第23話 エクルクスの王太子
拍子抜けするほどに、しばらく私自身には何も起こらない日が続いた。
カーティスは私に構っていられないくらい忙しくしくしていたらしく、ナデージュも、私の存在を忘れてくれていた。
お母さんがどこで何をしているのかは、教えられていない。
変わったことが起きたのは、わずかにお腹がふっくらしてきた頃。
心地良い気候となって、庭の隅で快適に毛布に包まった私の前に、何の前触れもなく、外套を纏った旅装束姿の男性が立った。
とても目を引く存在感のある人だ。
侵入者になるわけだけど、ここまであっさりと侵入を許されたことに驚いていた。
綺麗な金髪の持ち主。
私を見下ろす翡翠の瞳も穏やかなもの。
微笑を浮かべて、好意的とすら言える雰囲気を纏っている。
悪意も殺意もないから、私を殺しにきたわけではないのかな。
それはわからないか。
何の感情も動かさずに人を殺す側の人かもしれない。
なんとなくそう思う。
セオドアと同じ年齢くらいの人。
「エクルクスにこんな感じの生き物がいたな…………なるほど。君が囲い込まれているお姫さまか。独特の雰囲気がある子だね」
男性が私に話しかけてきた。
「それも相まって、とても魅力的に映る人なんだと思うよ。誰をも魅了する。だから、厄介なんだろうね。君にとっても」
さらに勝手に喋っている。
「殿下」
いつの間に来たのかセオドアが片膝をついて頭を下げており、周りを見れば、屋敷中の人達が両膝と手をついて頭を下げていた。
それはすべて、目の前の男性に向けられた敬意。
それで、誰がここにいる人達の忠誠を受ける主人なのかとはっきりはしたのだけど、わからないのはこの人が誰かってことで。
「驚かせてしまったね。あ、そうでもないのかな?君に会いに来たのも、目的の一つなんだ。はじめまして。フィルマ」
男性に微笑まれる。
でも、次の言葉はその微笑と随分と隔たりがあった。
「さて、君は皇族の血筋を引く子を宿しているわけで、場合によっては、君を殺さなければならないかなと思っているよ」
そう言いながら、何故か視線はセオドアを向いている。
セオドアの反応を見たいのか。
今、私に凶器が向けられたらどうなるのか。
セオドアは、そこから動かないでいてほしいけど。
それは無用な心配なのかな。
自分の主人と私を天秤にかけるわけないか。
「私がセオドアに、今すぐ君を殺せと命令してみるのもいいね」
それを聞いてもセオドアの表情はいつもの通りだけど、空気はピリッとしていた。
「しかし、聞いてはいたけど、驚くなぁ」
目の前の人は、自分が直前に言ったことをもう忘れたかのように、私に向き直った。
「君は本当に、見た目だけはジョエルにそっくりだね。だから、棟梁が焦って色々考えたみたいだ」
お母さんと見た目はそっくりでも、何かが決定的に違うと言いたいのかな。
棟梁とは…………セオドアの上司?
「君が、実の兄を誘惑していると、ナデージュが訴えていたよ」
ナデージュはそれを信じたくて、母国にまで訴えたのか。
あの子も不安でいっぱいなんだ。
私のせいにしないといけないくらい。
「他にも君と親しい男性がいるのかな?いてもおかしくはなさそうだけど……」
ここまではまだ、ぼんやりと他人事のように聞いていた。
「君のお腹の中にいるその子は、本当にセオドアの子供?」
「はぁ?」
思わず出た声には、感情が随分と乗っていた。
なんで傲慢にも、初対面のこの人にそれを疑われなければならないのか。
セオドアの子供じゃなければ誰の子と言いたいのか。
さすがに頭にきた。
毛布の巣の中からすくっと立ち上がって、近くにあった大きな植木鉢に手を伸ばしたところで、セオドアが目を見開いて驚いた顔をした上に、わずかに動揺も見せた。
そんな初めて見せる表情を横目に、植木鉢を掴んで振り上げ…………ようとすることはできなかった。
植木鉢を握る私の手を、すぐさまセオドアが押さえていた。
「妊婦のくせに何を持ち上げようとしてるんだ、このバカ!」
すぐ間近から怒鳴り声がした。
怒りが収まるわけがない。
「あの失礼な人の顔面に投げつけないと気が済まない」
「やめろ!落ち着け!」
そんな私達のやり取りを前にして、王太子はさらに言葉を続けた。
「セオドアは望み通りに君を満足させたかな?女性の肌を温めることには慣れている。エクルクスの男は、男娼としても優秀だ」
そこでピタリと動きを止めた。
「…………」
知ってか知らずか、自分の中の一番痛いところを突かれた気がして、次には瞬間的に感情が爆発していた。
直後に暴れようとする私を、セオドアは羽交締めにした。
「殿下、もう、からかうのはやめて下さい。こいつはバカだから本気にします」
「恐れながら申し上げます。妊娠中の女性を、どうかこれ以上興奮させないでください」
メイドさんまで訴える始末で。
「ごめん、ごめん。いい加減、品がないよね。ちょっと、君に嫉妬しているから、ついね」
当の目の前の人はどこまでも軽い調子で、一人で泣きながら怒り狂ってるのがバカみたいだった。
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