16話 お隣さんとの食事会は忙しない
17時をまわると刻々と夕焼けが色を濃くしていき、視界がオレンジ色に染まった。
閑静な住宅街は遊び帰りの小学生の喧騒で溢れており、少年時代の懐かしさを感じさせる。
俺は近所のスーパーから家に向かっている。夕飯の買い出しの帰りだ。
さすがに2人分となれば買う量は多い。自炊に縁のなかった俺にとっては買い出しというのは新鮮なものだ。
外部要因によって俺の生活は大きく変化してしまったんだと改めて感じる。
マンションの8階に到着すると、亜麻色のショートヘアが803号室の前に立っているのが見えた。
インターホンに手をかけて数秒硬直して、諦めたように手を降ろす。
自分に言い聞かせるように頭を横に振りもう一度インターホンに手をかけては降ろす。その繰り返しだ。
まるで恐い教師に呼び出しを受け、職員室の前で躊躇している中学時代の俺みたいだ。いや、それはちょっと違うか。
「早坂さん?どうかした?」
俺は彼女の背中に声をかけた。
早坂さんは驚いたのか目を見開き、どこか落ち着きのない様子をみせる。
「蓮君居たんだ。びっくりさせないでよー」
「ごめんごめん。今買い物から帰ってきたんだ」
「あ・・・」
早坂さんは俺の右手にある買い物に目を向け肩を落とした。
「もう夕飯決まってる感じ?」
「んー、分からない。基本的に夕飯はあの人が作ってるから。俺は頼まれたものを買ってきただけの末端雑用員です」
「そっか。良かったら夕飯一緒にどうかなって思ったんだ」
早坂さんの顔と声は徐々に弱々しいものになっていった。
「明後日のことも話しながらって思ったんだけど」
明後日というのは以前約束したテニスのことだろう。いずれ話さないといけないと思っていたし、食事を一緒にするくらいなら特に問題ない。宝生さん次第だ。
ガチャっと803号室の重い扉が開く。
「あら、早坂さん、こんにちは」
俺たちのやり取りが聞こえていたのか、宝生麗華は扉から半分顔を出す。巣からひょこっと顔を出すリスみたいだ。
早坂さんは宝生さんの挨拶に答え、こくりと会釈する。
「あの、早坂さんが夕飯一緒にどう?って」
「あ、いや、いいですよ。ほんとに暇だったらどうかなーって思っただけなので」
早坂さんは遠慮がちに言った。
「断る理由がないわ。一緒に食事をしましょう」
先ほどまでの申し訳なさそうな表情は消え、早坂さんの顔が煌めく。
「じゃあ家に来てください」
「え?」
完全に家に招き入れるつもりだったらしく宝生さんはあっけにとられている。
「母が食事の準備してくれたので」
「でもそれは申し訳ないわ。2人もお邪魔すればご両親に気を遣わせてしまうでしょう?」
「大丈夫です。父は仕事でいませんし、母はさっき同窓会に行ったんですよ。良かったら友達の分もって多めに作ってくれたんです」
「友達ねぇ・・・」
難しそうな顔をして宝生さんは言う。
「あぁ、いや、2人の関係は言ってませんから!ただ隣に学校の友達が住んでるって話をしただけで」
宝生さんの曇らせた表情に危機感を覚えたのか早坂さんは必死に弁解する。
「いえ、早坂さんのことを疑っているわけじゃないわ。それじゃあお邪魔しようかしら」
早坂さんは安堵したような表情を浮かべ、宝生さんを部屋に招いた。
いったん俺は自分の部屋に戻り、冷蔵庫に買い物の戦利品を置いてから早坂家へと向かった。
木製のダイニングテーブルには唐揚げに千切りキャベツ、白米に味噌汁が置かれている。
俺の正面には宝生さんが座り、彼女の正面には早坂さんが座っている。
いただきますと手を合わせてから始めに唐揚げに手をつけた。模範のような外カリカリ中ジューシーの唐揚げだ。しょうがとニンニクの風味がほのかに香り、ご飯が進む。
「蓮君どう?」
「すごくおいしいよ。この唐揚げ一度食べたら止まらないね」
「それは良かった!って私が作ったんじゃないんだけどねー」
早坂さんは自嘲気味に笑いながら自分にツッコミを入れる。
「すごく美味しいわ。今度教えてもらいたいくらい」
宝生さんはゴクリと含んだものを飲み込んでから唐揚げを賞賛する。
「お母さんきっと喜びます。是非次は本人がいるときに食べに来てください」
宝生さんは笑顔で相槌を返して、俺の方へ顔を向けた。
「今度唐揚げを作ってみるわ。早坂さんのお母様みたいにうまく作れるかは分からないけど」
「楽しみにしてます」
俺が適当に答えると前方から視線を感じた。
あのー、と早坂さんは俺と宝生さんを交互にしゃべり出す。
「2人は従姉なんですよねー?どうして蓮君は敬語なんです?呼び方も宝生さんですし。宝生さんも蓮君のこと苗字呼びですよね?」
よくよく考えれば確かに不自然だ。従姉という嘘は悪くないと思っていたが詰めが甘かった。歳の近い従姉同士はもっとフランクに接しているだろう。
俺が静かに困惑していると宝生さんが口を開く。
「不思議に思うわよね。でも従姉とはいえ、これまで私たちはあまり関わりがなかったから。少しよそよそしくなっちゃうのよ」
宝生さんは淡々と続ける。
「それに彼、かなり人に気を遣う性格だから私もそれが移っちゃったのかも」
面白おかしく宝生さんは微笑む。
「なるほどー。従姉の関係にも色々あるんですねー」
早坂さんはふむふむと首を上下に動かし納得した様子を見せた。
ひとまず危機は去ったようだ。それにしてもこの人ほんとに頭の回転が早いな。
嘘検定というものがあるとするならば彼女は確実に1級取得者だ。
「そうだ。話は変わるんだけど」
早坂さんが切り出した。
ため口になったということは俺に向けられた話題なのだろう。
「明後日のテニスなんだけど14時からコート取れたから」
「あぁ、分かった。でも俺ラケット持ってないんだけど」
「私何本も持ってるから大丈夫だよ」
早坂さんは余裕の笑みを浮かべ、グーサインを俺に向ける。そして次は宝生さんの方へ顔を向けた。
「良かったら宝生さんも一緒にどうです?」
「行きたいところだけど明日は日和と会う約束をしていてね」
「そうですか。それは残念」
「でもただ会う約束しかしてないから細かな予定は決めていないの。だから日和に聞いてみて良かったらお邪魔してもいいかしら?もし行くとなった場合は日和も一緒だけどそこは大丈夫そう?」
「もちろんですよ。水原先輩も大歓迎です」
早坂さんは再びグーサインを決め込んだ。
つまり俺の知るところ週末のテニスに参加するのは俺と早坂さん、矢口君(ボールボーイ)、来れたら宝生さんと水原さんというメンツだ。
それにしてもまさか宝生さんがテニスの誘いに乗るとは思わなかった。正直スポーツのイメージは全くない。スポーツというか格闘技?いや、格闘技じゃなくてストリートファイトだな。
こんなこと言ったら確実に拳が飛んでくる・・・
まぁ、少なからず俺の監視という理由も含まれているだろう。いつになったら信用してくれるのだろうか。
そんなことを考えながらちらっと横目で宝生さんを見た。
彼女はテーブルの下で手首をぶらぶらと揺らし準備体操のようなことをしていた。
いや、テニスは明後日ですよ?あんたやる気満々じゃん・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます