第2話 嘘みたいな世界。
「さあ、何から考えて行こうか?」
「へいっ?」
いけない。
ちょっと物思いにふけっていたプラス、初めて入る男の子の部屋にどぎまぎしてうっかりキョロキョロしているうちに、本来の目的を忘れてしまう所だった。
「学校までサボらせたんだから、咲菜もちゃんと考えて!」
背の高い本棚の前に私の居場所をセッティングしてくれた颯が、そこをポンポンと叩きながら急かしてくる。
颯が読んだと思われる沢山の本がどんなラインナップなのか気になっていたから、私に用意された場所からは、それを横目でしっかりと確認できなくて少し残念だった。
そういえば、颯はクラスでもそんなに目立つ方でもないし、私が本来の姿のクミコたちと教室の中心部分でワイのワイのしている時には、視界の端の方で一人涼しい顔して本なんか読んじゃってた気がする。たぶん。
だからこうして話すようになるまでは、大人しくて従順な……っと失礼。物静かで、控えめなタイプだと思っていたのに。
あの後どんなに探しても私たち以外に「普通」な人はどこにもいなかった。それは私たちにとってみれば、ゾンビ映画の中で二人だけ生き残ってしまった様な状況と同じような感じで。だからまあ、その、「吊り橋効果」的なやつで?私たちが打ち解けるのに時間は全く掛からなかった。
しかし話してみるとまあ、本性を現した颯ってばめっちゃ気が強いし、何ならちょっと頑固だし。体育とか苦手そうな顔してるくせに、意外と俊敏に動く事がわかった。
「ねえ?絶対いま、関係ない事考えてたでしょ?」
「っう、そ、そんなこと、ないわ。」
「語尾が変。咲菜ってウソつけないのな?」
ちょっと嫌味っぽい口調なのに、その表情は柔らかくて安心する。
それに颯との会話は、そのテンポとか何気ないツッコミが心地良くて、ずっとずっと前から私の事を良く知ってくれている友達みたい。ってか、そこら辺の友達よりも、断然気が合うような気がしている。
先週の今頃、颯の名前の読み方も知らなかったなんて嘘みたい。
嘘みたいになっちゃったこの世界で、そんなことを考えている自分がちょっと面白かった。
ホント、この数日で「話してみなけりゃわからない」ってことを、私は何度も実感したなぁ……
「って、ああっ!」
「なに?」
「わかった!うん。わかった気がする!」
「急になに?わかったって、俺たちが元の世界に戻る方法が?」
「ごめん。それは違うんだけど、皆のさ、あの姿の法則?みたいなの。わかった気がする!ほら、敵を知るには先ず味方から?とか言うじゃん?それだよっ!」
「なんか違う気がするけど?」
自分のテンションなんだけど、自分では抑えられない位に上がっているのがわかる。だから本当は颯にも同じ位のテンションの上昇をお願いしたかった。
一度は身を乗り出した颯だったけど、スンっという音を立てながら、元のクールぶった顔に戻る。
「まあ、聞いてって。いま私たちに分かっている事ってさ、『見た目が変わっちゃっただけで、中身は何にも変わってない事。』と『私たち以外はいつも通りの姿に見えている。』って事、あっ、あと私と颯には『同じように変わって見えてる。』って事だよね?」
「そうだな。あと、『家族は何も変わって見えない』って事か?」
「あっ、そうか。そうだね。」
いつも通りの朝だと思い込んでいた、あの月曜日から。
知っていたはずの顔ぶれが、私たちの全く知らない姿に見えるようになっていた。
「んでさ、その変わっちゃった見た目の事なんだけど、あれ『なりたい自分』的なやつなんじゃないかな?」
「なりたい自分?」
「うん。例えば、クミコとカナとミク。それからリンも。みんな同じに見えるじゃん?」
「ああ。咲菜がもともと仲の良かった?」
「そうそう。だから余計に見分けがつかないの困るんだよ。みんな一斉に喋ると誰がだれかわかんなくなる。」
「お前たち、いっつもうるせぇかんな?」
「はい。それはごめんなさい。って、話し戻すけど、アレさあ、SNSのフォロワーが凄い事になって、この間メジャーデビューしたuniちゃんだわ。」
「ウニちゃん?知らないけど、魚介?」
「魚介じゃないし、めっちゃ可愛いし、すっごい歌上手いの!でも私はあんま追っかけてなかったから、直ぐ結びつかなかったけど……」
「そっか。まあ、そのウニちゃん?みたいに憧れる様な姿ならまだ分かるけど。じゃあ、あれは?あの、ピンクの……」
「ユッキーでしょ?あれは結構衝撃だったよね?教室に入ったらさ、ユッキーの席にピンクのクマが座ってるなんて……ってそう、あのクマの事も思い出したの。アレは、ユッキーが毎晩寝る前に話しかけてるぬいぐるみだよ。」
「ぬいぐるみ……が『なりたい自分』って事?」
「きっとそうなんだって。だってユッキー、前にそのピンクのクマと本気で付き合いたいって言ってたし、だから自分がいっそクマに?みたいな感じじゃん?」
「一気に説得力が落ちたけれども。でもそう言われて見れば、ルイのアレは……太宰治か?」
「え?ルイって、颯が唯一仲の良い?」
「そうだけど、言い方。あいつさ、実は小説家目指してんだと。」
「へー?颯と一緒に居るわりには活発そうだと思ってたし、何か意外だわ。」
「咲菜、いちいち俺に失礼。」
「すんまそん。」
「でも、そっか。それで言ったら英語の棚橋先生のアレはマイケルジャクソンで……」
「社会の高木先生のアレは、キ、キティちゃん。だったか。」
「……まあ、分かった方が気が楽だね?」
「そだね。」
「えっ、じゃあ新藤先生って……」
「っひゃ。うん。もうこれ以上考えるのはよそう。」
「そうだな。うん。。そうしよう。」
月曜日、颯と寄り添うようにして恐る恐る入った教室は、カオスの見本の様だった。
私の姿に気付くと、私が颯と一緒に来た事に騒ぎ出すuniちゃん×4人。その向こうにはピンクのクマが自分の席からこっちに向かって手を振っていた。そして颯と仲の良いルイは、何だか彫りの深いおじさんが制服を着ているみたいになっていて、それはもう恐怖だったけど、あれが太宰に憧れた姿だって言うなら、まあ、そんなに怖くないかも。
私が思いついたこの法則は、もう間違いないと思う。
それに、何だか訳の分からないものって凄く怖いけど、解明できればどうにか対応していけるような希望が湧いてくるから不思議だ。
「咲菜のこの考えはたぶん合ってるよ。でもさ、それで、どうしようか?」
「……そこなんですよね?」
「でも、これだけ分かったらさ、もしずっとこのままでも、何とかやっていける……」
「えっ?……なんで?私は嫌だ。」
「咲菜?」
颯の言葉を遮るようにちょっとだけ叫んだ。確かに希望は湧いたけど、だからって私はこの状況を受け入れたわけじゃない。それなのに颯は、自分勝手に変わってしまったこの世界の方に慣れようとする。
その点でだけ、私と颯は気が合わないんだと思った。
「颯は、なんで私たちだけ?って思わないの?そりゃ、最初はビックリし過ぎて、怖くてさ?「何も変わんない。」みたいな私たち以外には、私たちに見えてるものが変わってしまった事をバレないように過ごしてきたけど。でも何でさ?私たちの方がそうやって、気を使うみたいにしていなきゃなんないの?」
「それは、そうだけど。でもしょうがなくない?」
「しょうがなくないのっ!颯は友達も少ないし、困んないかもしれないよ?でもさ、私は仲のいい友達がみんな同じ顔になっちゃって、ユッキーなんてピンクのクマだよ?この先もしもこのままだったら、そんなトモダチと仲良くし続ける自信なんて、私にはないっ!」
「咲菜、言い方。」
「……ごめん。」
どうしようもなくやりきれない気持ちか吹き出してきて、颯に八つ当たりするみたいに言葉をぶつけてしまう。
「俺だってちゃんと、咲菜の気持ちもわかる。」
でも、こんな私に対して怒る権利があるはずの颯は、怒るどころか慰めてくれるみたいにそう言った。
「俺だって、戻れるもんなら戻りたいよ。元通りの世界に……でもさ、今の所なんも当てがないわけじゃん?」
「……」
それから颯は少し考えるようにして、二人の間には沈黙の時間が流れていた。
その間、私の頭の中には月曜日から今日までの事が走馬灯のように駆け巡る。颯が何を考えていたのかはわからなかったけど、私の走馬灯が今のこの時点に到達するのと示し合わせていたかのように何かに納得して頷くと、颯は私の直ぐ側にそっと置くみたいな声で話し始めた。
「まあ、元通りの世界。とか言ってるけどさ、実際はこの世界の何も、変わってなんかいないんだよ。咲菜の友達だって、ルイだって、見た目こそ変わっちゃったけど、中身は何も変わってないわけじゃん?」
それを耳にした瞬間、ピリピリとした痛みが身体の中を走り抜ける。
たしかに颯の言う通り、恐るおそる話してみれば、私の友達はみんな「いつも通り」で、性格も何も変わってなんかいなかった。
それなのに私は急に変わってしまった事を嘆くばかりで、変わらなかった事には全く目を向けていなかった。
颯にその事を気付かされてしまうと、今までの私が恥ずかしくてしょうがない。急に颯の視線が真っ直ぐに見えて、思わずそれから目を逸らした。
「だからさ、これからの事を一緒に考えよう?」
ふっと頭の先の気配が動き、逸らした視線の真ん中で、颯の両手が私の両手を包み込んでいる。
元に戻る事を諦めてしまっていたはずのその指先が、いつの間にか握り締めていたこの拳の上では少しだけ冷たく感じる。颯も緊張しているのか、私が一人で興奮しているのか?どちらにせよ、二人の体温が今ここにあることを実感した。すると、胸の辺りの強張りが解け、呼吸が楽になっていく。
「変わっちゃったコトを一個ずつ確かめるのも大事だけどさ?二人で一緒に考えるのは、変わっちゃった後の事にしてみない?」
私の顔をそっと覗き込んできた颯の瞳に思わず見惚れてしまう。私はその言葉と瞼の下の深い黒に、生まれて初めて吸い込まれそうになっていた。
「ちょっと、そんなに見つめられると流石に恥ずかしっ。ってか咲菜がそうやってテンション低いままだと……ホント調子狂う。」
少しだけの甘酸っさが香ったのも束の間、勢いよく私から離れた颯は腕で顔を隠していた。
その耳がちょっと赤くなっている気がして、嬉しくなって口元が弛む。
「……くくっ。そうだよね?」
「そうそう。そうだって。」
「私はさっきの颯も好きだよ?」
「は?さっきのって?」
「なんか、こう……優しさのかたまり?みたいな?」
「……っく。」
「ははっ、照れてる?」
「おいっ、もう。機嫌直ったんでしょ?じゃあ、気を取り直して……」
「そうだっ!何か1個、後悔を口にしちゃったらさ?代わりに2個、これからの事を口に出すのってどう?」
「切り替え早っ……でもまあ、それはいいかもね?」
「でしょ?いつまでもビクビクしたまんまじゃ負けたみたいだし。私たちは一人じゃないから!やったるで?新しい世界っ!」
「急に元気。まっ、その方が咲菜らしくて安心するわ。」
「ふふっ。さあ、颯も一緒に?」
「……うしっ。やったるで?」
「声ちっさ。」
「うっさいわ……」
こうして私と颯はこの時、この新しい世界に宣戦布告をした。
照れ隠し半分だったけど、おかげで自然と前を向いていけるようになれたみたいだった。
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