君に会えない二日間(中編)
その日の夜。夢を見た。戦争の夢。国のために戦ってくるねと言って、海菜さんが出て行ってしまう夢。私は泣き崩れたけれど、百合香さんは一滴も涙を流さずに見送って「大丈夫よあの人しぶといから」と涙声で言いながら私を抱きしめてくれた。
あれは夢だった。そう分かっていても不安になってしまい、深夜に二人の寝室を訪ねる。部屋をノックすると中から「ちょっと待ってね」と海菜さんの声。その声を聞いて少し安心した。しばらく待っていると、ドアが開く。ふわりと甘い香りを漂わせながら「どうしたの?」としゃがんで目線を合わせて優しく問う海菜さん。思わず抱きついてしまうと、彼女は私を抱き上げてよしよしと幼い子をあやすように私の頭を撫でる。この匂いは多分、百合香さんがたまにつけている香水の匂いだ。
「怖い夢でも見た?」
「海菜さんが戦争に行っちゃう夢」
「あー。戦争の本読んだからね……よしよし。大丈夫だよ。大丈夫大丈夫」
そう、彼女は何度も優しく声をかけてくれた。安心したらだんだんと眠気が襲ってくる。
「どうする? お部屋戻る? 一緒に寝る?」
「一緒に寝ても良い……?」
「ん。良いよ」
そのままベッドまで行き、百合香さんと海菜さんの間に挟まれるようにして横になる。
「なんか、この部屋良い匂いするね」
「ベッドに香水かけてるからね」
「百合香さんがいつも使ってるやつ?」
「ええ」
「ふふ……百合香さんに包まれてるみたい」
「まだ残ってるから、良かったら使う?」
「付け方教えて」
「いいわよ。明日ね」
「うん。楽しみだなぁ……」
それからは、夢は見なかった。目が覚めると隣に母二人はもう居なくて、香水の香りだけが微かに残っていた。リビングに行くと「おはよう」と海菜さんの声。今日は木曜日。海菜さんの職場は水曜休みのため、木曜日の朝は早く起きて百合香さんのお弁当を作っている。百合香さんはもう行ってしまったようだ。
海菜さんが作ってくれた朝ご飯を食べてから、着替えて部屋に戻って、課題の続きに取り掛かる。昨日のメモを見ながらスマホに感想を打ち込んでいると、公衆電話から電話がかかってくる。「おはよう」と彼女の声。それだけで心臓がきゅっとなる。
「おはよう希空。今日は長崎行くんだよね」
「うん。カステラが有名らしいから買ってくるね」
「やった! カステラ楽しみ!」
「ふふ。今日は元気だね。昨日はよく眠れた?」
「うん。昨日は途中からお母さんの部屋で寝たんだけどね、凄い良い匂いがしてね」
「良い匂い?」
「ベッドに香水かけてるんだって」
「へ、へぇ。そうなんだ。おしゃれなことしてるね」
「でしょ。安心してぐっすり寝れたから、今度私もやってみようと思って」
「そうなんだ。じゃあ今度、一緒に香水見に行く?」
「うん!」
他愛もない話をしているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。まだまだ話し足りないけれど、彼女の声が聞けて少し元気が出た。
「よし」
気合を入れ直し、メモを参考にしながらスマホで感想文を書いていく。書いては消し、書いては消しを繰り返し、昼休憩を挟んで試行錯誤を繰り返しながらなんとか出来上がった文章を原稿用紙に写しおえた頃には夕方になっていた。海菜さんが仕事に行ってしまう前に慌てて提出しに行く。
「明日でも良かったのに」
「早めに出した方がスッキリするから」
「まぁ、確かにね。……うんうん。なるほど……良いけど、誤字脱字が結構目立つね。ちゃんとチェックした?」
「う……してない……」
「ミスは誰にでもあるし、完璧にしろとは言わないよ。けど、時間はあったんだし、少しでも良いものを提出する努力はしようね」
「はい……」
「まぁでも、早めに出そうという姿勢は偉いよ。よく頑張りました。お疲れ様。また時間がある時に細かく誤字脱字とか言葉の使い方とかチェックして返すね」
「うぇぇ……返さなくていいよぉ……」
「失敗は成功のもとだよ。次に活かすためにもちゃんと自分のミスと向き合ってね」
「はぁい……」
良かれと思って早めに提出したらやんわりと叱られてしまった。しかし、彼女の言うことは正しい。終わったから早く提出して気を楽にしたいと、そればかり考えていた。次からは気をつけよう。
「本は結局最後まで読めた?」
「うん。なんとか」
「そっか。よく頑張ったね」
「海菜さんの時も修学旅行は広島と長崎だった?」
「うん。戦争の体験談を聞いて……正直、せっかくの修学旅行でそんな重い話聞きたくないって思ったよ」
「だよねー……」
「君の今の状況的に、この課題を与えるのは正直ちょっと心配だったんだけど……杞憂だったみたいで良かったよ。よく頑張ったね」
よしよしと海菜さんは私の頭を撫でて、仕事に行った。入れ替わりで百合香さんが帰ってくる。
「今日は一人で眠れそう?」
「うん。今日は大丈夫……だと思う」
「一緒に寝ても良いのよ?」
「……じゃあ、一緒に寝ようかな」
「ええ。おいで」
食事と風呂を済ませて、百合香さん達の寝室へ。今日は香水の匂いはしない。昨日は何か特別な日だったのだろうか。問うと百合香さんはそういうわけじゃないと答える。
「ちょっと疲れちゃったからリラックスしようと思って」
「リラックス出来た?」
「ええ」
「私も。すっごいぐっすり眠れた」
「ふふ。珍しく朝起きてこなかったものね」
「お見送り出来なくてごめんね」
「良いのよ。さ、今日はもう寝ましょう」
「うん」
百合香さんの腕に抱かれて目を閉じる。その夜は嫌な夢は見なかった。
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