君に会えない二日間(前編)
「おかえり、愛華」
「ただいま」
家に帰ると、机の上に三冊の本が並べられていた。どれも第二次世界大戦の日本を舞台にした本だ。
「修学旅行は広島と長崎でしょ? だから、今日はそれに合わせた授業をしようかなって思って、図書館で本を借りてきました。この中から一冊選んで感想文を書いてもらいます」
「うげぇ……読書感想文かぁ……」
「みんなが修学旅行から帰ってくるまでに書き上げて提出してね」
「はぁい。わかりました海菜先生」
「ただ、戦争がテーマだからちょっとキツい場面が多いと思う。無理して読む必要はないからね。最後まで読めなくても読めた部分までの感想で大丈夫だから」
「はい」
海菜さんが借りてきてくれた三冊の本の中から一冊選び、さっそく読み始める。私は戦争とは無縁な平和な時代に生きているとはいえ、戦争が悲惨なことくらいは想像でも分かる。こういう本を読むのは正直嫌だ。しかし、目を背けたくなるような生々しい描写に顔を顰めながら読み進めていると、ふと、スマホが鳴る。着信だ。相手は——
「公衆電話……?」
初めて見る表示だった。公衆電話からの電話。出て良いのか迷い、とりあえず海菜さんに相談してみる。
「公衆電話? あ、希空ちゃんじゃない? スマホ持ってないから」
「あ、そっか……だから公衆電話」
「不安なら私が代わりに出ようか?」
「ううん。大丈夫」
希空かもしれないと言われて少し安心した。電話に出る。海菜さんの言った通り、相手は希空だった。旅行先の広島に着いたという報告だった。海菜さんにお礼を言ってから、部屋に戻って彼女と会話を続ける。
「わざわざ電話くれてありがとう。頑張ってね」
「公衆電話見つけたらまたかけるよ」
「ありがたいけど、そんなに頻繁にかけてこなくて大丈夫だよ。単独行動じゃないし、電話代もかかっちゃうし。ね?」
「……じゃあ、旅館に着いて時間が出来たら」
「夕方くらい?」
「えっと……」
カサカサと音がする。しおりを確認しているのだろう。
「七時過ぎくらいかな」
「分かった。待ってる」
「うん。じゃあ、また後で」
「うん。……あ、希空」
「ん。なぁに。愛華」
電話が切れる前にこれだけは言いたくて引き止める。
「……大好き」
『ボクも』とすぐに返ってくると思いきや、沈黙の時間が数秒続く。もしや、電話はもう切れてしまっただろうか。確認するが、まだ繋がっている。なんだか恥ずかしくなってしまい「じゃ、じゃあ、また後でね」と言って彼女の言葉を待たずに電話を切ってしまった。
「……せっかく勇気出したのに。黙んないでよ……恥ずかしいじゃん……」
彼女の代わりに、彼女がくれたぬいぐるみ——ゆきのに愚痴をこぼす。もちろん、ぬいぐるみだから応えてはくれない。
「……会いたいな」
学校に行けなくなってから、彼女はほぼ毎日会いに来てくれていた。たった二日でも会えないと決まっていると寂しくて仕方がない。彼女は今、何をしているのだろう。修学旅行は楽しめているだろうか。そんなことを考えているうちに時間はみるみるうちにすぎていく。海菜さんから出された課題をこなすためにはまず本を読まなければならないのだが、彼女のことで頭がいっぱいで内容が入ってこなくなってしまった。一旦読書を中断し、リビングへ。ちょうど海菜さんが昼食の買い出しに行くというので、付き合うことに。
「課題は進んでる?」
買い物カートを押しながら海菜さんが私に問う。
「ううん」
「そっか。やっぱりちょっと内容がキツかったかな」
「それもあるけど……」
「けど?」
「……希空のことばかり考えちゃう」
打ち明けると、海菜さんはふっと吹き出した。こっちは真剣に悩んでいるというのに。
「ふふ。ごめんごめん。可愛いなぁって思って。大切な人のことばっかり考えちゃうのは分かるよ。私も百合香に出会った頃はいっつも百合香のことばかり考えてた」
「今もじゃない?」
「あははっ。そうだね。今もだね」
「それで勉強が手につかない時とかあった?」
「まぁ、それなりに」
「そういう時はどうしてた?」
「うーん。……気分転換に散歩したりしてたかなぁ。勉強しても頭に入らないとただの作業になっちゃうからね」
「散歩かぁ……」
「あるいは、何か作業をするとか。とりあえずちょうど良いし、私の代わりにお昼ご飯作ってみる?」
「……さりげなく押し付けたな?」
「あははっ。冗談だよ。全部押し付けたりしない。いつもみたいに手伝ってくれるだけで良いよ」
「何作るの?」
「海老が安いからー……チャーハンにしようかな。確かご飯余ってたよね」
「とびこ入れて良い?」
「お。良いねぇ」
とびこ、海老、卵、そして夕食に作るカレーの材料とおつまみを色々買って買い物は終了。買ったものを二袋に分けると、海菜さんはさりげなく重い方を持つ。いつもそうだ。こういうさりげない気遣いが出来るところは見習いたいところだが、私はあまり力も体力もないため、同じことをしてもきっと格好がつかないだろう。逆に気を遣わせてしまいそうだ。せめて家の鍵を開けるくらいのことはさせてほしくて、海菜さんより先に庭に入り、鍵をあけてドアを押さえる。
「ふふ。ありがとう」
海菜さんの後に続いて家の中に入り、買ったものを整理整頓して昼食作りに取り掛かった。
その後、食事が済み一息ついたところで再び課題に戻る。海菜さんの言った通り、買い物と料理がいい気分転換になったようで、今朝よりは頭に入ってくる。しかし、やはり生々しい。今読んでいる本はフィクションではあるものの、この国で戦争が起きた事実を元に描かれている。
途中何度か休憩を挟みながら、数時間かけて、なんとか最後まで読み終えた。後書きで作者はこう語っていた。もう二度とこのような悲劇を繰り返さないためにこの作品を描いたのだと。
覚えているうちに感想文を書きたいが、読破するだけでどっと疲れてしまい、とてもその気にはなれない。とりあえず忘れないように本を読み終えて感じたことを箇条書きでメモしていると、スマホが鳴った。公衆電話からだ。確か、七時くらいと言っていた。もうそんな時間だったのかと驚き時間を確認すると、六時を過ぎていた。玄関の方から「ただいま」と百合香さんの声が聞こえてきた。「お帰り」と部屋のドアを開けて返してから、電話に出る。
「大丈夫? なんかちょっと元気ないね」
「戦争の本読んでたらちょっと疲れちゃって。希空は大丈夫?」
「ボクも。資料館見てきたんだけど、結構エグくて」
「私達、平和な世界に生まれてよかったね」
「そうだね」
そういえば、彼女は今旅館にいる。彼女が今日寝泊まりする部屋には翼と苺ちゃんが居る。本来なら、私も一緒だったはずなのだけど。
「……翼達とは出来るだけお布団離して寝るんだよ」
「えー? なに? 嫉妬?」
どこか嬉しそうな声で彼女は言う。今まで翼と三人でお泊まりするなんてよくあったことなのに。付き合った途端にもやもやしてしまうなんて。これも私が彼女に恋をしている証拠なのだろうか。
「……ちょっとだけ。……帰ったらいっぱいぎゅーってしてくれると嬉しい」
「する。いっぱいする。言われなくてもいっぱいする」
「ほ、ほどほどにお願いします」
「ふふ。分かってる。無理はさせないよ。……多分そろそろ切れるから、最後にこれだけは言わせて」
「うん。なに?」
ふぅと一息ついて、彼女は囁くように言う。「大好きだよ。愛華」と。甘い声に、心臓が跳ねる。一瞬だけ浮かんだ父の顔は「昼は言えなくてごめんね」という優しい声で上書きされる。
「おやすみ。またね」
「う、うん。またね。おやすみ」
スマホを耳から離して「私も、希空のこと大好きだよ」と呟く。心臓の音がうるさい。だけどこれは、怖いからじゃない。
「好きだよ。希空」
帰ってきたら直接言おう。きっと、言わなくても伝わっているけれど。
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