35話 彼女との今後

 池袋の人混みにはだいぶ慣れた。


 人の波にゆらゆらと流されるようにホームへ向かう。


 電車が到着した。多くの人間を吐き出し、多くの人間を吸い込む。


 制服姿に身を包んだ俺と宝生さんも同様に車内へと吸い込まれていく。

そのさまはクジラの捕食シーンみたいだ。


 宝生さんはドア横に立ち壁に寄りかかり、俺は吊革を掴みながら彼女の正面へ立つ。


「今日ってバイトですよね?」

「えぇ、これから行くわ。上野で乗り換える」

「最近働きすぎじゃないですか?」

「神田君にしては珍しいわね。心配するなんて」

「いや、そういうつもりでは」

「まぁ、確かに働きすぎかしらね。最近は生徒会の仕事以外はアルバイトをしているし。でも忙しい方が楽なのよ」


 彼女は中吊りポスターを眺めながら言う。


 この人の何がすごいって、これだけ働いておきながら、帰宅したら深夜まで勉強して、朝は早起きして読書に費やしていることなんだよな。


 そういえば、と俺は最近の疑問を投げる。


「最近俺に対してやたら寛容ですけど、脅威じゃないってようやく理解してくれました?」

「えぇ、あらかたね」


「じゃあ俺の家にいる必要は・・・」


 なぜかは分からない。すぐに言葉を止めた。


「私が家をうろつくのは嫌?」


 彼女は少し不安そうな声で聞く。


 一切否定の言葉が浮かばない自分に驚いた。


 あれだけ人との繋がりを毛嫌いしていたのに、耐性がついてしまったのか、彼女が家にいることを何一つ疑問に思わなくなった。


 最近は心地よさすら感じてしまっている。心地よさの正体は見当もつかないが何かが俺の中で変わってきているというのは明白である。


 この人も異常だが、たいがい俺も異常だ。


 俺が返答を探っていると、宝生さんは咳払いをして自転車のギアを上げるように切れ長の目を強調する。


「97%は信用してる。逆に言えば3%は信用していないのよ?だから100%になるまで私は居座るわ」


 後ずさりしてしまいそうな悍ましい顔。


「あなたにとっても都合がいいでしょ?私と暮らすようになってから血色がよくなったと思わない?」


 家でよく見る砕けた顔。


 最近の彼女は牙を抜かれた肉食動物のようだ。


「それはごもっともです。食生活の大切さを勉強させていただきました」

当たり障りない言葉で適当に返す。俺の返答を聞き、彼女は不敵に笑った。


 電車のアナウンスが家の最寄りを言う。


 ホーム扉へ体を向けた。


 やがて扉が開く。軽く別れを告げて人混みに押し出されるように車内を出る。


「また後でね」


 まろやかな声が俺の背中を包み込む。すぐに振り返った。


 柔和な笑みを浮かべ、ひらひらと手を振る彼女。


 ホーム扉が閉まる。彼女の笑みが見えなくなった。


 電車が走り出す。俺はホームに立ち尽くした。


「また後で・・・か」


 なぜか復唱してしまい、猛スピードで走り去る電車へと手を伸ばした。


 ただひたすらに電車の後ろ姿を眺める。


 やがて電車が見えなくなった。それでも俺は立ち尽くす。



 彼女がどこか遠くへ行ってしまう気がした。







 最近は日が長くなった。18時をまわりようやく下界は夕日色に染まる。


 宝生さんは宝生麗華(ギラギラフォルム)の衣装代を取り返すべく、社畜生活を送っている。


 いったいいくらしたんだあの服は・・・


 1回しか着ていないのだから売ればいいものの、「りんと再会した記念だから」と大事そうにタンスに眠らせている。


 俺はというと夕飯の買い出しをすべく部屋を出た。


 ガチャッと鍵をかけて、きちんと施錠されているか念入りに確認する。


 脳内に2つの選択肢が浮かんだ。


 A:僕だってやればできるモン。自炊チャレンジ!

 B:人類最大の発明。安い、早い、手間なしのカップラーメン!


 たまには自炊でもしてみるかな。


 Aに傾きかけたが、宝生さんの作る料理を思い出し惨めな気持ちになりそうなのでBにした。


 BはBで惨めでした・・・


 そんなくだらないことを考えながらエレベーターホールへ向かうと、後方から勢いよく扉を開ける音が聞こえた。


 振り返るとそこには上下グレーのスウェットを着た早坂さんが立っている。


「蓮君これからお出かけ?」

「うん、晩御飯の買い出しかな」

「そ、そうか。私もついてこうかなー」

「そこのスーパーでカップ麺買ってくるだけだよ?」

「え?今日の晩御飯それだけ?」


 こくりと頷く。


「宝生さんは?」

「バイトだよ」

「そっか・・・」


 なんだか妙に気まずい空気が流れる。俺なんか変なこと言ったかな?


 早坂さんは用心深い小動物のようにゆっくりと近づいてきた。


 彼女は俺の1歩前あたりで止まる。


 息がかかりそうな距離感。


「・・・蓮君」


 手櫛で髪をとかしながら、どこか躊躇するような声色で俺の名を呼んだ。


 彼女の視線は俺の瞳と地べたを行き来しており、何か言いたげな唇はプルプルと震えている。


 柔らかそうな頬は夕日にあてられているせいか紅潮していた。


 まるでこれから何か重大な告白をするかのような沈黙。


 早坂さんはすーっと大きく深呼吸をして静寂を破った。


「付き合ってくれない?」

「つ、付き合う・・・?」



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