18話 マッチポイントは絶望の始まり
ルールは3ゲーム先取。
先に3ゲームを取った方がこの試合の勝者だ。
水原さんはベースラインでサーブを打つ準備をし、俺は前衛の役割を果たすべくネット付近で構える。
ふーっと水原さんは深呼吸をして高くトスをあげた。
すぱん!とワイドに力強いサーブが放たれる。レシーブをしていた宝生さんは全く反応ができていない。
「ナイスサーブです。速いですね」
「サーブが一番得意だったからね。さぁ、次も取るよ」
水原さんの顔つきがいつもとは違う。いつものような親しみやすさはなく、淡々とした口調で冷静だ。それでいて目には強い闘志が宿っている。
テニスになれば人格が変わるのだろうか。某テニス漫画(バトル漫画)の河〇さんみたいだ。
水原さんは2本目のサーブをセンターにぶち込んだ。早坂さんも全く反応することができない。どうやら思っていた以上の実力者らしい。
その後水原さんが全てサービスエースを取り、1ゲーム目を先取した。
「次は麗華のサーブだね。本人は意識してないと思うけど麗華のサーブはスピンがかかってるから気をつけて」
「了解しました。あの・・・」
俺は先ほどの疑問を水原さんに投げかけた。
「今日は熱いというか、いつもと雰囲気違いますね」
「遊びでも勝負事は本気でやらなきゃね」
それに、と一拍置いて彼女は続けた。
「これ以上負けるのは惨めだから」
「え?」
「ううん、何でもない。さぁ、行こう。レシーブゲーム取れたら熱いよ!」
「はい」
笑顔でハイタッチをする水原さんだったが、さっき一瞬だけ表情が曇っていたように見えた。やはり試合が始まってからの水原さんの様子はおかしい。
だがあまり気にするのはやめておこう。俺は水原さんから相手コートへと視線を戻した。
2ゲーム目。
ポンポンポンと地面に3回ついた後宝生さんはサーブを打つ。
見た目通りの球だ。美しい軌道。水原さんの言っていた通りかなりスピンがかかっている。球が鉛のように重い。
強く打ち返すことができないと判断した俺は、とりあえずラケットの面だけ合わせ、振りきらずに返した。
少しボールが浮いてしまう。配球が甘くなってしまった。
早坂さんは見逃してはくれずスマッシュを打つ。ベースラインギリギリにボールが落ちた。
「15-0」
矢口君のコールが鳴り響く。
「やったー!」
「ナイススマッシュ。助かったわ」
「宝生さんのサーブのおかげです」
2人は手を合わせてお互いを褒め合っている。
ちらっと審判台の矢口君を見ると鼻の下を伸ばしニヤニヤとやらしい視線を送っていた。うん、平常運転で何より。
「すいません。レシーブが甘かったです」
「しょうがないよ。今は相手のサーブが良かったから返せただけ上出来」
水原さんは俺にピースサインを送り、サービスサイドの宝生さんに視線を戻した。
バコン!!
ワイドをいっぱいに使った強烈なサーブが水原さんを襲った。
先ほどと同様にチャンスボールがあがってくると考えたのか、早坂さんはネットから少し下がり、ロブを張っている。
水原さんは体勢を崩しながらもバックハンドでアレーゾーンに押し込む。ダウンザラインというやつを初めて見た。完璧なリターンエースだ。
「うそ・・・」
早坂さんはあっけにとられている。
宝生さんはトボトボとボールを拾いに行った。その背中はとても悔しそうだった。
あっという間に俺たちは2ゲームを取った。
俺たちというよりもほとんど水原さんの力のおかげである。
残すは1ゲーム。次は俺のサーブだ。テニスはサービス側が有利だと聞く。
しかしながら俺はコートに入れるので精一杯になり、速さもコントロールもないに等しい。
このゲームを取るのはさすがに厳しそうだ。
「0-40」
案の定3失点してしまう。1点目は宝生さんのリターンエース、2点目はダブルフォルト、3点目は早坂さんのポーチボレーが綺麗に決まった。
遊びの試合とはいえ何だか申し訳なくなる。
「大丈夫。まだまだこれからだよ。私が何とかするから」
水原さんは俺を励ますように、そして自分を鼓舞するかのように言う。
再び俺はサーブを打った。
早坂さんのコースをついたレシーブが返ってくる。
俺は必死にしがみつき何とか返した。
次は宝生さんの鋭いストロークが襲う。
水原さんはポーチボレーに出るも早坂さんにフォローされてしまい、再び俺に球が戻ってくる。
俺は早坂の頭上をロブで通して宝生さんを左に振った。
宝生さんは素早く回り込みシュートで返す。
ポツン。
宝生さんの返球がネットの白帯に当たり球の軌道が変わった。球は勢いを失い、ネットすれすれに落下していく。
水原さんはダイブして追うが、あと少しの所で手が届かなかった。
1ゲームを取られてしまった。
その後、宝生さんと早坂さんが勢いづいてしまい、3ゲーム目だけでなく4ゲーム目も取られてしまう。
これでゲームカウントは2-2。次のゲームを制したほうが勝者となる。
次は水原さんのサーブだ。一見有利に見えるが状況は深刻である。1つ不安に思うことがあるのだ。
「水原さん、大丈夫ですか?」
「何が?」
「手、怪我してるんじゃないですか?」
ネットインをダイビングキャッチしようとした時から水原さんの動きは明らかにおかしい。
動きにキレがなくなり、ミスがかなり増えた。何かと右手首を抑えており額に汗を浮かべている。
「どうってことないよ。少し捻っただけ」
水原さんは手首をぶらぶらと揺らし平気な素振りを見せる。
結構分かりやすい人だ。すぐにカラ元気だと分かった。
「中断しましょう。怪我を我慢してまで続ける必要はないですよ。テニスはいつでもできますし」
「それはダメ」
水原さんから笑みが消えた。真剣に俺の瞳を見据える。
なぜ遊びのテニスにここまでこだわるのか分からないが彼女の目には確固たる信念があった。彼女の瞳に圧倒されていると相手コートから声が聞こえる。
「どうしたの?何か問題でもあった?」
宝生さんは怪訝な目を向け問いかける。
「何でもない。ちょっと作戦会議してただけだからー」
水原さんは再び笑みを浮かべて返答する。
「本当にいいんですか?」
「怪我はテニスやってた時から慣れっこだから。今私が離脱すると後味悪いじゃん?麗華とか白黒つけたいタイプだろうし」
「どうせあと1ゲームなんだから大丈夫だよ」
そう言い水原さんはベースラインへと戻った。
バコン!!
爆発音のようなサーブがセンターへと放たれる。
宝生さんは体勢を崩しながらギリギリ返球する。勢いの死んだボールが俺の頭上に上がった。
左目で宝生さんと早坂さんの配置を確認し、確実なコースにスマッシュを打つ。
「ナイススマッシュ!」
「ありがとうございます」
素直に喜べなかった。水原さんの真意が気になったのと彼女の手首が心配だったからだ。
そんな俺の気も知れずに再び彼女はサービス位置へとつく。
バコン!!
2本目のサーブがセンターへ放たれた。
ワイドを警戒していた早坂さんは少し反応が遅れる。
力強いサーブに押し負けた早坂さんはレシーブをネットにかけた。
早坂さんはガットをいじり悔しそうにしている。
これで30-0。あと2点を取れば俺たちの勝ちだ。あと2点。あと2点・・・
バコン!!
サーブの球威は衰えない。再び強烈なサーブが宝生さんに放たれた。
クロスに強烈なレシーブが返される。宝生さんは持ち前の動体視力で完全に適応できるようになったらしい。
宝生さんと早坂さんはネットへと詰めた。ダブルフォワードだ。
水原さんは冷静に対応し、2人の頭上にロブを上げる。
早坂さんは素早くボールを追い打点に入る。宝生さんはチャンスを伺いネットに詰めたままだ。
早坂さんの返球を水原さんは強烈なトップ打ちで返す。
早坂さんは素早く回り込み、負けじとカウンターを打ち込んだ。経験者2人の打ち合いに俺と宝生さんはついていけずネットから動けない。
やがて長い打ち合いが終わった。ラリーを制したのは水原さんだ。
これでマッチポイント。あと1点取ればゲームは終了する。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅ」
うめき声のする方へ顔を向けると水原さんが手首を抑えてうずくまっている。俺は駆け足で彼女の元へと向かった。
「大丈夫ですか?」
「さすがに美玖ちゃんとのラリーはこたえたな・・・」
額の汗を拭き苦虫を嚙み潰したような顔で言う。
マッチポイントだがこれ以上彼女が試合をするのは不可能だ。
「日和?」
異常を察知したのか宝生さんと早坂さんが駆け寄る。矢口君も審判台から飛び降り駆けつけた。俺は彼らに事情を説明する。
「めっちゃ腫れてるじゃないですか!とりあえず湿布持ってきます」
矢口君はバッグを置いている場所へと向かった。万が一の時のために用意していたのだろう。普段はチャラチャラしているがこういう時は頼もしい存在なのかもしれない。
「矢野君が湿布持ってきてくれたら再開しよう」
不憫だな矢口君。現状ヒーロー的ポジションのはずなのに名前間違えられるなんて。そう思ったが今はくだらないツッコミをしている場合ではない。本当に何を考えているんだこの人は・・・
「日和正気?すぐに中断すべきよ。体を犠牲にしてまでこれ以上続ける価値はないわ」
「そうですよ。公式戦じゃなくてただの遊びなんですから。治ったらまたやりましょう」
宝生さんと早坂さんが俺の思っていたことを代弁する。誰がどう見ても正論だ。しかしながらその論法は水原さんには通じない。この状況下で彼女の一番の理解者はペアである俺だ。
だったら俺のとる行動は一つしかない。
「続けましょう」
「「「え?」」」
宝生さんと早坂さんは驚きの目を俺に向ける。俺の言動が意外だったのか水原さんまでポカンとした顔をしていた。
「ただし水原さんはただコートに立っててください。ボールには一切触れちゃだめです」
「え?2対1ってこと?無理に決まってるよ。大丈夫!あと1点くらいできるから」
「ダメです。サーブは俺が打ちます。あと1点は俺が決めますから」
理由は見当もつかないが、彼女がこの試合の勝敗に強いこだわりを持っているということは分かった。
であれば最後は、日本男児である俺が勝利の花道を作ってやろう。
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