33話 奴は社会に疲弊し、酒を良薬とする

 ガラガラガラッ!


 引き戸の開く音。


「神田君、騒がしくなるわよ」と早苗さんは忠告し、

「来たか」と店長は微笑む。


 宝生さんは苦笑いを浮かべ、入口付近でお出迎えしている。


「こんばんはー。今日も来ちゃいまちたー」

「いらっしゃいませ」

「あらー、麗華ちゃん出勤だったんだー」


 確かに俺のよく知る人間だった。


「お酒臭いんですけど・・・」


 酔っ払いに強く抱きつかれ、宝生さんはしかめっ面をしている。


「う、上野先生!?」

「あれ?蓮人君まで?どーちてここにいるのかなー?」

「バイトで。って、それ俺のセリフでもあるんですけど。なぜここに?」


 酩酊状態の上野先生はおぼつかない足取りで俺のもとへと来る。


「私はハイボールが好き。蓮人君は何が好きかな?」


 俺の質問はなかったことにされ、酒の好みを聞かれる。


 いや、教師が未成年にそんな質問するなよ・・・


 上野先生は地震でも起きているのではないかと錯覚させるほど左右に体を揺らしている。


「美咲はここの常連なの」


 早苗さんは彼女の代わりに俺の問いに答えてくれた。


「え?常連?上野先生が?」

「せーかいでございまーす」

「ったくのんだくれ教師が。とりあえず座んな」

「もー店長いじわるー」

「いつものでいいか?」


 よろー、と上野さんは言い、ベッドにダイブするかのような勢いでカウンター席に着いた。


 俺は宝生さんに目で問う。


 それを汲み取ったのか上野先生と俺を交互に見ながら口を開いた。


「先生ここら辺に住んでるみたいなの。実は私がここでバイトするきっかけ作ったの上野先生なんだ」

「え?そうなんですか?」

「えぇ、上京したててバイト探してた時に上野先生に教えてもらったの」

「ほう・・・これまたレアなケースですね」

「この子、学校でもこんな感じなのー?」


 とても答えづらい質問だ。


 確かに生徒会室でワイン飲んだり、とんでもない奇行に走るからな・・・


「先輩目線、懲戒免職にならないか心配だよ・・・」

「先輩?」

「この子私の教え子なの」

「えぇ?じゃあ早苗さんも教師だったんですか?」

「33の時に辞めたけどねー。もう退職して3年以上経つのかー」

「鬼ババアで怖かったよー」


 上野先生は手をたたきながら笑う。


 それを受け、早苗さんは彼女をきりっと睨みつけた。


「お客さん?料金は倍にいたしますよ?」

「激務薄給の教師にその仕打ちはひどくなーい?」

「確かに。それは言えてるね」


 納得してしまったよ・・・


「それを生徒の前で言うあたり上野先生らしいですね」


 空笑いで宝生さんは言う。


 上野先生は、ぐびーっとビールを一気に飲みほしたあと、


「世の中は嘘ばっかりだから真実を伝える大人も必要なのー」


 そう吐き捨て、不機嫌そうに言いビールをおかわりした。


「というわけでー、先生が社会の厳しさ教える大会スタート!パチパチパチパチ!!」


 なにやら怪しげな大会が開かれてしまった。


 というか選手はあなただけですよね?上野先生?


 くっくっくっと店長は肩を揺らし、早苗さんはため息をつく。


 横目で隣を見ると、意外にも宝生さんは興味ありげな顔をしていた。


「其の一!若手は使いたい放題!まるでヤンキー界隈のピラミッド構造。子分!パシり!奴隷!」


 ヤンキーというフレーズが出たからか、ピクッと宝生さんの眉が動く。


「うぅぅぅ、生徒会顧問に体育祭や文化祭運営責任者、最近は席が空いた卓球部の顧問まで!面倒事や肉体労働は流れるように私にまわってくるのよ」


 上野先生は目をこすりながら悲壮感漂う声音で語った。


 んー、辛い。そりゃー酒にも溺れたくなるわな・・・


「それだけじゃないの!クレーム対応に飲み会幹事まで!うぅぅぅぅぅぅ」

「それは美咲が頼りになるからじゃないのー?」

「それよそれ!『頼りになる』、『業務を通しての成長』、そういうずるい言葉がくたびれたスーツ集団の屍の山を作るんだわー!」


 怖い。社会人怖すぎる。


 どこぞの配信者が激推する生活保護の道に進もうかな・・・


「其の二!コンビニでお酒を買うと年齢確認される!『お前はいつまでも出来損ないの子供だ』、そう社会が嘲り笑うように!」


 それは社会の厳しさというより、ご自身の人生の厳しさではないですかね?


 其の二はまさかの童顔問題でした。


「それは美咲がいつまでも若い女性だって認識されてるんじゃないかな?」


 そう言いながら早苗さんが慰めるように背中をさすると、上野先生の目に正気が戻る。


「あー、そうともいうね!ってかそうとしか言わない!私、永遠の17歳でーす!」


 単純だこの人・・・


「其の三!私が男っけなさすぎて、恋愛の話題になると、変な空気になるの巻!」


 私がって言っちゃったよ。社会の厳しさ教える大会じゃないのか・・・


 再び空気が淀み、上野先生は説明書を読み上げるように感情を殺して語る。


「この間実家帰ったときに、金曜ロードショーで熱々の恋愛映画が放送されてたの。そしたらお母さんはすぐチャンネル変えて、お父さんはチラチラ私の顔色を伺う。それから妹夫婦は・・・」


 もういい!何も言うな!!!


 闇落ちしてしまった親友キャラの暴走を止めるように、俺は心の中で叫んだ。




       



 酩酊状態の教師を、家まで送るという体験をした現役高校生はどれくらいいるだろうか。


 0.003%くらいな気がする。

 

 となると俺は貴重な存在だ。履歴書の実績欄に記載できそうだ。


「あー、教え子2人に囲まれて幸せだなー」


 上野先生は満面の笑みを浮かべて俺と宝生さんの肩を組む。


 社会の厳しさ教える大会が終幕し、店は閉店時間を迎える。

 高校生は22時までしか勤務できないため、締め作業は店長と早苗さんが行い、俺たちは酔っぱらい送迎大臣に任命された。


「こういうのって10年後とかに思い出すのかな」


 青春真っ只中の高校生みたいなことを言う。

 上野先生はあどけない笑みを浮かべて続けた。


「10年後ってなると2人共お酒が飲めるでしょ?テーブルにビールと焼鳥が並べられてみんなでそれを囲うの」


 この人と酒を交わすのは色々と大変そうだ。


 でもなんだか楽しそうに思える。そんなことを考えてしまう自分に驚いた。


 人は変わってしまうものだ。人が変われば必然的に居場所も変わる。


 俺たちは東明高校というごくごく小さなコミュニティーでたまたま出会っただけだ。


 卒業後はもちろん在学中だって各々色んな世界に触れて、様々な体験をして、そして変わっていくんだ。


 そうやって1人1人離れ離れになっていく。


 でも不思議なものだ。先ほど上野先生が言っていた光景が想像できてしまう。


 上野先生は大酒を食らい、それを俺が必死に介抱する。案外宝生さんは酒豪になっているかもしれない。


 俺たちのやり取りを聞いて店長は静かに肩を揺らし、早苗さんは呆れたように笑う。


 そこに水原さんや早坂さん、矢口くん、松島さんまで来て・・・


 って、本当に柄にもないことを考えてしまっている。らしくない。


「10年後なんかは麗華ちゃん結婚してるかもねー」

「すいません、お先に」

「ちょっとー?何で私が独身前提なの?」


 くすくすっと宝生さんは口を手で覆いながら笑う。


「先程の話で興味深かったんですけど、なぜ先生は教師を続けてるのですか?」


 宝生さんは続ける。


「あれほど愚痴をこぼしていたのに。それでも続ける理由が気になります」


「楽しいからかなー」


 上野先生は考える様も見せず、すぐに答えた。


 それは俺が想像していた回答と全然違っている。


 意外だったのか宝生さんもキョトンとした顔を浮かべ、上野先生の補足を待った。


「そりゃー残業ばっかりだし理不尽に怒られることもある。学年主任のハゲー!とか思うことあるけどー」


 でもねー、と上野先生は月を見上げる。


「麗華ちゃんや蓮人君、日和ちゃんに他の生徒会の子たち、私を慕ってくれる生徒もそうじゃない生徒も。彼ら彼女らの変化を見るのが楽しいんだよね」


 うぅー!と空に飛んでいきそうなくらい背伸びをする。


「特に、今はもっと楽しいかな」


 上野先生は宝生さんと俺を交互に見て含みのある視線を送った。


「楽しい・・・ですか。シンプルな回答で意外でした」

「ご立派な意思を持って仕事してる人なんて希少種よ?

世の中仕事を続ける理由なんてたいがい適当で自己満足なものか、人間の本質的なものばかりよ。お金がーとかチヤホヤされたいからーとか」


 少し不満げな顔をしながら続ける。


「私の同僚はね、みんな教師って仕事が嫌いなの」


 でも、と不満げな顔は嘘のように消え、小学生になったばかりの幼女のような一筋の希望を顔に浮かべて、


「でも私はそうじゃない。この仕事も君たちのことも大好きだよ」


 次は目を細めてきゅっと口角を上げて、


「私はちゃんと側で見てるから」


 奥深い成熟した微笑みを。


 彼女の熱を冷ますように夜風が吹いた。


 季節にそぐわない少し肌寒さを感じさせる風が。


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