10話 新鮮な朝に正拳突きはつきもの

 重い瞳を開くといつもと違う光景が広がる。


 時計に目をやると時刻は午前5時。


 腰が痛い。頭も痛い。こぶできてないか?昨日どこかぶつけたっけかな?


 コットンの絨毯が視界に入った。


 細かな埃を目にして自分の掃除の甘さを実感する。


 って絨毯?あれ?どうして俺は床で寝ているんだ?泥酔して地べたで寝てしまったサラリーマンかっての。


 心の中でツッコミを入れ身体を起こすと2m先に女性が見えた。


 子猫のような寝顔に触れたら溶けてしまいそうな雪色の肌。艶やかな黒髪に・・・


 ってどうしてこんな美女が俺の部屋に!?どうして!?俺そんなに徳積んでないよ?もしかして知らないうちに世界を救ってた?目の前の美女は神様からのギフト!?


 高揚した俺は部屋中をぶらぶらと歩き回る。


 ガタン


「なっっっ」 


右足小指負傷。犯人はダイニングテーブル。応援を要請。


「うぅぅぅぅぅ」


 鈍痛にもがき苦しんでいると、俺の海馬が息を吹き返し記憶が繋がる。現実に戻された。


 神様からのギフトじゃないですね。はい。神から与えられた試練?それとも爆弾?


 もう何でもいいや・・・


「随分と早起きね」


 俺の騒ぎ散らかした音で目を覚ましたらしい。

 

 宝生麗華の寝起きは随分ときりっとしている。


 ヤンキー時代の習慣かな?あえて眠りを浅くするテクニックがあるんだよね。きっと夜襲に備えてるんだ。ってどこぞの武士だ。


 女の子は胡坐かいて寝ないから。刀抱えて寝ないから。いや、現代人みんなそうだね。


 そんなくだらないことを考えていると宝生さんは体を起こして寝袋をまとめた。


「普段朝食はどうしているの?」

「食べないです。コーヒーだけ飲んで登校してます」

「あら、私と同じなのね」

「意外ですね。規則正しい人って印象だから朝食はきちんと摂っていると思いました」

「それは教育者の印象操作と人間の習慣にすぎないわ。朝食を摂ることが規則正しいなんて誤った考えよ」


 確かに1日3食だと腸が休まらないだの頭がどんよりするだの論文に基づいた朝食アンチの声は多い。


 多くの人は明確なソースもなくなんとなく健康そうだからと思考停止で習慣化しているのだろう。


 ちなみに俺の場合はそうした健康志向はなくただ単に時間がないからコーヒーで済ませているだけである。







 彼女はコーヒーを飲み干しそそくさと身支度を始める。


 せっかくの早起きだ。


 少し早いかもしれないが俺も身支度を終わらせて優雅な朝を過ごすか。歯磨き歯磨きっと!

 

 ガラガラと脱衣所の引き戸を開ける。


「あ・・・」

「きゃっっ」


 脱衣所には顔を赤らめた宝生さんがいた。


「ちょ、ちょっと!」


 ふと視線を落とすと・・・黒、ブラック、コムジョン!大人!大人!大人っぽい!!


 ここ最近で黒と白の2色を目にすることができるなんて俺は前世でどんな徳を積んだんだ。


 なーんて浮かれてる場合じゃない。


 数秒前までのトロンとした恥じらいの眼差しは獲物を狩る獣のような殺気に満ちたものに変わっている。


「ご、ごめんなさい」

と引き戸に手をかけ閉めようとすると時すでに遅し。


 すぅー


 風が吹いた。美しい正拳突き。直後腹部に衝撃が走り体全体が戦慄く。


 今回は寸止めじゃないんですね。痛い。吐きそう。ごめんなさい。


「ぐぅぅぅぅぅ」


 嬉々としてこれをご褒美と言える世界各国の変態たちよ。君たちは尊敬に値する。



        




 ガタンゴトンガタンゴトン。


 先ほどの正拳突きで腹筋に力が入らず、吊革に捕まっていないと倒れてしまいそうだ。


 気晴らしに辺りを見渡す。


 くたびれたスーツ姿のサラリーマンや気だるげに単語帳を開く高校生、談笑する大学生もいれば静かに佇む老人もいる。


 嫌悪されがちな満員電車だが俺は面白いと思う。


 色んな人の日常を想像することができるから。


 彼らは何を抱え何のために生きているのだろうか。彼らの依存先は仕事なのか?それとも友人関係か?いいや、趣味?恋人?


 ・・・それとも家族なのだろうか?


『みんな何かに酔っぱらわないとやってられなかった』

 某人気漫画の登場人物が残した名言がある。


 人は何かに依存している。何かの奴隷になることで生を繋いでいるのだ。


 じゃあ俺は何に依存しているのだろうか。

電車に乗ると毎度同じことを考えてしまう。


 ふと隣にある綺麗な横顔が視界に入った。


 この人も何かに依存して生きているのだろうか。


 宝生麗華は車窓からの景色をぼーっと見ている。


 俺の視線を感じたのか彼女は顔を俺に向けて小さめの声量で話しかける。


「いい?最寄りに近づけば近づくほど同じ高校の生徒が来るんだから下手なこと話さないでよね」

「分かってますよ。そもそも俺と宝生さんが話しているこの光景がまずいんじゃないですか?」

「それなら問題ないわ。手は打ってある」


 彼女は微笑を浮かべる。

 その笑みには何か含みがあるように感じた。


 俺はすぐに問う。


「え?どういうことですか?」

「今知る必要はない。そのうち分かるわ」


 いや、気になるな。でもこの人変なところ頑固だから問い詰めても絶対に吐かないよな。


「とにかく私の過去と一緒に暮らしていることだけ言わなければ大丈夫だから。そこだけは徹底しなさい」


 彼女は手櫛で髪を溶かしながら言う。


 やっぱり気になるなー。気になりすぎて授業に集中できないまである。嫌な予感するもん。


 サプライズとかは誕生日だけにしてくれ。ダメもとでもう一度聞いてみるか。


 再び彼女に顔を向けた俺は『サプライズ(仮)』について問いただそうと試みる。


 その時。 


「ぎゃはははははははははははは」


 斜め後方から高らかな笑い声が聞こえる。


 TPOにそぐわない声量だ。


 声のする方へ視線を向けると同い年くらいの男子高校生が2人座っている。


 制服は東明高校のものではないから他校の生徒だろう。


 大声での談笑はまだ許せるとして、問題は彼らの前に立つ人物だ。


 彼らの前には70歳くらいのおばあさんが窮屈そうに立っている。


 必死に吊革にしがみついている様子だ。


 こういう連中って本当に存在するんだな。


 面倒ごとには関わりたくない平和主義な俺だが彼らのような人種は嫌いだ。


 俺は吊革から手を放し彼らの元へ向かう。その時、横にいたはずの宝生さんがいないことに気づいた。


 宝生さんは人混みをかき分け高校生2人組の前に立っている。


「楽しそうに談笑しているところ申し訳ないけど周りを気にかけた方がいいわよ?」

「あんた誰すか?」


 いかにも流行り物が好きそうなセンターパートの高校生が挑発的な笑みを浮かべ宝生さんに話しかける。


「常識のないあなたに名を名乗る必要はないわ。ここは公共の場よ。目の前にいるおばあさんが見えない?それからもう少し声量を抑えて会話できないの?」

「そんなん学校で習ってないんで分からないっすね。うちの高校道徳の授業ないんでー」 


 非常識なことをする自分に酔いたい年頃なのだろうか。


 もう片方のスポーツ刈りがバカにしたような口調で続ける。


「ってかあんた誰?何年?」


 宝生さんの服装を見て同じ高校生だと考えたのだろう。


 宝生さんは迅速に回答する。 


「1年生よ」


 1年生?あなた3年生だろ。何を言ってるんだあの人は。


 もし彼らが2年生以上だったら調子に乗らせてしまうぞ・・・


「ぎゃははは、俺たち2年だよ?1年の小娘が偉そうな口きいてるんじゃねーよ」

「そうそう、年上は敬えって学校で習わなかったのかー?」


 案の定、図に乗らせてしまった。


 センターパートは手を叩きながら爆笑し、スポーツ刈りは威圧的な目を向けている。


 過去の宝生さんなら一太刀で彼らを沈めることができただろう。


 でも今は品行方正な生徒会長。言葉で対抗するしかない手段はない。


 面倒ごとに関わりたくないのか周りの連中は見て見ぬふりをしている。


 おばあさんの方はというと「もう大丈夫だよ。ありがとね」と宝生さんをなだめていた。


 状況が悪すぎる。


 戦力になるかは分からないが俺も加わろう。


 「おい」と第一声を発しようとした時、宝生麗華の口角があがっているように見えた。


「なるほど、では私があなたたちよりも先に生まれていたら言うことを聞いてくれたの?」

「まぁ、そうかもな。ざんねーん」

「あと2年早かったらなー。子作りを早めなかった自分の両親を憎んでおけー」


 両親という単語を聞いた瞬間宝生さんの目に戸惑いが見えた気がする。 


 だが、それは気のせいだったらしい。


「ごめんなさいね。私3年生なの」

「はぁ!?」

 

 2人組はポカーンとした間抜けな表情を浮かべている。 


「証拠が必要かしら?」 


 そう言い、宝生さんは生徒手帳を2人に突き出した。


「あなたたちみたいな人種は歳や性別で人を判断するような印象があったのでかまをかけさせてもらったわ」


 先ほどまでの威勢は消え、2人組は「ふざけんなよ」と喧騒にかき消されてしまいそうな声量で対抗する。


 宝生さんはチェックメイトと言わんばかりに詰め続ける。


「私年上よ?年齢が上だったら言うこと聞くんでしょう?

ほら、今すぐ大声での談笑はやめて席を譲って。年上を敬うって習ったんでしょう?」


 周りからは男子高校生に向けられた嘲笑がちらほらと聞こえてくる。


 そんなこともお構いなしに宝生さんは続ける。


「年上を敬うって習ったのにおばあさんに席は譲れないのね?インプットも大事だけどアウトプットしなければ意味ないわよ?ほら、今アウトプットする絶好のチャンスじゃない」


 2人組の顔はリンゴ色に染まっていく。


「とてもかっこいい髪型ね。制服も頑張って着崩しているようで可愛らしさすら感じるわ。

でもね、振る舞いが致命的にダサいからそこは道徳のお勉強をして直した方がいいわね。

あなたたちみたいな人種が流行の価値やイメージを下げるのよ?全国のおしゃれさんに刺されるかもね」

 

 電車内は笑いに包まれた。


 とうとう2人組は無言になった。今にも噴火するのではないかというくらい顔は赤く染まっている。


 電車が停車して2人は勢いよく立ち上がる。   


 「覚えとけよ!」とテンプレートな捨て台詞を吐き、2人組は降車していった。 


「すいません、お騒がせして」と宝生さんは四方八方に会釈をする。

「ありがとうね。お嬢さん」


 おばあさんは申し訳無さそうに礼を言う。


 それに対し、「いえいえ」と彼女は微笑んだ。 

  

 おばあさんへの微笑みは今まで見てきた表情の中で歯し、一番温かみを感じた。     


 9分矢生さんは2人組の席におばあさんと座り、仲良く談笑している。

 

 ガタンゴトンガタンゴトン。

 

 車内に斜陽が差し込み目を細める。


 彼女の微笑む顔を見てさらに目を細めた。



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