第2話 血に染まった初夜

 自分の運命に絶望し、初夜のその時を皇帝の寝室で待っていた。


 先程、皇帝との婚姻の儀式が全て終わり、私は皇妃となった。


 重々しい扉が開かれ、皇帝が姿を現す。


 種を提供しただけの父である、ブルレック公爵と同じ歳の皇帝。


 私は、皇妃とは名ばかりの、この人に差し出された人形だ。


 公爵家の服従の証であり、生贄。


 皇帝がベッドに膝を乗せた。


 抵抗などせずに男に身を任せていればすぐに終わると、身支度を担当した誰かが言っていた。


 体を強ばらせて、ギュッと目を瞑る。


 目を閉じている間に全てが終わればいいと願った。


 暗闇に委ねる中で、扉が開かれる音が聞こえた。


 数人の足音。


 続いて、自分の胸元から大腿にかけて生温かいヌルッとした何かが浴びせられた。


 目を開くと、目の前が真っ赤になっていた。


 私に迫っていたはずの男は、首から上がなく、代わりに血を噴き出す断面が見えて、その向こう側に私を睨みつけている見知らぬ男の姿があった。


 黒髪に青い瞳の男性が剣を握っている。


 彼が皇帝を斬ったのか。


 ベッドを回り込むように数歩移動して来たその男性が、剣を再び振り上げて、ああ、それで私は斬られるんだと理解した。


 でも、その刃が私に届くことはなかった。


「カーティス」


 その人を、そばにいた人が止めた。


 剣を握る手に、自らの手を添えて。


 刃が私に振り下ろされるのを止めたのは、白い髪に深紅の瞳の特異な姿の人だ。


「皇帝以外は殺さずに苦しめるんだろ」


 白髪の男の人の言葉を受けて、忌々しいといった様子の男性の視線が向けられた。


 カーティスと呼ばれた、黒髪の男の人だ。


「残念だったな、皇妃。お前に与えられる地位は無い」


 私は救ってもらったわけではないようだ。


「貴様は今から娼館に送る。抵抗すれば殺す。連れて行け」


 やっぱり、何も変わらないのだとすぐに理解する。


 カーティスは私にさらに憎々しげな、それでいて冷酷な微笑を向けると、隣にいた白髪の人が私の両腕に手枷をはめて、外に連れ出した。


 腕を掴まれて、どんどん歩かされる。


 白髪の人はこちらには目もくれない。


 私は裸足のまま外に連れて行かれて、小さな馬車に乗せられていた。


 すぐに動き出した馬車はどこへ向かっているのか。


 娼館と、さっき言っていたけど……


 向かい合った斜め前方には、あの人──私が殺されるのを止めてくれた人が座っている。


 私の監視役兼移送役のようだ。


 足を組んで、肘をついて、顎を乗せて、窓の向こう側をボーッと眺めている。


 カーテンが閉められてて、景色なんか見えないのに。


 手枷が嵌められた自分の手に視線を落とした。


 膝の上に乗せた両手は、今は拘束されて、あまり自由には動かせない。


 自分の胸元に飛び散った血液はそのままだ。


 匂いは残っていて、生臭い。


 あの場で殺されなくてよかったと思うべきなのか。


 もう一度、私が殺されるのを止めてくれた人を見た。


 こっちには興味がないようで……


「惨めなものだな」


 視線を向けた途端に話しかけられて、ヒヤッとした。


 言葉の続きを待った。


「皇妃になれたかと思えば次は娼婦だ」


「皇妃には……なりたくてなったわけじゃない……」


 私の意思なんか、どこにもない。


「あの男の一族はみな、処罰を受ける」


「私も、ブルレック公爵の娘として?」


「そうだな」


 年上に見える男の人は、私には視線を向けずに喋り続ける。


 視界に入れたくないと、頑なな意志を感じる。


「当然の報いなんだろ?」


 その声は、血が通っていないのではと思うくらい淡々としていた。


 この人から見れば、そうなのかもしれない。


 ブルレック公爵家がどれだけ他人を虐げて繁栄してきたのか。


 あの屋敷で働いていればわかることだ。


 そこに私の責任を問われるのは、不本意であり、理不尽だと思っていた。


 血筋だけ見れば私はブルレック公爵の娘かもしれないけど、私の生まれは、誰からも望まれたものではなかった。


 母親は、平民として田舎の片隅で普通の生活を営んでいた女性だった。


 ただ、ルーツは異国にあり、銀色の髪に紫の瞳という珍しい容姿であったため、よく人の目を惹いた。


 不幸なことに、彼女に興味を抱いた公爵は、無理矢理彼女を自分のものとして、そして、公爵の気まぐれで生まれてしまった私は、つい最近まで公爵家の下働きとして使役されていた。


 生まれた直後から公爵家にいたわけではなかった。


 母は、私を産み捨てるとどこかへと去っていき、残された私を育ててくれたのは、おばあちゃんだった。


 当時、私を産んだばかりの母はまだ18歳だったそうで、どこかで自分の人生をやり直してくれていたらいいけどと、そこだけは今でも願っている。


 おばあちゃんとの生活は、貧しくても幸せな思い出ばかりだった。


 いつも生活の中には工夫があって、楽しくて。


 他には何もいらないから、あのまま、おばあちゃんと二人で細々と暮らしていられたらそれでよかったのに。


 8歳になった時に公爵家の人に連れて行かれて。


 しばらく、雑用ばかりやらされていた。


 食事なんかまともにもらえないし、身綺麗にもできなかったから、髪の毛はいつも短くしていた。


 状況が変わったのは半年前。


 私が17歳になってからだ。


 突然、公爵家の娘として皇帝に嫁げと言われて。


 皇帝が愛した人に、私は似ていたらしい。


 たったそれだけの理由で。


 その直前には、血を分けた公爵の息子達に陵辱されかけたりってこともあったり……


 本来なら貴族の結婚は成人の18歳からなのに、私はその年齢になるのを待たずに。


 何もいらないから、苦労したっていいから、唯一の家族であるおばあちゃんとの生活を願った。


 私に罪があるとしたら、どこになのかな。


 婚姻のための準備が贅沢と言うのならそうなのかも。


 人間扱いですらなかったのに。


 私の純潔は皇帝に売られることになって。


 罰を受けるこんな時だけ、あの人の正統な娘扱いされるなんてね。


 何もかもを諦めるしかないようだ。


「少しは反論しろ。抵抗してみせろ」


 ずっと押し黙ったままだった私に、また、声がかけられた。


 この人も、抵抗する相手を面白がって嬲るタイプの人なのかな。


 公爵家の息子達がそんなタイプだった。


 カーテンを見つめ続けている横顔からは判断できない。


「抵抗した方が、苦痛の時間が長くなるもの」


 8歳のあの時から、身をもって学んだことだ。


「諦め癖がついてるな」


 鼻で笑われていた。


 自分でも思うよ。


 どこかで心がポッキリと折れて、今は惰性で息をしているようなものだ。


 これからまた、たくさんの苦痛を味わうことになる。


 せめて最後に、


「おばあちゃんに……会いたい……」





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