12話 葡萄ジュースはワイン、ワインは葡萄ジュース

 葡萄ジュースはあっという間に空になった。


 上野先生の方をちらっと見ると、ワインボトルの中身は半分になっている。


 酒についての知識はないが、かなり早いペースなのではないだろうか。


 本当に大丈夫なのかこの人・・・


 一通り談笑を交わし、生徒会の面々は覚えることができた。


 書記の子は中野広美さんという。別のクラスだが俺と同学年らしい。


 もう1人、会計君の名は藤堂和也さん。俺の1個上だ。


「なぁ、麗華。文化祭の話はしなくていいのか?」


 下の名で呼ぶあたり宝生さんと藤堂さんはかなり親しいのだろう。


「3か月近くあるからまだ議題に出す必要はないわ。来月文化祭実行委員会の発足をするから話はそれからね」


 淡々と宝生さんは答える。


「神田君はまだ分からないと思うけど7月に文化祭があるのよ。文化祭は庶務の仕事多めだから頑張ろうね」

「つまり文化祭前後は社畜になるということですか・・・?」

「まぁそうなるかな。具体的な庶務の仕事は、会場設営にパンフレットの作成、記録業務に垂れ幕作り、校門周辺の交通整理と事務用品の管理、それから・・・」

「もう大丈夫です。大体分かりました」


 つまり雑務全般ということですね。考えるだけで胃が痛い。


「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。あなた1人全てを請け負うわけじゃないから。文化祭実行委員から庶務には毎年10人ほど配属しているから。もちろんその他の助っ人も用意できる。あとはあなたが彼らをうまくまとめてくれればいいから」 


 そうか。ならよかった。ん?まとめる?


「あの、一応俺の肩書聞いていいですか?」

「庶務長よ」


 一応俺の役職なんですね。庶務というと末端の末端だと思っていた。 


「まぁまぁ、文化祭は先の話なんだからそう深く考えずに」


 とんとんと水原さんは慰めるように俺の肩を叩く。


「そういえば麗華が生徒会に神田を誘ったんだろ?なんか接点あるの?」


 藤堂さんは俺と宝生さんを交互に見ながら言う。


「えーっとそれは・・・」


「つい最近知り合ったばかりだわ。日和繋がりでね」


 俺が言い淀んでいると宝生さんはフォローするかのように迅速に回答した。


「そっか。その割にはやけに親しげだな」

「そうかしら?」

「神田が遅刻して時のやり取りとかさー」

「彼はとても気さくな生徒だから話しやすいのよ」


「ふーん」と藤堂さんは俺に含みのある視線を向ける。


 理由は分からないが俺はこの人に嫌われていそうだ。


「ジュースもなくなったことですし、今日はお開きにしましょうか」


 関係性を詮索されるのは俺と宝生さんにとって都合が悪い。これ以上話を広げないためか宝生さんは解散を提案した。


「では上野先生・・・」


 宝生さんの声が止まり、ため息が聞こえてきた。

彼女の視線の先には上野先生がいる。


「・・・・・・」


 完全に爆睡しておりますね。

 確かに後半、静かだなって思ってた。


「ちょっ、上野先生飲みすぎー!ほぼなくなってるじゃん!」


 水原さんは面白おかしく手を叩き、背中をさする。


「藤堂くん、一応水持ってきてー」

「こういうのは庶務の仕事だろー?」

「場所分からないでしょー?」

「しょうがねーなー」


 水原さんと藤堂さんは慣れた様子だ。


「大丈夫なのか?」


 ぽつりと心配の声が出てしまった。


 ニュースなんかを見る限りアルコールは命と隣り合わせだ。


 緊急搬送されて命を落としてしまう人をたまに見る。


「あの方はあれが平常運転なので大丈夫です」


 俺の呟きが聞こえたのか斜め前に座る中野さんが答えてくれた。


「えへへ、アサガオと広辞苑炒めたらパイナップルになるでしょ?」


 上野先生は意味の分からない寝言を吐いている。


 それを聞いた宝生さんはこめかみに手を当てしかめっ面をしている。


 既視感のあるしぐさだ。


 どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。


 上野先生も色々大変なんだな。


 彼女の気持ちよさそうな寝顔を目にして社会人の闇を垣間見た気がした。


 

          





 気を遣ってくれたのか宝生さんと水原さんは俺を先に帰してくれた。


 もちろん遠慮することなく2つ返事で生徒会室を出た。残業はしません。


 ホームで3分待つと電車が来る。


 田舎は1時間に1本が普通だから東京は交通の便が本当に良いと毎度実感する。


 席が埋まっており座れなかったが車内は朝に比べてスペースにゆとりがある。


 今回は窮屈な思いをせずに済みそうだ。


 それにしてもこの時間帯の車内はとても雰囲気が良い。


 朝とは大違いだ。特にサラリーマン勢が嬉々としている。


 戦場から故郷へ帰る一部始終を見ているようだ。


 対して俺は彼らのように朝と夜とではそんなに大きな差はない。


 もちろん面倒な学校を終えたこの時間帯の方が多少気分はあがっていると思うが、彼らのように目を輝かせるほど家に帰りたいとは思わない。


 それはきっと俺の依存先がないからだ。


 何か趣味でも作るかなぁ。そんなことを考えていると俺の右肩に誰かの手が触れた。


「蓮君!帰り?」


 亜麻色のショートヘアーが顔をのぞかせる。


 テニスバックを背負った早坂さんが俺の右隣に立った。


「こんな時間に珍しいね。部活入ってたっけ?」

「あぁ、生徒会の用事があって」

「生徒会?」

「諸事情で俺生徒会に入ったんだ」

「え?」


 早坂さんは意外そうな顔をする。


 転校してきたばかりの奴が生徒会って意味わからないよな。


 そもそも俺は生徒会に入るタイプの人間じゃないし。


「それって宝生さんとか水原さんの繋がりで?」

「まぁそんなところかな。もちろん乗り気じゃないんだけど」

「じゃあやめればいいのに」

それができれば苦労しないんだよな。

「そうだ!テニスいつにする?」


 早坂さんはおもちゃ売り場で品を選ぶ子供のような無邪気な瞳で問う。


 そういえば少し前に一緒にテニスする約束したっけ?


 女子同士でよく交わす「いつか遊ぼうねー」という約束は永遠に訪れないものだと思っていたが相手が異性の場合は適用されないらしい。


 正直なところあまり乗り気じゃないが一度行くと言った手前断りずらい。


 とりあえずここは一発ジャブをいれておこう。


「やるとしたら週末になると思うんだけど早坂さん部活は?」

「毎週日曜部休だよ」


 見たところ東明高校のテニス部は緩そうな印象がある。


 強豪校だったら土日はほとんど潰れるはずだ。


 あまり力を入れていないのだろう。スケジュール調整は柔軟そうだ。


「でも疲れない?平日にテニスしてせっかくの部休までやるって」


 やんわり断りたいときこの作戦は強い。

 表向きは相手に気遣いの言葉をかけている。


 自分の意思はいれずあくまで相手の体に配慮するのが鉄則だ。


 これで「まぁ確かにね」と向こうが切り出したらあとは畳掛ければいい。


「まぁ、確かにね」


 来たこれ。


「でも大丈夫!蓮君とのテニスはあくまで遊びだからそんなに疲れないよ。たまには部活以外の人とやるのもリフレッシュになるし」


 全然来てませんでした。これはチェックメイトか・・・


 頑張れ、俺の小さな脳みそよ。ハムスターの回し車ばりに頭をフル回転させているとガタンと電車が大きく揺れた。 


 「きゃっ」と早坂さんは体勢を崩し俺の腰あたりにしがみついた。


 大丈夫かと声をかけようとすると目が合う。


 とても近い。

 毛穴まで見えてしまうほどの至近距離に早坂さんの顔がある。


 もう一度電車が揺れたらとんでもない事故が起きてしまいそうな距離感だ。


「ご、ごめんね」

「いや、大丈夫」


 2人の間で長い沈黙が続いた。電車のジョイント音と車内の喧騒がよく聞こえる。


 非常に気まずい空気が続く。

 こうした雰囲気は苦手だ。何か言葉を紡げ。


 何か言葉を・・・


「じゃあテニスは今週末にしようか」


 あ・・・言ってしまった。もう後戻りはできません。


「分かった。空けておくね」


 早坂さんは頬を紅潮させながら、スマホのカレンダーにメモを取る。


「正吾も来たがってたし、しょうがないから誘っておくか。ボール拾いで」


 矢口君が来るなら安心だ。


 さすがに早坂さんと1対1はちょっと困る。

 それにしても彼は相変わらずの扱いだな。お疲れ様です。頑張ってください。


 週末にコートを駆け抜けるボールボーイのスペシャリスト矢口正吾君へ心の中でエールを送った。



         





 西日暮里駅で降り、俺と早坂さんは雑談を交えながら住宅街を歩いている。


 早坂さんと最寄りが一緒というのは知っていたが正確な家の場所は知らない。


 今のところずっと同じ道を歩んでいる。もしかしたら本当にご近所さんなのかもしれない。


 駅から10分ほど歩き、ようやくマンションの前に到着した。


「じゃあ私はここで」

「うん、それじゃあ!」


 手をひらひらとさせ、別れの言葉を交わす。


 その後は各々別の方向へと足を踏み出すはずだが、なぜか俺と彼女の向かう先は一致していた。


「「あれ?」」


 彼女と声が重なった。どうやら俺と同じ疑問を抱いているらしい。


「蓮君の家ってまさか・・・?」

「このマンションだけど?」

「一緒だ。私も」

「・・・え?」


 驚いた。どうやら早坂さんは俺と同じマンションの住人らしい。


「えーっと、部屋番号は?」

「803」

「私、802」


 5秒ほど沈黙が流れる。そして同じタイミングで沈黙を破った。


「「隣!?」」



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