第3話 監視役との道中

 ゴトゴトと、何度も大きく揺れながら馬車は進んでいく。


 相変わらず外の景色は何もわからないけど、暗い夜道を進んでいるはずだ。


 監視の男の人は、もう私に話しかけようとはしなかった。


 正確な時間などわからないけど、随分と長い間、馬車に揺られていた。


 ようやく止まって、馬車から降りた時には雨が降っていたのか地面が濡れていた。


 夜明けだったようで、朝焼けの空はピンク色で、それが随分と綺麗な色だったから空に見惚れていたら、ずっと裸足のままだったから、ぬかるんだ地面に足をつけた途端に滑って尻餅をついてしまった。


 みるみるうちに、お尻が冷たくなる。


 宝石のような深紅の瞳がこっちを見た。


 白髪の男性に、呆れたような視線を一瞬だけ向けられていた。


「鈍臭い奴だな」


 どこかで誰かに、似たようなことを言われた覚えがある。


 男性は、地面に座り込んでいる私など無視して、馭者の人にお金を払って帰らせていた。


 ここからは歩きなのかな。


 遠ざかっていく馬車を見送って、その姿形が完全に見えなくなって、クルリと、男性が振り向いた。


 私の頭から外套を被せてきたかと思えば、手枷が外される。


 手を引いて、立ち上がらせてくれた。


「逃げたいのなら逃げればいいが、すぐに野盗に襲われるのが目に見えている」


 私もそう思うから、どこかへ行こうとは思わなかった。


 キャミソールとドロワーズ姿の半裸の女がふらふらと森を彷徨っていれば、襲ってくださいと言っているようなものだ。


 初夜の寝室にいた姿のまま、ここまで連れてこられていた。


 せっかく貸してもらえたから、外套の前を合わせて、できるだけ露出のないようにはした。


 私だって肌を男の人に見られて平気なわけではない。


「泥が付いて……汚してごめんなさい」


 男の人が、やっと私を正面から見た。


「ここからは徒歩で町まで行く。裸足で歩くのは辛いだろ。暴れるなよ」


 言うが早いか、ヒョイと私を横抱きにした人は、平然とした様子でスタスタと歩いて行く。


 驚いて声が出ない私をよそに、男の人は表情を動かさずに前だけを見ている。


 町に向かっているのか、まだ薄暗い小道を歩いて行く。


 親切心……ではないはず。


 正直に言えば、男の人に触れられるのは怖い。


 公爵家の息子達に床に押し倒されて、襲われそうになったことを思い出してしまう。


 半分は血が繋がっているのに、あの人達は本気で私を強姦しようとして、一人の股間を蹴り付けて、すぐそばに置いてあった油を被って、暖炉の近くにいって、なんとか身を守った。


 あの時は、炎に包まれて死んだ方がマシだと思ったし、実際にそうするつもりだったけど、それはあえなく阻止されて、その後はしばらく閉じ込められていた。


「寒いのか?」


 私が体を震わせていることに気付いた男の人が言った。


「怯えているのか」


 答えるまでもなく、男性は、一人納得している。


「何もしない。お前を目的地に運んでやるだけだ」


 娼館へ……私は大切な商品なのだろうから。


 目的地に到着するまでは、痛い目にはあわないようだ。


「あなたの名前は?」


「セオドア。お前は、フィルマでよかったか?」


「うん……」


 セオドアは、それからもほとんど喋らなかった。


 その日、すぐに娼館に到着するのかと思ったけど、着いた場所は民宿を営む小さな民家だった。


 部屋に案内されると、隅に置かれていた大きな桶にはお湯が張られており、そこで汚れを落とすように言われた。


 指示したセオドアはどこかへ行ってしまって、部屋に一人残される。


 一人にしたところで、どこにも行かないとわかっているんだ。


 タオルで丁寧に体を拭いて、髪の毛もジャブジャブ洗って、最後にお湯に手足をつけて、温める。


 もう、血の匂いはしない。


 石けんを使わせてもらえたから、その良い香りがしていた。


 タオルを体に巻き付けて髪の毛を拭いていると、セオドアは戻ってきた。


「服を調達してきた」


 私の横に着替え一式と靴を置くと、またすぐにセオドアは出て行った。


 シンプルなワンピースとショートブーツを履いて待っていると、次に戻ってきた時には、パンとスープを乗せたトレイを手にしていた。


 暖炉の前にラグが敷かれていたから、そこにトレーが置かれて、セオドアも座った。


「お前も、ここに座って食べろ」


 ここと、床を指示して。


「お上品な皇妃様は、地べたに這いつくばって食べることなんかできないか?」


 嫌味たっぷりにそれを言われた。


 空腹を満たしていいのなら、どこでだって食べる。


 ペタンと座ると、そこに置かれていたパンを手に取って口に入れた。


 朝食ということになるのかな。


 パクリと齧り付くと、思ったよりも柔らかくて美味しかった。


 不安と食事は関係なかった。


 私が食べても食べなくても、この先のことなんか何も変わらないのだから、お腹が空いていない方がいいに決まっている。


 向かい合って座っているセオドアは、私に全く関心を向けずに自分の分を口に入れている。


 私が何をしようと興味がないようで、自分の与えられた役目を淡々とこなしているといった様子だった。


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