28話 大雨と満点の星空

 時刻は19時をまわった。


 ポツポツと飲食店の明かりが薄暗闇を強調し、街は夜の訪れに歓喜しているような盛り上がりを見せている。


 それとは対照的に俺たちの空間は静寂に包まれていた。


 俺は2人のやり取りに水を差してはいけないと無言を貫き、一歩前を歩く松島さんは緊張しているのか、人が変わったかのように口数が減る。


 さらに一歩前を歩く宝生さんは相変わらず何を考えているのか分からない。

 ただひたすらに人混みをかき分け、静かな路地裏へと俺たちを誘導する。


 メイン通りを抜け一気に人気がなくなった。宝生さんは立ち止まり、松島さんへと振り返る。


「怒ってるか?」

「怒ってるっす」

「私のことが嫌いになったか?」

「そんなことありえないっす。パイセンには感謝しかないっすよ」


 淡々としたやり取り。居心地の悪さを感じた俺は2,3歩後退した。


「悪かった。黙っていなくなって」

「なんでですか」

「悪い。理由は今は言えない」

「そうじゃなくて!なんでうちに何の相談もしなかったんすか!」


 松島さんの声が大きくなる。


「パイセンは黙っていなくなるような人じゃない。相当追い詰められてたんすよね?だったらどうしてうちを頼ってくれないんすか?水臭いじゃないすか!」

「りんに解決できる問題じゃないんだよ」

「そんなんやってみないとわかんないじゃないですか!」

「無理だ!!!」


 耳の裂けるような大声で、宝生さんは食い気味に答える。


 ここまで感情をあらわにする彼女は初めて見るかもしれない。


 宝生さんの力強い否定に松島さんはシュンと肩を落とした。松島さんの背中がプルプルと震えている。そんな彼女を見て宝生さんは2、3歩近づき、温かな微笑を浮かべて抱き寄せた。


「りんが頼りないと思っていたわけじゃない。りんのことが嫌いだったわけじゃない」


 優しく小さな子を諭すように松島さんの耳元でささやき続ける。


「自分自身でしか解決できない問題だったんだ」

「その問題は解決したんすか?」


 宝生さんは松島さんの解放する。

 両肩に手を置き、真っすぐ彼女の瞳を見つめる。


「解消はしたが解決はしていない。というか一生解決することはないだろう」

「じゃあもう一度昔みたいに戻りましょうよ。毎日単車でぶっ飛ばして強いやつボコボコにして、それで・・・」


 宝生さんはゆっくりと首を横に振った。


「もう戻ってこないんすか・・・?」


 消え入りそうな声で松島さんは問う。


「あの頃に戻ることは一生ない」

「な、なんでですか?パイセンがいないと退屈なんすよ。最近のやつら全然気合入ってなくて、昔つるんでたやつも今じゃいい子ちゃん演じててむかつくし。だからパイセンに・・・」


 再び宝生さんは首を横に振った。


「私もりんの嫌ういい子ちゃんのうちの1人だ。

ある人に教わってたんだよ。あの頃の自分は間違えていたって。だからあの頃には戻れない。戻らない」

「どうして・・・?あそこはパイセンの居場所じゃないんすか!?」

「居場所”だった”。でも今私の居場所は他にある」

「そんな・・・うちは蚊帳の外すか」


 松島さんはずぶ濡れになった捨て犬のような顔をする。


 再度、宝生さんは彼女を抱き寄せた。


「何言ってんだ。新しくなった私の中にもりんはいるぞ?」

「え・・・・・・?」

「りんは私に何を求めている?非行か?暴力か?血か?

違うだろ?しょうもないバカ話をしたり、なけなしの金でカップ麺分けあったり・・・

そういうなにげない日常の1ページを求めてるんじゃないのか?」


 力強く、そっと背中を押し出すように。


「私の中で非行や暴力は消えた。不必要なものだと思って切り捨てた。でもな・・・」


 小さな体が壊れてしまうほど強く、優しく抱え込む。


「りんを心の中から排除したことは一度もない」

「うぅぅぅ・・・」


 慈愛と悲壮の音が交錯する。


「伝えるのが遅くなって悪かったな。許してもらえるか分からないがこれだけは覚えておいてくれ。今後も私の居場所は変わり続けるかもしれない。

でもな、どれだけ環境が変わろうが、距離が遠くなろうが・・・」


 数秒の静寂。それはとても心地が良い。


「私の居場所にお前はいる」

「うぅぅぅぅぅ」


 ただただ優しく、温かく、柔らかな音色が嗚咽を包み込んだ。


「・・・未来永劫にな」

「っっヅぅう・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」


 ぽろぽろと大きな雫がこぼれ落ちる。


 雨の音だ。


 俺は頭上を見上げる。


 そこには、東京では稀な一面の星空が広がっていた。







「ごめんなさいね、途中で抜けてしまって」


 宝生さん(現在フォルム)は駆け足で俺と松島さんの元へと来た。


「何してたんだー?」

「重い荷物を背負ったおばあさんのお手伝いをしていたの」


 たまにこの人は嘘をつくのがド下手だ。


「ふーん、いい奴なんだな」


 何の疑いもなく信じるんだ・・・

 んー、なんて美しい純粋な世界。


「宝生さんとは会えたみたいね」

「あぁ、パイセンはやっぱパイセンだった」

「そういえばさっき宝生さんから電話が来たの。りん・・・

いや、松島さんに伝えそびれたことがあるって」

「ん?なんだー?」

「ちゃんと学校に行って色んな人と関わってみなさいだって」


 んーと松島さんは思案顔をする。


「確かに松島さんにとってはつまらない人達なのかもしれない。でも関わって中身を知っていったら、案外そこが居場所になるかもって」


 宝生さんはちらっと俺の方に視線を送り、からかうような顔をする。


「これは友達の友達の友達の話なんだけどね」


 それ、ご自身の体験談ですよね?俺は目でツッコミを入れた。


 俺の視線を気にすることなく、彼女は変わらずに挑発的な表情で話す。


「自分の嫌な部分を知っている人がいるみたいなの。最初はその人を監視するためだけに近くにいたんだけどね、一緒に時間を過ごすうちに居心地良くなっていったみたいなの。今では自分らしく居られる大事な居場所になってるって」


「ふぇぇ・・・」


 驚きのあまりつい吐息が漏れてしまった。


 彼女は俺から松島さんへと視線を戻し、祈るように語り続ける。


「人は実際に関わってみないと分からないわ。だからつまらないって一蹴しないで歩み寄る努力をしてみなさいって。居場所は勝手にできるものではなくて自分で作るものだって言ってたわ」


 松島さんは首を上下させ、納得した様子を見せる。


「そっか。まぁ、パイセンが言うならやってみるわ」

「うん、そうしてもらえると宝生さん喜ぶと思う」

「なぁ穂乃果。これ、パイセンに渡しといてくれ。パイセン走って帰っちまったからよー、渡しそびれた」


 松島さんはリュックから2号サイズの紙袋を取り出し、宝生さんに渡した。


 宝生さんの顔にほんの一瞬焦りが見える。それを隠すように微笑んだ。


「えぇ、渡しておくわ。きっと喜ぶ」

「頼むわ。そんじゃあうちは帰る」

「帰るってどこに?」

「宿に決まってんだろー?一応修学旅行生だぞー?」

「それなら送っていくわ。ねぇ?神田君」

「あぁ、そうだね。暗くなっちゃったし」


 俺と宝生さんがそう言うと松島さんはゆっくりと首を横に振る。


 そのしぐさには既視感があった。


「いいっての。もう一人で大丈夫だ」

「そういわれてもな、女子高生一人を・・・」

「そういうお前らも高校生だろー?私だけ子供扱いすんじゃねぇ」

「どうしようか、宝・・・穂乃果さん」


 セーフ。危うく本名で呼びかけるところだった。

 サンタを信じる子供の幻想を壊すところだった。


 宝生さんは一拍置き、松島さんを見つめながら言う。


「1人で大丈夫、そう彼女が言うんだから尊重しましょう」


 子を送り出す慈愛に満ちた母親のような瞳だ。


「なぁ、穂乃果、ちょっといいか?」

「え?」


 松島さんは宝生さんに近づき、耳打ちをする。


「×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××」


 松島さんは要件を伝え終えて口を耳から離す。


 宝生さんははっとした驚きの顔を浮かべた。

 いったい何を言われたのだろう。


 次に松島さんはとことこと俺の前に来て正対した。


 ピンと綺麗な人差し指を向ける。


「言い忘れたけどよ、さっきの私をSNSで晒したらブチ殺すからな」


『さっきの私』というのは、先ほど見せた滂沱の涙を指しているのだろう。


「晒さないしそもそも撮ってないし」

「万が一のことがあったら飛んで戻って来るかんな!覚えとけよ!」

「はい、肝に銘じておきます」


 最後の最後まで刺々しいなこの娘は・・・


「なぁ、蓮人」


 俺の顔面に向けた手をゆっくりと降ろし、さきほどとは別人のような大人びた顔で言う。


「よろしく頼むぞ」


 顔だけでなく声色まで成熟していた。


 何を頼まれたのか理解できなかった俺はすぐに聞き返す。


「え?どういうこと?」

「察しろ!ばーか!」

 

 声と挙動に幼さが戻る。


 捨て台詞を吐き、松島さんは駅の方へと走っていった。


「俺たちも帰りますか」

「えぇ、そうしましょう」


 宝生さんは松島さんにもらった紙袋を力強く抱きしめていた。

 二度と落とさないように。大切に。



        




 風呂からあがり、リビングに入ろうとすると鼻をすする音が聞こえた。


 そっと隙間から覗いてみる。


 彼女は紙袋の中身を、愛犬を愛でるように大事そうに抱える。


 頬をリンゴ色に染め、柔和な笑みを浮かべていた。


 やがてぽつんと一粒の小さな雫が彼女の頬を伝う。


 2粒目を確認し、リビングの扉から二歩、三歩と離れた。


 今日は夜風が気持ちよさそうだ。


 俺は忍び足で家を出た。


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