第4話

第四話

 一刻も早く、この場から逃げ出したい。

 頭がどうにもはたらかないし、呼吸もどんどん浅くなっている気がする。

「えっと……初めまして、ですよね? 私は津森メグっていいます」

 実際に対面した彼女は、ずいぶんと卑屈な印象を受けた。高い身長を猫背にし、視線はだいたい下を向いていて、あまりこちらと目が合うことがない。ずっと所在なげに、髪先をいじっている。

 モデル然として、堂々と写真に映っていた彼女とは大違いだ。

 心の中の自分が言う。「これを『津森メグ』と認めていいのか?」

 しかし頭が理解している。「これは生きている、正の『津森メグ』である」

 でも思ってしまう。「俺の理想の『津森メグ』はどこだ?」

 過去の自分が笑う。「本当にお前は『津森メグ』の『ファン』に堕ちたんだなぁ」

「――メグ、この人は葉月慧斗くんだよ。私と同い年だから、メグの一個上だね。小学校の途中までこっちに住んでたんだけど、親御さんの都合で転校してしばらく東京にいたんだ」

「関東の方に……」

「それで、半年前に私達の高校に編入してきたの。ずっと東京で過ごしていたからちょっと、いやかなり他人に対してドライで冷たくて共感性はないけど、よかったら仲良くしてあげてね!」

「そ、そうなんですね……」

「慧斗、こっちは君の好きな津森メグちゃん」

 まりんはニコニコと、状況を面白がっている様子だ。

 こちらといえば、ずっと心臓が早鐘を打っていて、何も答えられない。見かねたのだろうか、まりんが会話を続ける。

「実は私たち従姉妹いとこなんだ! 驚いた? 慧斗がメグのファンになったって聞いてから、どうしても会わせたくってさ!」

「私なんかのファンなんて、恐れ多いです……。そんなことより、まりんちゃんには本当にお世話になっているんです。まりんちゃんはいつも明るくてニコニコしてて自分の考えをしっかりもっていて……すごく尊敬してるし、私のつまらない悩み事を相談することも多いんです。なんでも相談できる頼りになるお姉ちゃんって感じでしょうか」

「照れるな〜」

「本当のことですよ」

 いつの間にかメグの口元がわずかに緩んでいる。それだけで彼女とまりんの仲の良さが分かる。

「私たち、なんだかんだしょっちゅう連絡取り合っててさ。よくふたりで遊びに行ったりするんだよね」

「先週行ったホテルのアフタヌーンティー、すごく良かったですね」

「うん、めちゃくちゃ季節感あってえたし〜! 他にも行きたいところあるんだけど、また付き合ってくれる?」

「もちろんです!」

 それからきゃいきゃいと女二人で楽しげな会話が繰り広げられる。それを遠い頭で見守りながら、自分が現在置かれている状況を整理した。

 俺が女神だと思い、遠くから憧れていた女性は、実は女友達の従姉妹で。

 話そうと思えば話せる距離にいて。

 なんなら腕を伸ばせば触れてしまえる距離でころころと笑っている。

 普通の女の子みたいに。

 ――それはだめだろ。

 高ぶっていた身体が、冷水を浴びせられたかのように、急激に冷めていくのを感じた。

「悪い。今日は調子よくないから、帰る」

「えっ、ちょっと!」

 まりんの制止も聞かず、俺は足早に神社を後にする。だめだ、やっぱり、

 津森メグは身近にいていい存在じゃない。

 石畳の階段を降りながら、どうしようもなく吐き気がして、神社の敷地内を出た途端に、胃の内容物がごぼりと出た。ああ、やっぱり、昨日徹夜なんかするんじゃなかった。こういう不測の事態でメンタルがやられた時に体調にダイレクトにくる。

「――慧斗、大丈夫!? どうしよう。私、取り返しのつかないことをしちゃったのかな……」

 意識が遠のく前、まりんの声が脳に響いた。

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