31話 コスプレカフェの主は大人びた笑みを浮かべる
「急な会議入ったから今日は自習な。勉強するなり行事ごとの話するなり適当にクラス委員中心にやっといてくれー」
担任は教科書とファイルを脇にはさみ、そそくさと教室を出て行った。
自習という2文字は全国の高校生を嬉々とさせる不思議な力を持っている。
どんよりとした雰囲気の教室は一気に楽園と化し、気だるそうな生徒たちは水を得た魚のようにはしゃぎだす。
俺はというと自習に対してそこまで喜ばしさは感じない。今日行うはずだった授業を予習するつもりで、ぼーっと教科書を眺めていた。
一方隣の席の早坂さんは嬉しそうに亜麻色の髪を揺らす。
「こういう時担任が緩いと助かるんだよねー。他のクラスは自習中に課題出されるみたいだし」
担任の口ぶりから騒がなければ何に時間を使ってもいいといった感じだった。
周りを見渡すと雑談をしている生徒で溢れている。他のクラスの授業の邪魔にならないくらいの声量だし、特段問題ないだろう。
ちなみに矢口君はというと机に突っ伏して爆睡を決め込んでいた。よく寝るからあんなに逞しいんだなー。
「早坂さんは寝だめしておかなくていいの?部活で忙しいんじゃない?」
「うん、それも考えたんだけどもったいないかなーって」
「もったいない?」
「生徒同士の自由な時間って案外少ないじゃん。寝るのは家でもできるし」
「別に休み時間とか放課後とかあるからいいんじゃない?」
「もう蓮君は捻くれてるなー。自習は特別なんだよー!」
彼女は頬を膨らませて不満げに言った。
自習が特別というのはなかなかに理解しがたい。どこに特別な要素があるのだろうか。
昼休みや放課後との違いを少し考えてみる・・・
言うまでもなくそれらは生徒たちの自由時間だ。生徒同士の交流はその時間で果たすことができる。
タイムテーブル上に記された憩いの時間であるということに間違いはない。
タイムテーブル上?
そういうことか。
正解が導き出される。整いましたとばかりに脳内に浮かんだクイズ番組の早押しボタンを力強く押した。
いわば自習というのは麻薬の一種だ。
授業という決まったスケジュールから突如解放される。
この瞬間に生徒たちの脳内ではドーパミンが大量放出されているんだ。だとしたら元々スケジュールされた昼休みや放課後は自習の代わりにはなれない。
つまり自習は合法的な薬物であるといえる。
キマりきった生徒同士が幻想世界での交流を楽しんでいるのだ。
しかしながら俺の渾身の解答は、次の早坂さんの発言によって罰点がつけられる。
「昼休みとか放課後ってほとんどの人は仲良い子同士でいるでしょ?普段会話しない人とは何かしら理由がない限り過ごさないと思うんだ。でもこういう時間って近くの人と話をするでしょ?仲良くなくても、理由がなくても、気軽に話せる貴重な時間だなって」
「でも俺は早坂さんと放課後とか昼休み一緒にいることが多いよね?それってあまり貴重とは呼べないんじゃないかな?」
俺の発言を聞き早坂さんはすっと目をそらした。恥じるように目線を斜め下に向ける。
次第に頬が赤みを帯びていき、声にならない声が漏れた。
「・・・か良いとomわれてたんd」
「え?」
反射的に聞き返してしまったが、何となく分かった。
俺の聞き間違いじゃなかったら『仲良いと思われてたんだ』と彼女は言っていた気がする。
先ほどの自分の発言を思い出す。
今思えばあれは遠回しな友達発言だ。
何やってるんだ俺は。20秒前に戻りたい。
つまり早坂さんは俺に友達と思われていたことに驚いたのだろう。もしかしたら嫌悪感を抱かせてしまったかもしれない。
もちろん俺はそういうつもりで発言したわけじゃない。
「あの、早坂さん・・・」
俺が必死に弁解をしようとすると、バンバンと黒板を強く叩く音がした。
「はい!みんな注目!」
教壇に髪を二つ結びにしている女子生徒がいる
確か、クラス委員の吉宮さんだ。
「文化祭まで2か月きってるから案出ししてもらいたいなーって思って」
「はい!コスプレカフェ!」
先ほどまで爆睡していた矢口君が勢いよく立ち上がった。
そして委員長や他の女子生徒をなめるように見て、見慣れたやらしい笑みを浮かべる。
「内容は、えーっと、野郎どもは何でもいいとして、女性陣は婦人警官?
いいや、王道のメイドさん?いいや、チャイナ服!?でゅふふふふ。みんな違ってみんな良い」
「着席」
「はい・・・」
委員長はゴミを見るような目を向ける。
矢口君はしゅんと肩を落とし静かに席に着いた。
俺は彼の将来が心配だよ・・・・・・
文化祭か。そういえば少し前生徒会の集まりで議題があがってたな。2か月をきったとなるとぼちぼち準備が始まるだろう。
「紙をまわすからそこに各々案書いていって。匿名でいいから。授業終わったら回収するねー」
そう言って委員長は廊下側の列から順に白紙を配る。
やがて俺たちの列にも配られた。
「文化祭かー。楽しみだなー。今年は何するんだろう」
早坂さんは白紙を見つめながら楽しそうに言う。
「去年は何したの?」
「ジェットコースター!」
「え?」
制作費億超えないか?
1人いくら徴収するんだよ・・・
仮に1億だとして、俺のクラスは40人くらいだから・・・
1人250万・・・
俺の経済力だと1万円が限界である。
ここは金持ち学校だったっけかな?東京って恐ろしいところだ。
あれれー?おっかしいぞー?
大人を舐め腐った某少年探偵の声が脳内に反響する。
「違うよ違うよ」
早坂さんはくすくすと笑いながら言う。
「段ボールで作ったの。他の高校SNSでバズってたからそれを真似て」
なるほど。であれば高校生の予算で実現可能だ。
どういう原理で動かすのだろうか。制作の手間が半端じゃなさそうだが。
「去年はかなりグダグダだったから今年は確実なやつがいいなー」
「確実なやつか。例えば?」
「カフェとかかな?」
その単語を聞いて矢口君を思い出す。
彼の方へ目をやると、崖っぷちの浪人生ばりに張り詰めた顔をしながら、白紙に殴り書きしてしていた。
ふーん、案外真面目に取り組んでるんだな。
意外そうに彼を見続けていると、真剣な表情に一瞬だけ既視感のある笑みが浮かんだ。
また変なこと考えてるな・・・
きーんこーんかーんこーん。
授業終了のチャイムが鳴った。後ろから紙がまわってくる。
その下に俺の案が書かれた紙を潜り込ませ前へとまわした。
「蓮君は何を書いたの?」
「黙秘権を行使します」
「はい?」
早坂さんは怪訝な目を向ける。
いや、俺は日本男児だから全否定された矢口君に同情しただけであって決して卑猥な意味でこれを提案したわけじゃないんだよ?
『案1:コスプレカフェ』
自習を終え、教科書を片手に廊下を歩く。
次の授業は生物だ。
いつもは教室での座学だが、今日は実験をやるらしく、移動教室で生物室へと向かっている。
「おーい、蓮人!待ってくれよー!」
何やら後ろから騒がしい声が聞こえてきた。
「ったくおいてくなよなー」
「初めから一緒に行くなんて言ってないでしょ・・・」
「相変わらず冷めてんなー」
矢口君は手のひらを上に向け、苦笑いを浮かべる。
何を話すわけでもなく彼と並んで移動先へと向かった。
「・・・・・・」
違和感を覚えた。
辺りから体にまとわりつくような視線を感じる。
宝生さんの監視が頭をよぎったが少し違うような気がする。
2歩、3歩と進み、ようやく違和感の正体に気がついた。
女子生徒がちらちらとこちらに目を向け、ひそひそと何かを話している。
それは明らかに俺ではなく矢口君へと向けられたものだった。
お調子者の矢口君だがよく見ると目鼻立ちが整っているし、ひそかに想いを寄せる人が多いのかもしれない。
「あぁ、あれな。もう慣れっこだよ」
長々と自慢話が来る。俺はそう警戒した。
しかし、彼の言葉は俺が想像していたものの斜め上をいく。
「蓮人が転校してくる前さ、俺ちょっとやらかしちゃってよー」
口ぶりから察するに、先ほどの視線は矢口君を肯定するようなものではなかったのだろう。
予想外の回答に少し気まずくなる。
その気まずさをぶっ壊すように矢口君は俺の肩を組み、口を開いた。
「そんな辛気臭い顔すんなよー。生きてれば誰だってあることだよー」
「そうかな?少なくとも俺は冷ややかな視線浴びたこと今までないと思うけど」
「そうじゃねーよ。失敗は誰にでもあるってことだよ。それぐらい蓮人にもあるだろー?」
「・・・まぁ」
俺にも数えきれないほどあるよ、そう返答する前に矢口君が言葉をかぶせた。
少し雰囲気が変わる。
「過去は俺の体の一部なんだ。だから失敗も愛せるようにならねーとな」
正面を見ながら、どこか遠くの世界へと叫ぶように。
その顔は俺の知る矢口君のものではなかった。強い信念と自信を感じ、どこか成熟した横顔。
彼も彼で人生の破壊と再生を繰り返してきたのかもしれない。
もしかすると普段のおちゃらけた彼は別人なのかもしれない。
もしかしたら彼は・・・
「あー!美玖ちゃーん!」
隣を見ると矢口君は消えていた。
正面を見ると彼の背中が見える。
音速で渡り廊下を駆け抜け、20m先の早坂さんへと向かっている。まるでさかりのついた犬のように。
感動しちゃったじゃねぇか・・・
さっきの言葉に心を動かされてしまった自分を殴ってやりたい。
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