第10話
「さあ、どうぞ。確認してくださいな」
「失礼します。確かに、参、だ」
わくは手に載せた指輪を色々な方向から眺めている。
「これも、ゆりあさんちに伝わってるリングなんですか?」
「ちがうわよ」
「誰のですか?」
「これはね、先日亡くなった、かんちゃん、松下さんのものだったの」
ゆりあさんが話していた、二世帯住宅の1階で人知れず亡くなった松下さん。踏石どころか、メインキャストの役割じゃないか。
すでにゆりあさんは、その時点で私達がどこまで情報を掴んでいるかをチェックしていたのかもしれない。私が松下さん自身のことすらまったく知らずに、ただ話を合わせているだけだとすぐわかって、彼女はボケることにしたのだろう。
「かんちゃんと私、同級生なの、1小の。卒業して半世紀くらい経ってからかな、市の太極拳教室で再会したとき、ふたりともこれをつけているのに気がついて、それで急接近よ」
「つきあったんですか?」
「まあ、ボーイフレンドの一人ね。あはは。というか、当時はまだ60代だったけど、近頃はね、92にもなると遊び相手も贅沢言ってられないわ。歩ければいいって感じよ。ここ5年くらいは同じデイサービスに行ってたの。亡くなる三日前に、かんちゃんが私に、これを預かってくれって。亡くなった原因は脳梗塞だし、あれは普通はあんまり自覚症状がないらしいけれど、なんとなく体がだるいって言ってて、かんちゃん、とっても感が鋭い人だから、もしもの時を考えたんじゃないかしら」
「それでゆりあさんに預けたんですね」
「自分が死んじゃったら、息子の嫁がいっさいがっさい、売ったり処分しちゃうに違いないからって。大体、死んだの翌日まで気がつかれなかったくらいだからね」
「松下さんの、下の名前は?」
と、わくがスマホを手にしながら聞いた。
「勘蔵。中村勘九郎の勘、勘が働く、の、勘に、くら」
「感覚の感?・・・」
「多分ちがうね」と私はいい、スマホに勘を表示させて示した。
「ああ、勘・・・蔵さん、・・・の情報、住所とか、あとで教えてください。
家はどのあたりですか?」
「あの、スペインレストランの並びよ」
そのレストランがある道路は、今は2車線のバス通りになっているが、昔は寺院の湧水池からの水が流れる川だった。畑に囲まれ、空を映して流れる川を私は覚えているような気がするが、それはその後、勝手に塗り替えた記憶の絵なのかもしれない。はるか彼方の風景だ。
わくはスマホにメモらしきものを打ち込みながら、
「勘蔵さんから、何か湧水一族のことで聞いたことありますか?」
と真剣なまなざしをゆりあさんに向けた。
「2人で、それぞれ知っていること、親から聞いたことをすり合わせたりしたわね。
そもそもかんちゃんの指輪は、蔵から見つかったらしいの」
蔵!仏壇とはレベルがちがうなと思った。
「木箱に入ってたらしいの。父上に聞いたら一族に伝わるもので、昔、湧水一族という人たちがいて」
わくは、説明するゆりあさんを録画しはじめた。
「この村の危機に立ち向かって守ったっていう英雄伝説みたいになってたわ。七人の勇士たちにそれぞれ指輪が与えられた、みたいな話だったわね。私はそれは聞いたことないけれど。
長い間に色々アレンジされたのね、きっと。
私は母から譲り受けたとき、一族に伝わる指輪で、雪辱を遂げるために必要なものだって聞いたの。全部で7個あって、全部揃ったら謎が解けるって。でも、詳しいことはよくわからないし、7個揃ったとしても謎を解く鍵は多分ないのよ」
「その木箱はどうしましたか?」とわくが聞いた
「私も見たことないの。かんちゃんが開けたら壊れちゃったらしいの。相当古いものだったのよね。でも、写真に撮ってあったわ。それも預かったわよ」
ゆりあさんは、ハンカチの下を探り、ビロードの布を取り出した。
「これこれ」
ゆりあさんが布の中から取り出した写真に写っている木箱は、破損したあとなので蓋部分と本体部分がそれぞれ外れていた。が、蓋の上に墨で描かれた、記号化したような図案が見て取れる。
鳥居、池のようなもの、川のようなもの、橋のようなもの、石段のようなもの、小高い山のようなもの、やしろのようなもの、それらの絵のモチーフは、私達のそれぞれの指輪の紋様に
ひとつずつ組み込まれていた。
「これ、、、俺のはこのやしろみたなやつだ。くりこさんのは、盛り上がった山みたいの、ゆりあさんのは、、、橋、勘蔵さんのは、、、川だ!!ありがとうございます!!すごい進展です!!これ、お借りしていいですか?」
と、わくがいつもより少し熱気を帯びた声で言った。
「いいわよ。謎解き、おまかせするので、がんばってね!!」
「がんばります!」
「この指輪や伝説に、こんな若い人たちが熱心に対応してくれるなんて、想像もしていなかったわ。楽しいわねえ!!」
ユリアさんが私の手を取って言ったので、私も思わず握り返した。
骨だけのような手の、硬いけれど脆そうな感触に少しうろたえる。
「私はね、長年、別の土地に住んでいて、母が病気になったのでここに帰ってきたの。
勘蔵さんも同じで、若い頃からずっと都心に住んでいて、ご両親が亡くなったので家を継ぐために帰ってきたのよ。家、処分してもよかったんだけれど、なんとなくそれができなかったと言ってたわ」
「同じです。私も、長年、別のところに住んでいて、15年前にこの街に帰ってきたんです」
私の理由も、母親の体調悪化だった。
生まれ育った町は、外から帰ってくると、あの頃の町とは別物だった。
もちろん、開発されて、田舎からある程度環境が整った街になったというちがいもある。
だが、それだけではない。
「外国は祖国にならなかったけれど、祖国は外国になってしまった」
と言ったのはグレタ・ガルボだっただろうか。人は生まれ育った街を出た瞬間、もうその街への精神的パスポートを手放すのかもしれない。
「僕も・・・」
わくが口を開いた。
「小学校2年のとき、麻布からここに引っ越してきたんです。母が病気で亡くなって、父は会社をやってて仕事が忙しかったから、おばあちゃんに僕を見てもらうために、父の実家があるここに戻ってきたんです。でも、すぐにおばあちゃんが倒れちゃって、ああ、勘蔵さんと同じ理由です、それで、結局親父は、無理やり親戚に再婚させられちゃいましたけど」
音は低いけれど、温度の高さを感じさせる不思議な声。すべてにテンションが低い人物から淡々と語られる、ビターな味わいの身の上話。言葉より、遠くを見ている彼の瞳のほうが、
多くを語りたがっていると思わせる。
わくはふっと小さく笑った。
「おもしろいですね。ここでリングを持ってるのは別のところに住んでたことある人ばっかり」
コウタが「はい!」と手を上げ、
「俺は生まれてからずっと住んでます!」と言った。
「なのにリングなし!継続特典なし!」
「それにしてもK市民はナショナリズムが強いからな」とわくが笑う。
「都心から酔っ払って帰るとき、夜中だと各停しかねーから『遠!!』とか思うのに、結局帰ってくるとほっとすんだよなあ」
とコウタ。
「田舎だからほっとすんだろ」
わくの言葉に一同、たしかに、と共感した。
「わくくん、その指輪を譲られたとき、お父さん、なんて言ってた?」
わくは一瞬、音がするほどのまなざしを私に当てた。それからすぐ下を向いて
「父さんは・・・最後、もう意識なかったから」
とふだんよりさらに低く、つぶやくように言った。
「ああ・・・ごめんね」
「あ、いえ、別に」
「お父様・・・3年前って言ってたよね。まだ若かったでしょうに」
「・・・52です」
そんな若さで。逝ってしまうにはまだまだ若い。そして、わくは、まだ20代半ばにして、すでに両親が他界しているわけだ。
「でも、、、時計とかほかの指輪とかは、仕事上の立場もあるから、結構いいものをしてたんですよ。これだけはブランドものでもないのにずっとつけてて。なんなのかな、よっぽど大事なわけがあるんだろうなって思ってました。結婚指輪でもないし、、、んで昔、聞いたことがあったの思い出したんです。このリング見せてくれて、これには、俺たち一族が、名誉と誇りを取り戻すための秘密が隠されているんだって。俺、子供だったから、戦隊ヒーローのベルトとか剣みたいだとか思ってましたね。にしても、結局このリングって、自分の所に来た途端、そっからみんなずっと身につけるようになってるじゃないですか。外せない。それも先祖の呪縛なんですかね」
それぞれの家庭の事情をかいくぐり、それでも千年近く生き延びてきた指輪たち。
奇跡のようだが、それがこの指輪にかけられた、呪縛とすら言えるようなしぶとさだと思った。
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