君のいない修学旅行(前編)

 今日から二泊三日の修学旅行がある。二泊分の着替えが入った重たい荷物を持ち、リュックから愛華から預かったぬいぐるみの頭を覗かせて駅へ向かう。途中で桜庭くんと翼と合流する。


「そのぬいぐるみ……小桜のか?」


「うん。『私の代わりに連れて行って』って言われて」


 リュックからぬいぐるみを出して二人に見せる。すると二人は驚くように目を見開いた。


「えっ、なにそれ! 桃花中の制服着てるじゃん!」


「すげぇな。わざわざ作ったの?」


「そうらしい。お母さん達が作ってくれたって」


「流石すぎる」


「確か、ぬいぐるみ自体も手作りなんだよね」


「マジで? 手作りでこのクオリティ? どっちが作ったんだろう。俺ちょっと教わりたいなぁ」


 そう言って桜庭くんはカナをまじまじと見る。


「桜庭くんぬいぐるみ好きなの?」


「いや、別に。裁縫は好きだけど」


「へー。意外と家庭的だよね。調理実習の時も手際良かったし」


「翼なんて皿洗いくらいしか役に立たなかったのにね」


「希空うるさい」


「坂本は作るより食う方が得意だもんな」


「うるさいなぁ! もー!」


 なんて他愛もない話をしているうちに駅が近づいてきた。カナをリュックの中にそっと押し込んでクラスに合流する。愛華の代わりに連れてきたなんて知られたら一部の人に馬鹿にされそうだ。馬鹿にされるだけで済めばいいが、カナに何かあれば彼女が悲しむ。流石に人の持ち物に悪戯するほど子供じみた嫌がらせをする人はいないと思いたいが……トラブルを避けるためにも移動中はあまり外には出さない方がいいかもしれない。


「みんな居るかな? 点呼取るから名前呼ばれたら返事してね」


 クラスの学級委員が点呼を取る。愛華以外は全員居るようだ。『結局あいつ来ないんだ』『このまま卒業まで来ないつもりなのかな』『高校どうすんだろう』『行けないでしょ』『中卒ニートとか人生詰みじゃん』好き勝手言う声に苛立つ気持ちを抑えながら、新幹線に乗り込む。旅行の行き先は広島と長崎だ。ボクの隣の席は空いていた。本来愛華が座る予定だった席だ。彼女が窓際でボクが通路側。彼女が座るはずだった窓際の席に座り、カナを窓の側に置いて写真を撮ってから、カナをリュックに戻してリュックごと抱えて、一緒に窓の外を眺めて彼女に想いを馳せる。彼女は今なにをしているのだろう。連絡を取りたくても修学旅行はスマホ持ち込み禁止なため、今日から三日間は連絡を取るためには公衆電話を探すしか無い。不便だと感じてしまうが、生まれた時から携帯電話がある生活をしているからそう感じるのだろう。しかし、やはり不便だ。スマホが無い時代なんて想像出来ない。


「はー……」


 リュックに顔を埋めてため息を吐く。カナから、微かに彼女の匂いがする。そんな気がした。





「希空、起きろ。そろそろ着くぞ。おい。おーい」


「ん……」


 いつの間にか寝てしまっていたらしく、前の席に座っていた翼に頭を叩かれて起こされる。リュックを抱いて前屈みになって寝ていたせいか、首や腰が凝り固まって痛い。伸ばしたり回したりしてストレッチをしているうちに新幹線は広島駅で止まった。カナをリュックの中に優しく押し込んで、クラスメイトに続いて降りる。六月。季節は初夏に差し掛かり、暑くなってくる頃だ。日差しが強い。

 ここから昼までは班ごとに分かれて自由行動だ。班は出席番号順に勝手に決められたが、ボクと桜庭くんと翼は三人並んでいたから同じ班だ。それと愛華も。あと、園芸部の春日さん。身長が170㎝近くある長身の女の子だ。背が高いのがコンプレックスらしい。ボクからしたら羨ましい限りだが。分けてほしいくらいだ。あまり伸びすぎると140㎝くらいしかない彼女との身長差が開きすぎてしまうからほどほどでいいけど。


「希空、これ」


 歩きながら翼に渡されたのは地図を印刷した紙。何枚かあり、ホッチキスで止められまとめられたその紙には公衆電話の場所が記されていた。


「公衆電話の場所、調べといたよ。スマホ使えないから」


「……翼……ありがとう」


「ん。あんま長電話すんなよ。タダじゃないし、時間も限られてんだから」


「とりあえず近くの行くか? 無事についたこと教えてやりたいだろ」


「うん」


 翼達の協力の元、まずは散策の前に近くの公衆電話を探すことに。初めての公衆電話に戸惑いながら、なんとか彼女のスマホに電話をかけることが出来た。公衆電話からの電話だからか、少し警戒するような声で電話に出た彼女だったが、相手がボクだと分かるとあからさまに声色が明るくなる。


「ボクらは今、広島に着いたところ。愛華は何してた?」


「本を読んでた。戦争を経験した人の話。広島と長崎に行くならきっと、戦争のこと学びに行くだろうから。同じ勉強をしようって海菜さんが借りてきてくれたんだ」


「……そっか」


「うん。カナは今、一緒にいる?」


「うん。リュックに入れて一緒に連れ歩いてる」


「そっか。ありがとう」


 彼女の弾んだ声が胸を高鳴らせる。まだ初日なのに会いたくてたまらなくなる。


「……二日間も会えないの、寂しいね」


 溢すと、彼女はくすくすと笑った。


「私も寂しいよ。でも……声聴けて良かった。わざわざ電話くれてありがとう。頑張ってね」


「公衆電話見つけたらまたかけるよ」


「ありがたいけど、そんなに頻繁にかけてこなくて大丈夫だよ。単独行動じゃないし、電話代もかかっちゃうし。ね?」


「……じゃあ、旅館に着いて時間が出来たら」


「夕方くらい?」


「えっと……」


 しおりを確認する。旅館に着くのは夕方六時ごろ。そこから食事と風呂を済ませた後は就寝時間の十時まで自由行動だ。


「七時過ぎくらいかな」


「分かった。待ってる」


「うん。じゃあ、また後で」


「うん。……あ、希空」


「ん。なぁに。愛華」


「……大好き」


 彼女のその愛しむような優しい声に、思わず言葉を失ってしまう。数秒の沈黙の後、彼女は「じゃ、じゃあ、また後でね」と言って電話を切った。公衆電話から十円玉が一枚返ってくる。


『大好き』


 彼女の声が反響する。しばらくその余韻に浸っていたが「はーい。時間でーす」という翼の冷めた声と共に、電話ボックスから無理矢理現実に引き戻された。


「ねえ、みんなでお金出し合って愛華ちゃんに何かお土産買わない?」


「割り勘なら割と高いものでもいけるしね」


「やっぱもみじ饅頭だろ」


「ボクは個人的にこれ買ってこうかな」


目についたのはもみじ饅頭の被りものをする有名な白猫のキャラクターのストラップ。


「個人的には良いけど、ちゃんとこっちも出せよ」


「出すよ。ちゃんと」


 愛華へのお土産にもみじ饅頭とストラップを購入し、あとは適当に親戚や家族に配るお土産を買い、散策を楽しんだ後は平和記念資料館で戦争の悲惨さを学び、講話を聞いた。第二次世界大戦から九十年以上が経つ。戦争を体験した人達はもうごく僅かしか残っていないらしい。それを喜ばしく思うと同時に、あの悲惨さが忘れられてしまうのではないかという不安もあると、講師の方は語っていた。生々しい戦争の記録を見たり体験談を聞いたりしながら、正直、彼女にはあまり見せたくないなと思ってしまった。目を背けてはいけないものだと分かってはいるが、彼女には綺麗な世界だけを見てほしい。そう思うのは少々過保護だろうかと翼達に話すと「少々どころかかなり」と呆れられてしまった。


 そして夜。食事と風呂の後、約束通り旅館の公衆電話で彼女の携帯にかける。電話に出た彼女はどことなくテンションが低かった。本を通して戦争の悲惨さに触れて少し疲れてしまったらしい。


「ボクも。資料館見てきたんだけど、結構エグくて」


「私達、平和な世界に生まれてよかったね」


「そうだね」


「……ところで今、旅館に居るんだよね」


「ん? うん。そうだよ」


「……翼達とは出来るだけお布団離して寝るんだよ」


「えー? なに? 嫉妬?」


「……ちょっとだけ。……帰ったらいっぱいぎゅーってしてくれると嬉しい」


「する。いっぱいする。言われなくてもいっぱいする」


「ほ、ほどほどにお願いします」


「ふふ。分かってる。無理はさせないよ。……多分そろそろ切れるから、最後にこれだけは言わせて」


「うん。なに?」


「……大好きだよ。愛華」


「!……」


「ふふ。昼は言えなくてごめんね。おやすみ。またね」


「う、うん。またね。おやすみ」


「私も、希空のこと大好きだよ」電話は彼女のその囁くような小さな声をしっかりと拾ってから、彼女との通信を切った。




 部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。翼と春日さんがそれぞれの布団の上に並んで寝転がっており、二人と一緒にトランプで遊ぶ桜庭くんを挟んでもう一枚布団が敷いてある。枕元にはカナが座っており、その前にはトランプが伏せたまま並べられている。桜庭くんがそこから一枚抜き取り、自分の手札に加えた。どうやらババ抜きをしているらしい。カメラでその様子を撮影してから、カナの手札を引き継いで参戦する。手札はやけに多かったが、割と揃っていたため、みるみるうちに減っていき、残り三枚になった。


「嘘だろ。そんな減る?」


「早く引きなよ桜庭くん」


「くそー。ちなみにジョーカーは?」


「無いよ。ちなみにボクのおすすめはこれね」


 一枚だけ少し上にずらす。「絶対ジョーカーじゃん!」と彼は警戒しながら出っぱった一枚を避けて引いたが、別にボクはジョーカーを持っていない。とりあえず、桜庭くんの反応を見る限り彼の手元にはジョーカーはなさそうだ。続いて桜庭くんの手札から翼が一枚引き、揃えて手札を減らした。春日さんも翼から一枚引き、手札を減らす。二人ともその手つきに迷いはなかった。


「ジョーカーは春日さん?」


「そうだよ」


「あっさり認めたな……」


「ふふ」


 春日さんの顔色を伺いながら、一枚引く。見事に当たりを引いてしまったが、春日さんは「ちぇー」とわざとらしく唇を尖らせた。それを見て油断したのか、桜庭くんは迷いなく当たりを引いた。そしてわかりやすく動揺してボクを見る。思わず春日さんと一緒に吹き出してしまう。


「顔に出すぎ」


「えー。ジョーカーそこかよ。まじか……」


「……いや、引いてない」


「今更遅いって。持ってんのバレてるから」


 といいつつ、翼の手つきに迷いはない。そして見事に揃えて、桜庭くんに揃えたカードを見せつけながら上がった。


「くっそムカつくな」


「おーっほっほ」


「ということは、桜庭くんから引くのか……やだな」


「ちなみにジョーカーこれな」


「じゃあ敢えてそれ引こうかな」


 春日さんは迷いなく桜庭くんが一枚出したカードを引き、揃えて残り一枚に。


「「だっさ」」


「う、うるせぇな」


 春日さんから一枚引き、ボクと桜庭くんの一騎打ちになる。一枚一枚手にかけて、表情を伺う。ポーカーフェイスを意識しているつもりなのだろうが、わかりやすすぎて笑ってしまう。


「笑うなよ。自分でも分かってんだよポーカーフェイス下手くそだって」


「負けたら何かある?」


「一位の人にジュース奢る」


「えー。一位の人だけなの?」


「残念だったな。お前の分は奢らん」


「自分が負ける前提かよ。諦めるなよ」


 一枚引き、揃えて手札を減らす。彼も一枚引き、手札を減らす。残りは一枚。これを揃えればボクの勝ちだ。すると、彼は自分の手札を見ないように目を閉じて、そのまま手札を混ぜる。


「ずっる!」


「うるせぇ早く引け」


「もー……」


 なんとなくで右側のカードを取る。目を開けた彼はがっくりとうなだれ、ボクの手札はゼロになった。


「希空は途中参加だったし、もう一回やって次負けた人が罰ゲームにする?」


「いや、良い。どうせ何回やっても俺の負けだから。坂本、ジュース買いに行くぞ」


「えっ、今? まぁ、良いけど」


 桜庭くんが翼を連れて部屋を出ていく。すると春日さんが、二人が出て行った扉の方を見ながら「あの二人って、付き合ってるの?」とボクに尋ねる。


「えっ。いや、そういう話は聞いてないけど……」


「えー。そうなんだ……てっきりそういう関係だからわざわざ来たのかと」


「普通に友達だと思うけどなぁ。てか、翼は年上の男の人が好きだし」


「へー」


「春日さんは恋人とかいるの?」


「いなーい。好きな人は居たけど……だいぶ前にフラれちゃって。絶賛恋人募集中です。ちなみに、男の人が良いです」


「ふーん……」


「……ちなみに小森さん、愛華ちゃんとはどこまでいってる?」


「どこまでって……」


「キスとか、した?」


 目を輝かせて問う春日さん。彼女は恐らく、愛華の恋愛感情に対するトラウマのことは知らないのだろう。勝手に話すわけにもいかない。


「そういうのはまだまだ先かなぁ……」


 したいという気持ちはある。しかし、心の傷が癒えるまでは到底無理だろう。


「けど……今はただ、好きだと言ってもらえるだけでも充分だよ。充分幸せ」


 それもまた、嘘ではない。彼女はボクの気持ちに応えるために必死にトラウマと戦ってくれた。今も尚戦っている。それだけでも充分すぎるくらい愛は伝わる。


「……小森さんって、なんか大人だね」


「そんなことないよ。ボクはまだまだ子供」


「そんなことなくないよ。はぁー……愛華ちゃんいいなぁ。めちゃくちゃ愛されてんじゃん」


 そう言って彼女は羨ましそうに唇を尖らせ、カナを突いた。


「ただいまー」


「あ、おかえり。あれ。桜庭くんは?」


「部屋戻った」


 翼がジュースを持って帰ってきた。すると春日さんが「桜庭くんのことどう思ってる?」と翼に単刀直入に質問する。何その質問と苦笑いする彼女に、先ほど春日さんに付き合ってるのではないかと疑われていたと話すと「はぁ!?」とあからさまに動揺した。意外な反応に驚いてしまうが、春日さんは「やっぱりー」とニヤニヤしている。


「えっ。翼好きなの? 桜庭くんのこと?」


「いや、好きっていうか……」


 翼は恥ずかしそうに語る。以前ボクが家出をした時に『一人じゃ危ないから一緒に行動しよう』と言われて以来、なんか意識してしまうのだと。


「えっ、なにそれ。チョロ」


「うっ、うっさいな! 別に恋とかそういうのじゃないし!」


「じゃあ、桜庭くんが誰かと付き合っても素直に応援出来る?」


「あいつモテるしね。作ろうと思えば恋人の一人や二人簡単に出来そうだよね」


「いや、桜庭くんはああみえて誠実だから本気で好きな人としか付き合わないよ。多分」


「じゃあ、好きな人ができたって言われたら?」


 黙る翼。言い逃れ出来なくなったのか、みるみるうちに顔が赤くなっていく。春日さんと一緒に揶揄うと「もう寝る!」といって布団をかぶってそっぽを向いた。

 ボクらも布団を整えて寝る準備を始める。


「小森さん、カナと一緒に寝るんだ?」


「そりゃね。リュックの中で一人だと寂しいでしょ」


「ふふ。寂しいのはどっちなんだか」


 揶揄うように笑い、布団に入る春日さん。電気を消して布団に入り、カナを抱いて眠りについた。

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