後編

「……眩しい……」


窓から、光が差し込んでくるのを感じた。


どうやら朝らしい。


視界に飛び込んできたのはその光と、タンスを調べているナナだった。


僕の視線に、彼女も気づいたらしい。


「おはようございます」


「う、うん。おはよう」


普段1人で生活していたせいか、その挨拶自体も懐かしく感じた。


「よく寝れましたね」


「……褒め言葉として受け取っとくよ」


「受け取るなら、警戒心をお願いします」


「また怒られちゃった……ねぇ。ナナ」


「はい?」


「昨日聞きそびれちゃったんだけど、何で仮面を……?」


「……」


「あ、言いづらかったら大丈夫。僕も名前を言ってないから……」


「醜いから、です」


「え?」


「皆さんにとって、私の顔は醜いからです」


「……そっか」


「はい」


「ありがとう。教えてくれて」


「いえ……お礼を言われるようなことは――」




ドン!!


突然、扉を乱暴に叩く音が聞こえた。


昨日のナナの話を聞く限り、ここには化け物は来ないはずだ。


だが、この音を出すのは奴以外考えられない。





「な、何でここに!?」


「2階には、来ないはずなんですが……?」


「ど、どうしたナナ……?」


「……お兄さん」


「?」


「脱いで下さい」


「……はい?」


「服を、脱いで下さい」


「この状況で!?」


「さぁ早く」


「え、えぇ!?」


















部屋の扉が壊れた音がした。


化け物が入ってきた。


何かを探しているのか、犬のように鼻を鳴らしている。


ドシン、ドシンという大きな足音を部屋中に響かせながら。


心臓が飛び出してしまいそうだ。


バクバクと、思いっきりその音を鳴らしてしまう。


この音も、奴には聞こえているのだろうか。


しかし、化け物は気づかない。


聴覚はないのだろう。


「ギュルルルル……」


化け物は妙な音を出し、匂いを頼りに物を探す。


そして、ついに奴は拾い上げた。



僕の服を。


血糊のついた服を。


やがて、足音を響かせながら化け物は部屋を去った。


「行った、かな?」


僕はゆっくりと隠れていたタンスを開け、そこから出た。


「あいつ、僕の服を……」


「あの化け物は、血の匂いが好きなんです」


「だから脱げと……」


「はい。お兄さんを追いかけてきたのもそのせいかと」


服を脱いで、上半身がシャツだけになったせいか若干寒い。


ナナはそんな僕を不思議そうに見つめていた。


「お兄さん。その身体」


「……昔、スポーツやってたんだよ」


「そうなんですか」


「陸上部。まぁ昔って言っても最近だけど……」


「お兄さん?」


「……何でもない。行こう」


僕らは、子供部屋を後にした。



一階に降り、洗面所に移動した。


そこにはカゴが置いてあり、その中には服があった。


そこから適当に選び、適当に着込んだ。


「ナナ、何かありそう?」


「いえ、何もありません」


「そっか……」


「玄関には鍵が掛けられているんですよね」


「うん。あいつが持っている可能性も……」


「お兄さん」


「うん?」


「お兄さんは、私が怖くないんですか?」


突然、何を言い出すんだろうとナナを見つめる。


だがよくよく考えてみれば、彼女とは特殊な出会いをしたのだ。


僕を助けるため、白鬼に向かって両手のナイフで斬りつけた少女。


それも不意打ちで。


確かに彼女は不気味だ。


今になって、彼女の存在が気になりだした。




「……怖くないと言えば嘘になるかも」


「じゃあ怖い、と?」


「うん。でも、同時に頼もしいとも感じる」


「頼もしい?」


「あはは。女の子に頼るのも情け無いけど……安心するよ」


「……初めてです。そういう風に言われたのは」


「少なくとも、僕は君のことを信頼してる」


「信頼、ですか」


「うん」


「……それなら、言ってもいいですか?」


「うん?」


「これから死にたいなんて、思わないで下さい」


「……」


力強く、彼女は静かにそう言った。


昨日から思っていたが、彼女は死に関わる話にかなり反応する。


きっと僕が、馬鹿で自暴自棄だから故に注意しているだけなのかもしれないが。


「言葉っていうのは力になるんです。きっとあの化け物も、言葉によって生み出されたもの」


「言霊、っていうやつか?」


「だからきっと、お兄さんも死にかけたんです」


「……ありがとう。何から何まで心配してくれて」


「いえ、当たり前のことを言っただけです」





その後、僕らは探索を続けた。


今まで行った和室やリビング、それから2階の部屋も探索した。


しかし、玄関の鍵はどこにも見当たらない。


やがて、蜘蛛の巣が大量に張ってある図書室にやってきた。



「……苦手なんだよね。虫」


「斬りつけましょうか?」


「い、いや。それは違う意味で嫌だな……」





虫を避けながら図書室を見渡していると、妙な違和感を覚えた。




「どうしました?」


「いや、何か風の音が……?」


「もしかしたら、どこかに隠し通路があるのかもしれませんね」


「そう、なのかな」


「お兄さん」


「?」


「あそこから音が漏れているみたいです」




図書室の一番奥にある本棚。


そこから音が漏れているらしい。


僕らは協力してその棚を横に退けた。


すると、地下に繋がるような階段が現れた。





「!!」


「ありましたね」


「い、いよいよゲームみたいだ……」


僕らはその階段を降りることにした。


薄暗かったので、ポケットにある懐中電灯を使った。



「準備がいいんですね」


「拾ったんだ。和室で」



階段を降りると、実験室のような所にたどり着いた。



「何なんだここ……?」


「分かりません。とにかく探索しましょう」


「……ん?」


「どうしました?」


「あそこに光るものが……」


僕はすぐにそこへ走り出した。


床に何か光る物が落ちていた。


それは――。




「鍵だ……」


「どこのでしょうか……」


「多分玄関の鍵、かな」


「だとしたら、物凄くあっさりでしたね」


「本当にね……」



玄関の鍵らしき物をポケットに入れ、その場から立ち去ろうとした時だった。


あの、不気味な声が聞こえた。










「お兄さん!!」





「え?」


突然、ナナが僕を突き飛ばした。


いや、庇ったのだ。


化け物の攻撃から、僕を。


僕が床に叩き付けられているのに対し、ナナは壁に叩き付けられた。










「ナ、ナナ!!?」




僕は急いで彼女の元に走り出した。






「お、おい! しっかりしろ!」


「……うっ」


「くそ! 何で……!?」


「……から」


「……!?」


「生き、てほしいから……」


「……!!」






たったその一言なのに、涙が溢れそうになった。


こんなにも、弱っているのに。


僕のことを思って、そんな言葉を。


きっと、僕は誰かにそう言われたかった。


誰かに、そんな優しい言葉を。




「はし、って……」


「だ、駄目だ! ナナも一緒に……!」


「……」


「ナナ……?」


僕は思わず、彼女の左胸に耳を押し付ける。




身体が、冷たい。




心臓の音も、聞こえなかった。











彼女は、死んだのだ。






「どう、して。こんな、ことに……」



化け物は相変わらず、妙な叫び声を上げている。


恐怖と悲しみで、頭がおかしくなりそうだ。


いや、最初からおかしかったのだ。


この館に来てから、ずっと。


でも、人と話すことで。


彼女と話すことで。


僕は少しずつ、気持ちを落ち着かせていたのだ。


こんなことならもう少し早く、誰かと話すべきだった。


だが、彼女は死んでしまった。


信頼しているはずの彼女が。


じゃあどうする?


彼女は最後に、僕に何を言っていた。


僕は何を聞いた?


仮面少女の、あの声を聞け。


思い出せ。


「……生きてほしい……走って、か」


簡単なことだ。


でも、辛いことだ。


けど僕は彼女を信頼したんだ。


なら決まっている。


「……ありがとう。ナナ……」


僕は階段に向かって、全力疾走した。


彼女を、置いて。




階段を駆け上がり、振り向かずに玄関へ向かう。


「ギュオォォオオン!!」


何かを壊す音が聞こえる。


大きな足音が近づく音も聞こえる。


怖い。


それでも、僕は玄関に向かって走った。


怪我でしばらく走ることができなかった、この足で。




図書室の扉を乱暴に開け、玄関に向かう。


1秒でも早く、扉へたどり着きたい。


後、100メートル。


こんなにも生きたいという気持ちがあるとは、自分でも驚きだ。


早く、外の空気を吸いたい。


後、50メートル。


もう少し彼女と話がしたかったのか、涙がまた溢れる。


後、25メートル。


本当に、彼女にはどれだけ感謝しても足りない。


後、10メートル。


もうすぐ、のはずだった。


「あがっ!!?」


右足を掴まれた。


白鬼に。


鼻と口しかない化け物に。


右足が取れてしまうほどに、強い力がそこに加わる。


「いっ!!? だっ!?」


死ぬ。


僕はここで死ぬ。


手を伸ばせば届きそうなのに。


届かない。


彼女の気持ちを、ここで踏みにじることになってしまう。


メキメキと、骨が折れる音が聞こえる。


「うぐっ!!?」


これだけ人のことを思ったのも、久しぶりだ。


精神的な痛みと物理的な痛みで、意識が遠のいてしまいそうだ。







…………。







…………。


















足の感覚が、もうない。


いや、僕は死んでしまったのかもしれない。


僕は必死になって身体を動かそうとした。


左足だけは動いた。


右足の感覚だけが、もうない。


それよりも――。


「あいつの、手がない?」


身体を何とかひっくり返し、白鬼のいる方向を確認した。























いた。



化け物が。


昨日のように倒れている化け物が。


そいつを視界に捉えたと同時に、生々しい音が耳に入った。


何かを切り裂く、音が。


ナイフで切り裂く音だ。


「アガァァァアア!!?」


「!?」


化け物の真っ白な身体が、真っ赤な血で染め上げられている。


奴の血肉が、自分を染めているのだ。


「一体、何が……」


奴を痛めつけている者は、化け物に跨っていた。


あの子だ。


仮面を付けた、少女だ。


「ナ……ナ?」


「グガアァァ!!?」


恐ろしい光景のはずなのに、僕は感動していた。


彼女が、ナイフを持って化け物に容赦なく振り下ろしている光景を見ているのに。


それ以上に、彼女と会えたのを嬉しく感じていた。


やがて、化け物の叫び声は聞こえなくなった。


そして奴の残骸は、砂のようになった。


それから消えた。


まるで、最初から居なかったかのように。


ナナは、スタスタとこちらに歩いてきた。


血で染まったコートと、謎の仮面。


不気味な存在が、僕を安心させた。


「立てますか?」


「……何とか」


壁を利用して、僕はその場に立った。



ポケットに入れておいた鍵を、扉にガチャリと入れた。


外の空気を吸った。


夕陽の空を見上げた。


当たり前のことなのに、それが嬉しかった。


右足を引きずりながら、なんとか歩こうとする。



「大丈夫ですか?」


「うん……それより」


「……」


「ナナ……君は」


「……えぇ。私は」



ナナは徐に仮面を取った。



真っ白な顔が、そこにあった。



あの化け物とは違う。



綺麗な色だった。



だが彼女の顔からは、人間の生気を感じられなかった。


ナナの顔が夕日に照らされる。



それでも彼女の顔は白い。



「あなたと同じ、人間ではありません」


「じゃあ、一体君は……」


「……」


「ゾンビ……?」


「そのようなものです」


「いつから?」


「分かりませんが、私はきっとあの化け物と同じような存在なのでしょう」




彼女が言った化け物の存在。


それは確か、言霊。


それと同じということは――。




「君は、作られた存在……?」


「……えぇ」


「じゃあ、大事な人って?」


「……きっと、何かの作品でしょうね」




創作物、というものなのだろうか。


そんなことがあり得てしまうのだろうか。


……いや。



実際にいたのだ。


この館にも、目の前にも。



「……すみません。お兄さん」


「……?」


「私、嘘をついてました」


「どんな?」


「私には元々、名前なんて無かったのです」


「……そうか」


「えぇ」


「……謝る必要はない」


「……」


「……ナナ」


「はい」


「僕の名前、聞いてくれる?」


「いいんですか?」


「あぁ……僕の名前はーー」


自分自身の名前を彼女に告白した。


彼女の顔は相変わらず生気を感じなかったが、名を言ったらその顔が少し緩んだように見えた。


「素敵な名前じゃないですか」


「……まぁ周りからは【ヒーロー】なんて言われて、いじられてたんだ」


「何故それが嫌なんです……?」


「……色々あるんだよ。人間には」


「……そうですか」


再び沈黙。


でも昨日のような、嫌な沈黙ではなかった。


何かしらを噛み締めるような、そんな抽象的な安心感があった。


それからもう一度彼女に感謝を告げた。






「君のおかげで、生きることができそうだ」


「……良かったです」


「もう少し頑張ってみるよ。だから――」


やるべきことが全て終わったら、君の手伝いをしたい。



そう言おうとした時には、彼女はいなかった。



「……」



生きてほしい。


彼女の言葉を胸に僕は壊れた足で、何とか一歩踏み出すことにした。


その時、彼女の声が聞こえたような気がした。



『あなたならできますよ。【ヒーロー】」



そんな励ましの声が聞こえた。


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仮面少女の声を聴け 夜缶 @himagawa

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