30話 金欠は社畜モンスターを生む

 カーテンの隙間から斜陽が差し込む。時刻は午前5時30分。


 通常よりもかなり早い時間に起きてしまった。


 二度寝を決め込もうと思ったが完全に目が覚めてしまったため、とりあえずリビングへと向かう。


 扉を開けた。キッチンには宝生さんがいた。


 髪をひとまとめにして、黒の寝巻を着たまま何やらそわそわしている。


「おはようございます」

「お、おはよう」

「いつも以上に早起きですね」

「そ、そうかしら?そんなに変わらないと思うけど」


 んー?おかしい。何か違和感が・・・


「あの、何か隠してます?」

「な、何を言ってるのよ」


 いつもは切れ長な瞳でスッと俺を見据える。その眼差しに何度麗しさを感じたか分からない。


 だが今日は、その綺麗な眼球に俺の寝起きの情けない顔が映っていない。


 彼女は全く顔を合わせてくれないのだ。


 目は口ほどに物を言う。今の彼女にこれほど適した言葉があるだろうか。


 カジキ並みに目が泳いでいる。


 そわそわとキッチンの周りを歩き、何か言いたげな様子だ。


 彼女の腫れた目元を見て昨日のことを思い出す。初めて見た彼女の美しい雫を。


 覗いてしまったのがバレたのだろうか。


 であればこれは恥じらい?照れ隠しといった類の物だろうか。


 ふーん。完璧超人だと思っていたがそういうところは案外普通の女の子なんだな。


「神田君、やはりお話が」

「はい・・・」


 改めるような声色についついかしこまってしまう。


 彼女は早歩きで俺の前に来て、正対した。


「ちょっ、何してるんですか?」


 さすがの俺も彼女の奇行には焦りを覚える。


 なぜなら正対したまま両膝をたたみ、地べたに正座し始めたのだから。


 この光景は下剋上をテーマにした西欧の風刺画みたいだ。


 是非これを写真に収めて彼女の弱みファイルに追加したい。切実に。


 だが俺とて一人の日本男児。何があったかは分からないが、弱っている女性を上から見下ろすほど落ちぶれちゃいない。


 俺も膝を折り畳み、彼女と目線を合わせた。


「隠し事してるじゃないですか。何があったんです?」

「経済危機よ」

「はい?」


 思っていたよりも壮大なワードが出てきた。


 俺は目で続きを促す。


「実は昨日予定外の大きな出費があってね。それを支払ったら破産寸前なのよ・・・

こんなの初めてだわ」


 珍しい。心底焦っている様子だ。


 宝生さんは続ける。


「ちなみに大きな出費というのは?」


 俺が問うと宝生さんは窓際の方を指さす。


 カーテンレールには黒のダブルライダースジャケットがかけられており、付近にインディゴブルーのスキニーパンツが綺麗に畳まれていた。


 ローテーブルの上には金髪のウィッグとメイク道具が並べられている。


「時間がなかったから適当に近場に入ったんだけど、そこそこの値段でね」

「別の店に行けば良かったじゃないですか」

「近くになかったのよ。あまり時間かけたら怪しまれるでしょう?メイクの時間もあったんだし」

「まぁ、確かに」

「でも、私の努力は無駄になったみたいだけどね」


 何かを思い出したかのように嬉しそうに微笑む。


 だがその微笑は一瞬にして変わった。


「現実逃避している場合じゃないわ。今に目を向けないと。この財政難をどう切り抜けるか」


 そうぶつぶつ呟く。


「つまり要約すると金欠ってことですか?」

「まぁ、そうとも言うかしら」


 そうとしか言わないだろ・・・


「だからね、朝一で謝罪をしようと思って」

「謝罪?俺にですか?」

「今週、来週は夕飯の支度できる日が僅かなの」

「というと?バイトですか?」

「えぇ、早苗さんにお願いしてたくさんシフト入れてもらったの。学校終わったら直接バイト先に向かうから」

「別にいいですよ。むしろ俺にとって今までの生活が異常だったんですから」

「でもあまり不摂生は良くないわ。たまに作れるようにするから。

いつもより質素になってしまうけれど・・・」

「いいですって。宝生さんにとっての質素は俺にとって超豪華ですからご心配なく」


 そう、と宝生さんは納得したんだかしてないんだか分からない顔をしている。


 とりあえず夕飯の話からは離れよう。


「それはそうと、来週俺の初出勤なのでその時はよろしくお願いします」

「えぇ、もちろんよ。先輩という権力を徹底的に行使して、ビシバシ指導してあげる」

「それは仕事でなく別の意味を含んでいるのでは?」

「そんなわけないでしょう?後輩を指導するのは先輩の義務だから」


 彼女はしたり顔で微笑む。


 あー、心配だなー、初出勤。


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