2. 因習

 何もかもが大きすぎるジャングルだった。


 100メートルはありそうな高さの樹木にとまる70センチのトンボ。すさまじい速さで茂みを駆け抜けていく巨大な兎のようなもの。


「すげえ! 首座カシラ! すげっすよこれ!」自作の大気カウンターを片手に、ケラオが声を上げた。「大気中の酸素が多くて温度を上げる二酸化炭素も多くて栄養になる窒素も多い! 全部多いっす!」


「なるほど」


 レイジはうなずいた。酸素が多いということは、巨大な昆虫が棲息していた太古の地球のような環境だろうか。どこかの国の温暖化主義者が二酸化炭素を増やした可能性もある。猛烈な暑さと湿気で、何もかも壊したくなってくる。最初の内は「アガるな、こりゃ」と喜んでいたリュートも既に、黒いジャージの上着を手に持って振り回しながら巨木に蹴りを入れている。レイジも防刃仕様のスーツを脱いでしまいたかったが、どこで熱井鯖人や原住民に遭遇し交渉がはじまるかわからない。相手の姿を見てからあわててスーツを着るような弱みは見せたくなかった。


 さきほどから気になっていた三谷の様子を、レイジはもういちど確認した。明らかに、恐怖が視線や体の動きをおかしくしている。兎のようなものに怯え、鹿のようなものにすくみ、虫すらも恐れている。


 ――そろそろか。


 レイジもまた、自分の体の動きに不調を感じていた。


 大きい相手は、ただそれだけで怖い。毒物や飛び道具の使用を前提とするなら、それはただ大きな標的まとでしかなく、射撃が下手なレイジにとってはむしろやりやすい相手であるはずだが、そうと頭でわかっていても、自分の体が小さく道具も扱えなかった幼少期にりこまれた恐怖は消えてくれない。巨大な鳥。巨大な犬。「保護者」という巨人。絶対に勝てない、と体が判断してしまう。もはや意味を失ったはずのふるい判断基準が、体のどこかに残っているのだ。生死のきわではその誤った判断こそが命取りになるという教えを、レイジは師父しふである先代住職から叩きこまれていた。


 まだ修行が足りない。慎重にいくべきだ。


「〈寺生まれ〉を使おう」


 レイジは足を止め、リュートに声をかけた。


 リュートは、もうかよ、とつぶやいてから後続の寺生まれ20人に整列を命じた。


「並べ!」


「破ァ! Yes! 破ァ!」


 樹々の生い茂る中、強引に整列した20人の寺生まれ。寺内の人工子宮堂で生まれ、厳重な無恐怖管理の下で育てられた彼らには、恐怖を感じない理想的な尖兵せんぺいとしての役割が期待されている。いわば量産型勇者である。今はまだ、何もかもが理想通りになるとは言えず、命令に従わせることの難しい個体が育ってしまうこともあるのだが、とりあえずここに並んだ20人は、この異常環境下でも問題なく動いているように見えた。少なくとも耐久テストの結果については、いい報告ができそうだった。


「よし! てめえら!」


「破ァ! Yes! 破ァ!」


 リュートが声を張り上げ、寺生まれたちが応えた。


「人間か家を見つけるまで進め! 人間以外に襲われたら殺せ! 人間的なものは殺すな! 以上!」


「破ァ! Yes! 破ァ!」


 寺生まれたちはさっそく、レイジに代わって先頭に立ち、曲刀で獣や虫の頭を飛ばしながらジャングルを切り開いていった。景気よく前進してくれる尖兵さきがけは、後に続く味方の恐怖を吹き飛ばす。湿地を抜けて細い川を渡り、放棄された集落らしき場所を発見した時には、三谷もすっかり調子を取り戻し、そこに残された骨や雑貨を喜々として調べ回るほどになっていた。


「見てください! 未発見の数式です!」


 散らばった骨の中から三谷が拾い上げた1本の骨。人間の大腿骨に見えるその骨には、たしかに数式らしきものが刻みこまれていた。


 ・薩摩武士1人 ⊕ 薩摩武士1人 = ダブルチェスト


「こんな数式、総本山の人たちだって知りませんよきっと! 貴重な記録です!」


 三谷は骨の両端を握りしめたまま、声を弾ませた。たいへんな喜びようである。


「ちょっと待てよ、この骨」リュートが腰をかがめて骨片の一つを拾った。「薩摩武士つったら熱井のことだろ? 死んだ? つか2人分ふたりぶんねえかこれ」


「たしかに、骨が多いな」レイジは懐中電灯で周囲の地面を照らした。頭蓋骨は見当たらない。


「あー、よくわかんね。なんか重要そうだし、理牌リーパイすっか」


「ああ」


 レイジとリュートは散らばった骨を、人の形になるように並べてみた。たしかにそれは、2人分の骨だった。いくつかの骨はどこかへいってしまったようだが、大部分は残っている。並べ方が間違っていなければ、2人とも鎖骨と肋骨、そして背骨を斜めに切断されている。


 ――もしや袈裟斬けさぎりで相討ち……これが「ダブルチェスト」か?


「リュート、気をつけろ」


「あ? なんだよ?」


「武士は1人じゃないかもしれないって話だよ。三谷さん、ちょっと来てください」


 レイジは腰を上げ、三谷を呼んだ。


「どうしました?」


「俺たちずっと関東なんで教えてほしいんですけど、薩摩に武士ってまだいるんですか?」


「あー、鎹怨宗わたしたちも九州のことについては、歯切れが悪くならざるをえないんですが」素焼きの壺を抱えたままこちらに歩いてきた三谷は、足を止め首に右手を当てた。「社会制度上の話でしたら、お答えはNOです。行政区分としての薩摩国さつまのくには消滅してますし、御承知の通り、武士という身分も、もうありません。しかし、個々人の認識について言えば、熱井鯖人あついさばとのような薩摩武士もいることですし……」


「じゃあ例えば、熱井が他の熱井みたいな奴に会った時、熱井はそいつを薩摩武士だと思いますか?」


「そういうことはもちろんあるでしょう。薩摩武士は薩摩武士を知るものです。人が人を人だと思うに近い確率で、そういうことはありえます」


 三谷はスーツのポケットからカメラを取り出し、地に横たわる2体の首無し骸骨に向けてシャッターを切った。


「結局のところ、薩摩武士ってなんなんですか? 俺たちからしたら、野太刀を持ってとにかくチェストでとにかく殺してとにかく死ぬみたいな雑なイメージなんですけど、お互い同士はどこを見て薩摩武士だと認め合っているんですか?」


「まあ、刀を振る時にチェストと叫んだりはしないようですが」三谷は笑った。「関東の方が薩摩武士に対して持つイメージは、昔から驚くほど変わっていません。ということは、それなりに実態とのズレが小さいのかもしれませんね。なにしろ日本統一から国民国家形成期を経ての500年間、ほとんど修正されていないわけですから。もちろん、偏見が500年生き残っているだけかもしれませんが、それにしても日本史上稀なる強さと言ってよいほどの強い偏見です」


「ちょっと待ってください。本当に500年も?」


「ええ。少なくとも500年です。日本列島がまだ60以上の国に分かれていた頃からです。『人国記じんこくき』という古い書物がありまして」


「あー、はいはい」


「船では詳しくお話ししませんでしたが、この本、一説には鎌倉幕府の五代目執権・北条時頼が諸国の情報を集めて書いたとも言われるくらいの古い本です。それが本当なら、700年以上前ですね。いずれにせよ、関東の全国制覇主義者が仮想敵国の情報を本気で精査してまとめたものだと思われます。そこに記録されている薩摩の文化は、戦場でとにかく殺しとにかく死ぬ文化です。われわれ僧兵から見れば、〈魔〉の境地に近いものがありますね」


「ああ。それはよくわかります」


 〈魔〉。とにかく殺す者であり、とにかく死ぬ者でもある。レイジが熱井鯖人の数式から感じていた迫力も、「覚悟」と言うよりは「魔」に由来するものと言ったほうが、しっくりくる。


 ならばこの場所は、2匹の魔物が互いに殺し合い死に合った場所であるのかもしれない。そしてその結果を見たトロピカル戦場代数学の使い手は、2匹の魔物を共に「薩摩武士」だと認めた。それもまた、魔による魔の認識だ。この島には魔物――薩摩武士が複数いたことになる。地理的な理由によるものではないだろう。この島は、それほど日本列島に近いわけではない。熱井鯖人の偶然の到来から全てが始まったのだろうか。


 ――「無記」


 師父の声が頭に響いた。


 考えても仕方のないことだ。もしも毒矢に射られた時は、自分が死ぬ前に、射手を殺すしかない。矢が飛んできた方向へ突撃するのみである。


 ケラオに食事の準備を急ぐよう命じ、おこされた火のそばでレイジは装備の点検をすませた。棒手裏剣、拳銃、ナイフ、日本刀、錫杖しゃくじょう。ナイフと錫杖以外はまだ、この島に来てから一度も使っていない。聞いていた通り、バナナと亀がいくらでもれる島だった。他にも、食用になりそうな植物は山ほどある。その点だけを見れば、一種七獲いっしゅしちぎゃくの楽園と言ってもよい島だ。24人の腹を満たすに充分な量の食材は、何の苦労もなく入手できていた。


 レイジたちが亀肉の煮込み料理をあらかた食い尽した頃、偵察に出していた寺生まれが原住民らしき子供を抱えて戻ってきた。順調な一日だ。紅い花を髪にし、袈裟けさのような衣服をまとったその子供は、ある程度の日本語を話すことができた。コミュニケーションの進み方は、レイジが少しいらついてしまうほどの遅さだが、子供好きのリュートは満面の笑みで会話を楽しんでいるようだ。


「あした、頭、もっと、日本人、なる、ごわす」


「そうか、すげえなアニーサ。寺生まれよりよっぽど賢いぜ」


「破ァ! Yes! 破ァ!」


「呼んでねえよ黙ってろコラ!」


「リュート」


「なんだよレイジもかよ邪魔すんなって」


「日本語を誰に習ったのかいてくれ」


「おう。アニーサ」


「なに? ごわす」


「そのな、言葉、誰、教えた?」


「誰、言葉、むずかしい。とても、せまい、ごわす」


 紅い花を髪に挿した子供――アニーサは、ゆっくりと首を左右に振った。


「日本語だよ。日本語、わかるか?」


「日本語、今、話してる、ごわす」


「そうだよ。すげえよ。その日本語な、誰が教えてくれた?」


「神様、ごわす」


「そういう話じゃねえんだよ。アニーサのな、お父ちゃん、日本語、話せるのかよ?」


「おとーちゃん?」


「お父ちゃん、父親、親父、親爺様、師父、住職じゅうしょく和尚おしょう阿闍梨あじゃり座主ざす、管長、おとん、おやん、親父っ殿おやっどん


「おやっどん!」


「おやっどんわかるか!」


「おやっどん、神様、おやっどん、日本語、教えてくれた、サツマブシ、ごわす」


「オイオイオイオイ!」


 リュートが勢いよく立ち上がった。


 レイジも思わず、拳を握りしめていた。この子供――アニーサに日本語を教えたのはおそらく薩摩武士だ。


「そういうことでしたか」と三谷が言った。「熱井鯖人がこの島の王になっているという仮説は、どうやら正しかったようですね。瓢箪から駒、というほど意外でもありませんが、少々驚きました」


「仮説だったんですか?」


「なにしろ、この島から無事に帰ってきた人間が少ないもので。鎹怨宗うちのしゅうも、それほど確度の高い情報をつかんでいたわけではないんですよ。いくつかの仮説をあえて外部に流してみたまでです。世間様に対するカマかけのような形になってしまったことについては、まあ、御勘弁ねがいます」


「完全にカマかけでしょうが」


虫溷寺ちゅうこんじさんに対して申しわけないとは思っています。ですからここではらを割ります。実は、桜怨寺ほんじの人間が少なくとも4人、薩摩の太刀筋たちすじらしきもので斬り殺されています。そこのおこつと同じように、背骨まで真っ二つでした」


「それは日本で? というか……」


「山陰道でられました」


「だったらそれは、九州の僧兵やつらの仕業でしょう。普通に考えて」


「ええ。そのせいで、気の早い方々は抗争まで検討しています。しかし、メッテヤ島で熱井鯖人に育てられた薩摩武士が日本列島へ逆輸入されているという説も、なかなか説得力がありはしませんか?」


「そうは思いませんね。俺たちみたいに貨物船とモーターボートを乗り継いで来てるって言うんですか?」


「本州へ行くだけなら、原始的な船でも不可能ではないんですよ。風と潮の流れを考えれば、本州からこの島へ来る場合より遥かに容易たやすい。鎹怨宗がちえんしゅうでは今、九州説とメッテヤ島説が七分三分しちぶさんぶといったところです。そして、嬰尉寺うちのてらとしては、もう少しメッテヤ島説に傾いてほしいと願っています。九州との抗争の最前線に立つなんて、まっぴらごめんなんですよ」


「それは、わかりますが……」


「少なくとも、「薩摩武士」である「親父っ殿おやっどん」を「神様」と呼ぶ子供がいた。ここまでは、第三者の皆様も御了解ごりょうげいただけますか?」


「まあ……」さきほどのアニーサの言葉は、そう解釈できないこともないだろう。どうやら、面倒な証言台に立たされることになりそうだった。「なんにせよ、無事に調査を終えてからですね」


嬰尉寺うちとしては、もう充分に良い結果が出ています。協力の御礼を、逆にこちらがしなければいけないくらいだと、考えています」


「ああ……なるほど」


 経済力のある嬰尉寺えいじょうじからの支援は、魅力的だ。それがあれば、薬物に手を出さなくてもすむかもしれない。他宗との関係についても、話を寺へ持ち帰って住職の認可を得たほうがいい。レイジの心は、調査をここで打ち切る方向に傾きつつあった。


「なんだよレイジ」リュートが不満そうに言った。「せっかく来たのに、もう帰んのかよ」


「暑いしな」


「風呂、入りてえな」


「帰るのも、アリだろ」


「でもなあ、よくわかんねえけど、熱井のせいにすんなら熱井の首くらいは持って帰ったほうがよくねえか?」


「よくねえよ。曖昧だからいいんだよ。熱井の死亡が確定してからも殺しが続いたらどうするんだよ。九州説も、ほぼ確定になるだろ」


鎹怨宗うちのしゅうは基本的に」三谷が言った。「正しい歴史認識を重んじる一門です。九州説とメッテヤ島説が拮抗きっこうしていれば、九州との抗争にも、金のかかる大遠征にも、踏み切ることはないでしょう」


「先延ばしっすか」


 とリュートは言った。


「一切は先延ばしです」


 そう言って三谷は合掌した。


 レイジの見解とは合わないが、一つの見事な合掌だった。これからの嬰尉寺との協力関係は、実りのあるものになりそうだった。


 ――帰ろう。


 しかし、レイジがそう決めた時、集落の跡地はすでに包囲されていたようだ。


 闇の向こうから立て続けに投げ込まれた寺生まれの首が4つ、焚火のそばで転がった。


 そして、薩摩琵琶さつまびわの鋭い音を皮切りに、呪文ダラニを唱えるような男たちの声が四方八方から聴こえてきたのである。



   カカンカン ヒカカンカン カカンカン ヒカカンカン


   カカンカン ヒカカンカン カカンカン ヒカカンカン

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