帰り道
結局あの後、少しだけお酒を飲んで上司の愚痴なんかを交わした。ちょっと気になったのは妙に泊って行ってとせがまれたことだった。
しかし流石に次の日が仕事ということもあって、断った。亜衣さんが後ろで倒れている気がしたが、なるべく気にしないようにして帰った。
「……こっちのお酒はおいしいのだな」
「あれ、シズさん飲んでましたっけ?」
「においでなんとなくわかる。かなり上等なものだ」
「え、シズさんって結構通なんですか?」
「あ、いや、飲んだことは無いのだが、職業柄身分のいい人間の近くにいることが多くてな。接待やらでいいお酒や安酒のにおいは何回も嗅いできたからな」
なるほど。
ということは、シズさんは結構身分が高い人だったのか?
「シズさんって、結構地位高かったんですか?」
「ん? あぁ、騎士の中では……。聖騎士団長だったな」
「ほへぇ……」
まぁでも、車で轢かれてほぼ無傷だもんなぁ……。戦力的に十分ということか。
「そういえばなんですけど、シズさんはどうして騎士になったんですか?」
「ん? あぁ、私はもともと孤児だったのだ」
「孤児……」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気がどんよりと重くなって、真っ黒な空にはごぉぉぉと思い機械のうめき声が響き渡っていた。
「私が五歳の時、私の暮らしていた町は焼け野原となってしまった。その時に拾ってくれたのが、先代の聖騎士団長だった。団長は私に普通の暮らしをしてほしかったそうだが、私は戦場に立つことを選んだ」
そう話すシズさんの目は、ずっと地面を見ていて、どうしようもないほどに悲しそうだった。
夜闇ですら隠せないこの悲しさは、やがて静寂となって俺の胸にやるせない気持ちをもたらした。
とにかく帰りたくなった。
「すいません。嫌なこと思い出させてしまって……」
「別に構わない。嫌なことも何も、私の記憶には大体こんな話しかないしな」
「…………」
シズさんはこなれたように作り笑顔を浮かべる。騎士団の長として、色んな人に同じような話をしてきたのかもしれない。
なんで笑えてしまえるんだろう。そんなにつらくて暗い過去を背負いながら、どうして俺の方に配慮してしまうのだろう。どうして、普通のほんのり苦い記憶として片付けられてしまうのだろう。
「辛かったら、笑わなくてもいいと思いますよ」
思わずそんな言葉が漏れ出ていた。感情を吐き出すでもなく漏れ出てしまった言葉なんてこれが初めてだった。
でも、あんな悲しい笑みを浮かべるシズさんに手を差し伸べずにはいられなかった。
気が付くと、シズさんの姿が俺の隣にはなく、数歩後ろの方に立っていた。顔を見てみると、目を見開いて俺の方を見ていた。
「わ、私は、強いから!」
「…………」
「そ、それに、私の後ろには私を頼ってくれる者たちがいるのだ! それはこっちに来ても変わらない! だから、悲しい顔など、ましてや泣き顔など、他人に見せたりはできん!」
「…………」
シズさんの声は、怒っているような、泣いているような、がむしゃらな声だった。そんなシズさんに俺は微笑みかけて、目の前に歩み寄った。
「帰りましょうか」
「…………」
俺はシズさんの手を引いて、再び歩き始めた。
「俺も、そう思う時あります。泣いてやるもんか……って。だって、泣くのってとてつもなく怖いから。もしかしたら、その程度でと思われるかもしれない。もしかすると、情けないと侮られるかもしれない。何より、情けなく泣いてしまう自分を、泣いてしまった過去を、自分が認められなくなりそうなのが何よりも怖い」
シズさんの手を引きながら、独り言のように呟いていく。シズさんも聞き流すようにまっすぐな目をしていた。
「泣くことは健康的にいいからとか、そんな風に言われても譲れない。泣くことはカッコ悪くなんかない。そういわれても素直に頷けない自分がいる。カッコ悪いからとか、そんなんじゃない。俺たちはみんな怖いんだ。自分が分かるだけじゃダメだし、自分だけが納得したって、馬鹿にするやつはこれ見よがしに馬鹿にしてくる」
「…………だから私は」
「でも、怖いのを乗り越えるのって、何よりも勇気がいることだと思う。俺は怖いものを乗り越えた人は、どんな恐怖をも物おじしない勇者なんかよりも、よっぽどすごいんだって思います」
「……それでも、結局周りがそう思っていないと意味ないだろう。それは浩史が言った事だ」
自分の部屋の玄関の前に着くと、妙に帰り道が長かったなと思えてしまった。ため息が出た。感情の乗った、重々しいため息が。
「はい。だから、〝俺は〟そう思うんです。シズさんの一番近くにいる俺は、かっこいいと思うんです。泣いてしまうことが……」
「…………」
「一緒に乗り越えましょう。怖いなら、つらいのなら。俺はシズさんの前にも、後ろにもいたくない。隣に居たいんですよ」
「…………!!」
鍵を開けて扉を開く。何もない。何もないが、一番心には軽かった。
軽々と一歩部屋に入り、背後にいるシズさんの方に向き直る。
「お帰りシズさん」
俺がそういうと、恐る恐る部屋に踏み入るシズさん。目を見開き、驚嘆にも似た表情は、目じりに溜まっていく涙が洗い流した。
シズさんは静かに、俺の体に寄りかかり、涙を流した。
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