26話 最悪な再会はあの人を連れてくる

「ちょっとねーさん?何黙ってんの?」

「嘘でしょ・・・」

「あ?何が?」

「あなた名前は?」

「人に聞く前に自分が名乗れよ」

「そうね、今のは無礼だったわ。私は・・・」


 名前を名乗るだけなのに、宝生さんは深く悩んでいる顔をしていた。


「浅井よ。浅井穂乃果」


 この人は何を言っているのだろうか。

 なぜ見ず知らずの少女に偽名を使う必要があるんだ。


 宝生さんの自己紹介を受けて、クリっとした大きな瞳の金髪少女は素直に名を名乗った。


「穂乃果か。うちは松島花梨」

「花梨ちゃんね。見たところここら辺の子じゃなさそうだけどどうしたの?」

「案外鋭いんだな。修学旅行で来てんだよ。んで?そこののぼーっとした頼りなさそうなやつは?」


 松島さんは宝生さんから俺に視線を向けた。


 目が名を名乗れと言っている。元気が良さそうで何より。


「神田蓮人です。怪我はないかな?」

「あるわけねーだろ。あんな連中その気になればワンパンだっての」


 俺の発言が気に食わなかったのか、松島さんは唇を尖らせ怒りの眼差しを向けてきた。


「修学旅行と言っていたけどお友達は?」

「いねーよそんなもん」


 宝生さんの質問に松島さんは相変わらずカリカリした返答をする。この子肝が据わってるな・・・


「悪かったな。デートの邪魔して」


 口調は汚いがちゃんと詫びを入れるあたり悪い子じゃないらしい。

松島さんは地面に落ちた黒色のリュックを大事そうに抱え、俺たちに背を向けて立ち去ろうとする。


「待って」


その背中に宝生さんが声をかけた。


「もしよかったら私たちと時間潰さない?」

「はぁ?」

「どうせ戻るつもりないんでしょ?」


 偽名の件といい、宝生さんの考えていることが全く分からない。本当に何を考えているんだこの人は・・・


 というかこれは一種の誘拐にあたるのでは?同じ高校生同士だからセーフなのかな?


「別に居てやってもいいけど、デートの邪魔になんねーの?」

「それならご心配なく。私たちはただの従姉だから。ね?」

「あ、あぁ、そうだよ」

「そういうことなら先に言えよ。気遣って損したじゃねーか」

「ごめんなさいね」


 ここまで生意気な態度で来られると少しは怒りが見えそうなものだが、宝生さんは顔色一つ変えずに妹を見つめるような優しい表情をしている。


「さぁ、行きましょう」


 宝生さんは松島さんの手を引き路地裏を抜ける。俺は彼女たちの2、3歩後ろに続いた。






 10分ほど歩き、俺たちはチェーンのカフェに入った。


 俺の隣に宝生さん、宝生さんの正面に松島さんが座る。


 俺と宝生さんはアイスコーヒーを、松島さんはジンジャエールを飲んでいる。


「バッグ、隣に置いたら?」

「いいっての」


 コップを持たずに前かがみでストローを吸いながら答える。


 松島さんは席についてもリュックを離さない。さきほどからずっと大事そうに抱えている。


「お土産でも入ってるの?」

「そんな軽いもんじゃねーよ」

「じゃあダンベル?」

「重量の話じゃねーっての」


 松島さんは宝生さんにキレのあるツッコミを入れた後、一拍置き、リュックを力強く抱きしめた。


「感謝してもしきれねぇ人がいるんだよ。その人にずっと渡そうと思ってた大事な物が入ってんだ」


 くりっとした大きな瞳は潤っている。


 ちらっと視線を遠くに向け、再び落とした。


 松島さんはぐっと歯を食いしばっている。


 きっと赤の他人の俺たちには想像できないほどの想いをその人に抱いているのだろう。


「くっっっっっ」


 想いが強すぎたのか彼女のうめき声が漏れた。


「松島さん・・・」


 宝生さんは心配そうに見つめる。


「くぅぅぅぅぅぅ」


 うめき声が大きくなった。溢れんばかりの想いを必死に押し殺しているような悲痛な音だ。


 さすがに俺まで心配になる。


「あの、大丈夫?」


 俺の声かけに返答することなく松島さんは再び遠くの方へと視線を向け、勢いよく立ち上がった。


「ったくなげーっての。危うく死にかけるとこだったじゃねーか」


 そうぶつくさ呟きながら、リュックを大事そうに抱えて店内奥へと走り出した。


「なんだよ、トイレかよ・・・」


 遠くに向けた視線の正体は順番待ちの確認だったのか・・・


「はぁ、りんは相変わらずね」


 それは親しい人間に向けた愛のある呟きだった。


「え?相変わらず?」

「あの子、当時の後輩なのよ」

「当時というと?中学時代の?宝生さんヤンキー時代の?」

「発言には気をつけるのね。ヤンキーは禁句よ?それ以上言ったら今日買った包丁研ぎで撲殺されてしまっても文句は言えないわ」


 理不尽極まりない・・・


 というか撲殺するなら包丁研ぎである必要ないですよね?


 俺はてっきり頭を研がれるのを想像してたぞ。完成形はながさわくん。


 ってそんなことはどうでもいい。松島さんの話が気になる。


「つまり、宝生さんと松島さんは知り合いってことですか?」

「えぇ、当時は毎日のように一緒にいたわ」

「じゃあどうして偽名なんかを?仲が良かったなら久々の再会を喜ぶべきでは?」

「それは無理よ。できない」

「松島さんのこと好きじゃないんですか?」


 宝生さんは一点に視線を集める。


 視線の先には松島さんが座っていた席があった。


 とても悲しそうな笑み。久しぶりにこの人の弱々しい顔を見た。


 彼女は何一つ顔を動かすことなく消え入りそうな声で呟く。


「好きよ。でも合わせる顔がない」

「それはどういう・・・」


 理由を問いただそうとすると、肩に強い衝撃が走る。


「なーにコソコソ話してんだよ」


 松島さんは呼びかけるように俺の肩を叩いた。


 用を足して戻ってきたらしい。


 あの、もう少し優しく叩こうね?


 ちらっと宝生さんを見ると先程の哀愁漂う表情はどこかへ消え、ニコッと松島さんを見上げている。


「まさかうちのこと売り飛ばそうとしてんじゃねーだろーなー?」

「安心して。怪しい人間はこの中に1人しかいないから」


 ちょっと宝生さん?それ確実に俺ですよね?


 後輩に変なこと植え付けるのはやめていただきたい。りんちゃん俺のこと睨んでるから。


 席についた松島さんは前かがみになり宝生さんに顔を近づける。


「ってかさー、穂乃果ってどっかパイセンに似てんな」


 パイセンというのは何かのキャラクターを指しているのだろうか。


「パイセンって?」


 俺が思案顔で問うと、松島さんは今日一番の目の輝きを見せた。


「お?聞きたいか?聞きたいか?」

「うん、まぁ、気になるかな」

「しょうがねーなー。ジュース奢ってくれたから特別に教えてやるよ」

「あ、ありがとう」


 なんだか可愛く見えてきた。


 これはあれだ、幼稚園児が新しく得た知識を親に熱弁するシーンだ。


 きっと宝生さんも温かく見守っているだろう。


 そう思い彼女に目をやると、天井に顔を向けてあちゃーと額に手を乗せている。口は半開きだ。


 この人にしては珍しくオーバーなリアクションを取っている。


「聞いてるか?穂乃果?」

「え、えぇ、聞いてるわ」


 なぜか宝生さんの頬は赤みがかっている。


 普段見る奇麗な背筋は弓のように曲がっていた。


 松島さんはというと、変わらず目を輝かせしたり顔で語り出す。


「パイセンってのはうちの師匠で頼りになる姉貴みたいなもんだ。宝生麗華って名前一生覚えとけよ」

「ゲホッゲホッゲホッ」


 突然彼女の名前が出てきたせいで驚いてしまい、飲んでいたコーヒーが器官に入ってしまった。


 パイセンって宝生さんのことだったのか・・・


「ん?なんだなんだ?名前が美しすぎて驚いたか?パイセンの武勇伝はここからだぞー?」


 どうやら俺の反応を肯定的に捉えているらしい。


 松島さんは熱弁を続ける。


「パイセンは喧嘩が強くてカッコよかった。顔が広くてみんなから慕われてたよ。いつだって強いやつに立ち向かってボコボコにするんだ。そこらの男以上に男だった。でもうちら後輩にはめっちゃ優しいんだぜー?怒らせたらめっちゃこえーけどなー」


 最後はすごく同感です。


「そんなすげぇパイセンだったんだけどよ、ある日突然姿を消しちまって・・・」


 言葉にこもった熱は徐々に消えていく。

 そしてあっという間に秋風のような寂しい声色に変わった。


「うち、ずっといじめられてたんだよ。ちびで気が弱かったから。生まれつきの金髪も毎日バカにされてた」


 今にも泣き出してしまいそうな顔で語り続ける。


「そんな時パイセンがいじめてたやつぶっ飛ばしてくれたんだ。そんで、かっけーじゃん、私とお揃いだなーって私の金髪褒めてくれたんだよ。その日からうちの人生は変わった」


 だから!と彼女は拳を握った。再び言葉に熱がこもる。


「もう一回パイセンに会いたい。小っ恥ずかしく面と向かって礼言ったことねーから。会って礼をしたい。そんで次はパイセンの力になりたい」


 言い切ったといった様子で松島さんは椅子にもたれかかる。


「じゃあそのリュックの中身って・・・?」


 俺が問うと松島さんは自嘲気味に笑った。


「あぁ、パイセンに渡すものだ。パイセンが東京にいるって噂聞いてな。会えるかなって思ったんだけど、人多すぎて見つけれるわけねーよなー」


 隣にいる宝生さんはうつむきがちでどこか懺悔している様子だった。


 松島さんと宝生さんはおんなじだ。失ったものにすがっている。


 しかしながら世の中は残酷で、当時の綺麗な思い出をそのまま取り出すことはできない。


 松島さんの話を聞くに、当時のギラギラしていた宝生さんのことが大好きなんだ。


 だが今の宝生さんは当時と真逆の人生を歩んでいる。


 松島さんにとって目の前の彼女は本物ではない。


 でも・・・


「彼女も松島さんに会いたいと思ってると思う。いなくなったこと後悔してると思うんだ」

「だったらとっくに私に会いに来てるだろ」


 松島さんは不安そうに俺を見る。


「たぶん今は何か会えない事情があるんだよ」

「何だよそれ・・・」


 松島さんはしゅんと背中を縮める。


 俺はちらっと横に座る宝生さんに視線を送った。


 彼女は体をプルプルと震わせている。太ももの上には握りこぶしが置かれていた。


 すーっと小さく深呼吸をする。そして彼女は意を決したように


「会わせてあげようか?」


 真剣に松島さんの瞳を見つめて。


「は?穂乃果パイセンのこと知ってるのか?」

「えぇ、よく松島さんのことを話していたわ。りんってね」

「それってうちの呼び名・・・」


 松島さんの目に雫が溜まる。


「ちょうど近くを通りかかったみたいだから呼んでくるわ。少し待ってて」


 宝生さんは携帯を俺たちに示し、早足に店を出て行った。

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