15話 ブラックは大人の味

 頭上には雲一つない空が広がり、辺りを見渡すと緑が生き生きとしている。


 今日は食堂には行かずに購買でコーヒーと軽食を買い、中庭で1人黄昏ていた。


 金曜の校舎内は騒がしい。


 週末の予定を立てる生徒たちの嬉々とした声が耳にまとわりつく。


 東明高校の中庭はそこそこの面積を持ち、休み時間の黄昏スポットとして人気だ。

今日は運がよく人が少ない。出入口付近で騒ぐ男子生徒数名と20メートル先のベンチに佇むカップルらしき男女のみだ。


 ふとベンチに座る女子生徒の顔に目がいった。男子生徒へ向ける優しい微笑み。


 哀愁が加われば昨日見た”あの人”の微笑みにそっくりだ。


 今朝はお互い昨日のことには触れず普段通り登校した。


 あまり考えないようにしているが、ふとした時にあの微笑みが浮かんでしまう。ほんの一瞬だがあの時に宝生麗華の苦悩を肌で感じたような気がする。


 それが何かは見当もつかない。だが他人事のように捉えることができずただただ苦しかった。


 昨夜のことを考えていると、先ほどまで澄んでいた空は曇天模様に見え、綺麗な緑たちは活気を失い厳しい冬を連想させる。


「蓮人君じゃーん!」


 視界が再び色づいた。背中から覚えのある声が聞こえてくる。


「どうしたのこんなところで?友達にハブられちゃった?」


 上野先生はいつものジャージに身を包み、からかうように話しかけてくる。


「僕が所属しているコミュニティーなんてないですよ。ハブられるってのは、何かしらの居場所を持った人に適用される言葉じゃないですか?」

「だとしたら合ってるじゃん。蓮人君は生徒会っていうコミュニティーに入ってるでしょ?」


 あれは強制連行されたのであって居場所とは呼ばない。そう反論したいところだが宝生さんの地位を守るため言わないでおく。否、仕返しが怖いから言わないでおく。ためとか言って結局は自己保身でした。


「あれは仕事です。仕事とプライベートは分ける主義なので」

「それは私も同感。でもね、大嫌いだった仕事が知らないうちに自分の居場所になっているってこともあるんだよ?」

「それはご自身の経験談ですか?」

「そうとも言うかな」

「でもその居場所ってやつは永遠にあるものじゃないですよね?」


 同僚との時間が居場所なのかそれとも生徒との時間が居場所なのか、はたまた学校自体が居場所なのかは分からない。


 ・・・でもこれだけは言える。


 それらは日常的に変化を繰り返してなくなってしまうものだ。


 同僚が退職するかもしれない。素直だった生徒からある日突然そっぽを向かれるかもしれない。学校が取り壊されるかもしれない。


 居場所というのはひどく曖昧なもので、ただの仮初だ。


 俺の考えが透けて見えたのか上野先生は大人びた表情で語りだす。


「確かに消えてなくなるものばかりだよね。それは仕事だけじゃない。学生時代仲良かった友達とは疎遠になる。結婚を約束した彼が突然姿を消したり、通っていた居酒屋が潰れたり。そんなことばっかりだよ。そもそも人間には寿命があるから吸血鬼でもない限り一生みんな仲良しこよしなんて不可能だからね。居場所がなくなるってのは人である以上至極当然のこと」


でもね、と上野先生は自分の胸に手を当て、静かに語り続けた。


「ここにあるものは変わらないしなくならないでしょ?一度胸に刻んだ景色は消えない。彼のこと好きだったなーとか、あの居酒屋の料理おいしかったなーとか思い出すのよ。それでまた現状の自分に戻っての繰り返し。そしてまた人は居場所を探し続ける」


 ふと昔を思い出した。


 放課後に友人とカードゲームで遊び、家に帰ると母親が夕飯の準備をしている。19時をまわると父親が仕事から帰宅して家族で食卓を囲む。朝起きて教科書を鞄に詰め込みいつもの公園で友人と待ち合わせ。学校に近づくにつれ1人、2人と友人が増えていき教室まで競争する。ごくごくありふれた光景だ。


「でも過去の景色は必ずしも美しいわけじゃない。一生消えるものじゃないからそれを辛く感じる人もいると思う」

「え?」

「蓮人君。過去のトラウマは?嫌な思い出は?傷ついたことは?」


 上野先生の問いかけに視線を落とすと無意識にぎゅっと握りこぶしをつくっていたことに気づく。


 ゆっくりと拳をほどき一拍置いてから答える。


「まぁ、それなりに」

「その容量が大きければ大きいほど人は過去に依存する。過去に首輪をつけられた奴隷のようにね」


 いつものきゃぴきゃぴとした上野先生からは想像もできないような切なげな表情だ。切り替えるようにニコッといつもの幼い笑みを浮かべる。


「って、真昼間から何話してるんだかー。こういう話をする時は片手にワインくらいないとねー」

「中庭で飲酒はさすがにまずいのでは」

「しないよしないよ。お酒を飲むのは生徒会室だけだから」


 常識のように語っているが普通にアウトだ。


 何なら生徒会室の方が倫理的にいけない気がする。


 文字に書き起こすと『中庭で飲酒』よりも『生徒会室で飲酒』の方がパワーワードだ。居眠り国会と似たような何かを感じる。


「外の風を浴びて気分転換になったよ。それじゃあ私は戻るねー」

「はい、また」


 去っていく上野先生の後ろ姿はいつもより大きく見えた。


 空は笑ってしまうほどの快晴で、緑たちからは生を感じる。


 いつかこの景色を過去の居場所として思い返すことがあるのだろうか。今を綺麗に保存することができるのだろうか。


「あまっ」

 

 いつも飲んでいる微糖のコーヒーが異常に甘く感じた。少し大人になった気分だ。


 微糖のコーヒーを飲み干す。


 よいしょと立ち上がり、近くにある自販機に小銭を入れてブラックコーヒーを買った。


「にがっ」


 俺はまだまだ子供のようだ。


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