家族チョコ

 二月十四日。バレンタインデー。恋人や家族、友人など、大切な人にチョコレートを贈る日。今までは愛華と翼と、中学生になってからは桜庭くんも入れて四人で誰かの家に集まって友チョコを交換し合っていた。今年は愛華の家に集まり、いつもと変わらず、愛華以外の二人には友チョコを渡す。けど、愛華だけは違う。彼女は今はもう、友達ではなく恋人だ。


「というわけで、はい。ボクはあまり料理得意じゃないからさ……でも、友達二人と全く同じってのもアレかなって思って……」


「おー。可愛いー」


 二人が帰って二人きりになった後、彼女に渡したのはクッキー。二人にあげたクッキーと同じ生地だが、その上にアイシングをしてデコレーションしている。


「私からはこれだ!」


 愛華から渡されたのは小さな箱。中にはチョコレートで作ったケーキが入っていた。


「えっ。すご。ガトーショコラってやつ? 手作り?」


「うん。手作り」


「すご……」


「そんな難しくないよ。……あのね、バレンタインデーのガトーショコラはね、私にとってはちょっと特別な意味があって」


「ほう?」


「うちではバレンタインデーの日は家族三人でガトーショコラを作るんだ。百合香さんが海菜さんのためにバレンタインデーで初めて作ったのがこれだったんだって」


「初めてでガトーショコラって。凄いな」


「だから、バレンタインデーのガトーショコラは二人の思い出なんだって。その思い出に私が加わって、今では家族三人の思い出になってるんだけど」


「愛華の思い出の一品ってわけね」


「うん。そう。だから……その……ガトーショコラはね、私にとって……か、……なんだ」


「家族チョコ」


「うん。そう。家族チョコ」


「……えっと、それってつまり、本命チョコよりも上ってこと?」


「……うん。あ、ちなみに家族で作るって言ったけど、今君に渡したやつは私一人で作ってるよ」


「そ、そうか……」


「ま、まだ付き合ったばかりなのに家族って……ちょっと、重かったかな……」


 彼女はそう、気恥ずかしそうに目を逸らす。堪らず、チョコが入った箱を置いて彼女を抱きよせる。彼女に触れる時は毎回許可を取っていたのだけど、今回ばかりはそんな余裕は無かった。彼女は一瞬身体をこわばらせたが、恐る恐るボクの背中に腕を回して肩に顔を埋めた。震えているが、離れようとはしないし離してくれない。


「……ごめん。嬉しすぎてどういう反応して良いかわかんなくなった上に抱きしめる許可取るの忘れた」


「ううん。大丈夫。……希空は私に危害加える人じゃないって、私の心ももうちゃんと分かってるから」


「……そっか。……海菜さん達、いつ帰ってくる?」


「うーん。夕食の時間には帰ってくると思う」


「……そっか」


「……帰ってきてほしくない?」


「い、いや……うん……ずっと二人きりで居たい」


 正直に言うと彼女はボクの腕の中でおかしそうに笑った。


「けど……分かるよ。私もずっとこうしていたい。君の腕の中、落ち着く」


「……そっか」


 そっと頭を撫でやると、彼女は気持ちよさそうにうとうとする。他人から向けられる恋愛感情に怯えていた彼女だが、今はこうして普通に甘えてくれるようになった。だけどまだキスは出来ない。そこまで踏み込むにはまだ早い気がする。早まって怖がらせたくない。

 海菜さん達が出会った頃は今以上に人に対して心を閉ざしていたはずだ。二人もこうやって少しずつ慣らしていったのだろうか。聞いてみると、彼女はうんと頷いて二人と出会った頃のことを語ってくれた。


「海菜さん達と家族になる前に、何組か養子縁組をしたがってるふうふと会ったんだけど、ほとんどが男女カップルで。私、お父さんのことがあったから大人の男性が怖くて。なかなか上手くいかなくて」


「女性カップルは海菜さん達が初めて?」


「うん。初めてだった。初めて会った時の海菜さん、化粧してスカート穿いてて」


「えっ。珍し」


「私の事情を知って、一目で女性だって分かるような格好をしてくれたらしい」


「なるほど……海菜さん、よく男性と間違えられてるもんね……」


「正直最初は変な人だなって思ったし、信じたいとは思ったけど、優しすぎて逆に怪しかった。言うこと聞かせるために最初だけ優しい夫婦も結構いたから。だから私、一回二人を試すためにわざとお皿割ったことがあって」


「ええっ」


「もちろん叱られたけど、怒鳴ったりはしなかった。冷静に、私がどうしてそんなことをしようとしたのか理由を聞いてくれて。うん、うんって相槌を打つ声が優しくて……この人達は信じても良いって思えたんだ」


 そう語った後に、彼女は言った。「君も同じだよ」と。


「ボク?」


「うん。希空も、私のトラウマとずっと真っ直ぐに向き合ってくれてる。少しずつ、少しずつ慣らしてくれようとしてる。だから私は君を信じることが出来たし、君の恋人になりたいと思った。なりたいって、思えた。声が出るようになったのも君のおかげだし」


「声が出なくなったのは元はと言えばボクのせ「違うよ。誰のせいでもないよ」


 言葉を遮ると、彼女は身体を起こして僕の方を真っ直ぐに見据えた。自分のせいだなんて言わないでと。


「……うん。そうだね。ボクのせいだなんて言っちゃいけないね」


「そうだよ。私は君に感謝してるんだから」


「……うん」


 ふふと笑うと、彼女は遠慮がちにボクの胸に身を寄せて腕を回した。今度はボクが恐る恐る彼女の背中に腕を回す。


「……大好き」


「……うん。ボクもだよ」


「……うん。ふふ。……幸せ」


「そっか」


 なんだか良い雰囲気だ。今日は怯えることもない。これは、今ならもう少し踏み込んでも良いのではないだろうか。


「……あ、あの、さ……その、愛華はさ……キ、キスとか……したいって、思ったことない?」


 恐る恐る問う。しかし、返事はこない。


「……えっ。あれ、マナ?」


「……すぅ」


 寝息で返事がきた。どうやら寝てしまったらしい。大事な話をしようとしていたのだけどと苦笑するが、幸せそうな寝顔を見せられてしまったら怒るに怒れない。


『恋人になった君の前で眠れるくらいには落ち着いてきたんだなって思ってね』


 以前海菜さんに言われた言葉が蘇る。後二ヶ月で付き合って一年になる。未だキスもしていないけれども、少しずつ前に進めているのは確かだ。彼女は毎日、必死にトラウマと戦っている。ボクのために克服しようと頑張っている。急かして新たなトラウマを植え付けてしまうようなことはしたくない。過去のトラウマを上書きするなら幸せで上書きしたい。過去の思い出す隙もないくらいに、幸せで満たしてやりたい。だけど、彼女に触れたい、乱れた姿を見たいという欲もある。彼女は多分、そこまでは分かっていない。だけど信じてくれている。ボクが自分に危害を加えることはないと。その言葉がボクの欲を牽制してくれる。彼女の信頼を裏切ることはするなと。


「よっと……」


 眠ってしまった彼女をそっとソファに寝かせて、深呼吸をして鼓動を落ち着かせてから、机の上の箱を開ける。中にはガトーショコラと一緒に茶色いフォークが入っていた。これはもしやと思い持ち手の先をかじってみる。やはり。食べられるフォークだ。クッキーだこれ。寝ている彼女に一言お礼を言って、フォークで一口サイズに切って口の中へ。甘さは控えめだが、美味しい。


「……家族チョコ、か」


 改めて口にするとなんだか恥ずかしくなってきた。ボクのチョコレートはただの本命チョコだというのに。家族チョコて。本命ではなく、家族チョコ。それはもう実質プロポーズではないだろうか。

 後ろで眠る彼女に目を向ける。幸せそうに眠っている。人の気も知らないで。しかし流石に、恋人とはいえ眠っている彼女の唇を奪うわけにはいかない。


「……」


 ソファから降り、跪き、彼女の手を持ち上げて手の甲に口付ける。起きる気配はない。もう少し踏み込みたくなるが、それ以上は彼女の同意が必要だと自分に言い聞かせ、彼女の手をソファに戻す。いや、本当は今のもあんまり良くないかもしれない。このままここに居たら、我慢出来なくなってしまいそうだ。

 とりあえず眠る彼女を抱き上げて、ベッドに運ぶ。全く起きる気配はない。付き合いたての頃は許可なく抱きしめようとすると反射的に押し返してきたほどだったのに。

 部屋を出て、海菜さんにメッセージを送る。「じゃあそろそろ帰ろうかな」と返事がきた。二人が帰ってくるのを待つ間に『今日はありがとう。ガトーショコラ美味しかったです』と書いたメモをあげたチョコクッキーの下に挟む。


「希空ちゃん、ただいま」


「お帰りなさい。それじゃあ、ボクはもう帰りますね」


「うん。またおいで」


「またね。愛華のこと、ありがとう」


「はい。お邪魔しました」


 帰ってきた母親二人と入れ替わりで家を出る。

 この後二人は愛華と一緒に家族チョコを作るのだろうか。いつかはそこにボクも加わるのだろうか。なんて妄想をしながら帰路についた。まあ、まだキスもしたことないんだけど。だけどきっと、彼女と別れることなんてないだろう。幼い頃からずっと、彼女だけを思い続けてきたのだから。

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子供達の話 三郎 @sabu_saburou

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