第14話 タイム・エスケープメント


「レスルゴ、そこで何をしている?」


 大魔王ラッテンペルゲの声ではっと我に返る。

 見渡すと、悪魔大元帥レスルゴは魔王城の『王の間』に居た。


「こ、これは?」


 レスルゴは混乱していた。


――たった今まで、私はラウリスを攻略していたのではなかったか?


 唖然としてレスルゴは周囲を見渡す。


――ラウリス軍の兵を領民を皆殺しにして領主ランゲルドもほふり、あの街を陥落させる寸でのところだったはずだ。それなのに、なぜ私はいまここに居る?


「ま、ラッテンペルゲ様、これは……?」


 混乱したレスルゴは、大魔王ラッテンペルゲに尋ねた。


「これは? とはなんだ?」


 不思議そうな顔をしたラッテンペルゲが答える。


「お前が、『ホーホの大結界』を再強襲すると言ったのではないか。余は賛成だと言っている」


 それを聞いたレスルゴは硬直した。


――これは転移魔法かと思っていたが、ただ転移されただけではない。そもそもラウリスへ侵攻した事実そのものが消失しているのか。


「も、申し訳ありません、ラッテンペルゲ様。私としたことが興奮のあまり取り乱しておりました」


 そう言って、その場を取りつくろうレスルゴであったが、心底動転していた。


「なにがどうなっている?」


 レスルゴは、ある感覚に強い疑念を感じた。


「なぜ、私だけが記憶を残している?」


――大魔王様も砲撃長も、皆ラウリス攻略戦はおろか、ホーホの大結界を破るために再出撃したことからになっている。それなのに、なぜ私だけが記憶を保持しているのだ?


 レスルゴが得も言われぬ感覚を覚えながら自室へ戻ると、扉の前に魔王付きの魔術師ルドラが立っていた。


「これは、レスルゴ様。ご機嫌麗うるわしゅうございます」


 ルドラが深い会釈をする。


「なんだ、ルドラ。私になにか用か?」


 珍しい客の訪問にレスルゴが少し戸惑いを見せると、ルドラは神妙な顔の眉間にしわを寄せた。


「いえ。レスルゴ様に、先日の『ラウリス侵攻』についてお耳に挟みたいことがございまして参上仕つかまつりました」


「なに!?」


 ルドラの言葉に、レスルゴは目を見開いて彼を見た。


 そのころ、ラウリスの街ではリーチが彷徨さまよっていた。


――魔王軍の攻撃で崩れた城壁も城も家も、あらゆる場所に転がっていた沢山の人たちのしかばねも、何もかもが元に戻ってる?


 何が起きたのか分からず、リーチはふらふらと魔法使いたちが集う冒険者ギルドへ向かった。


「お! 大魔法使い様が来たぞ!」


 ついさっきまで死体の山だった街のギルドは、酔客で溢れいつもの賑わいだった。扉をくぐると誰かの彼女をからかう声がして、いつも通りの侮蔑の視線を感じながら声のした方に目を向けると、そこには酔っぱらった冒険者タナトスがいた。


 リーチはタナトスに走りよると矢継ぎ早に質問した。


「ね、ねぇ、魔王軍は!? さっきまでいた魔王軍は!?」


 リーチの鬼気迫る剣幕に少しひるみながら、タナトスは言った。


「お、落ち着けよ。魔王軍ってなんだよ。そんなもん何十年も前からここには来てねぇよ」


 周囲からは嘲笑ちょうしょうとリーチをさげすむ声が聞こえてくる。


「あの出来損ない、こんどは白昼夢はくちゅうむかよ」


「魔法が使えないからって、今度はエセ預言者にでもなるつもりかしら」


 ギルドの片隅に集まっていた魔法使いの集団から、黒いマントで全身を包んだラウリスの魔法団長マジックマスターがリーチの傍らにやってきた。


「もう十分だろう」


 マジックマスターは溜息をつきながら、リーチに語り掛けた。


「お前は幾年も修行を重ね、それでも魔法で小石ひとつ動かせたことがない。それが現実だ。お前には魔法の才能が微塵もない。そんな人間がそのような恰好でいることが我々本物の魔法使いにとっては侮辱以外の何物でもないのだ」


「で、でも、私はこの街のために、ま、魔王軍と戦って……」


 リーチは思わず口走る。


「それだ。お前は自らの無能と向き合うことが出来ずに、遂に妄言を吐き始めたのだ。今から金輪際、魔法使いを名乗るのを辞めるのだ。それが出来ないのならこの街を出ていけ」


 マジックマスターはくるりときびすを返すと、リーチをかえりみることなくそう言い放つ。


 ギルド内では相変わらず嘲笑ちょうしょうが続いていた。


「あ! お、おい!」


 タナトスが腕を掴もうとするより早く、リーチはギルドを飛び出した。



「何が起きた?」


 ラウリスの領主ランゲルドは臣下に詰め寄った。


――たった今の今まで、膨大な数の魔王軍と戦い街や城も破壊の限りを尽くされ業火に包まれていた。しかも、私はベアタルスに止めを刺され死んだはずだ。


――彼岸を越えるその感覚を、はっきりと覚えている。それが気付いたら書斎に座っていたのだ。


 死んだはずなのに、いつもの格好でいつもの日常の中にいた。


「魔王軍は!? あの魔王軍はどうしたのだ!?」


「お、落ち着いて下さい、ランゲルド様。魔王軍はおろか、魔物一匹この城内には侵入しておりません!」


 臣下は必死でなだめるが、ランゲルドは引き下がらなかった。


「あれが、あの体験が夢であったはずがない。消えたのだ、あの事実が。何が起きた?」


 ランゲルドは必死で何が起きたのか突き止めようとした。


 しかし、結局なにも分からなかった。



「おい、亜人の里はあとどのくらいなんだ?」


 ガットがフォルティスに尋ねる。


 槍とガットたちを乗せた幌馬車は、高原の岩石地帯を縫うようにして敷かれた細道をひた走っていた。


「あと八十キロガル(約八十キロメートル)程度だ。」


 ぶっきらぼうにフェルティスが答える。


「それより、さっきの魔力爆発は何だ? 凄まじい魔力放出を感じたぞ……」


 フォルティスが、西南西の方角を見つめて言う。


「え、俺は何も感じなかったけど……」


 頓狂とんきょうな声でガットが答える。


「マジかよ、兄貴。さっきのはさすがに俺でもわかったぞ」


 テルアが呆れたようにガットを見る。


「今のは経験したことのない規模と強さの魔力でした。また魔王軍が何かしたのでしょうか?」


 幼子をあやしながら心配そうにフロースが呟く。


「腹が減ったのぅ、フロースよ」


 幌馬車床の部屋からホーホが顔を出した。


「ホーホ様、今の魔力爆発のようなあれは一体……?」


 フロースが尋ねる。


「ん? 今のか。そうじゃなぁ、そのうちわかるよ」


 ホーホはにかっと笑うと、それより飯じゃ飯じゃとフロースとテルアに夕食をせがんだ。


 見渡せば地平線に太陽も沈みかけ、亜人の子らも皆腹が減ったような顔をしていた。


「そうだな。少し早いが夕食にしよう」


 フォルティスがそう言うと、待ってましたとばかりにテルアや亜人の子らが幌から飛び出してくる。


 ガットが焚火を起こし、フロースとテルアが具材を切り刻んで野菜たっぷりのトロミがある濃厚なスープを作る。その周囲で亜人の子らとホーホが木の枝に刺したチーズや干し肉をあぶりながら談笑していた。


 チーズの焼ける香ばしい匂いが、ガットの鼻腔びこうを抜ける


 その光景を見つめながらガットは得も言えぬ感覚を覚えていた。


「仲間とこんな時間を共有できたことなんて『何百年ぶり』だろう。いや、そもそもあったかな」


 ガットが感慨に浸っていると頭をコツンと叩かれた。


「ぼーっとしてないで鍋をよくかき回さんか。底が焦げてしまうではないか!」


 振り向くとフォルティスが呆れたような顔をしてガットを見ていた。


「ははっ、わるいわるい」


 そう言って再びガットはグングニルで鍋をかき回しはじめた。



「話とはなんだ」


 悪魔大元帥レスルゴは自室に訪ねてきた魔術師ルドラを招き入れ、尋ねた。


「はい、レスルゴ様。単刀直入に申し上げますと、ラウリスの戦いについての知見にございます」


 頭をさげたままルドラは答えた。


「なに!? お前は私がラウリスで戦っていたことを知っているのか!?」


 ルドラの思わぬ言葉に、レスルゴの声が上ずる。


「いえ、私が知っているというよりも記録されていた、という表現が正しいかと」


 ルドラは一瞬レスルゴの目を見た後に、再び頭をさげて話を続けた。


「私の仕事のひとつには、森羅万象を記録してそれを保管するというものがございます。特に、それが有事であれば尚のこと詳細に記録いたします。その中に、ウラリスにおける我が軍の戦闘が記録されていたものでございます」


「ん? お前は記録していたことを覚えていないのか?」


 ルドラの話を聞いてレスルゴは疑問を感じた。


「はい。これだけの出来事を、そして記録したことを忘れるなどありえません」


 ルドラは答えた。


「始めは、私の記憶が消去されたのかと考えました。しかし、これだけの戦闘を、それを命じたであろう大魔王様含めてという事実。そして、記録魔法メモリーピアには記録が残っている。戦闘中に広範囲に、しかも精神体に深く影響を及ぼすなんらかの大魔法が使われた可能性があります」


「そして、あの『ホーホの大結界』とウラリス侵攻を指揮した悪魔大元帥であられるレスルゴ様の命と記憶だけは保持させている。これらから導き出される解のうちで確実に言えることは、あの地域には凄まじい、という表現では表せぬような強大な力を持った大魔法使いが居るということです」


 ルドラはそう言って頭を上げ、もう一度レスルゴを見た。


「……その大魔法は、メモリーピアに記録されていないのか?」


 レスルゴが尋ねるが、ルドラが首を左右に振る。


「はい。その魔法の効果が発露したと思われる魔法痕跡の部分のみ、まるで溶けて無くなったかのように消失しています」


 それを聞いたレスルゴは静かに頷いた。


「正体不明の大魔法……か」


「はい」


 レスルゴは漆黒の空に浮かぶ深紅の三日月を見つめながら深いため息をついた。


「私が記憶を保持している。そして、図ったようにメモリーピアにも記録させる。これは、術者からの『ラウリスへ来るな』という強い警告なのだろう」


――魔王様からは、ホーホの大結界を侵攻せよとの命が下るだろうが、その進軍に際しては、ラウリスは迂回してゆくべきだろう。


――いや、敵が誰でどれほどの力を持った者か分からぬ以上、大事をとって魔王使いや魔術師が生息する地域はすべて迂回して進軍することにしよう。


 そう思いながら、レスルゴは小さく呟く。


「しかし、あれだけの魔法を、魔力を操れる人間がこの世に存在するものなのか?」


 そう言って、レスルゴはルドラに背を向けて窓の外をじっと見つめた。

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