辞し続けた。なお『ライズ・リーチ』とは、リーチを慕う魔物の皆々が口を揃えて我が街の名にと懇願して名付けられた。


「やはり、『魔物』の街は嫌ですか?」


 意を決してそう尋ねた者もいた。


 しかし、リーチは即答した。


「そんなんじゃないのよ。そう思ってくれることには本当に心から感謝してる。でも、私はもっともっと修練しなくちゃならないの」


――私は人の上に立つような人間じゃない。


 リーチは、そう言っては寂しそうに笑うのだった。


 ところで、翼竜は相変わらず小さなままだった。


「おかしいですな」


 魔物の街で代表を務めていた村長が首をかしげる。


「普通、竜とは弱肉強食のこの世界では最上位の生き物。彼らは他の魔力、とりわけ仲間や忠誠を誓う者、すなわち使役する主人の魔力や魔素を吸収して仕える者に見合う見姿や力を宿すもの」


「なぜ、この翼竜は小さなままなんでしょう?」


 それを聞いたリーチは胸が痛くなった。


――たぶん、私が魔法の使えない人間だからなの


「ごめんね」


 そう呟いてリーチが下を向く。


「何言ってるんだ村長、リーチ様を泣かせるな!」


 ベアタルスのブラッシュが村長を怒鳴りつける。

 勤勉なブラッシュは、今ではすっかり流ちょうな言葉が話せるようになっていた。


「あぁ! いやいや、リーチ様! そんなつもりでは……」


「いいの。分かってる。でも、いつまでも小さなままのこの子がかわいそうで」


 そう言いながら、リーチは優しく翼竜の頭を撫でるのだった。


「でも、この子はこんな私からどうして離れていかないんだろ?」


 


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