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穂津実花夜(hana4)

第1話 見慣れない世界。

「おはようござあ、あ、ああ……います。」


「はい、おはようございます。何ですか?どうかしましたか?」


 俯き加減だった顔を上げ、いつもの朝の挨拶をやり過ごそうとした。


 のに、言葉が上手く出てこなかった。



 正門の前に真っ直ぐ生えてきた様な姿勢で挨拶している新藤先生の姿だけは、どうも見慣れなくて困る。


 それはきっと、進路指導にも生活指導にも無駄に力を入れている新藤先生は本来、後れ毛の一本も許さない様に髪の毛を纏めていて、小枝がグレーのスーツを着ているみたいだったからだと思う。



 今週の月曜日。何の前触れもなく、この世界が変わってしまう前までは……



「おはようございま、ひっ……」


 後方で私と同じように新藤先生に飛び退きながらしたであろう挨拶が聞こえた。その声に嬉しくなって振り返ると、そこには新藤先生とは対照的に、何とも見慣れた安心感のある姿があった。



はやて!おはようっ!」


 下駄箱に向かう流れに逆らうようにして、私は一目散に颯の元へと駆け寄った。一晩会っていないだけなのに、もう何年も離れていた気がする。


咲菜さな、おはよ。朝からそんな、飛びついてくんなよ。」


「だって……朝、颯の顔見るまで不安なんだって!っつかさ、むしろ何でそんなに余裕なの?」


「まあ、あれからもう三日も経つし、だいぶ慣れた。」


「えー?嘘でしょ?」


「だいたい、誰が誰か分かるようになったし。まあ、新藤先生は……ちょっとだけど。」


「それな?新藤先生は、ねえ?」


 私はいま、本当は颯に抱きついて、ほっぺに吸い付きたいくらいだったけど、それは流石に必死で堪えた。だってこの場所でそんなことをしてしまったら、颯はもう私と喋ってくれないかもしれないし。もしそんなことになってしまったら、私はこの先、何を頼りに登校して来ればいいか分からなくなってしまう。


 全然見慣れない光景を目の端で追いながら、更にはそんな事ばかりを妄想していた。



「あー!咲菜、おはようっ……っと高橋君?もおはよう。何なに?付き合いだした途端もうご一緒に登校ですか?めっちゃ仲良しじゃん?」


「っと、クミ……コ?おはよ?」


「うん。もちろん私はクミコだけど?なぜ疑問形?ウケる。」


「ははっ、だよね?」


「咲菜ってば突然キャラ変したし、突然高橋君?と付き合いだしたって言うし。ホント面白いんだけど!もうっ、今日こそいい加減詳しく教えてよね?」



 後ろから突然声を掛けられて一瞬その場で小さく跳ねた。その声と、喋り方でクミコだと判断したものの、本人に確認を取るまではどうにも確信が持てなかった。


 今回は無事に予想が当たり、これはクミコだったけれど、私にはクミコと全く同じ姿かたちをした友達があと4人いる。


 これは「類は友を呼ぶ」だなんて可愛らしい話でもなく、「似ている」というレベルでもない。髪型は勿論のこと、目も口も鼻もその位置も。何もかもをコピーしたかのように全く同じ友達が、私にはあと4人いる。



 それは、今週の月曜日。


 何の断りもなく、この世界が変わってしまってからずっと……




「ねえ颯?今日学校サボってさ、作戦会議しない?」


「作戦会議って?何の?」


「そりゃあ、ウチらが元の世界に戻れる方法を探す作戦に決まってんじゃん!」


 私は「邪魔しちゃ悪いから」と先に教室へ向かったクミコの背中を見送りながら、教室の中のカオスを思い出して身震していた。あの光景にだいぶ慣れてきつつも、やはりあの教室にはなるべく滞在したくない。


「元の世界……ねえ?んな事できるのかな?」


「昨日まではさ、どうにかこの状況に慣れる事だけで精一杯だったじゃん?ほらっ、颯はすっかりもう慣れたんでしょ?じゃあさ、私に協力してよ!私は嫌だもん。ずっとこのままだなんて……」



 颯はもう慣れたと言っていたけど、私は全く慣れてなんかいないし。どうにかして早く元の世界に戻りたいと思っている。





 教室に行きたくない。という気持ちが勝った私は、「授業がどう」とか「クミコにもう会っちゃったし」とかごねている颯を何とか説き伏せて、今日は授業を全てサボらせて頂くことにした。


 なので今から門番である新藤先生の視界に入らないルートで、この学校からの脱出を目指す。校舎の周りを囲むように生えている草に擬態しながら裏門を目指すというこのミッションは、ずいぶんと久し振りに起こった、楽しいイベントみたいになった。



 そうして無事に辿り着いた裏門の鍵は予定通り開いていた。


 二人でそこからこっそりと抜け出ると、青春みたいな風が吹いてきた気がしたから、私はヒロインみたいにニヤリと笑うと颯の手を握って走り出した。


 颯は「ちょっ」みたいな声を出して一瞬戸惑ってみせたけど、実は私よりも足が速かったみたいで、すぐに私が引っ張られる形になった。



 そのまま急遽の青春ごっこを二人きりで堪能し、校舎が全く見えない場所までの距離を完走した私たちは、どちらからともなくハイタッチをして喜びを分かち合う。


「で?これからどうするの?」


「それは……ちょっとまだですけど。」


 まだ少し肩で息をしている颯が私を置いてけぼりにするような質問をしたもんだから、青春ごっこの名残に浸っていた私は思わず改まってしまう。


 颯がこんなに切り替えが早いタイプだったとは。それは、颯の足が速かったのと同じくらい意外な事だった。



「はあ。だと思ったけど?そうだな?制服だと目立つし……とりあえず俺の家行くか?」


「お、お、俺の家?」


「そう。こっから近いし、もう親も出掛けてて居ないから大丈夫だろ?」


「お、お、親御さんもいらっしゃらないと?って、え?これでも私たち付き合い始めたばっかだし、それは、ちょっと、早いっていうか……」


「馬鹿?何言ってんの?俺らは『付き合ってるフリ』してるだけだろ?咲菜なんて、月曜日まで俺の名前も知らなかったくせに。」


 ……そうなのです。私たち二人以外の世界が変わってしまった月曜日から、私たちは『付き合っているフリ』をしています。


 だって、ここでは颯がいつも側に居ないと不安だし。それは私に対してだけ何故かクールなキャラで行く予定みたいな颯だって、それは流石に一緒だったから。


 そして、これについては弁明の余地も無いのですが、私ってば颯の名前をずっと「高橋そう」君だと思っていたのです。しかも入学してから月曜日までの約一年半。


 あっ、でも、入学してから一回も颯とちゃんと話したことも無かったから訂正されなかった。って事だし、私はそんなに悪くないよね?しかも、クミコみたいに名字さえうろ覚えって訳でもないんだし。


 それについては、もうそろそろ許して欲しいのに、颯は意外と根に持つタイプみたいだった。


 


 


 あれは、何の変哲もなかったはずの今週の月曜日。



 別にこれと言って嫌な事があるわけでは無いのだけど、週の始まりにちょっとだけの憂鬱さを携えながら、私は俯き加減で登校した。するとそこには今日と同じく正門の脇から新藤先生が生えていて、顔を上げて挨拶をしない事にはその場にしばらく留められてしまう。


 私はその事をちゃんと知っていたから、行き交うローファーの大群で埋め尽くされた視界を持ち上げ、いつもの朝と同じように、少しでも知っている顔を探そうとした。



 そんな私の目に映ったものは、いつも通りなんてほど遠い、何とも色鮮やかな世界だった。



 ダークグレーで統一されたブレザー、目の細かいチェックのスラックス。スカートも同じチェックの布地で出来ていて、時折ふわりと風を含んで揺れる。公立校らしく髪を染めるのは禁止されていて、若者がこんなに沢山集められている割に、この場所は普段、彩度がずいぶんと低くめで色相環などは要らなかったはず。それなのに……



(今日は、仮装登校の日?……って、何それ?)



 思わず自分にそうツッコんでしまう程、制服の上に乗っている頭はまあ色とりどりの選り取り見取りで、私はしばらくその場に立ち尽くしてしまった。



 そんな時、今日みたいに私の後ろから「ひえっ」と小さな叫び声が響き、それに反応するように振り返ると、そこには颯が立っていた。


 今でこそ、その姿が颯だって直ぐにわかるけど、そん時の颯は「絶対見たことがある、たぶんクラスメイト」位の存在だった。



 それなのに、この状況を目の前にした私にとってはもう、懐かしい幼なじみのような、もはや救世主の様な、更には白馬にのった王子様の……っとこれは違うな?


 とにかく、色とりどりでひっちゃかめっちゃかな光景の中でただ一人。颯だけはいつも通り、校則を守った黒髪で、目も鼻も口も、何とも憎めない普通の顔をしていて、私はそれに感動すら覚えるほどだった。


「んんーっ!」


 本当に驚いた時って、上手く言葉が出てこないらしい。何故か口を閉じたまま叫んだ私は、気付けば颯めがけて走り出していた。


 そんな私に気が付いた颯も、固まりきっていたっぽいその身体を少し緩め、目も口も、見えなかったけどたぶん耳の穴まで開いて驚いていた。そのまま私は颯に抱きつきそうになったけど、周りにいるカラフルな大勢がただでさえ私たちの事を不思議そうに横目で眺めていく位だったから、それは寸前のところで我慢した。


 それからしばらくの間二人でその場に立ち尽くしていて、それでも私たち以外の誰もが変わってしまっているようで、いつまで経っても誰一人として見慣れた姿を見つける事は出来なかった。



「どうなってるの?」



 私はそのセリフをチャイムの音が鳴るまで馬鹿みたいに繰り返すだけで、颯は口を開けたまま再び固まっていた。

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