違和感
泣いてしまった。みっともなく泣いてしまった。
でも、悪い気はしなかった。一週間にも満たない付き合いもないこの男にあろうことか泣きついてしまったが、なぜかこの男には気が許せた気がした。
これで本当にバルザックだったらどうしよう……。
なんでよりにもよって、あいつに似てしまうんだ。どうしてまだヒロシを信じ切れていないんだ……。私は、まだ……。
ピピピピ!!
「な、何奴⁉」
「ふふぁぁぁ~ぁ~。おはようございます」
「……その起きる時になる音、何とかならんのか? お前の体のどこからそんな音が……」
「俺の体から出てるわけじゃないですよ……。まぁ、すいません。びっくりしますよね……。携帯買い換えたらもうちょっとマシな音になるので、我慢してください」
「そ、そうか……」
ふすまの中でくぐもった声がする。しばらく布のこすれる音が続いて、静まった途端、ぴしゃりとふすまが開かれる。
出てきたヒロシはすでにスーツに着替えて、ネクタイを締めている最中だった。
「相変わらず着替えが早いな……。その服、それなりに時間かからないのか?」
「まぁ、慣れたもんですよ。急に仕事に呼ばれることもあるので」
「そ、そうなのか……」
……うまいこと顔が見れない。どうしたんだ私。ヒロシは何も変わってないだろ。
昨日の件で少し気まずくなってしまっている……。いつも通りしなければ。
「それじゃあ、朝ごはん作りますね」
「あ、あぁ……」
私はなるべくいつも通り、ロボットのような挙動でテーブルの前に座った。
しばらくはテーブルに目を落として、顔を上げられないでいたが、勇気を振り絞っていつもの堂々たる態度に立ち直った。何故昨日までできていたことが勇気を振り絞らないとできなくなっているのだ私は……。
じゅー、じゅー。
にしても、毎朝毎朝、いちいち私の食欲を刺激する音を出すな……。
まっすぐ前を見ていた視線だけを、ヒロシの方に向けてみる。
微妙に曲がった背中は、私にはうすら奇妙に感じられる。まだ付き合いが短いのもあるが、私はまだヒロシのことを信用しきれていない。こうまで警戒が緩まないのはどうしてなのだろうか?
やっぱり、私に原因があるのだろうか?
「朝ごはんできましたよ」
「あ……」
考え込んでいたところにヒロシの声がしたので、思わず間の抜けた声が出てしまった。ヒロシの両手には、ベーコンと半熟の目玉焼きの乗ったお椀があった。
「……卵はしっかり火を通さないのか?」
「ん? あぁ、ここの卵は質がいいので、生でも食べられるんですよ。まぁ、理解しがたいのもわかりますけどね」
「ほう……」
生でも食べられるか……。やはり、言語以外は全く違う文化なのだな……。
私は恐る恐る渡されたナイフで黄身の部分を割った。ヒロシは奇妙なものを片手で器用に扱って君を割る。そしてまたまた器用な動きでベーコンで白米をつつみ、大きな一口を喰らう。
「前々から思っていたのだが、その奇妙なものは何なのだ?」
「あぁ、箸って言います。食べ物を挟んで食べるものです」
「私も使ってみたい」
「え、フォークじゃダメなんですか?」
「そのように包んで食べてみたいのだ」
「あぁ。なるほど」
ヒロシは得心が言ったのか、台所の引き出しからハシというものを取り出し、私に持たせた。
「えぇっと、うまく説明できないので、とりあえず真似てみてください」
「……こうか?」
「う~ん……、もっとこう……」
ヒロシは私がハシを持った方の手に触れてくる。
「ぴゃ⁉」
思わず変な声が出た。それと同時に、心臓がどきんと飛び跳ねてしまう。ハシはトンカランと小気味いい音を立てて床に転がった。
「あ、すいません。急に触れちゃって……」
「あ、いや……。職業病でな……」
何を言い訳をしているんだ。今更ちょっとびっくりしたのを見られたところで別に大したことでもないだろう……。
「そ、そっか……。それでまぁ、箸なんですけど……」
「だ、大体わかった。だからもう大丈夫だ」
「そう、ですか……」
私はハシを拾い、水道で洗う。それにしても、なぜ蛇口というものをひねると水がこんなにも勢いよく出るのだろうか……。こっちには魔法などもなさそうなのに……。
疑問を抱きながらも、またテーブルに向かい合う。
ヒロシの持ち方とは少し違うものの、しっかりとベーコンで包むことができた。
「お、おいしい!」
ヒロシの料理にはついつい笑みがこぼれてしまう。そしてそんな私を見てヒロシも笑う。
「火の通っていない卵の濃厚な味が絡んでいて、おいしい!」
「よかったです」
あっという間に平らげてしまい、少し寂しい気持ちが胸の中に残った。
「朝食、もうちょっと多いほうがいいですか?」
「ま、まぁ……。で、でも無理はしなくてもいいぞ」
「そうですか……」
ヒロシは食器を片す間に、ふと時計を見てみると、いつもならすでに準備を始めているころだと気づいてヒロシに声をかける。
「そろそろ時間ではないのか?」
「え、あ! ほんとだ!」
「皿洗いぐらいならば私にもできる。ヒロシは準備を」
「ありがとうございます!」
私はヒロシに代わって皿洗いをし、ヒロシはあたふたと準備を始めて少しすると、扉の開く音がした。
「それじゃあ、行ってきますね!」
「あ……」
私はヒロシを呼び止めるために息を漏らすような声を出した。
「なんですか?」
「あ……いや、その……」
私はヒロシに向けていた視線を再び食器の方に落として、自分でもおかしいと思うほど、いじけたような口調で言った。
「い、いってらっしゃい……」
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