6話 初めての来客はカップ麺を伸ばす

 ブクブクとお湯の沸騰する音が鳴り響く。


 戸棚からカップヌードルを取り出しお湯を注ぐ。


 年の割に俺はしっかりしている方だと思うが、家での食事はひどく適当だ。


 どうも料理をするという習慣が苦手でカップ麺やコンビニ、外食ばかりの生活を送っている。


 だからこそ東明高校の学食はありがたい。朝食、夕食が質素な分、昼食でたっぷり栄養補給をすることができる。


 お湯を注いでから3分が経過した。


 カップヌードルを簡易机に運び蓋を開ける。


 割り箸を持ち、麺を啜ろうとするとピンポーンとインターホンが鳴った。


 来客か?と思ったが冷静に考えたら俺の家に訪れるような親しい人間はいない。


 水やティッシュ等の日用品を定期注文しているから宅配便だろう。


 それにしても遅い時間に来るなぁ。


 時刻は21時をまわっている。


 こんな時間まで働いているのか。大変だな。


 俺は心の中で『お疲れ様です』と言い、玄関の扉を開けた。


「・・・・・・」


 頭が真っ白になるというのはこういうことなのだろうか。


 全く頭がまわらず言葉が出てこない。


 10秒ほどが経ち、思考が正常化すると彼女の右手に持っているスーツケースに目がいった。


 どこか旅行にでも行くのだろうか。


 いいや、そんなことはどうでもいい。


 なぜ彼女がここにいるのだ。


「結構良い家に住んでるのね」


 声の主は宝生麗華。


 どういうわけか俺の家を特定されてしまったらしい。


「あの、なぜここに?」

「結論を急がないで。とりあえずあがっていい?」

「は、はい」


 彼女は靴を綺麗に揃え、部屋の中へと入っていった。

 

 部屋には秒針の音のみが聞こえる。

上京してからはここが俺の1番の憩いの場だ。 


 しかし、今この瞬間だけは地獄と化している。


 宝生さんは何一つ言葉を発することなく、部屋中を見渡しながら歩き回っている。


 俺はどうすればいいか分からず彼女の言葉をひたすら待った。


 沈黙が2分ほど続き、ようやく宝生さんが口を開く。


「今日のあれ喧嘩を売ってるの?」 


 あれというのは俺がうっかり口を滑らせてしまった食堂の一件だろう。


「い、いや、そんなつもりは」

「私のフォローがなかったらどうするつもりだったの?周りの子に私のこと話してないかしら?」

「いえ、宝生さんのことは何一つ話してないです」


 今のところ口調は穏やかだが相変わらず目が怖い。獲物を狩るライオンのような目つきだ。


「日和と知り合いだったのも意外だわ」

「あれは事故というかなんというか」

「今回の件で危機感を覚えたわ。さらに監視体制を強化しないとね」

「もう二度とあんなへまはしないんでどうか穏便に・・・・・・」


 これ以上プライベートが脅かされるのも彼女との関係が深くなるのも御免だ。


 ふと目線を落とすと無意識のうちに手を合わせていた。生物としての恐怖を感じているらしい。


 まさか命乞いのようなことをする日が来るなんてな・・・・・・


 しかし、俺の祈りは彼女には1mmも届かなかった。


「いいや、今回の件であなたへの信用はなくなった。もっと緊張感を与える必要がある」 

「緊張感と言いますと?」


「明日から私、ここに住むから」


「え・・・・・・?」


 耳を疑った。


 冗談として捉えることもできるが彼女の提案は妙な生々しさがある。


 彼女の瞳や挙動は冗談を言う人間のそれじゃない。


 俺は冗談であることを願い、愛想笑いを浮かべた。


「あははは、宝生さんはユーモアもあるんですね。面白い冗談です」

「冗談を言ったつもりは1mmもないわ。スーツケースの中身見てみる?」


 そう言って宝生さんはスーツケースを横にし、中を広げた。


 冬用の制服やコート等の衣類、歯ブラシや洗剤等の日用品。明らかに家出してきた人間の荷物だ。


 端っこの方には青色のいかがわしい布が少しだけ顔を出している。


 すぐに布の正体が分かった。


 3秒ほど凝視してしまい罪悪感を覚えていると、彼女の拳が腹部で寸止めされている。


 布を見つけてしまったとき顔に出ていたのだろう。


 腹の前で待機している彼女の拳を見てイエローカードだと解釈した。


「あの、確認ですが俺の家に住むという認識で合ってますか?」

「えぇ」

「万万が一断ったらどうなります?」

「それは想像にお任せするわ」


 そう言いながら彼女は左右の指を絡ませ骨をポキポキ鳴らしている。


 想像に任せると言いつつも、目の前で解を与えてくれるなんて優しい人だ。


 この解を目にして断れる人間は世の中にどれほどいるのだろうか。


「期間は?」

「私が東明高校を卒業するまで」

「それってほぼ1年じゃねぇか・・・・・・」

「ん?」

「あぁ、いや、何でも」


 つい心の声が漏れてしまった。


 彼女はこれまで以上に鋭利な視線を向ける。


「まぁ、こう見えてあなたを気の毒だと思っているの。多少の理不尽を感じるのは自然だと思うわ」

「これは多少なんですかね・・・・・・」

「私は念には念をってタイプだから我慢して」

「は、はぁ・・・・・・」


 この人学年1位じゃなかったか?その割には言ってることがめちゃくちゃすぎる。


 黒歴史がバレたら人間のIQは下がるのだろうか。


「もちろんあなたにもメリットはあるわ」

「メリット?何でしょう?」

「炊事当番を無料で雇うことができる。今どき無料の労働力は貴重よ?見たところカップ麺やコンビニ弁当が日常化しているようね。でも私がいることによってちゃんと栄養補給をすることができる。もちろん食材費は私が負担するわ。悪い話じゃないでしょ?」 


 自炊をするのは面倒だ。かと言って毎日買うのは金欠の元だ。


 現に子供の頃からコツコツと貯めていた貯金がなくなっていき、放課後アルバイトすることを検討している。


 確かに悪い提案ではないが、俺が他人と共同生活をするなんてあり得ない。


 それもよりにもよって相手は宝生麗華だ。金欠高校生活を送る方がマシに思える。


「この無言は肯定と捉えたわ」

「ちょっ、待ってください。やっぱり無理です」

「もう遅いわ。とりあえず今日は荷物だけ置きに来たから。それじゃあまた明日」

「ちょっと!」


 玄関のドアを閉める音が室内に反響する。


 モヤモヤする終わり方ではあったが、とりあえず殴られなくて良かった。


 でも何とかして説得しないといけないな。


「はぁ・・・・・・」


 束の間の安堵感と明日からの絶望を感じて膝から崩れ落ちる。 


 ふと簡易机に目をやるとカップヌードルは冷め、麺は完全に伸びきっていた。

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