第5話 魔王軍の襲撃

 空を見上げると、真っ暗な夜空が広がっているはずの空間が真っ赤に染まっている。凄まじい魔法攻撃が結界に浴びせられ始めたのだ。


「あ、あれは、多連装魔砲オーホロウの攻撃だ……」


 男がうなる。


「オーホロウ? なんだ、それは?」


 フォルティスが聞いた。


「あれは都市陥落戦や攻城戦で使うために魔王軍が開発した多連装兵器だ。一発で中級魔法使いひとり分のマナを消費する魔法弾を何百発と連続して打てるらしい」


「な、なんだって? 一発が中級魔法使い一人分のマナの量だって? そんな攻撃をどうやってあんなに……。それになぜ、の結界を正確に斉射してる?」


 凄まじい数の魔法弾を前に、フォルティスが絶句する。


「捕虜だ。奴らは街を侵略するたびに大量の捕虜を捕らえるんだ。そして、弾薬バックパックみてぇなもんに魔法使いを並べて使い潰していくんだよ」


「結界に標準を合わせることが出来るのも、その弾倉代わりに集められた大量の魔法使いを使って収斂させた魔力で結界の境界部に魔力合焦させているんだろう」


――あれはそういうクソみたいな兵器なんだ。


 そう言って、男は不思議な既視感を覚えながら魔法弾の発射点を睨んだ。


「お、お前だって言ってたよな? どうしてそんなに魔王軍の兵器に詳しいんだ?」


 ロイが尋ねる。


「前にも言ったろ、俺は何度も転生してその記憶を覚えてるって。最近の記憶にあるんだよ、オーホロウのことがさ」


 何気なくそう答えて、男はふと思う。


――そういや、オーホロウの記憶がある人生ってどんな人生だった?


 そして思い出す。


――あぁ、そうだ。開発途上の魔法弾の試射に使われたこともあったんだな。


 そうこうしているうちに、凄まじい数の魔法弾が撃ち込まれて結界が波打ち始める。そして、その揺らぎが結界の魔法結合の強度を少しずつ低下させてゆく。


「まずい、このまま魔法弾が撃ち込まれ続けたら結界が崩壊するぞ!」


 誰かが叫んだ。


「魔法弾の発射点を潰せないのか!?」


「だめだ、あれは結界の外から撃っている。攻撃出来ない!」


 これまで三百年間、ハーフエルフの里を守り続けてきたホーホの大結界が破られようとしていた。


「魔物どもが入ってくるぞ!!」


 誰かの叫び声とともに、結界のたわみが大きくなり魔法結合が弱体した部分をこじ開けて大量の魔物が侵入し始めた。


 膨大な数の魔物たちが真っ黒な津波のように押し寄せてくる。


「もうだめだ、女子供だけでも高い所へ避難させろ!」


 ハーフエルフたちの悲痛な叫びがあちこちで聞こえる。


 結界のせいで、結界の外へ避難させることが出来ないため、とにかく樹木の高いところへ避難を促すが皆焦りと恐怖でうまく行動出来ない。


「早く、早く非難させるんだ。戦えるものは武器を持て!」


 フォルティスの怒号が聞こえる。


 阿鼻叫喚あびきょうかんに包まれるなか、恐怖におののくフロースの頭を優しく撫でながら男は言った。


「大丈夫だ。必ずなんとかするから」


 そして、男はフォルティスとともに迫りくる魔物たちの前に立ちはだかった。


「俺が、俺たちが死ねばフロースたちも殺される。たとえ奴らを皆殺しにはできなくとも、少しでも時間を稼ぐんだ。フロースたちが少しでも遠くへ逃げる時間を……」


 微塵の希望もない状況のなかで、しかし、男は願った。


「都合が良過ぎる願いなのは分かってる。だけど、できりゃ誰も死なせたくねぇ。俺はどうなったって本当に構わねぇんだ。だけど、フォルティスや牢屋番、それに里の連中は本当にいい奴らなんだよ」


「俺の命なんざいらねぇ、俺にはまた『次』がある。だけど、奴らは助けてくれよ。何とかしてやってくれよ」


 そう呟いて、男の目に涙が溜まる。


 魔王軍の圧倒的な絶望的物理量が真っ黒い塊となって眼前に迫るなか、男は腹の底から願った。


「頼むよ神様! 居るんだったらなんとかしてやってくれよ!」


 その時、男の手にコツンと何かが触れた。


 フォルティスや他のハーフエルフたちも同じく死を覚悟していた。

 それでも、家族や仲間のために少しでも時間を稼ぐことが出来ればとそればかりを考えていた。


 と、ハーフエルフの間をジョンッ! と黒い影が魔王軍に向かって矢の如く突っ走ってゆくのが見えた。


「!?」


 いよいよ真っ黒い巨大な塊がフォルティスたちを覆い尽くそうかとしたそのとき、猪突猛進していた魔物たちの先頭集団が轟音とともに突如血しぶきを上げ始める。


 魔物の叫び声と何かがぶつかる地響きのような衝撃音が響き渡り、前線は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と化しだした。


「なんだ、何が起きている!?」


 フォルティスや武器を手にしたハーフエルフたちがどよめく。


「な、なんだ、あの光は!」


 それは、男が持つ棒からだった。


 男が振る棒のあまりの速度に、棒の先端が空気との断熱摩擦により高温となって光を放ちはじめていた。


 棒は滑らかに、しかしどんなものに当たっても決してその運動を止めず、男の眼前にある魔物をただひたすらに破壊していく。凄まじいエネルギーで駆逐してゆく。


 ドドドーン、ドンドーンという、およそ剣技から放たれる音とはまるでほど遠い、はらわたに響くような衝撃波により生み出される轟音があたり一帯に響き渡り、魔物は凄まじい勢いでその数を減らしてゆく。


「いやいやいや、色々おかしいだろ!?」


 牢屋番のロイが絶句する。


 棒の動きに圧倒され、繰り返される衝撃に失いかけていた意識の中で男は夢を見ていた。


 それは何回目の人生だったか。


 とおちゃんとかあちゃん、それに妹が敵国の兵士に切り刻まれ必死で棍棒を握りしめて兵士に飛び掛かるも一刀の下に切り殺された幼い俺。


 売られた先で仲良くなって将来の夢を語り合った奴隷の少年を、コロシアムで守れなかった私。


 下級魔物として転生して、必死で家族を養いながら冒険者や勇者から逃げ続けたが、結局家族もろとも皆殺しにされた俺。


 どの人生でも、いつだって俺は凡人で底辺で、いつだって力が足りなかった。そして、沢山の大切な人たちを目の前で失ってきた。


 生まれ変わるたびに繰り返される地獄。

 しかも、それら前世の記憶を忘れることが出来ない。


 でも、今生は違う。与えられている。


――守りたいものを守れるチカラが、与えられているんだよ!!


 棒と魔物が接触する際に生じる轟音と衝撃のなかで、男の意志ははっきりと覚醒する。


「おれは、命に代えてもこいつらを守り抜く」


 その決意を汲んだように棒の速度が更に加速する。

 粉砕された魔物たちの体液でできた霧と凄まじい輝度の光があたりを包み込んでゆく。


 やがて、男の視界が漆黒に包まれる。


 その漆黒の闇の中で、責務とも憎悪とも分からない激情に駆られて棒を振り回す男が最後の一撃を加えようとした刹那、その棒の動線の先、男の眼下に小さな魔物が現れた。


 男が更なる打撃力を棒に与えようとして、気づく。


 その小さな魔物は、更に小さな魔物を守っている。


 棒の運動は止まらない。凄まじい速度でその魔物に向かって振り下ろされてゆく。


「やめろ、やめろ、やめろ、やめろ!!」


 男が絶叫する。


「やぁめぇろぉおおおおーーーーーー!!!!!」


 そのとき、ぶちんという鈍く大きな音が頭に響き、再び男は意識を失った。



「おい、おい! しっかりしろ!」


 ロイの声で男は目を覚ました。


――なんだ、また気絶したのか?


 男はよろけながらも棒を支えに立ち上がるとあたりを見渡した。

 一面魔物の血の海となっている。凄まじい臭気が立ち込めている。


「臭っさ……」


 しかし、耳をつんざくような魔物の咆哮ほうこうで溢れていたことが嘘のように、森は不気味なほどの静けさを取り戻していた。


「一体、どうなった?」


 男が尋ねると、もの凄い勢いでロイが叫んだ。


「どうもこうもねーや! あんた、いったい何者なんだよ!」


 ふと気が付くと、傍らでボロボロになったフロースも声を上げて泣いていた。


 そうだ、あの混乱のなかを、自分も死ぬかもしれない状況のなかで彼女が命懸けであの棒を持ってきてくれたんだ。


「フロース、ありがとう」


 男はそういってフロースの頭を優しく撫でた。


 フォルティスが近づいてくる。


「お前は、なんなのだ?」


 フォルティスはとても険しい顔をしていた。


「お前がその棒を手にした瞬間、凄まじい力と同時に魔力を感じた。刹那、あらゆる魔物を駆逐し始めた」


「そして魔物の殺戮が終わると、今度は我々に向かってきたんだ」


「しかし、その棒は我々に振り下ろされる寸でのところでその動きを止めた。そう、突然にだ」


「お前たちハーフエルフも、俺が襲おうとした?」


 男が絶句した。


「そうだ」


 フォルティスはそう答えた。


「だが、止まった。止まったんだ」


「そしてその瞬間、その棒から力が、膨大な魔力が消えていくのも感じた」


 フォルティスはもう一度、男に尋ねた。


「お前と……お前が持っている、それはなんなのだ?」


 男はじっと棒を見つめた。


「分からない。本当にわからないんだよ」


 素直に、男は言った。


「とにかく、俺は結界の外にあるオーホロウや魔物を駆逐してくる。なんだか分からないが、今の俺にその力があるなのなら、奴らを殲滅せんめつしてくる」


「お前ひとりでか!?」


 ロイが叫ぶ。


「やめて、やめて。せっかく助かったんだから、ここにいようよ」


 フロースも泣いてしがみついてくる。


 だが、男は言った。


「またオーホロウを撃ち込まれたら同じことが起きちまう。チカラがあるうちに、今やるんだ」


「だが、どうするつもりだ。奴らは結界の外だぞ」


 フォルティスが言う。


「お前が気絶してる間に、結界はその強度を回復してる。さっきも試したが、お前も外に出られないじゃないか! どうするんだ?」


 男は尋ねた。


「それなら、その結界に力場を与えている場所に連れて行ってくれ」


「こいつで、それを破壊する」


 理由は分からないが、男には今ならそれが出来る気がした。

 そして、そうするべきだと思った。


「しかし、あの場所は……」


 フォルティスが言い淀む。


 その時、長老が言った。


「分かった。おまえさんをあの場所に連れて行こう」


「しかし、得体のしれないヤツをあそこへ連れていくなど……」


 フォルティスが言い淀む。


 長老はフォルティスに目をやると、大丈夫、とだけ言った。

 そして男についてきなさい、そう言って歩き始めた。


 ほどなくして到着したそこは、巨大な樹の根にある洞だった。


「さぁ、入りなさい」


 長老に促されて男も中に入った。


 螺旋階段を下りて、行き着いた先の扉を開けると、そこは小さな部屋になっていた。


 そして、片隅にある机に小さな魔女、の姿見をした骨と皮だけとなったミイラが座っていた。


「彼女が大魔法使いホーホ様じゃ」


 長老が言った。


「あのような姿になってもなお、今も結界魔法の呪文を唱え続けておる。彼女はわしらを守るために三百年、あのような姿で呪文を詠唱なさっておるのじゃ」


「結界を破るには、彼女を破壊すればいい。今の彼女は結界魔法を展開するためだけに動き続ける残留思念を魔法によって固定化された、彼女自身の傀儡かいらいじゃからの」


 そう言いながら、長老の目には涙が溢れていた。


「結界を破るなら骸を壊せばいい。しかし、それだけのことができんかった」


「ホーホ様の骸を破壊することなど、我々には」


 男もホーホの骸を前に、呆然と立ち尽くしていた。


 肉も朽ち果て骨と皮だけとなってもなお、机に向かい魔法の書を読み上げ続けている。屍と化した肉体のはずなのに、唇だけがカサカサと微かに動いている。


「すごい……」


 目の前の光景に、男は思わず口走った。


――俺だって彼女を破壊することなんてできない。


――彼女の願いを、想いを破壊することなんてできやしない。


 しかし、男がふと見渡すと長老が、ハーフエルフの皆が頭を下げていた。


「彼女の願いはこの里を守ること。いや、我々人外の者たちを守ることです」


 クニフが静かに言った。


「この大結界を破る方法を魔王軍どもは見つけてそれを実行した。これはここだけの話ではないはずです。世界中にあると言われるホーホ様の大結界の内側には、我々の同胞がいます」


「ここが崩壊すれば、その方法を獲得した魔王軍によって間違いなく世界中の仲間が皆殺しになるでしょう。結界があれば我々は逃げることも叶わない。しかし、魔王軍と互角以上に戦えるあなた様が今、ここに居る。これはおそらく必然なのです」


 クニフは、ホーホの骨と皮だけとなって朽ち果てた手のひらに優しく触れながら続けた。


「ホーホ様は本当に長い間私たちを導き、お守りして下さいました。私は、私たちは今も心から感謝しお慕い申しあげておるのです。そして、もう解放してあげたい。そう心から願ってもいるのです」


 そうして、皆が深く深く男に頭を下げた。


「突然、つらいお役目を押し付けてしまって本当に申し訳ありません」


「ですが、どうか」


 男は目を静かに閉じた。


「わかった」


 男は静かに答えた。


「その役目は俺が引き受けさせていただくよ。だが、結界が消失したことに気付けば魔王軍がなだれ込んでくるだろう。幸いなことに奴らは日中は動きが鈍い。だからホーホの亡骸を破壊するのは陽が昇るのと同時に行うことにしよう」


「ここから結界の境界までは距離がある。フォルティスは戦えるハーフエルフを率いて、できるだけ結界の境界から離れた場所で戦端を開いてくれ。俺も……ホーホを眠らせたらすぐに向かうよ」


「長老やクニフさん、フロースさんたちはその間になるべく遠くへ逃げてくれ」


 皆がうなずく。


「本当に、すまない」


 フォルティスが頭を下げる。


「いや、そんなことはない。むしろ栄誉あることだって思ってるよ」


 男は言った。


「あの姿を見れば学のない俺でもわかる。彼女は本当に偉大な魔法使いだったんだって」


 男はそういって、この里に来て初めて微笑んだ。


 ハーフエルフたちが去って、男はホーホの遺骸と改めて向き合った。


「あんたは本当に大した女だよ」


 男はまるで友人にでも語り掛けるように言った。


「こんな姿になってもなお里を守るために、彼らを守るために命を懸けてる。なんだか神々しくすら見えるよ、本当に」


「あんたが眠ったあとは俺たちで何とかする。だから安心してくれ」


――日の出まではあと少しありそうだ。となりを拝借するよ、少し眠らせてくれ。


 疲労困憊していた男は、小さくそう呟くと彼女の傍らで机に突っ伏して眠ってしまった。


 どのくらい眠ったのか、グリンカムビの叫び声のような音で男が目を覚ました。

 洞の外で怪鳥が鳴いているらしい。


「おぉ、もう夜明けか」


 体を起こして……目に入った光景に男は硬直した。


 白銀の髪を腰まで伸ばし、黒いナポレオンマントに身を包んでバックルデコレーションされた長いウェッジブーツを履いた翠瞳すいがんの少女が、男の目の前でふわふわ浮かんでこちらを見つめている。


「え? え?」


 男は酷く動揺した。


――魔王軍の斥候せっこうにでも侵入されたのか!?


 慌てふためいて見渡すと、傍らにあったはずのホーホの遺骸がなくなっている。


「お、お前は誰だ? ホーホをどこにやった?」


 男が目の前の少女に尋ねる。


 少女はにっこりと笑って答えた。


「われがホーホじゃ」


 男には何がなんだか分からなかった。


「……わからん。全然、わからん」


 困惑する男に、ホーホと名乗る少女は笑って答えた。


「われは、われの骨を媒体に魔力で肉体を実体化しておる。残留思念の実体化、魔法体といったところかの。まぁ、本人そのものではないにせよ、限りなく本人じゃ」


「ま、まってくれ。それじゃ三百年間ミイラだったのに今更実体化したってことか? なんで?」


 男が尋ねると、ホーホは顔を傾けて楽しそうに笑った。


「おぬしが、われを口説くからじゃろう?」


 男はますます分からなくなった。

 が、突然思い出した。


「そうだ、俺はこれからあんたの結界を破壊しなきゃならないんだ!」


「わかっておる。」


 ホーホは言った。


「結界を介してわれも色々と見聞きしておった。魔王め、あんな厄介なものまで拵えおって。しかしまぁ、大丈夫じゃ」


 あっけらかんとホーホは笑って、きょとんとしている男に言う。


「おぬしとがあるからの」


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