第7話 思い出とともに

 朝起きて、おばあちゃんにおはようって挨拶して返事が返ってくると、今の生活が夢じゃないって実感できる。


 存在を無視されるわけでもなく、悪意を向けられるわけでもなく、愛情を持って私だけを見てくれるおばあちゃんの顔を見れば、一日の始まりが楽しくなる。


「それじゃあ、おばあちゃん行ってくるね」


「はい。いってらっしゃい」


「いってきます!」


 おばあちゃんがわざわざ見送りに外まで出てきてくれて、背中を見守られながら小高い丘の上のお屋敷に向かった。


 数日通えば、すっかり仕事にも夫人にも慣れてしまうもので、働いた分だけお給料を貰えることが嬉しくて、足取りが軽かった。


 朝食の片付けを済ませ、掃除も終わらせてから、定時のお茶を部屋まで運ぶと、夫人は今日は手紙を読んでいた。


「海の向こうに息子が三人いる。勉強のためにと外に出したら戻ってきやしないで、勝手に向こうで家庭を築いて。それどころか今さら、私に来いってさ」


 視線は手紙に向けたまま、独り言のように言った。


「レーニシュ夫人はお酒と甘いものは控えるようにって言われているそうですね。お子さんに会う前に別のお迎えが来ないように用心してください」


「だから、ひと言多いよ」


「枕元に隠していた酒瓶は回収しておきましたので」


「あ、こら!返しな!」


「寂しくても寝酒はダメです。朝、起きられません。永久に寝てしまいます」


「誰が寂しいって?あんたみたいな憎まれ口を叩く子が顔を出せば騒がしくて仕方がないよ」


「憎まれ口は夫人の方です」


「まったく、あんたときたら……」


 何かをぶつぶつ言いながら別の手紙を手に取って、今度は表情をとても険しくしたのが気になった。


「フィルマ。明日は来なくていいから」


「私、何か気に触ることをしましたか?」


「あんた自覚ないのかい?と言いたいところだけど、明日は面倒な輩が来るんだ。あんたは明日、家の敷地から出るんじゃないよ。ほっかむりでしっかりと髪と顔を隠しておきな」


「はい。夫人のお客さんとは顔を合わせない方がいいということですね」


「親戚の親戚っていう赤の他人さ。時々金の無心にくるんだ」


 お金を持っててもいろんな苦労がありそうで大変だと思いながら、翌日お休みするのならと、できる限りのことをしてからその日は帰宅した。


 お家に帰って、おばあちゃんと夕食を食べて、一日が終われば、また新たな一日が始まる。


 仕事がお休みということもあり、今日は家の用事をたくさんするつもりだった。


 お昼すぎて家事がひと段落すると、庭に置いた長椅子に腰掛けて、ご近所さんとお茶を飲んだりしながら楽しげに過ごしているおばあちゃんの姿があった。


 おばあちゃんは、嬉しいことに近所の人達ととても仲良くなっていた。


 夫人からいただいた蒸しケーキをお出しすると喜んでもらえて、お返しだとピクルスをたくさんいただいたりしたから、明日、夫人にまたお礼を言おうと思っていた。


「おばあちゃん。ちょっと薪割りしてくるね。用事があったら呼んでね。みなさん、ごゆっくり過ごしてくださいね」


「ありがとう」


「孝行なお孫さんだねぇ」


 ニコニコしているご婦人に見送られて、家の裏側に回った。


 あ、子ヤギが迷い込んできてる。


 小さくて白い塊が、庭の草をハムハムと美味しそうに食べていた。


 雑草を食べてくれているから、草むしりの手間が省けるのは嬉しい。


 たくさん食べてくれないかな。


 近付いて、しゃがんでお腹を撫でた。


 温かい。


 その子はおやつの時間を邪魔されたと思ったのか、クルッと頭をこっちに向けて、そのままドンっと私にぶつかってきた。


 反動で尻餅をつくことになったのだけど、どこからか鈍臭い奴だと聞こえてきそうで……


 子ヤギは、また草を食べ始めたから、ソッと刺激しないように立ち上がって、しばらくその子を眺めながら薪を割っていた。


 その子はお隣からの迷子だったわけで、最後に抱えて送り届けると、帰り道にポツポツと雨に降られていた。


 家の中に駆け込んで、窓を閉めて夕食の準備に取り掛かろうとしたところで気付いたことがあった。


「おばあちゃん、雨漏り!」


 玄関口のすぐ上からポタポタと水が滴っていた。


「あらあら。お鍋を置いておこうかね」


 トンカンカン、トンカンカン。


 リズム良く軽快な音が室内に響く。


 その音を聞いていると、なんとなく思い出したことがあった。


 私の幸せな思い出の一つだ。


「あなたが七歳の頃だったかしら。雨漏りがして、同じようにお鍋を置いたら、さらにコップまで持ち出して、スプーンでふちを叩いて一人演奏会を始めて」


「観客はおばあちゃんで、すごく楽しかった。覚えてるよ」


「あなたの楽しげな顔が今でも鮮明に思い出せる」


 おばあちゃんは寂しげな顔で少しの間無言になって、


「18歳の誕生日はささやかでも、貴女のことを祝ってあげたい」


 そうして沈黙から続いて出た言葉がこれだった。


「誕生日……」


 自分の誕生日のことを、明るい気持ちで思えるのはいつぶりなのか。


 それに、私が生まれてきた日を喜んでくれる人がいることが嬉しかった。





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