第13話 その名は与えるために

「ひゅー、ひゅー」


 魔物の振るう大剣に右手右足を切り落とされ、瀕死のリーチはそれでもなお魔法の杖を支えにして、人々が立て籠る教会の扉を背に独り魔物たちと対峙していた。


 何体かの魔物は農民が落としていった農具で撃退した。

 

 しかし、もう限界だ。


 真っ黒い津波のように迫りくる魔物の群れを睨みつけながら、これまで歩んできた人生が、味わってきた辛苦が脳裏をよぎる。


「どれだけ努力しても、血反吐を吐くような思いで全てを捨ててどれだけ臨んでも手に入らない。天賦の才に恵まれたものに私の気持ちが分かるか!」


 二十年の研鑽を重ねても魔法で石一つ動かせなかった。

 それでも私は魔法使いになりたかった。


 傍らでは片手間のように魔法を覚え使いこなし要職に就くものや様々な活躍の場を見出すものがいる中で、私は自らの才華さいかの皆無に絶望しつつ、いつかどんでん返しがあるのではないか、という根拠なき願望にすがって地獄を生きてきた。


 だけど今、魔物たちが振るう大剣に人々が切り刻まれていく。


 わたしがねたみ、羨望を覚えながらしかし懸命に生きてきた世界を、阿鼻叫喚の漆黒が包む。


 そして眼前で繰り広げられる地獄絵図を見ながら、私自身腕を、脚を切り落とされた。


 瀕死の重傷を負いながらも腹の底から自らの無力を恨み、そして腹の底から願い、あらん限りの声で叫ぶ。


 ――もう絶対に叶うことのない、届くことのない願いだけど……


「わ……私の命と引き換えに! 私の血肉と引き換えに!」


「み、みんなを助けるちからを、どうか!!」


 リーチを切り刻んでいた魔物たちの背後には、さらに巨大な魔物が大挙して押し寄せてくる光景が見える。


 それなのに、この期に及んでもなお自身に宿る魔力を微塵も感じない。

 この状況を打破する方法が、まるで思いつかない。


――もうだめだ。


 歯を食いしばり、リーチは死を覚悟した。


――だが、私が死ねば後進も死ぬ。


――倒すんだ、たとえ一匹でも多く。私の後ろにいる人たちのために、この命を懸けて。


 脳裏に去来する絶望を振り払うように頭を左右に振りながら、最期の力を振り絞り血まみれの手で魔法の杖を握り締めたとき、彼女の頭に声ならざる声が響いた。


「我はここにる」


 リーチに止めを刺すべく魔獣が奇声を上げながら振り下ろした巨大な鎌の切っ先が、リーチの頭部めがけて高速で突進する。しかし、その鎌の動きがリーチにはまるで止まっているかのように見えた。


「?」


 リーチが、数多の殴打を受け腫れあがった顔を上げる。

 と、また声がした。今度はよりはっきりと。


「願うものよ。我はここにる」


「え?」


 リーチは、顔を更に上げて空を見た。


――だ、だれ?


 その声は続く。

 魔獣の切っ先もリーチの頭部へ進んでゆく。


 しかし、声は続く。


「我が名は、『アマリリス』」


「願う者よ、我の名を呼べ」


―― ア……アマリリス?


 激痛と出血で薄れゆく意識の中で、しかしリーチはなぜかそう思う。


――そ、そうだ。魔法だ。魔法でみんなをたすけるんだ……


 生まれてこのかた、使えたことはない。

 今もまるで


 それでも、最期にこれにすがるしか奇跡は望めないことだけは分かる。


――なにか、なにか詠唱しなければ……


 だが意識が遠のく。

 もう唇を動かすちからも残っていない。


 そのとき、遠くから誰かが語り掛けてきた。


 リーチは、幻の中に浮かぶ懐かしいシルエットに必死で手を伸ばす。


「もう大丈夫。あなたはひとりで本当によく頑張ったわ。そしてごめんなさい。あなたをひとり残してしまった私たちを許してね」


 その影が、やさしくリーチに語り掛ける。


「君には名前を授けた。魔法が使えなくて苦しんだだろう。しかし、思い出すんだ」


「リーチという名は、それだけでは力を持たないんだ」


「呼びかけるんだ。心から呼びかけるんだよ」


 となりの影もリーチに話しかける。


「ねーちゃんは泣き虫だからなぁ」


「そうだよね。ほら、見て! また泣いてら!」


 二つの影の間に現れた二つの影からコロコロと楽しそうな声がした。


「お、おとうさん! おかあさん! リル! ルコ!」


 それは十二年前にリーチがラウリスへやって来る前、ラッテンペルゲ率いる魔王軍の攻撃で命を落とした彼女の家族だった。


「君が守ろうとしている人たちが、これから出逢う人たちが君を待っているよ」


 みんなの声が頭に響く。


「信じてあげるんだよ、自分を」


「さぁ、もう一度立ち上がれ」


「大魔法使いリーチ!」


――そうだ、私はリーチ。この命と引き換えにしてでも街の人たちを守るんだ。


 渾身の力を振り絞り、目を見開いたリーチの脳裏にふたたび、声が響く。

 魔獣の振り下ろした鎌の切っ先はもうリーチの頭髪に触れ始めている。

 魔物たちが真っ黒い津波の壁となって眼前に迫る。


 どんな手を尽くしても死より他は無い絶望的な状況にあって、しかし声は続く。


「我が名はアマリリス」


「願う者よ、心底より願え。ただひとつの命を賭けて――」


 リーチは残る一本の腕で魔法の杖を握り締め、ゼーゼーと荒い呼吸を突いて叫んだ。


 万感の想いを込めて。


「ま、街の人たちを! み、みんなを助けてほしい!」


 失神しそうになりながら、最期の力を振り絞ってリーチは絶叫する。


「わ、私の願いを叶えてほしい! け、顕現せよア……アマリリスッ!!」


<May my wish reach for Amaryllis!>


 最後の発声の振動がリーチの唇を離れる刹那、再び声がした。


「了承した」


「これより汝の願いを成就する」


 途端、遥か彼方から尋常ならざる巨大な力の本流とも揶揄やゆすべき圧倒的な力が、想像を絶する速度で彼女が握る魔法の杖に到達した。


 刹那、膨大な魔力が一瞬で魔法棒の先端に爆縮され、凄まじい数の魔方陣が花火のように溢れ出す。リーチを膨大な数の魔方陣が包み込む。そうしながら、彼女を包み込む世界を構成する理論やロジックが彼女の都合の良いカタチに超速で分解、再構築されてゆく。


 上が下に。前が後ろに。

 冷たい水が暖かく、壊れた器が元に戻る。


 エントロピーの増大の法則が破壊されてゆく。

 虚時間が発生する。


「汝の願いを完遂する為、一時的に世界の原理法則を変更する」


 猛烈な魔法暴風にさらされて、何が何だか分からずに唖然としているリーチの耳に声ならざる声が届く。


 次の瞬間には爆光という表現を遥かに凌ぐ閃光が、リーチの握る魔法の杖から放たれる。


 その閃光は、変化した理論によって再構築された世界を一瞬でラウリスの郊外にまで届け包み込む。


 そして天空に浮かぶ雲を遥か彼方まで吹き飛ばし、ラウリスを包み込むほどの巨大な大光輪が天高く形成され、はらわたをえぐるような轟音が天地に響き渡る。


 魔物たちも兵士も魔法使いたちも逃げまどっていた人々も、その場に居合わせた者たちすべてがその動きを止め、唖然として一斉に天を仰ぐ。


 そして、高空に形成されたその巨大な光輪は、ふわりと音もなくラウリスへ落下し、あっという間に街は光の洪水に包まれた。


 そのあまりの眩しさに目をつむり、そして暫くして恐る恐るリーチが目を開けると……


 街の人たちがクスクスと笑っている。


 街中で、魔法の杖を突き出して、ただひとり立ち尽くす彼女を見て。


 切り刻まれたはずの彼女の身体も傷一つ付いていない。


 魔物はすべて消滅し、街は魔物が襲来する以前の状態に戻っていた。

 街のうえには雲一つない青空が広がっている。


 魔王軍の襲来で、おびただしい肉片が散乱し血生臭い地獄の様相となっていたラウリスの街は何事もなかったの如く様相を呈していた。


「……え? えっ!?」


 リーチはわけが分からなかった。



 魔法が使えない、魔法使いになりたかった女の子リーチ。

 大魔法アマリリスは、彼女を選んだ。

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