第8話 大魔王ラッテンペルゲ

「そのような話は聞いたことがない」


 ハーフエルフの森から受けた偵察の話を聞いて、大魔王ラッテンペルゲは困惑した。


『大魔王ラッテンペルゲ』


 その名を知る者は恐怖で身が固まり、その姿を見た者は卒倒するという。

 悪名名高く魔界を統べる、そんな大魔王も聞いたことがない奇妙な話。


「お前は本当に見たのか、そのような者どもを?」


「大魔王様、確かなのです。棍棒を振り回しあらゆる魔物を駆逐する人間と、凄まじい魔法攻撃を仕向けてくる魔女がいたのです。そしてなにより、奴らはあの忌まわしいホーホの大結界を内側からではありますが、いとも簡単に越えてきたのです」


 偵察の飛翔魔物がそう報告した。


「棍棒に魔女? お前はなにか知っているか?」


 ラッテンペルゲは、傍らに佇む魔王付きの魔術師ルドラに尋ねた。


「いえ、大魔王様。私では事態の委細は図りかねます。しかし、アーデアの先にあるハーフエルフの森はかの高名な大魔法使いホーホ終焉の地とされています。あの地に送った精鋭部隊が全滅したという事実から、かの地で何か不測の事態が起きていると考えるのが妥当かと思われます」


 ルドラは答えた。


「しかし、あの地を堕とせば各地に点在する忌まわしきホーホの大結界を消滅させることができる手段を確立できる。そうすれば、あらゆる結界の中にいるエルフや亜人どもを皆殺しにできるんだ」


「なんとしてもやり遂げねばならん」


 ラッテンペルゲは、忠臣の悪魔大元帥レスルゴに命じた。


「あの地はなんとしても我が手中に納めねばならん。オーロホウそのほかに必要な武器や兵を用意してやる。そうだ、精鋭揃いの第六軍を与えてやる。必ず攻め滅ぼせ」


「はッ、大魔王様。必ずやご期待に応えてみせます!」


 レスルゴは胸に手を当てて咆哮し、部屋を後にした。


 大魔王の執務室にラッテンペルゲとルドラの二人だけとなった時、ふっとルドラがラッテンペルゲの顔を見て驚く。


――あの大魔王様が、鉄仮面とも言われるラッテンペルゲ様が笑っていらっしゃる?


「なにか、心躍るようなことでもおありですか、大魔王様?」


 思わずルドラが尋ねると、ラッテンペルゲは一瞥もせずに窓の外を見ながら答えた。


「数百年も昔のことだ。余が人間であった頃をふと思い出した」


「人間であった時代の思い出……ですか?」


「余はある者と契約を交わしていた。それは余の今日に至る道程の礎を築いてくれた偉大な契約であった。その契約のお陰で余は死なずに魔王となった」


「マジック・ヒューズですね」


 ルドラが小さく溜息をつく。


「あの稀代の天才錬金術師ルサンチ・マンが生み出した数々の魔法のなかでも傑作と謳われる、岐路近接発動魔法『マジック・ヒューズ』」


「さすがだ。知っているのか?」


「はい。契約発動の条件が発生する前、すなわちに契約を発動する。この魔法は、特に契約発動の条件が生死に関わる場合に絶大な効果を発揮する」


 そう言ってから、ルドラがラッテンペルゲを見上げる。


「大魔王様が大魔王様たらしめるためにこれを使ったということは、我々魔術師の間では有名な話です。その代償はかなりのものと思われますが、差支えがなければ後学のためにもぜひこのルドラにお聞かせ下さい」


「世界だ」


 ラッテンペルゲが呟く。


「魔王となった暁には、世界を圧倒的で徹底的な艱難辛苦で満たすこと。阿鼻叫喚の地獄絵図を地上に発露させること」


「ただ、これだけがヤツとの条件だったのだ」


「……捧血儀礼、ですか?」


 ルドラが目を見開いて答える。


「……その時点では人間であったとは言え、のちの大魔王様とそのような契約を結び、あまつさえマジック・ヒューズ発動にそのような条件を欲する者が居るのですか?」


「いる」


 ラッテンペルゲは答えた。


「余はその者の名も素性も知らぬ。しかし、ヤツは与えてくれた」


「与え……? な、なにをですか?」


「光だ。余の潰された両の目と母上の仇を打つ機会を与えてくれたのだ」


 ルドラは驚いた。

 試しに尋ねてみたとは言え、二百八十年近く共に居てこんな饒舌じょうぜつなラッテンペルゲは初めてだったからだ。


「それで、今のお話と先ほどの微笑みにどのようなご関係が?」


 回答をあまり期待せずに尋ねてみる。


 しかし、思いがけずラッテンペルゲは頭を小刻みに振りながら、少なくともルドラにはそう見えたのだが、とても軽快にこう答えた。


「余が契約を結んだことを知って激高した魔女がいた。その者を思い出したのだ」


「始終何かを食っている、そんな卑しい女ではあったが余のことをいつも最優先で考えていてくれた、騒がしい女だった」


 そう言って、ラッテンペルゲが少し寂しそうな顔をした。


「その者も、もうこの世にはいない。久方忘れていたが、大結界での話を聞いて久しぶりに思い出した」


 そう言ってから、ラッテンペルゲはルドラの顔を見て改めて指示を出した。


「話は以上だ。つまり、より広域かつ徹底した破壊と略奪が必要なのだ。そのためには更に強大な破壊力を持つ兵器とその原料が必要だ」


「余が言いたいことは分かるな、ルドラよ。」


 ルドラがひざまずいて首を垂れる。


「はっ、大魔王ラッテンペルゲ様! より侵略し、より破壊し、より奪いましょう!」


「そうだ、それでいい」


 ラッテンペルゲは満足そうに頷いた。


「この『星』を地獄の猛火で焼き尽くすまで、余の軍の進撃は止まらない」


 その言葉を耳にしたルドラは黙って頭を下げた。

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